第11話 ダイモス攻略戦 - Phase 2:オペレーティング・システム
管制司令室のモニタの一枚には、出撃中のパイロットたちの顔写真が並んでいた。顔写真の下にはそれぞれ、バイタルを示すパターングラフと、通信音声を示すイコライザが表示されている。ずらりと並んだ顔写真のうち2つは明度が落ち、当該パイロットのバイタルサインが消失したことを示していた。
『ちっ……くしょうが! 戦死者1! 誤射だ! ガーゴイルB-04大破!』
「ガーゴイルB-04、バイタルサイン消失!」
甲高い電子音が管制指令室に響き渡り、また一つ明度が落ちる。パイロットのバイタルをモニタリングしていた管制スタッフがバイタルサインの消失を告げた。
次いで飛び込んできたのは鹵獲機の情報だった。「データ出します!」の声と共に、中央のモニターにスキャンデータが映される。
「ヘルヴォルかぁ、これ」
部屋の隅でせっせとラップトップを叩いていた筈のアサクラが、いつの間にか隣に立ってモニターを見上げていた。その視線に釣られるようにシキシマもモニターを見上げる。高精細なスキャンデータ。片方の翼を失ったと思わしきヘルヴォルは、ぶくぶくとしたグロテスクな肉の被膜に覆われてそのシルエットを失いつつあった。無秩序に重なった肉の隙間から顔を覗かせた、冷たい金属の兵装を見てシキシマは眉をしかめる。
「砲だけは健在ってわけか、まったく———」
「照準補助信号消失しました!」
低い声でそう呟いた時、管制司令室にアラート音と共に管制スタッフの焦った声が響き渡った。
「何だと!? 何が起きた!」
「わかりません! ——ヤタガラスA-01、バイタルデータは安定!」
「おいナギ! 何があった応答しろ!」
『あ、はーい』
切迫した確認に応じたのは、まるで友人からの電話に出たかのような気楽な声だった。
『ごめんねー、ちょっと取り込んでて。元ヘルヴォル君と絶賛追いかけっこ中です』
『スンマセン艦長! クッソ、おいナギお前が出たら艦砲止まるだろうが戻れよ!』
『でもせっかくこっち追い掛けてるしー。ギルもうボロボロじゃん。ボクがタゲ持ってたほうが助かるんじゃないのぉ?』
『ンのクソガキが……!』
立体投影地図にマッピングされ、先程まで俊敏に飛び回っていたアヴィオンの機影は、ヤタガラスがデータリンクを切ったせいでぴたりと静止している。そのほとんどが損傷を示すオレンジ色になっているのを見て、シキシマは諦めたように肩を落とした。
「……ラニ、出てくれ」
『既に移動中です! 1分以内にポイントN-03到達、データリンク再開できます!』
『さっすがラニ、わかってるじゃーん』
『嬉しくないです! もうナギ、火星着いたらなんか奢ってくださいね!』
『はいはい。……っとと』
データリンクが再開され、立体投影地図の中では再びアヴィオン達が舞い始めた。飛び回る小さな機影たちは、敵影を追い掛けてくるくると回っている。その中に1組、異常にすばしこく動く影があった。
「うーわ最悪。これエンジン生きてるでしょ」
アサクラが吐き捨てるように言う。補給部隊からのレポートを確認していたツェツィーリヤが、顔を上げて目を瞬かせた。
「エンジンが生きてる……ですか?」
「レーザー撃ってくるのと同じ理屈だよ。喰わずに再利用してるんだ。こいつら自身の推力にエンジンの速度が乗ってる。つまりヘルヴォルが積んでた燃料が尽きるまでは、ジェットパック背負ってるようなもんだよね。まー、無駄遣いしないタチだこと」
* * *
ギルバートを狙っていた鹵獲機に陽電子砲を1発かますと、予想通り鹵獲機はこちらを追い掛け始めた。ナギは躊躇いなくデータリンクを切断すると、機首を反転させて逃げ出した。
(――速いな)
追いかけっこを始めてすぐに、相手のほうが足が速いことに気付く。ナギはニッと笑うと、減速用のペダルを踏みこんだ。アフターバーナーがふっと消え、リバーススラスターが火を噴く。推力が止まっても減速できない宇宙戦においては、通常のエンジンであるメインスラスターとは逆向きの推力を得るリバーススラスターによって減速を行う。
体に強い衝撃がかかり、ヤタガラスがぐっと減速する。柔らかな動きで機首を反転させると、突然の減速に対応できず行き過ぎたヘルヴォル・キャプチャーの後ろに躍り出た。
すぐにアフターバーナーを再点火し、先行するヘルヴォル・キャプチャーを追いかける。だが減速した直後で速度に乗り切れていないヤタガラスは、みるみるうちに距離を離されてゆく。離れていくヘルヴォルに向かって、ナギは笑みを崩さず挑発的に呟いた。
「お、逃げんの?」
その呟きが聴こえた訳もなかろうが、ヘルヴォル・キャプチャーが再びヤタガラスの背後を取ろうと機首を翻す。だが速度が出ていることで膨らんだその飛行経路の内側にヤタガラスがすかさず滑り込み、小回りを利かせた軌道で再びヘルヴォル・キャプチャーの真後ろに噛り付いた。
戦闘機ヘルヴォルは圧縮レーザー砲のみが搭載された機体だ。余分な兵装を持たない分、ヘルヴォルは機動性が高い。鹵獲機ではないヘルヴォル相手であろうとも、ドッグファイト性能でいえば哨戒機のヤタガラスは格下だ。それでもナギは鼻歌交じりに加速と減速を繰り返し、決して背後を許さない。
「ドッグファイトに応じるってことはさ。使ってるんでしょ、アルシュのアタマ」
アヴィオンを動かす|オペレーティング・システム《OS》。それはすなわちパイロットだ。操縦桿を握る腕に、ペダルを踏む足に、それらに指令を与える脳に、刻み込まれた記憶の集合体。再利用されているのは、兵装と、推進機構と、もうひとつ。
艦長の叱責をいなしながら、ヘルヴォル・キャプチャーの動きもいなす。その程度には余裕があった。染みついたヘルヴォルの速度との差異に、アルシュのオペレーティング・システムが不具合を起こしているのだ。
だが戦闘が長引くにつれそれも徐々に修正されてゆき、時折僅かに攻守が反転し出す。射線の通らない位置でレーザー砲が発射され、ヤタガラスの脇を横切った鱗の剝げ落ちた防衛個体が弾け飛ぶ。破れかぶれに発射されたもう1発も、滑らかな横回転を切ったヤタガラスの翼を掠めることもなく宇宙の闇に溶けていった。
聞こえもしないのをわかっていながら、へたくそ! とナギが煽る。くるくる、くるくると。仲の良い犬が互いの尾を追い掛け回すように、ヤタガラスとヘルヴォル・キャプチャーは宙を踊っていた。
フライトコンソールのインジケータは、陽電子砲が残り1発であることを示している。前哨戦時の照準補助のお陰で電力の余剰はほぼない。レーザー砲の1発でも撃とうものなら虎の子の1発も失うだろう。
ヘルヴォル・キャプチャーがさらに速度を上げた。戦線から大きく離れる形でヤタガラスを引き離しにかかる。さすがに直線に逃げられては追い切れず、2機の距離が大きく開いた。ヘルヴォル・キャプチャーはそのまま垂直に機首を上げると、流星のような軌跡を描いて機体を反じ、真っ直ぐにヤタガラスに向き直った。
「あはは! そっちのほうがアンタららしいよ! とうとう弾切れかい!?」
まっすぐに突っ込んでくるヘルヴォル・キャプチャーは砲を撃ってこなかった。
一直線に進んでくるそれに陽電子砲の照準を合わせかけた時、キラリとした複数の輝きを認めて咄嗟に機体をひねる。さすがに避けきれなかった。複数の鈍い音が響き渡り、ヤタガラスに鋭い破片がいくつも突き刺さった。キャノピーを突き破ってきた金属片にヘルヴォルの機体番号の一部を認めて、ナギは凄絶な笑みを浮かべる。
「……へぇ。 いいシュミしてんじゃん」
ヤタガラスは動きを止めない。アヴィオンのコックピットは、元々生体維持の役目を果たさないからだ。パイロットの生体維持を担うのは、高機能の宇宙服としても機能するパイロットスーツだ。スーツの破損に備えて酸素を供給する機能もありはするが、基本的にはキャノピーはパイロットを守るためだけに存在する。多少破られたところで継戦は十分に可能だった。
至近距離ですれ違うその瞬間、紅玉の瞳が肉に塗れたコックピットの中の朧な人影を見る。あはっ、とナギは笑う。アルシュの顔を思い出して微笑む。両機はすれ違い、反転し、再度向き合った。互いが互いに向けて疾駆する。ナギは戦友の顔を脳裏に鮮明に浮かべながら、一縷の躊躇いもなく、ぴたりと照準を合わせた陽電子砲を解き放った。
* * *
「鹵獲機、反応消失! ナギ、やりましたね!」
強調表示された赤い点がレーダーから消失したのを見て、ラニはほうっと胸を撫で下ろした。
前線にはヘルヴォルが1小隊投入され、彼らが戦線を支えてくれたことでガーゴイルとアルテミスのローテーションは回復している。グングニルの艦砲射撃も復活し、再び戦場は優勢に傾いていた。他の僚機が次々と補給を受ける中、ただ1発の残弾を抱えてドックファイトを繰り広げている相棒を見ているだけの時間は、本当に寿命が縮む思いだったのだ。
スピードを緩めて戻ってきたヤタガラスがすっかり針鼠になっているのを見て、ラニはその下がり眉をさらに下げた。
「ケガはありませんか。こちらはまだ大丈夫です。補給と、必要なら治療を」
「あんなへなちょこ相手にケガなんてするかい。ボクを誰だと思ってるのさ」
「んもう! 本当に心配のし甲斐のない人ですねっ」
これでもラニはナギより年上だった。フライトバディとして引き合わされた時は、その儚げな外見にすっかりやられてお姉さんぶろうとしたものだ。だが威厳を見せようと使い始めた丁寧語は一度もその効果を発揮せず、ナギのパイロットとしての技量も相まってもはやこちらが後輩のような様相を見せていた。
ナギはいつも自分のずっと先を行っているように思う。今朝の哨戒だって、別にラニが遅刻したわけではなかった。ナギは勝手に定刻より早く哨戒に出ていったのだ。後から出芽個体の撃破レポートを見た時にぞっとした。定期哨戒の時間に出撃していたら、艦に取り付いていた可能性もある距離だった。
状況報告をサボる癖だけは本当に理解できないが、そんな欠点くらいないとフライトバディとして釣り合わない。そう、釣り合っていないことは自覚しているのだ。それでも心配くらいはさせてほしかった。
「ま、すんなり代わってくれて助かったよ。後はよろしくね」
「〜〜っ!」
去り際に雑に投げられた労い一つで嬉しくなってしまう自分が憎い。ラニは気合いを入れるようにヘルメットの両サイドを叩いた。ごん、と響く鈍い音が気持ちを戦場に引き戻してくれる。
出現する敵の層は明らかに変化してきていた。数を減らした防衛個体に取って代わるように中型サイズのものが出現し始めている。
「弾切れだ!! Bチームに交替要請!」
「補給中!! なんとかもう少し保たせてくれ!」
「イドゥンのバッテリーカートリッジの交換急げ! ローテーション回ってねぇぞ!」
「畜生こっちも撃ち尽くした! 中型1体戦線突破!」
「ヤタガラスA-02、戦線突破対処します!」
ラニは防御線を抜けてきた中型個体に照準を合わせる。1発目の陽電子砲は、中型の右半身を三分の二ほど吹き飛ばした。核が露出し、中型は苦しそうに身を捩る。ぼこぼこと変形する傷口から、肉団子のような塊が幾つか飛び出してヤタガラスに迫る。レーザーでそれを払い除け、おぞましく蠢くその核に陽電子砲を、
「——あ、れ」
ピピピ、と発射失敗を告げる警告音が軽やかにコックピットに響いた。フライトコンソールのインジケータは、残電力が陽電子砲の発射に僅かに足りないことを示している。
攻撃を止めたヤタガラスに中型が迫る。咄嗟にレーザー砲を放つが、一瞬の躊躇いの間に核は再生した肉壁の中に埋もれてしまい、レーザーはただ肉の塊を穿つばかりだ。
「まって」
ぶち、ぶちと肉を引き裂くようにして中型がその巨大な顎を開く。
「やだよ、まって――」
震える足でリバーススラスターを吹かそうとペダルを踏み込んだその動作より一瞬早く、中型はぱくりとヤタガラスを咥え込んだ。機体前方からメキリと嫌な音がして、踏み込んだペダルは応答を返さない。
肉の色がキャノピーを覆い尽くす。メキメキと機体が軋む音を聞きながら、わたしは死ぬんだなと思いながら、ラニは小さく呟いた。
ああ——ここに居るのがナギだったら、きっとうまくやったのに。




