第18話 またこの宇宙《そら》に生まれ落ちて ①
濃い青で出来た、遥かに続く地平が延々と続いている。時折青白いラインが脈打つように疾走っていくその空間は、何処まででも歩いて行けて、そして何処へにも辿り着けない。
ゆるゆると動く足は確かな歩を刻みながらも、どこか掴みどころなく空を彷徨うようだった。
(——ここが、君のいた世界か)
耐え難く広大な空間の中で、魂の底のほうへと孤独が冷たく染み入ってくる。それは自分のものでありながら、かつての自分のものでもあった。手を伸ばして、もろとも抱き込む。
大丈夫、と言い聞かせるように呟いた。大丈夫、君ができたなら、俺ができるなら、俺はできるから、大丈夫。
足を止めて、俯いていた視線を上げる。どこまでも続く空間を、どこまでもついてくるUI群を見た。視たい、と望めばUI群を書き分けるように浮かび上がった平面な窓に映像が映し出される。
しん、と冷たい格納庫の壁。機体の外部カメラは、ただそれだけを映していた。翼のない美しいフォルムのセクメトはいない。特殊な砲門を備えたハーメルンもいない。
視界の端に浮かぶ無機質なデジタルの時刻表示は深夜を指し示していた。夜勤のメンバーを除くほとんどの人々は眠りの中にいるのだろう。艦の駆動音だけが鈍く静かに響き渡り、何の気配もしなかった。艦の中にいながら、人の世界からは切り離されてしまったようで――。
(——いや、実際。切り離されたのか……)
視線を落とす。つるりとしたマテリアルの仮想体の爪先と、膝と、手のひら。左手足に整備班長が入れてくれた光模様はもうない。すべてが等しく借り物に置き換わってみると、どうしてあんなにこだわっていたのか良く分からなくなった。
とすん、と腰を落とす。思考が重たくなってくるのが分かった。恐らくこれは眠気なのだろう。身体はふわふわと軽いままで、重くならない瞼を持ち上げたままぼんやりとからっぽの格納庫の映像を見上げた。そういえば瞬きの必要もないんだな、とどうでもいいことを考えてから、ユウは仮想の膝に顔を埋めて、インタフェースの表示をすべて切った。
* * *
「……おはよ、ユウ」
とんとん、と肩に触れる感覚にぼんやりと意識が覚醒した。瞼を持ち上げると直上の灯りが眩しく視界を照らして、思わず眼を眇める。耳慣れたカメラアイの露出を絞る音が、微かに鳴った。
一瞬ずれたピントが引き絞られて、視界の中に見慣れない青年の顔が像を結ぶ。初めて見る顔だが、面影はあった。二度瞬いてから、ゆっくりと問う。
「フォル、テ……?」
うん、と同世代まで成長した姿の少年は穏やかに頷いた。いつかの盛った姿ではなく、あのフォルテがそのまま成長したらそうなるだろうなと思わせるような姿だった。ユリアに見せたらなんて言ったんだろう、とぼんやり考える。
「起きれるか」
差し出された手を取る。ともに義体であるはずの手のひら同士の触れ合いは想像したような冷たいものではなく、ほのかに温かい。手を引かれるがままに起き上がって辺りを見渡すと、どうやら工作室の一角のようだった。
握った手を放して、緩慢な動きでフォルテを見上げる。
「きみは……」
青年は物憂げに眉尻を下げて微笑んだ。
「記録だけ、見た。アイツはユリアんとこに行ったよ。俺は出撃前の復元体だ。身体は――その、前に作ってもらってたヤツ」
「……そっか。おはよ、フォルテ」
「ん」
フォルテは軽く頷いてから、「で、どうだよ調子は」と尋ねる。ユウは自分の手のひらに視線を落として、それを軽く何度か握った。
「違和感は……ないかも。すごくしっくりくる」
「だろーな。シエロの義体核らしーから、それ」
「シエロの……?」
握った手は、自分の手だった。シエロの華奢で滑らかな手を思い出す。再度身体を見下ろしてみるが、それはどう見ても男のそれだった。
「外装はテッサリアのおっちゃんが調整してくれたんだよ。修理も死ぬほど忙しいのにな」
ほれ、と小さな鏡を手渡される。鏡に映った自分はいつも通りの自分の顔をしていた。青く透ける義眼はなく、焦茶色の双眸が鏡の中から見上げてくる。視界は良好だった。
失った何もかもが綺麗に取り揃えられた身体は、それでもなぜか不思議と自分という枠に綺麗にはまり込んだ。
「……班長にお礼言わなきゃ」
「おー、そーしろ。かなり無理してそうだったから」
「班長……有難いけどもっと大事なことがあるだろうに……」
思わずぽつりと呟けば、フォルテがとても嫌そうな顔をする。
「ホントに言ったよ」
「……何が?」
企業の社員食堂のミールペーストの話をしていた時のような表情のフォルテは、ユウの問う何が、には答えずに肩を竦めた。
「テッサリアのおっちゃんから伝言。『アイデンティティ、というのはとても大事なんですよ、ユウ君』だってさ」
「んん……」
どうやら自分の言は見透かされていたらしい。ユウは渋い顔で鼻の横を掻いた。気まずくなって話題を逸らす。
「アサクラさんは?」
「バックアップの連中を起こして回ってるはず――」
フォルテがそう答えかけた時、工作室の扉が開く音がした。息をせき切った巨体がスライド式のドアを押しのけるようにして押し入ってくる。空気がむっと熱を孕み、もさもさと生えた髭から汗の雫が床にひとつ、ふたつと滴った。顔の面積の比率にしては小さな目が、じっと新しいフォルテの義体を見つめる。
「……おか、えり」
荒い息の合間に、途切れ途切れの迎えの言葉が混じった。少年だった青年は、憂いを含んだ表情でふにゃりと笑う。
「俺、3人目だけど。それでもいーの、おっさん」
太い腕が伸びた。目線の高さが同じになった身体を、圧し潰すように抱きしめる。
「当たり前だろうが」
フォルテの表情がぐ、と歪んで、長くなった腕がクロエの背に回った。
「ごめんな。いつも親不孝でさ」
分厚い手が青年の背を叩く。
「まったくだ。ちったぁ反省しろ、このバカ息子」




