第17話 宙渡りの星 ②
宙空に空いた虚無の孔が、眩い光を発して弾けた。何もかもが瞬間的に白濁し、塗りつぶされた管制指令室に悲鳴が満ちる。巨大な波に押されたように、艦が一度大きく揺れた。
『あ。虚無、なくなったねぇ』
誰よりも先に反応したのは、ホログラム越しのアサクラ・インタフェースだった。アサクラ・コピーたちにはすべての情報が同期されている。正面のモニタに映ったこの光景を、外部カメラが見ているこの光景を、電脳の彼らは画面越しではなく直接視ているのかもしれない。それなのに一言目がそれか、とシキシマの口の端から乾いた笑いがこぼれた。
なめらかな流線型の、大型の海洋生物を思わせる巨体が、モニタいっぱいに広がりながら穏やかに身をくねらせた。淡く発光しながらゆったりと旋回するその姿は神性すら感じさせる。虚無空間の中にあれほどいた悍ましい肉塊たちは、交戦中だったわずかなそれを除けばもう欠片も見出すことが出来なかった。
巨大な輝きの前に、ぽつんとフェイルノートが浮かんでいる。決して小さくはないはずの駆逐艦の姿が、まるで猫の子の前に転がり落ちた一粒の豆のようだった。艦首がこちらを向いているのを見るに、すでに離脱中だったのだろうか。前線に出ていた部隊は――救助隊は帰ってきた、クロエは、ハイドラは、クピドは、フォルテは。
『まったくロクでもないなぁ。何だよ、アレ』
目の前のソレから逃げるように上滑りしていく思考を、アサクラ・インタフェースののんびりとした声が引き戻す。たゆたう神性は視覚からの暴力となって、脳を殴りつけた。ぎゅっと眉間に皺が寄る。
「アザトゥスでは、ないのか」
『違うと思うねぇ。アレはこの戦争に何の関係もないただの未知だっていうのが僕らの見解だよ』
「……何の関係もない、ですか」
シキシマの隣で情報端末を胸の前に強く抱きしめて呆然とモニタを見あげていたツェツィーリヤが、ホログラムの中で揺れるマニピュレーターに視線を落として呟いた。
『そうだよ、何の関係もない。だからこそ事態がややこしくなったんだ。ランダムパラメータみたいなもんだよ。おおかた、数年前の侵攻規模が減ったタイミングで次元孔を塞ぐような形でソレが産み落とされたんだろうね。僕らが彼らを退けたから侵攻規模が減ったわけじゃなかったんだよ。通信阻害についてもコイツの影響で、僕らに合わせた進化なんかじゃなかった。みんなただの偶然だ。嫌になっちゃうねぇ、まさに神様の悪戯ってやつだ』
「神、様の……」
まだ呆然としたままのツェツィーリヤが小さな子供のように神という単語を繰り返したのに合わせたかのように、巨大な神性の周りにヴェールのような光の幕が鮮やかに広がった。
怖気がするほどの美しさだった。恐怖と、畏怖と、憧憬がひどく混ざり合って凍りつく指先をなんとか動かして、ただひとり喋り続ける知性の、オリジナルへと回線を繋ぐ。
「……キリヤ。視ているか」
『もう視た。悪いけど厄介な手術の最中なんだ。僕の代わりならそこにいるでしょ、相談はソイツとやって』
ひどく憔悴の滲んだ声が共感をぴしゃりと跳ねつけて、あっという間に通信は切断された。あはは、とアサクラ・インタフェースが笑う。
『やぁ、僕ともあろうものが随分と余裕を失ってるなぁ。……いいや違う、アレは我慢だな。次元孔なんて飛びつきたくて仕方ないだろうに、カワイソーだねぇ』
次元孔、という単語を脳が唐突に認識して、シキシマは勢いづいてホログラムのリペア・アンド・メンテナンスユニットの方へと振り向いた。
「待て、次元孔だと?」
『そうだよ。ホラ、あの向こう』
光で編まれた透けるマニピュレーターがモニタに映った神性を、その奥を指し示す。女神の薄衣を思わせる光のはためくその向こう側で、青と紫の絵の具を溶いて淡く広げたような光が、奇妙に拡散と収縮を繰り返す様がシキシマの瞳孔に映り込んだ。
アサクラ・インタフェースはやる気のなさそうな動きでマニピュレーターを打ち合わせる。ぺちぺちと馬鹿にしたような音が鳴った。
『おめでとう、みんな。ラストダンジョンの入り口が発見されましたー。さあ、未来の地図に従えば次の舞台はついにアザトゥス母星だ。楽しみだねぇ』
巨大な神性が優雅な動きで流線型の体をひとふりした。光の幕を引き連れて、すべるように離れていく。巨体を取り巻く薄膜は、その速度が上がるにつれて輝く尾のようになっていった。
その姿は彗星のようにも見えて、この遥かなる宙を渡っていく星のひとつになるのかもしれないと、そんなことをふと思った。
次回の更新は8/8です。
それではまた、次回。




