第16話 破殻 ②
「ハイドラ! 戻ってこい!! 聞けよ! 畜生おい、聞けってば!!」
『ダメだフォルテ、ありゃァもうなァんも聞こえとらんだろうよ』
ユウの乗るガーゴイルを引きずって、イージスとアンカーが後退していく。核検知を続けるフォルテのヘイムダルと、それを守るクロエのセクメトと補給隊だけがぽつんとその場に残った。
「……クソ」
苦い声が漏れる。クピドの乗ったセクメトの反応が消失してから、ハーメルンの動きは完全に常軌を逸していた。単機ですべての敵を蹴散らしながら"卵"に肉薄する。呼びかけに答える人の声はなく、獣の咆哮が回線を満たした。
フォルテはセラミックの歯をぎり、と噛み締める。すべてを投げ捨てて吼えるその姿は、憐みと羨望を歪に混ぜ合わせて心臓のない胸を焦がした。
それはユリアが死んだときにそう出来なかった自分の姿であるような気もしたし、同時にそう思う事が酷く烏滸がましくも感じる。電脳が思考に基づいた身体感覚を演算し始め、演算装置やシリンダーの詰まっているはずの腹の底には何とも言えない嫌な感覚がわだかまった。
フォルテの感情と他の何もかもを置き去りにして、ハーメルンは飛んでいく。その牙がついに敵の心臓の一端を噛み千切り始めたのを見て、回線越しのクロエが呆れと驚嘆入り混じる息を吐き出した。
『おいおい……本気で一人で叩き潰す気かなんかよ、あの坊主は――』
「おっさん」
クロエのその声に、フォルテは抑揚のない声をかぶせる。
ふらふらと寄ってきた小型をセクメトのレーザー砲が両断した。大半の敵はハーメルンに群がっているせいでこちらまでやってくる敵の数はほんのわずかだ。
「あんたは補給機とカドリガのチビたちを連れて艦まで戻れ。今すぐにだ」
『なーに言っとる。俺ァお前の護衛機だろォがよ』
敵撃破のポン、という音が連なるように鳴る。もう時間がなかった。
「言ってただろ! アレを壊せば"殻"が割れる。その時近くに居たら消し飛ぶんだよ! もう時間がねーんだ、さっさと行け!」
『————おい。補給機は先戻れ、俺のこたァ置いてけ!』
『ですが、少尉!』
『うるせェ! 鈍足の自覚あんのか!? さっさと行けェ!』
胴間声がびりびりとヘルメットを揺らす。反論を諦めた補給機が、機首を翻した。カドリガ隊がその後を追って離れていく。
『フォルテ! どうせあの坊主が何もかも消し飛ばすってんなら、お前だってここに残る必要ねェだろがよ!』
クロエが怒鳴る。
「ダメだ!」
『あァ!?』
「ハーメルン……ハイドラが最後まで呑まれない保証がねーだろが! 照準補助は維持しとかなきゃいけねーんだよ!」
『阿呆、なら尚更護衛がいるだろォが!』
「要らねーよ! 言ったろ俺は生身じゃねーんだって! いいからさっさと戻れよクソ親父!」
そう怒鳴り返した途端、クロエの反論がぴたりと止まった。フォルテは頼りない兵装のトリガがついた操縦桿を、握りしめる。
「まだなんだよ。たぶんここはまだ終着点じゃない。今の俺が終わっても――まだ、やらなきゃなんねーんだ。なあ、おっさん。無駄死にすんな。次の俺から、親父を取り上げないでくれよ」
短い沈黙があった。阿呆、とぽつりと零した声にもう覇気はなくて、フォルテは淡く笑う。
「未来を――頼むぜ、親父殿」
セクメトが稲妻のような機動で飛び出して、まだ離れたところにいる肉塊を数匹、瞬く間に消し飛ばした。白銀の機首が翻る。煽るような機動で周囲の敵をかき集めてから、それを引っ張って艦の方へと後退していった。
『————気張れよ』
突き刺すような囁きを残して、近距離通信が切断される。うん、ともう届かない相槌を返したフォルテはレーダーを睨み据えた。ハーメルンは未だに殻に食い込んだ核を穿ち続けている。葡萄の房のような集合体の数は、半分程度にまで減じていた。
だがその残りを、悠長にカウントダウンしている余裕はなさそうだった。殻を被って広がる肉の表面から剥がれ落ちた肉塊が、ヘイムダルに躙り寄る。低出力のレーザーではいくら正確に核の位置を貫こうとも、その進行を止めることなど出来はしなかった。
どすん、と鈍い衝撃と共に、キャノピーいっぱいに肉と脂肪と血管の彩りが広がる。巨大な舌のようなものがキャノピーの表面を舐め回して、無数の眼球がこちらを覗き込むと同時に、爪だか鱗だか歯だか判然としないものがぎちりと喰い込んだ。みしみしと機体全体が悲鳴を上げる。もう少し大きい個体なら、クピドのセクメトのように接触のタイミングで噛み砕かれていたに違いない。
キャノピーとそのフレームが歪んで、開いた隙間から這い寄るような動きで肉の腕が侵入してきた。コックピットの中に充填されていた酸素はみるみるうちに吸い出され、腕部に仕込んだ火炎放射器もこれではもう役に立たない。
視界は肉に覆われていたが、拡張視界の表示はその上にきっちりと像を結んだ。まだ核検知はできている。
コックピットに押し入ってきた肉が、義体に絡みついた。払い除けようとした腕も拘束される。咄嗟に肘に内蔵してあった振動ブレードを起動する。血と肉が弾けて、コックピットの機材のあちこちに貼り付いた。
ポン、ポン、と撃墜アラートが断続的に鳴り響く。腕を妙な方向に曲げてこようとする触手の動きを、義体の膂力で押さえ込んだ。人工皮膚が侵食で溶けて崩れて、細く伸びた触手の先端があらわになった機構の隙間に絡みつく。身体中のありとあらゆる部位を侵食されながら、まだ思考は明瞭だった。循環水が漏れ出して、抗い続ける駆動系が熱を持つ。懐に忍ばせた綺麗にラッピングされた包みを、ごそりと触手が抜き出した。言う事を聞かなくなりつつある指を蠢かせて、なんとかそれを取り返す。強く握り込んだ。
(――ああ、クソ。これに、触るんじゃねー、よ……)
赤い光点がまた一つ減る。ばぎんとキャノピーが剥がされて、宙空を舞った。肉が雪崩れこんでくる。義体が軋む。ありとあらゆるアラートが狂い鳴って、警告ウィンドウの向こう側に垣間見える赤い光点がもうひとつ、減って。
それからのすべては、瞬く間に起きた。衝撃が機体を殴りつけて、端からほどけるように何もかもが消えていく。肉ごと義体の感覚が消え失せて、拡張視界までもが白濁した光に飲み込まれ、そうしてフォルテの人格を演算し続けた電脳は最後の感情を演算する前に霧散した。
次回の更新は8/1です。
それではまた、次回。




