第15話 星殻突破戦 - Phase 6:父と息子と君と僕 ②
『ハイドラ君、温存だよ! キミの火力は切り札なんだからね、わかった!?』
「うん、分かってるよクピド。機首左後方285、仰角10、レンジ0.9に小型1匹。僕が撃つよ」
『ありがと』
しつこく念押ししてくるクピドに都度律義に返事をしながら、レーザー砲のトリガを絞る。異機種編隊はユウとクピドの陽電子砲を主体に立ち回り、ハイドラはほぼサポートに回っている状態だった。本隊がかなりの数を引きつけてくれているお陰か、こちらの戦況にはまだ余裕がある。
だがその余裕もレーダーの上に葡萄のように連なったあの核集合体の攻撃を始めれば消し飛ぶに違いない。混戦になれば、補給無しで連発できるハーメルンの反物質砲は文字通り切り札となる。念押しされずとも温存しようという意識は、ハイドラにもちゃんとあった。
だが腹の底には、緊張と興奮をドロドロに混ぜ合わせて押し固めたような感情が凝っている。体の内側を、自分であり自分でないものが這い回っているのが分かった。内側から食い破ろうとせんばかりのその衝動は、コップの縁から溢れそうな水を表面張力で押し留めているのにも似ている。
終わりは近い。この旅を、この目はきっと最後まで見届けられないのだろう。それでも。
(——残った僕の時間は、僕の中に残った僕自身は、全部きみのために)
キャノピーの向こう側で躍る、クピドのセクメトを見る。翼のないフォルムの機体のなめらかな曲線は、少女の質感を思い起こさせた。無意識に指が唇に触れようとして、ヘルメットのバイザーに阻まれる。もどかしさが全身を駆け巡って、全身に広がりつつある無数の孔が開閉を繰り返す感触がした。その悍ましさに、少し正気を取り戻す。まだだ。まだ、明け渡すわけにはいかない。
状況開始の合図を、どこか遠くで聞いた。スーツ越しに腕を撫でる。反物質砲は罪の清算だと思っていた。人類への罪。自分の起源に由来する原罪。
ライブラリを読み漁って、人間にも原罪があるらしいということを知った。神に背いて、知恵を得た罪という思想がどうにも自分には難しい。与えられたものを無邪気に享受する事だけが、罪なき者の姿なのだろうか。
自分を覆い尽くす、罪の殻に手を伸ばす。かすかにひび割れたそこから漏れ落ちる光は、ひどく眩しい。無垢もまた罪ではないのだろうか。
引鉄を引く指は重いのだと知った。その重さの意味は、知っていなければいけないような気がした。
射線警告の予測線が長く伸びた。紫電の閃光が迸る。フェイルノートの砲身から吐き出された人類の怒りが、星の卵に巣食う肉の楔を貫いた。
鼓動が速くなる。操縦桿を握りしめて、ハイドラは迎撃に飛び込んでいくクピドの後を追った。
* * *
子供の頃、ドラゴンが好きだった。侵攻の気配なんてひとしずくもなかったあの頃、常識の外にある生き物の想像は楽しいものだった。
いわく、ドラゴンには逆鱗があるのだという。81枚ある鱗のうち、一枚だけ逆さの向きに生えてしまったそれは弱点でもあり、触れたものを怒りのうちに滅するのだというのを、本か何かを読んで知った。
逆鱗に触っちゃったんだ、と幼い自分がユウの胸の内で囁く。鼻先を駆け抜けた艦砲の光が瞬いて消えたあと、逆立つようにして星の卵に貼り付いた肉の表面が次々と剥がれ落ちた。敵意と害意がキャノピーを貫いて、下腹のあたりを殴りつける。爪先から頭の先まで怖気が駆け上がった。
反射的に陽電子砲のトリガを握りしめる。照準はどこに絞ろうか一瞬迷った。真っ赤な光点がひしめく。二発しかないこれを、一体どこに撃てば死なずに済むのかという問いを頭を振って追い出した。
目標の核集合体は未だ身を寄せ合って蠢いている。これは防衛ではない。あそこに牙を突き立てなければならないのだ。
そうだ、逆鱗に触れられたのはこちらも同じだ。喉笛近くまで来るのにこんなに時間が掛かってしまった。竜が逆鱗に触れたものを必ず殺すと言うのなら、互いにどちらかが果てるまで噛み殺し合うのが宿命なのだろう。
クピドのセクメトが飛び出した。陽電子砲ではなくレーザーが閃く。主兵装がレーザー砲ではないスター・チルドレンに乗り換えても、そのレーザー捌きの腕は健在だった。白光が肉を削ぎ落とし、その奥の核を曝け出す。次いで迫る肉塊に陽電子砲を叩き込めば、その余波で先ほど剥き出しになった核が大きく損傷した。扇状に切り替わったレーザーが、命の残滓を刈り取る。
躍るように無駄のない美しい機動は、本当に女神が舞っているようだった。彼女のオリジナルに戦女神の称号を与えた人に心の底から共感しながら共に突き進む。迎撃と補給の激しい繰り返しは、オレンジ色の練習機で迎え討つしかなかった、かつてのフォボスの戦いにどこか似ていた。ユウにとっての、この戦いの原風景。あの時自分は、リサを殺した母体の喉を食い破った。今回だってきっと、できるはずだ。
もう何発撃っただろうか。時間は超高速で流れている気がするのに、すべての瞬間が脳に焼き付くようだった。アドレナリンが全身の血を沸き立たせ、過剰に巡ったそれが鼻腔を伝ってこぼれ落ちる。不快に顔の表面に張り付いて唇の端から口の中へ流れ込んだ。錆びた鉄の味がする。
意識して深く息を吸って、吐いた。拡張視界を貫いてちかちかと星が散る。
『おい、もうこれしかないのか!?』
いつもよりワンテンポ遅い補給に、イドゥンのオペレーターの怒鳴り声が重なった。舌打ちが続く。
『すまんユウ、もう劣化バッテリーしか残ってない。こいつはまだ2発は撃てるはずだが、インジケータをよく見て使ってくれ。……幸運を』
「わかった。ありがとう、気をつける」
ガコ、とバッテリーを挿し替える音と共に電力インジケーターの残量がぐっと押し上がる。オペレーターの言った通り、いつもより電力残量が少なかった。苦い気持ちを押し込めて電力状況を意識に刻み込む。
フォルテの乗るヘイムダルの方へ向かっていた中型を一体消し飛ばす。先を行くクピドの後を追った。まだ殻に食い込む核集合体にはあまりダメージを与えられていない。残りの一発はできれば奴らの心臓に叩き込んでやりたかった。
(……クソ。そうもいかないか)
前を行くセクメトの前と横から再び肉塊が迫る。電力インジケーターを再度確認した。目盛りは陽電子砲の発射に足る位置にしっかりと留まっている。
『クピド! 右側、仰角-05から接近されてる! こっちは俺が片付けるから前を頼む!』
『了解でっす!』
操縦桿のボタンを強く握り込んだ。クピドに迫る肉塊に向けて機首を傾ける。きゅいいん、といつもの音を立ててチャージが増えていく。溜まり切るタイミングはいつも同じだ。指を離す動きが筋肉に伝わるのと同時に、萎むような音と共に発射失敗の警告音がヘルメットを満たした。
「――――――は?」
インジケータは発射可能域を示している。不具合だ、と思う暇もなく消し飛ばされるはずだった肉塊が、がぱと巨大な口腔を開いたままセクメトの横腹に突っ込んだ。キャノピーが噛み砕かれ、透明な欠片が星の卵の光を乱反射してキラキラと宙空に散る。悲鳴すら届かないまま、セクメトとのすべての接続が切断されて拡張視界を赤とオレンジに染め上げた。それを塗りつぶすように、ハイドラの絶叫が響く。
クピドが倒すはずだった肉塊が押し寄せる。咄嗟に向きを変えることも出来ずに、真っ白になった頭で闇雲に撃ったレーザーは役割を果たせずユウの機体をも衝撃が襲った。キャノピーの外が血と肉と脂肪の色に染まる。みしみしと悲鳴を上げたキャノピーが歪んでひび割れ、肉の先端がコックピットの中にぞろりと押し入ってきた。咄嗟に座席のバックルを振りほどいて割れ目を右腕で押さえつけた。生身のそれを躊躇いなく切り離す。義肢の左腕でコックピットの外に押し出してから、逆推進機構のペダルを目一杯踏み込んだ。追いすがってくる肉からは距離を取れたが、キャノピーに張り付いたものまでは振りほどけない。
コックピット全体が軋む。押し入ってきた肉がキャノピーの内側を舐めてから身体の上に雪崩れ落ちてきた。這い寄る肉が、足を腹を胸を絡め取る。強く締め上げられて呼吸がまともに出来ず、明滅して遠ざかる思考を手放すまいと必死に手を伸ばした。
きぃんと耳鳴りが頭を満たして、その向こうに遠く幾つもの声が聞こえる。返事をしようと口を開いて、でも声も出せないままユウの意識は闇の底へと転がり落ちていった。
次回の更新は7/25です。
それではまた、次回。




