第14話 星殻突破戦 - Phase 5:ロストメモリー ②
『待て……待てよ! なんだよユリウスの命を貰うって!?』
補給のために下がってきたフォルテが怒鳴り散らす。回線の向こう側で、アサクラが怠惰にため息をついた。
『説明してる暇なんてないんだよ、フォルテ』
『いや、私から説明しようキリヤ。シミュレーションにもう少し掛かるんだろう、ひとまずそっちに集中しておけ。ツェツィーリヤ君、指揮を一時的に預ける』
『はい、艦長』
シキシマは一度咳払いをした。ひときわ張った声で続ける。
『皆、混戦中のところ済まないが出来るだけ聞いてくれ。これより本宙域での作戦行動を最終段階に移行する。目標は星の卵を"割る"ことだ。アレを割るにはユリウスが見つけてくれた核集合体を破壊する必要がある。核集合体の破壊が叶えば、卵が割れる目算が高い。だが殻が割れる際には周囲に破壊的影響がもたらされる事が判明している。これはブリーフィングでも伝えた未来からもたらされた情報だ。確度は高い』
「艦砲でアレを消し飛ばすための照準補助。それが俺の役目ですね、艦長」
確認の言葉は、悲壮感を伴わずに口から漏れ落ちた。機内の小さな収納ボックスにちらりと目を走らせる。その中に仕舞い込んだモノは、この最終局面で命を投げ打つことへの覚悟――いや、期待だった。
どこか晴れやかなユリウスの声に、シキシマの苦い吐息が重なる。
『……そうだ。話が早くて助かる、ユリウス』
短い沈黙が満ちた。数秒のその沈黙を打ち破るように、補給に戻ってきた戦闘班長が渋い声を出す。
『だがなぁ。ありゃ艦砲数発でどうなるサイズでもねぇすよ、艦長』
『分かっている。これより隊を2つに分ける。核集合体の破壊班には精鋭を充て、残りの戦力で雑魚どもを全力であの場から引き剥がす。ギリギリまで削ったら破壊班も退避だ。艦砲でトドメを刺す。だがその時ユリウスの――核検知の照準補助だけは、最後まで退避させることはできない』
『そーゆーコト。さっき誰かさんが二番機をまとめて吹き飛ばしちゃったから、もう広範囲走査も出来ないしね。ユリウスには人柱になってもらうしかない』
人柱か、とユリウスは口の中で小さく呟いた。ヒトの力ではどうにもならない脅威に抗おうとする、醜く歪んだ祈りの形だ。隊は今、フィクションみたいな空間の中で、伝承の中でしか相まみえることができなそうな神じみた存在に対峙している。祈りに希望を託す理由は十分だった。
『ダメだ』
どこか穏やかな諦観に、少年の声が抗う。子どものわがままじみた短い否定に、あのね、とアサクラが苦い声を吐き出した。
いいんだ、と言おうとしたユリウスの喉が声を紡ぐ前に、フォルテは言葉を重ねる。
『退避してから艦砲撃つまでにどれくらい掛かる。編隊組んで戦って、何人死んだ? ユリウスのヘイムダル一機でそんなに保つわけねーだろが』
そこに感情の迸りはない。馬鹿げた祈りを諭すように、冷静な声が淡々と言葉を紡いだ。
『俺が乗る。ユリウスを降ろせ』
「――――は?」
祈りに投げかけられる論理をどこか冷ややかに見下ろしていた自分の足元から突然床が抜き取られたようで、ユリウスの喉は困惑の色を強く滲ませた音だけを返す。
まず頭をよぎったのは、無理だという感情だった。
「いや、フォルテの乗機はセクメトだろ。スター・チルドレンとアヴィオンじゃそもそも操縦系統だって全然――」
『乗れるよ。俺がずっとシミュレータ室で何の訓練してたと思ってる。ヘイムダルなら乗れる。なんならあんたより上手く乗ってやる』
腹の下にむかむかとした感情が凝る。フォルテはユリアの選んだ相手だ。妹の行動によって生き残ったそれは、ユリアの残した遺志でもある。それを軽々に捨てようと手を挙げるその行動に苛立ちが募った。だが、そのユリウスの感情を見透かしたようにフォルテは勘違いすんなよ、と続ける。
『別にあんたの身代わりで死のうってわけじゃねー。いいか、俺は義体だ。機械なんだよ、全身、爪先から頭の中身までな。電脳への侵食の遅さはカリプソーでアダムが証明してる。あんたよか俺のほうがよっぽど長く保つんだ。戦争を舐めるなよ、ユリウス。人柱だぁ? 祈りなんかに身を捧げてんじゃねー。一ミリでも確度の高い未来を掴むのが、ユリアに生かされた俺たちの責務だろーが』
祈りなんて曖昧で生温いものに身を委ねて揺蕩っていたユリウスの精神を、フォルテの正論が切り刻む。言い返さなければならないのに、手の届く範囲に反論の材料は一つもなかった。やられたわね、と脳の片隅で妹の幻覚が笑う。
シキシマが、重く長い息を回線に乗せた。
『……乗れるんだな? フォルテ』
「乗れる。実機は初めてだが、電脳上の俺にとっちゃシミュレータも本番もさして変わんねーよ。そういうことにしといてくれ」
分かった、と指揮権を持つ男の声がフォルテの主張を認める。動けないままの自分を置いて、状況だけがどんどんと転がっていった。
『ユリウス』
シキシマに名を呼ばれる。
『照準補助はフォルテに任せる。乗機の交代を』
両の目からぼろりと雫が溢れて、重力のないヘルメットの中で顔にまとわりついた。半端に決めていた覚悟がむしり取られた苛立ちと、フォルテを行かせなければいけない悲しさと、死ななくて済むという安堵がぐちゃぐちゃに絡み合う。了解、と答えた声はひどく震えて、まともに伝わった気がしなかった。
キャノピーを外から叩かれる。目蓋に張り付く涙を拭うことも出来ずに、ぼやけた視界でキャノピーの向こうを見た。医療機のオペレーターが手を振った。命綱が、聖女の旗のように星の見えない宇宙にはためく。
キャノピーを開いた。戦闘機らしからぬフォルムをした医療機の、少し奥に佇む翼のないフォルムの銀の機体のほうから、同じく命綱をたなびかせた小柄な体躯がゆっくりと近づいてくるのが見える。
ナイチンゲールのオペレータに支えられるようにして、フォルテがコックピットに滑り込んできた。両の手を伸ばして、ユリウスのヘルメットを抱え込む。
『ごめんな、ユリウス』
「……なんでフォルテが謝るほうなんだ、馬鹿」
灰褐色のバイザーの向こうで穏やかに表情を崩したフォルテのヘルメットに、ユリウスは自分のそれをぶつけた。フォルテはちょっとだけ意地の悪い笑みを浮かべる。
『ユリアに会いたかったかな、ってさ。まあ安心してくれ、この先はちゃんと俺があいつのそばにいるからさ。いいか? デートだぞ、邪魔されたくないんだ。一秒でもゆっくり来てくれよ頼むから』
「……変なことすんなよ」
『ははっ! 出来るのかなぁ、あっちでもそういうコト』
ユリウスは答えずに、フォルテの背中に腕を回した。ぽんぽんと軽く叩く。
「……頼んだ」
『ああ。頼まれたよ、兄貴』
「お前に兄と呼ばれる筋合いはない」
『つれないなぁ。次の俺はもう兄貴って呼んでくれねーかもしれないぜ?』
フォルテのその言葉に、かすかに自分の全身が強張るのがわかった。ユリアと過ごしたフォルテは、今腕の中にいる。電脳のバックアップを取っているフォルテは、あのフロストアークの子供たちのように復元してまた戻って来るつもりなんだろう。でもそれはユリアと関係を築いたフォルテではなくて、やっぱりこのフォルテはもう死んでしまうんだ、と思った。それでも。
「阿呆。お前はお前だよ、この愚弟」
ふ、と軽く笑う気配を残して、するりと身体が離れる。医療機のオペレーターが、中空に身を晒したユリウスの腰を捕まえて命綱をつけてくれた。ずっと戦場を共にしてきた愛機のキャノピーが、自分ではない身体を飲み込んで口を閉じる。
オペレーターに医療機の中に導かれながら、ユリウスはそうだ、と言い忘れていた事を近距離無線に乗せた。
「フォルテ。収納ボックスの中にユリアの誕生日プレゼントが入ってる。俺が渡しに行くつもりだったんだけどさ。お前に任せていいかな」
少しの沈黙があった。
それから、任された、と答える声がした。
フォルテのセクメトはこのあと回収機が回収していきました。
次回の更新は7/18です。
それではまた、次回。