第12話 星殻突破戦 - Phase 3:あなたが、そこにいるのに ②
味方機撃墜のアラート音が、インカムの中に満ちる。
残り一発分になった電力インジケーターを見て、ミラはヘルメットの中に淡い息を吐き出した。VRと拡張電脳が見せるスター・チルドレンの全天周囲型の仮想コックピットの向こうには、無傷のコンラート機がぽつんと浮かんでいる。
『……畜生』
血を吐くようなコンラートの呻きが、インカムから漏れ落ちた。悲哀と、怒りと、自責の坩堝のような声だった。ぎゅっと胸の奥が苦しいような、痛いような気持ちになる。思わず胸に手を当てたが、仮想コックピットの中の仮想体に触れた感触はなく、その空虚がさらに心臓をきゅっと縮み上がらせた。
『畜生、畜生、ちくしょう……』
どん、どん、と声の合間に鈍く何かを殴りつける音が混ざる。ふと、出会った頃の事を思い出した。番号で呼びたくない、と言った彼の言葉の意図が分からなくて、分からない、と告げた時の曇った表情が頭をよぎる。
思えば彼が怒ったり悲しんだりするのは、いつも誰か他人のためだった。自分も何度か怒られた記憶があるが、それはいつも戦場で彼や他のクルーを守るために無茶を通そうとした時だ。
味方機撃墜のアラート音がまた鳴った。どこかで誰かの機体がひどく損傷したのだろう。インカムの中には救助機と回収機を求める通信が飛び交っている。ヘイデン――コンラートのルームメイトだった彼の、コックピットの消滅した機体の回収を、14番が要請する声が聞こえた。そういえば17番の機体はどうなったのだろう。
繰り返され続けているコンラートの畜生、という単語の合間に鈍い嗚咽が一つ混じった。私が死んだ時も、彼はこうして泣くのだろうか。
(――よく、わかりません)
胸の内で、あの日の言葉を繰り返す。自分はクローンで、戦うために作られた人形だ。替えの利く量産品で、長くは生きられなくて、使い捨てるために作られた。
そんな自分を番号で呼ぶことを厭い、固有の名前を与えた彼は、お前は世界でただ一人のお前なのだと言う。代わりはいない、だから自分の命を大事にしろと、あの人は繰り返し、繰り返し言う。
(――誰の、代わりも、いない)
自分の代わりも。コンラートの代わりも。今この手で消し飛ばしてしまった、彼のルームメイトの代わりも。
(コンラートさん。わたしは、あなたがいないと――)
沈み込むような思考は、視界に飛び込んできた光景にかき消された。奥の宙域から迫る、肉の飛翔体。先端が鋭く尖ったそれは、まっすぐにコンラートの機体に向かっている。いまだに畜生、と繰り返し続けているコンラートはまだ、それに気付いていない。瞬時に思考が結論を弾き出す。今なら、まだ、盾になれる。
反射的に仮想のペダルを踏み込もうとした。だがスラスタを吹かすべき脚は、凍りついたように動かない。死ぬな、という彼の厳命が思考をかすめ、それが致命的な遅れになった。
『――――ぁ』
助けなければ。庇わなければ。だめ。声を掛けなきゃ。待って、逃げて。駄目。――だめ。
口に出すべき言葉と思考が脳の表面でぐちゃぐちゃに絡まり合い、わずかに動いた唇からはただ小さな音だけが漏れた。それに被さるようにどす、と鈍い音がインカムを揺らす。
『あ――が――』
いつもミラ、と自分の名を呼ぶ大好きな声が、ただ苦しげな音だけになって鼓膜を貫いた。仮想コックピットに浮かぶレーダー画面の、僚機のマーカーが赤とオレンジに激しく明滅する。パイロットバイタル低下のラベルが張り付いた。今日何度も聞いた、アラート音。
「嘘」
小さく呟いて、何故か冷静な指が通信コンソールを叩いた。リストの上部に灯る救助機の一つに触れる。
「こちらエンジェルズ−D。緊急です。D-1パイロットの救出を」
『こちらイージス-A、……っ、すまんが、今は手が回らん……!』
火星で自分を助けてくれた人の声がした。ひどく切迫したその声は、白濁した思考の上を滑っていく。
――――何故?
あなたは使い捨ての私を、あの時ちゃんと助けて、くれたのに。
ロックオン警告が狂い鳴る。
撃とうとしている。あのひとが、あのひとだったものが、わたしを。あれほどわたしに、死ぬなと言ったのに。
ここで撃たれるわけにはいかなかった。スラスタを吹かすべき脚は、今度こそきちんと仮想のペダルを踏み込んだ。次世代機の力強いエンジンが光の尾を引くミサイルを引き剥がす。
ミサイルを躱したあとも、ロックオン警告は鳴り続けている。だが後続のミサイルは飛んでこなかった。頭の中で指折り、最後の補給以降にコンラートが撃ったミサイルの数を数える。――今のもので、最後だった。
無茶苦茶な機動で追いすがるアルテミスを軽く躱す。そうして少しだけ速度を緩めれば、その動きに対応しきれなかったアルテミスは当たり前のように行き過ぎて、セクメトの照準の中にその身を晒した。
コックピットに肉塊を張り付けたままのアルテミスが、セクメトの照準から逃れようと機首を翻す。自分から離れていこうとする動きが胸を抉った。その後ろにぴたりと張り付いて、ミラは無駄だと分かっている通信を試みる。
「コンラートさん。私です。逃げないでください」
答える声はなく、ノイズの向こう側には湿った音がわだかまっている。なんとかセクメトの背後を取ろうと足掻くアルテミスを、ヘーゼルの瞳が仮想のキャノピー越しにじっと見つめた。
「コンラート、さん。コンラートさん。コンラートさん。コンラートさん」
名前を呼ぶ。あなたが私の名前を呼んでくれたから。だからこれはきっと大切なことだから。帰ってきて。どうか。どうか。
――答えは、ない。
知っていた。この世界に奇跡はないと。フライトバディのバイタルはまだ微かな拍動を刻んでいるが、きっともう、その身体の中に彼はいない。
仮想空間の先へ、仮想体の手を伸ばす。全天周囲のコックピットからなら、すぐ前を飛ぶこの機体に触れられないだろうか。
――ああ。あなたが、そこにいるのに。
こんなにもすぐそばにいるのに。
拡張視界に浮かんだ電力インジケーターが、陽電子砲がもう一発残っていると囁く。あんなにアザトゥスを嫌っていたあなた。一緒になって飛ぶのはさぞかし辛いでしょう。
仮想トリガのボタンを絞る。徐々に高くなっていくチャージ音が、終わりまでの時を数える。月の女神を冠する白銀の機体に、そこに冒涜的に絡みつく肉の塊に、その奥のコックピットにぴたりと照準を合わせた。
――改めて、第13調査大隊にようこそ、だ。さっき、13は忌み数だっていったろ? オレらがなんて呼ばれてるか知ってるか?
遠ざかっていく火星の大地を眺めながら、そう問うたコンラートの声が蘇った。
――不幸の艦隊だよ。
あの言葉は正しかった。幸福を知ったぶん、この不幸はどこまでも沈んでいくほどに重たい。
つんと鼻の奥が熱くなった。目の端から涙が溢れ出して、ぼやけたVR空間の中に拡張視界のインタフェースだけがくっきりと浮かび上がる。照準の向こう側はよく見えなかったが、照準固定の表示はきっちりと示された。
トリガを離す。何もかもを噛み砕くように、最後の陽電子砲は空間ごとアルテミスを切り裂いた。
次回の更新は7/4です。
それではまた、次回。