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第8話 電子的虚無空間

「さて、状況を詰めたい」


 シキシマはそう言うと、艦長室の中央に置かれた机の上に白手袋に包まれた手を置いた。人類生存圏の最果てのその向こうにあっても、艶やかなオーク材で作られたそれは隅々まで磨かれている。卓に並ぶカップは七つ。香りのよい紅茶で満たされたそれの前には、難しい顔の面々がそれぞれ座っていた。


「ユウ・ホシエとハイドラは不在ですか」


 黒縁眼鏡のツルをゆるく押し上げながらそう尋ねたのは、駆逐艦フェイルノート艦長のエッジレイである。ダイモス攻略戦において撃沈したグングニルの後継試作艦フェイルノートと共に火星基地から移籍してきた男は、短く刈り込まれた髪の下で垂れ目がちの目を重たげに瞬かせた。駆逐艦の艦長である彼が、通信越しではなくこうして直接この場に居るのは珍しい。


「事前資料には目を通しましたが、ずいぶん荒唐無稽な話じゃないですか。データ解析を担ったメンバーは居たほうがいいのでは?」

「データ解析の責任者は僕だよぉ。正直手伝ってもらっただけだし、ユウが居ても何が変わるってわけじゃないと思うけど」

「どうでしょうね。自分は正直アナタの正気を疑ってるんですよ、アサクラ大佐。アナタが無茶な人なのはアステロイドベルト戦で身に沁みましたが、それでもこいつは常軌を逸してるだろって話です」

「やだなー。エッジレイくん、根に持つタイプ?」


 肩を竦めてへらりと軽薄に返すアサクラを、エッジレイはじろりとねめつける。試作艦の艦長を任されるだけあって、アサクラに対しても一切引くつもりはないようだった。


「不確かな情報に命を預けるのはごめんだって言ってるんです。命を懸ける覚悟はありますが、捨てるつもりはないんでね。シエロがユウ・ホシエであるのだと言うのならば、少なくとも彼は同席させるべきでしょう。現状の原因であるハイドラも然り」

「やめようや、少佐殿」


 畳み掛けるエッジレイの言葉を遮ったのはクロエだった。口と顎の周りをみっしりと覆った髭を巨大な手で撫でながら、顔の面積に対して小さな目がひたとエッジレイを見据える。


「道を引いてやるのは俺ら大人の仕事だろォがよ。選択と決定の場に(わけ)ェ連中を無駄に引きずり出すべきじゃねぇ」

「……随分と甘いことだな、クロエ少尉。()()()()()ともあろう者が」

「甘いィ? じゃあ何かね、お前さんはハイドラの小僧を差し出して、追い掛けてきてる保守派の連中に(おもね)る方を選ぶンか?」

「そうは言っていない」

「ハイドラを引き渡さない以上、俺達はもう引き返せねェんだ。不確かだろうが手持ちのカードで進むしかねェし、大佐の言う通りユウが居たって情報の確度は上がんねェ。頼むよ、ここであの子たちに決定の責を押し付けるような真似はしねェでくれや」


 エッジレイは眉間に皴を寄せて口を噤んだ。そんなエッジレイを見て、戦闘班長のレナードがくつくつと含み笑う。


「分かるぞエッジレイ、錚々たる顔ぶれで居づらいよなぁこの部屋はよぉ。ここにユウでも居りゃ気が楽だなって俺も思うぜ。だがまあ諦めろ、それが少佐とか艦長とかになったお前の責任ってやつだ」

「レナード……そういう事じゃない。断じて違う。お前まだ俺より階級が下な事を根に持ってるな」

「んなわけねーわバーカ、お前が火星にトばされた時もちゃんと祝ってやったろうが。俺は現場主義なんだよ。まあ諦めろ、ガキどもにはのびのび戦って欲しいのは俺も同意見だね。艦長……あーお前も艦長か、畜生ややこしいな。シキシマ司令、話を進めましょうぜ」


 黙って事態を静観していたシキシマは鷹揚に頷いた。


「私も同意見だ、エッジレイ艦長。彼らには悔いなく飛べるようにして貰いたい。アサクラの正気についてはまあ……私が保証しよう。マトモに見えない気持ちはよく分かるが、こう見えて信頼できる男だ」

「まー、相手はこっちの正気度もぎ取ってくるような連中だし? 正気でいたんじゃ僕らも飲み込まれちゃうんだよ、分かるかなぁエッジレイくん」

「ええい、要らん混ぜっ返しをするな。納得いかないかもしれないが、命を捨てさせる気は私にもない。何とか飲み込んで貰えないか、エッジレイ艦長」


 エッジレイはぎゅっと寄せた眉根を緩めて長く細い息を吐き出した。眼鏡を外して額を軽く揉む。


「……はあ。いっそ司令官権限で命令してくださればこっちも気が楽なのに。これで無駄死にしたら恨みますよ、司令」

「……ああ。肝に銘じよう」


 旗艦フェニックスの艦長であり、三艦を束ねる司令官でもあるシキシマは両手を机に付いて卓についた面々を見渡した。


「皆にも改めて。こんな事態になってしまって済まなく思っている。だがこれは断じて命を捨てる旅ではない。これまでに散っていった調査隊と、我々に後を託してくれた土星圏のためにも絶対に打開の糸口を見つけ出す。無事に帰れる可能性は極めて低いだろう。だが必ず意味のあるものにしてみせる。どうか最後までついてきて欲しい」


 そう言って深々と頭を下げたシキシマに、誰もが答えない。ただその姿を見る全員の眼差しが答えだった。

 頭を上げたシキシマは、微かに口元を緩めてから磨かれた机の上に白手袋を滑らせた。木材の上に半透明のレイヤーが浮かび上がり、それが立ち上がって各種の情報を表示させる。


「まずは報告を聞かせてほしい。整備班からいこう。テッさん、損傷機体の修理の状況を」

「はい、艦長さん。損傷機体の修理は八割がた完了してます。定期哨戒に合わせて機能試験飛行(FCF)も実施済みで、兵装周りも問題ありません。残りの二割のうち、一割はあと5日以内に。一割はかなり損傷が酷くてもう少し掛かりそうですが、貴重な機体なのでなんとかしてみせます」


 両面から透かし見えるホログラムスクリーンに、かつてユリアが搭乗していたヘイムダルを含めた重度損傷機体の損傷状態データが浮かび上がった。かいつまんで各機の状態を報告するテッサリアの口調に淀みはなかったが、声色には微かな疲労と痛みが滲んでいる。シキシマは一瞬きつく目を閉じてから、黙ってその報告を聞いた。

 以上です、とテッサリアが告げると、スクリーン越しのそのシキシマの表情を見なかったかのようにアサクラが明るい声で手を挙げる。

 

「あ、損傷繋がりで僕からマリーちゃんの代わりに医療班の報告させてー。第四深度汚染者の()()は全部終わったよ。義肢装着者へのBMI挿入とコネクタ造設もほぼ完了してる。マリーちゃんは今リハビリで大忙しだけど、痛覚遮断がうまく効いてるから義肢組はあと三日もあれば前線に戻れるんじゃないかなぁ。でも骨折とかの重傷者はまだしばらく動けなさそうなんだよね。レナードくん、控えのみんなの状況は?」

「ん、戦闘班の番か」


 アサクラが隣に座るレナードに視線を送る。レナードは組んでいた両腕を解くと、リラックスしたように後ろに預けていた重心を元に戻してシキシマを見た。


「艦長。戦闘班の報告に移っても?」

「頼む」


 艦長、という単語に一瞬だけ表情を動かしたエッジレイをお前じゃねぇよ、と脇で小突いてレナードは報告を始めた。エッジレイが憮然とした表情で腕を組む。


「こっちも定期哨戒に合わせて慣らし飛行に逐次入らせてる。幸か不幸か、ここんとこ哨戒のたびにチマチマした交戦続きだ。控えの連中もだいたい一度は前線で撃たせた。あとはシミュレータ漬けにして対人戦の経験も積ませてる。土星圏で入れて貰ったスター・チルドレン用のシミュレータでエンジェルズの嬢ちゃんたちの乗換訓練も進行中だ。カドリガが足りねぇ分のエンジェルズはスター・チルドレンに回せる」


 ふむ、と頷いてシキシマは白手袋でゆるりと顎を撫でた。隣に座るツェツィーリヤに視線を向ける。


「カスティーリャ少将が融通してくれたスター・チルドレンは全部攻撃機だったか?」

「はい。攻撃機セクメト、フォルテさんやクロエ少尉の乗機と同型のものを八機、移管していただいています。コックピットをType-QP用の操縦モジュールに換装する作業は整備班のほうで進行中ですわ」

「フォルテ君とクロエさんは人格バックアップの登録済みなので、半数の四機をエンジェルズ仕様に換装中です」


 ツェツィーリヤの言葉を、テッサリアが引き継いだ。人格バックアップ登録済み、と言うところでその表情がかすかに曇る。それはつまり、アークトリアの第三部隊のような運用を想定しているという事だった。乗機ごとパイロットを使い捨て、()の義体で出撃()る、という。表情を曇らせたままのテッサリアの向かいで、その対象者であるクロエが豪放に笑った。


「なっはっは。そんなカオしなさんなよ、整備班長殿。ここに来るまでのどこで落としてもおかしくなかった命だ、別に惜しかねェ。この先ゃ落としてなお暴れられるんじゃあ、それも楽しみってなモンよ」

「そう簡単に落とされては困りますわ、クロエ少尉。ギルバート少尉亡き今、エースパイロットである貴方の死は士気に関わりますので。重々ご承知おきくださいまし」

「おんやぁ。中尉みてェな美人に叱られるたぁ、俺もまだまだ隅に置けんなァ」


 一見冷ややかなツェツィーリヤの口調の裏には心配が滲んでいる。クツクツと笑って混ぜっ返したクロエを一瞥してから、ツェツィーリヤはシキシマに向き直った。


「わたくしからもご報告をよろしいでしょうか、艦長。輸送艦(フィディピィディス)の管理部からです」

「ああ、頼むよ」

「アヴィオン用の一部バッテリーモジュールに性能劣化が見られると報告が上がっています。勿論劣化が著しいものについてはフロストアークで一部入換を行いました。ただ……その後の"母艦"戦や、連日の交戦により充放電回数が著しく増えているため、想定より劣化が早いと。出来るだけ性能劣化していないものを運用させていますが、大規模戦発生時には影響が出る可能性があります」

「なるほど……」


 シキシマは難しい顔をして口元を覆った。


「劣化の程度は? 陽電子砲の使用数に影響が出るのかを知りたい」

「ものによっては。地上戦同様、一発しか撃てないケースも有り得ると聞いています」

「分かった、留意しておく。さて、エッジレイ艦長。最後になってすまないがフェイルノートの調子も聞いておきたい」

「調子? お前の艦、まーたご機嫌斜めだったのか」


 リラックスした重心に戻っていたレナードが、きいきいと椅子を鳴らしながら目だけでエッジレイを見る。エッジレイは茶化すレナードを一瞥だけして、その問いには答えずにホログラムスクリーンに指を伸ばした。


「先の"母艦"戦で再発した主砲の不具合ですが、原因分析と対応はほぼ終わっています。結論から言えば撃ち過ぎです、少佐。グングニルより威力と射程を伸ばしたフェイルノートの主砲は連射に向きません。ただ、グングニルと同程度まで出力を抑えれば再発はしないだろうと試算しています」


 エッジレイの指が指し示すシミュレーション結果に、素早く目を走らせたシキシマは頷く。


「一割の射程と引き換えに安定が得られるなら、その方針で運用を頼む。連射しなければ最大射程での運用も可能だな?」


 頷いたエッジレイに頷き返して、シキシマは艦長室に集った面々を見渡した。


「皆、ありがとう。万全とは言えない状況だが、我々はこの持てる戦力で進まねばならない。それでは――進む先についての話をしよう」


 シキシマの意志の強さを感じさせる眉が、一層の力を帯びる。


「アサクラ、頼めるか」

「おっけー。今僕らが向かっているのは、観測異常領域だ。"母艦"のやってきた方向、そして第11調査大隊が向かった場所だよ。観測上、そこには何もない。それこそチリの一つさえもねぇ。だがそんなことはあり得ない。これは恐らく観測異常だ。電子的虚無空間とでも呼んでおこうかな」


 ホログラムスクリーンが掻き消え、立体的な構造の土星周辺宙域図が浮かび上がった。土星の周りをフロストアークと第6衛星タイタン、二つの生存圏(ハビタブルゾーン)が巡る。タイタンの軌道の少し手前に緑の光点が、少し奥に赤の球体が灯った。緑の光点には第13調査大隊(SSUDF-X13)のラベルが張り付いている。


「第11調査大隊はそこで消息を絶ったんだよな?」


 身を乗り出して宙域図を覗き込みながら、レナードが尋ねた。そう、とアサクラが頷く。


「ここに何かがあるのは間違いない。それを知らずに赴いた第11調査大隊は失敗したんだ。対して今、僕らの手元にはシエロという特異点からもたらされた3つの可能性がある。それが星の卵、次元孔、アザトゥス母星だ」

「次元孔の話は俺もフォルテからも聞いたがよォ、実際どういうモンなんだね。あいつはシエロがそこを通って時間を戻ってきたなんて言ってたが、どうにも映画みてェな話でよぉ。ちとこの老骨には理解が難しいんだわ」

「はっきりしたことは分からないけど、時間と空間にあいた穴みたいなものなんだという風に思っておけばいいと思う。時空間異常なんてフィクションじみてるとは僕も思うけど、()()()()()()()D()N()A()()()()()()()()()()()。シエロが未来から来たという主張には一定の信憑性がある」


 エッジレイが眉間に皴を刻んで宙域図の紅い球体を睨みつけた。


「つまりこの中には時空間異常が発生していて、"卵"と"母星"がある、ということですか? 星の卵が孵ると時空間異常により母星になると?」

「うーん、そこはなんとも。"卵"と"母星"の関係は不明瞭だ。それが比喩表現なのかも含めてね」

「つまりは何もわからない、と。それでは第11調査大隊の二の舞になるだけでは?」

「文句は未来の僕に言って欲しいなぁ。でもね、0と1には大きな隔たりがあるんだよ、エッジレイくん。少なくとも心構えはできる。——僕らは敵の本拠地にいよいよ踏み込むのかもしれない、っていうね」

「アザトゥス母星ってやつは敵の本拠地なんすかねぇ。あの"母艦"みたいなのがうようよ居たらこんな三艦程度の調査隊なんて瞬殺じゃねーの?」

 

 またしても重心を後ろに崩したレナードが、頭の後ろで手を組んで唇を尖らせる。


「しかも奴ら、電子的虚無空間とやらに隠れてると来た。この分じゃ偵察もできやしなそうだ。光だって電磁波の一種なんだから、視界が確保されてるかどうかも怪しいな、ここは」


 レナードは宙域図の緑の点と紅い球体を繋ぐように指をちょいちょいと動かした。あと7日ってとこか、と呟く。


「で、どーするんです。正直このまま突っ込むのは悪手ですぜ。何なら俺がもう一人くらい連れて先にちょっと飛んで――」

「いや、それはしない」


 レナードの提案をシキシマはきっぱりと否定した。


「戦力の逐次投入は無しだ。ただでさえ我々には後がない。少しずつ消耗していくよりは、可能性に全賭けするべきだろう。少なくとも、シエロは"星の卵"や"母星"という情報をもたらした。それが何を意味するかは不明でも、そう呼称するだけの根拠は何かあるはずだ。何も分からないまますり潰されるということもないだろう。打つ手がゼロだとは思っていないさ」



次回の更新は6/6です。

それではまた、次回。

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