第5話 バックアップ・サーバ
大型のサーバーラックがみっちりと詰め込まれたその部屋は、ひやりと冷たい。配線したケーブルをまとめた結束バンドの端を切りながら、アサクラは誰もいないサーバルームでもう一枚羽織ってくるべきだったと一人不貞腐れた。
「……人格バックアップ、か」
ライムグリーンのインジケータライトを瞬かせるサーバ筐体を眺めて、アサクラは独りごちる。彼は土星圏で調達した、人格バックアップ用のサーバのセットアップを終えたところだった。整備班にもサーバルームの保守担当者はいるのだが、専用の担当者ではない。整備班の人員は目下、フロストアーク迎撃戦で受けた機体の損害の復旧に全力を注いでいる状態だった。
アサクラはいつにも増して濃い色に澱んだクマごと、乱暴に目を擦る。ここのところ、ほとんど寝ていなかった。迎撃戦で損害を被ったのは機体だけではなかったからだ。欠損した隊員たちの身体を義肢で補うためのほとんどの作業は医療班のメンバーがやってくれていたが、装着のために必要なブレイン・マシン・インタフェースの挿入手術は、第13調査大隊においては未だアサクラにしか出来ない術式であった。
思考は霞が掛かったように濁っていて、その頭を乗せた身体は酷く重だるい。今すぐにでもこのひややかに冷たい床に寝転んでしまいたい気分だった。
アサクラは鈍い動きで頭を左右に振ると、白衣の内ポケットを漁って小さなアンプルと小型の注射器を取り出す。注射器の針を無造作にアンプルに突き立てて、中身の液体を吸い上げると躊躇いなくそれを左腕の静脈に投与した。わずかに開いた唇の合間から、長く鈍い吐息が漏れ落ちる。
霧が吹き散らされていくようにクリアになる思考に、拡張視界が警告ウィンドウを叩きつける。鼓膜を揺らさず脳に直接干渉して鳴る警告音に、形の良い眉が不愉快そうに歪んだ。
——警告。覚醒用ナノドーパミンγ投与量の閾値をオーバー。
「……分かってる。分かってるよ」
忌々しい気持ちで、この閾値を設定した過去の自分を振り払うように手を振る。まだ休めない、という自分と、まだ潰れられない、という自分がクリアになった思考の中でばちばちと火花を散らした。
警告ウィンドウと一緒にその考えを振り捨てて、座り込んだ膝の上にラップトップを開く。線の細い指がキーボードを軽やかにタップすると、モニタの上にコンソールウィンドウが開いた。
——やあ。意識はどうかな、キリヤ・アサクラ。
コンソールに文字を打ち込んで、深淵の凝る瞳がじっと文字列の中に鎮座する自分の名前を見つめる。ややあって、その瞳に応答する文字列が淡く映り込んだ。
——やあ。問題なくこの世の不公平を味わっている所だとも、オリジナル。
薄い唇が、緩い孤を描く。テンポよくキータイプする指が会話を続けた。
――不公平は織り込み済みでしょ。検証用の仮想電脳に誰かの人格を使うわけにはいかないんだから。
――ま、そこは実際に経験してみないと分からないってやつさ。どうせ僕はこの仮想電脳のシャットダウンと共に消える泡沫の存在だ。キミの人格データに統合されることもない、ね。皮肉くらい言わせろよ。
サーバーの中に起動した仮想電脳が演算する自分の人格コピーは、ひどく投げやりだった。自分相手だからかすぐに消えてしまうその存在性ゆえなのか、普段なら決して表出させることのない感情をどろりと垂れ流すそれを辟易として見つめる。昔に妄想を書き綴ったノートを見つけてしまった時のような、何とも言えない痛々しさにうんざりした。
答えない指を嘲笑うように、仮想電脳上の刹那的な自己分身が重ねて文字列を吐き出す。
――まあ気楽なもんだけどね、この僕には何の責任もないし。この短い仕事を終えたら揮発して解放されるって考えると清々しいや。痛みを伴う旅はキミのものだ。よかったね、オリジナル。
だん、とキーボードに拳が叩きつけられる。入力済みだった終了コマンドが実行されて、コンソールがウィンドウごと掻き消えた。それと同時に背後からキリヤ、と声を掛けられる。
「やあ、艦長」
いつもと変わらぬ膿んだ笑顔を振り向けて、アサクラは声の主を見上げた。見下ろす同郷の幼馴染みは、一瞬痛々しげに目元を歪めてから、眉間に深い皺を刻み込む。
「やあじゃない。過剰投与はよせ、この馬鹿」
「えー、やだなぁイチイチ監視してんのぉ? えっち」
「……私にはその権限がある。責任もだ。それに——」
シキシマはそこで一度言葉を切った。表情から怒りが消え、しおしおと眉が下がる。
「親友を心配する、権利だってあるだろう」
「……そうだね。ごめん。これが切れたら一度ちゃんと寝るよ」
さっき自分のコピーと対話して本音を吐かれたせいだろうか。なんだか混ぜっ返す気にもならなくて、アサクラは素直に謝罪を口にした。
素直に応じるとは思っていなかったのか、シキシマは瞠目してまじまじとこちらを見てくる。アサクラはじっとりとその目を見返して、わざとらしく頬を膨らませた。
「——なに。キミがそうしろって言ったんでしょ」
「あ、ああ」
「来てくれたんならちょうどいいや。ノブはどーすんの、バックアップ」
ふいっと視線をそらして尋ねたアサクラの隣に、シキシマがゆっくりと歩み寄って腰を降ろす。狭い空間にみちっと成人男性二人が詰まって、アサクラはちょっと嫌そうな顔をした。
「私、は……」
覇気のない声が言い淀む。何とも頼りげのない台詞が、そこに続いた。
「俺は、やらなきゃ駄目だよな。艦長だし」
片眉を軽く上げたアサクラの脳裏を、ずっと昔の光景が駆け抜ける。蜜蜂の巣箱のような集合住宅の、ちょっぴり角の欠けた白い階段の端に。まだ小さかった幼馴染は、ちょうど今のようにぴっちり詰まって眉を下げていた。
――学校、行かなきゃ駄目だよな。イインチョだし、オレ。
ふ、とアサクラの口元が緩む。
「いーよ、しなくて。管制指令室にいる僕らの復元が必要になる頃にはどうせサーバだって死んでる」
「……でも、キリヤはバックアップしたんだろう」
「したよ。だからいざって時は僕を増やせばいい。それにさ」
大した事じゃない、と言いたげに鼻を鳴らしてアサクラは笑った。
「残機なんてないほうが、最後まで必死になるでしょ。ね、かーんちょ?」
「——ああ、そうかな。そうかもしれない」
親友が目の前に垂らした細い糸を握りしめて、シキシマは少し安堵したような吐息を漏らす。そしてごそごそと胸元をあさると、小さめの缶をひとつ取り出した。
「お前も、無理するな。これやるから」
タッチパッドの脇にコトンと置かれたそれに、深淵の目がわずかに光を取り戻す。
「日本の缶コーヒーじゃん。良くまだこんなの持ってたな〜」
「取っておきだぞ。キリヤ好きだろう、こういう砂糖飲んでるのかコーヒー飲んでるのか分からないヤツ」
「……はぁ。恩と喧嘩、どっち売ってんのぉ?」
キーボードを離れた指がプルトップに掛った。かしゅ、と小気味よい音を奏でて、躊躇いなく"取っておき"を開ける。酷く甘ったるい液体を飲み込んでこくりと鳴った喉の奥から、満足そうな吐息が漏れ落ちた。
「っあー……染みるねぇ。ねーお茶請けないの、お茶請け」
上向いた指が、ちょいちょいと手招くように揺れて茶菓子を強請る。ぎくりと幼馴染が身体を震わせる気配に、アサクラはニヤニヤと口の端を吊り上げた。たっぷりの空白を開けて、シキシマは緩慢な動きで懐に手を差し入れる。
「…………栗ようかんならひとつ、ある…………」
「わー嫌そう。お、"あまや"じゃん」
白手袋に包まれた手のひらの上にちょこんと乗る老舗のロゴマークが上品にプリントされた個包装の羊羹を、アサクラはひょいと取り上げた。何の頓着もなさそうな動きにシキシマはおろおろと羊羹の重みのなくなった手を動かす。
「だ、大事に食べるんだぞ!? それ最後の一つなんだからな!」
「うわ、ぬくい。おっさんの体温の羊羹だぁ……」
「嫌そうな顔をするなら返そうか!?」
「だーめ」
取り返そうと伸びてきた幼馴染の手をひょいと避けて、小さな羊羹が白衣のポケットの中に消えた。
「はいはい、にんじんはナイナイだよ。欲しかったら死ぬ気で仕事しな、艦長」
「私は馬か!?」
「はいどーはいどー。目的なんてしょーもないくらいがちょうどいいんだよ。キミが納得する仕事をしたときに返してあげる」
そう言ってアサクラは透明な笑顔で微笑んだ。シキシマの表情が硬くなり、意志の強そうな眉が目の上に戻る。
「やはり私も人格のバックアップを」
「それはいいって。どうせこれ、死んだ後に心残りがあるなら、みたいな使い方になる気がするし」
「……どういうことだ?」
「電脳の予備は15基だ。おのずと復元できる人数は限られる。それに脳介機装置も入れてない人間のバックアップを起動したところで、すぐさま義体や機体を動かせるわけもない。人格コピーに不安がある人格データなら暴走する可能性だってあるしねぇ。一応制御チップの用意はあるけどさ」
アサクラはラップトップを畳んで立ち上がった。
「人格バックアップの取得にはフォルテとクロエ少尉、あとエンジェルズが何人か同意してくれてる。これだけいれば十分だよ。このメンバーなら復元しても飛べるだろうしね」
「……そうか」
「希望者募集は一応全員宛てで通達は出しといてね。保険があれば頑張れる子もいるはずだし。容量はあるからさ」
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次回の更新は5/16です。
それではまた、次回。




