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第3話 空と希望

 星の海の中で、銀の機体が交錯する。朝焼けを背後に飛び立つ鳥の群れのように飛び交っていたすべてが今は墜ち、残るは自分の操るこの機体と、それを墜とそうとする一機のみだった。

 後方に占位される。アヴィオンの砲はレーザーにせよ陽電子砲にせよ、直線的にしか攻撃できない。

 敵機にミサイルは搭載されていないはずだった。機体を小刻みに揺らして敵機の照準をぶらす。スピードに緩急をつけて急旋回を取った。飛び出し(オーバーシュート)を狙ったが、そう易々と飛び出してはくれない。さらにリバーススラスタを吹かして急減速。重力圏ではありえない軌道を取った自機にそれでも敵機は追い縋り、さらにもつれ込むような格闘戦へとその翼を投じていく。


 勝負は一瞬だった。後方から視界を覆い尽くす紫電の閃光。エンジンを噛み砕いてコックピットを消し飛ばす。死亡判定のアラームが鳴り響き、視界がブラックアウトした。

 肺に大きく息を吸いこんだユウは、長く深くそれを吐き出す。右目の補助装置を外し、汗ばんだ目元を拭って頭をヘッドレストに預けた。目を閉じて、そのままボタンを操作する。シミュレータカプセルのハッチのロックが外れる音がした。


「また負けた」


 ハッチを開いて覗き込む気配に、肩を竦める。対戦相手はくすくすと穏やかな笑みを零した。


「惜しかったねぇ。もう一息だったんじゃない?」

「どうかな……」


 緩慢な動きでベルトを外し、体を起こすとユウはハッチから覗き込むナギの紅い瞳を見つめた。差し出された手を掴んでシミュレータカプセルから滑り出る。くるりと踵を返してすたすたと歩くナギの後を追って、モニタリングステーションへ向った。

 ナギの細い指が慣れた手つきでモニタリングステーションのコンソールを叩くと、先ほどまでのシミュレータ戦のリプレイが映し出される。複数あるモニタにまたがって大写しになったそれを眺めながら、ナギはモニタリングステーションの椅子に身を沈めた。自分の頬をむにむにと揉みながら身体を揺らすナギの、きぃきぃと鳴る椅子の隣にユウも腰を降ろす。揃って画面を見上げた。


「だいぶボクの動きについてこれるようになったじゃん? でも……あーそう、この辺とか。ちょっと無茶がすぎるな。シミュレータ外だとここまで綺麗に回んないぞ」

「う……。ここは確かに、ちょっとやりすぎた自覚は、ある」


 ユウは眉を下げて、コンソール脇に置いてあったボトルを手に取ると喉を鳴らして冷たい水を飲み込んだ。「ボクにもちょーだい」の声に応じて、ナギにボトルを投げ渡す。

 こくこくと上下するナギの白い喉を見つめて、ユウはぽつりと言った。


「聞かないんだね、シエロのことは」


 ボトルを(あお)ったまま紅い瞳をきょろりと動かして、ナギは目を(しばた)かせた。飲み口から唇を離して、ぷはっと軽快に息を吐く。


「何か聞かなきゃいけないような事あったっけ?」


 けろりとそう聞かれてしまえば、返す言葉もなかった。ユウは再びモニタに視線を戻したナギの横顔を眺める。

 シエロの消失を知ったナギは、ふぅん、と実に日常的な相槌を返してそれを受け入れた。フォルテのように困惑することも、アサクラのように()()()()そぶりもなく、ごくごく自然に。


「正直なところ……もっと驚いたりするのかな、って思ってたから」

「そう? シエロとキミは同質だったしなぁ。別にびっくりポイントなくない?」


 ユウの機体がフォルテの電脳をベースにしたAIが操作するCPU機を追い掛けているシーンを繰り返し再生しながら、ナギは当たり前のような口調で言う。今度はユウが目を瞬かせる番だった。


「同質? 俺とシエロが?」

「そーだよー。キミたちどっちも、やらなきゃやらなきゃってそればっかでさぁ。ホントは全然やりたくないくせに」


 ナギは行儀悪く爪先でコンソールに触れて映像を停止してから、呆れたように自分を見たナギにユウは顔をしかめてみせる。


「待って。俺については否定できないけど……シエロは別にそんなじゃなかったろ」

「んにゃー。嘘吐きでも本質は隠せないんだぜ、ユウ。幾ら自分を騙してたって、根っこがキミと同じだったよ、シエロは。アイツがキミのことを気に掛けてたのだって、そうしなきゃいけないからしてるって感じだった。それにキミだってそうだったんじゃないの」


 深紅の目が、心の内を見透かすようにユウの目を覗き込んでいた。ひんやりとした冷たさを感じるその視線が、一つの記憶を呼び覚ます。


――ねぇ、ユウ。キミがシエロに対して抱いているその気持ちは、たぶんキミが思ってるものとは違うよ。


 シエロに義体を与えてすぐの頃、ナギに言われた台詞が蘇った。シエロの事をリサだと思い込んでいた頃の――。いや、違う。()()()()()()()()自分にナギが言い放ったその台詞が、冷たい氷の刃のように胸を刺し貫いたことを覚えている。

 何を言われたか分からなかった。いや、あの時の自分は、分かることを拒絶したのだと今なら分かる。自分の理想を演じる自分に、追い付かなければと思っていた。かくあるべしと自分に課したかたちを体現したシエロを、あの頃の自分は自身だと認められるはずもなかった。

 ナギはコンソール脇に詰まれている栄養バーを一つ手に取ると、それを剥きながらふっと笑う。


「それに名前だって、キミのまんまじゃないか」

「名前? それはアサヒナさんの……」

「え、戦女神(イシュタル)? そっち由来なの? だってシエロって空の事だろ。星を守る、空ってそういう役割じゃん。悠かなる、ってのもいかにも空っぽいし」


 星衛悠。自分の名をもう一度頭の中でなぞったユウは、ぽかんと口を開けてナギを見つめた。ややあって、呆然と呟く。


「…………ずいぶん、日本語に詳しい」

「ギルが好きだったからね」


 ナギはそう言って懐かしそうに笑った。


「ギルバートさんが……」


 ユウはこっそりと拡張視界を操作して、バイタルデータの表示モードをONにする。人形のように整ったナギの顔の横に、半透明なオレンジ色のカード型ウィンドウが貼り付いた。

 ナギ・ガンター。ユウの故郷である日本という国は、世界の国際化が進んだ後も島国の特性上、あまり人種の混じり合わなかった国だ。ナギの作り物めいて整った顔だちはおおよそ日本人のそれとはかけ離れていて、そんなナギに何故和名がついているのだろうと思ってはいたのだが。


「もしかして、ナギの名前って」

「そだよ。これはギルがつけたんだ」


 そう答えるナギの声は酷く穏やかだった。思えば、今日のナギにはいつもの弾けるような溌溂さがない。煽ることもなく淡々と戦闘訓練に付き合っては、こうして振り返って丁寧にアドバイスをくれるのだ。静かで、風のない、穏やかな海という意味が、今のナギにはひどくよく馴染む。

 だがそれは落ち着いた、というよりも。


(……どこにも、行く気がないみたいだ)


 停滞、しているようだった。深い色をした深紅の瞳は、何にも期待していない。さざなみひとつなく、無風の感情。

 ユウは小さく息を吐き出した。


「ごめんね。つまんないんだろ、ナギ」

「んー? そうでもないけどね」


 なんの感慨もなさそうに言いながら、ナギは映像を巻き戻す。


「ユウ、殺気がないからなぁ。まあでも戦闘機動におけるキミの思考回路の変化は楽しんでるよ」

「仲間を殺す気で撃つのはちょっと……」

「お気楽だね。ボクと対人戦闘機動を磨くのは鹵獲機(キャプチャー)を墜とすためじゃないの」

「それは」

「ボクらは人類生存圏を後にしたんだ。この先鹵獲機(キャプチャー)とやりあうとしたら、それはこの隊の人間を相手にするってことだぜ」


 ユウは黙って俯いた。かたんと椅子を寄せる音がして、ナギの気配が近づく。体温を感じさせながら、形の良い唇が耳元をかすめた。


「なぁ、ユウ。希望を持つなよ」


 吐息のような囁きに、背筋がぞくりと震える。


「な、何。急に」

「シエロが消えて——いや、シエロと()()()()、キミは迷うのをやめたろ。ぐちゃぐちゃ考えなくなって、よくものが見えるようになったんじゃないの。今日のキミの飛び方は別人みたいだ」


 紅い瞳が胸の奥に秘めた気持ちを抉り出すようで、息ができなかった。紅玉の双眸が歪にゆがむ。


「とある小さな鳥の話をしてあげよう。カナリヤだよ。観賞用に育てられ、その声も翼も大変に美しいけれど、肝心の風切羽を切られているから飛べない鳥だ」

「え……何、カナリヤ?」


 唐突な話の運びにユウが眉根を寄せた。そう、と言ったナギは笑って、歌うように続ける。


「彼は飛べるという事実を知らなかったし、自分の住まう華奢な鳥籠と、その鳥籠がしつらえられた美しいリビングがその世界の全てだった。だから毎日、懸命に歌っては家族の笑顔を呼び、籠から可愛らしい女の子の手のひらに飛び移り、大好きな麦の粒を食べるというその生活がとても幸せだったんだ」


 ナギは立ち上がって、鳥の真似をするように両手を広げて歩き回った。それからふと立ち止まり、肩をすぼめてユウの顔をのぞき込む。


「でもある日、旅のツバメが何の気まぐれか、彼の世界のほんの脇に舞い降りて呟いた。『空はこんなに広いくて美しいのに、君には立派な翼があるのに、そんなところで毎日ぼーっと歌っているだけだなんて!』その日から彼の生活は変わってしまった。自分の翼が自分を空に連れて行けるものだと知ってしまった。外の世界に希望を抱いてしまったんだよ」


 細い指が、つとユウの顎に掛かる。凍り付いたように動けないユウの顔を、ゆるやかに持ち上げた。

 ナギの艶めいた表情の奥には何か言い表しようのない闇が凝っているようで、こくりと小さく喉が鳴る。この作り物めいて美しいエースパイロットの言わんとするところが、ユウにはさっぱり分からなかった。絹糸のような白い髪が額をくすぐる。


「そうして外への思いを募らせていた彼の前に、ある雨上がりの、美しく晴れた朝に道が開ける。家族がうっかり、窓と鳥籠を両方閉め忘れたのさ。彼は翼を翻して勢いよく籠から飛び出した。さあ、どうなったかな?」

「その……飛べない、んだよ、な……?」


 顎を持ち上げられたまま、口腔に張り付いたような舌を剥がすように動かして、ユウはか細い声で答える。そうだよ、と言ってにこっとナギは笑った。


「そう、飛べないんだ。だからそのまま落ちて、地面に叩きつけられて死んじゃった。希望が彼を殺したんだ、ユウ」

「俺は、飛べないってこと……」

「そうじゃないよ。希望に殺されるなよ、ってこと」


 くすくすと笑って、ナギはユウから身体を離した。全身を凍りつかせていた氷点下の気配が解ける。ナギの触れていた部分だけが、ひどく熱を孕んだ。


「さあ、戦ろうぜ、ユウ」


 透明な笑顔の最強(ナギ)が、歌うように誘う。


「次こそボクを、殺せるといいね」


次回の更新は5/2です。

それではまた、次回。

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