第1話 彼方の我らより ①
「それじゃあ、始めよっか」
相変わらず混沌が堆積したアサクラの個人研究室で、混沌と部屋の主は2時間目の授業を始めるかのような気楽さでそう言った。
ユウは隣に立って多面モニターを見つめるフォルテに、気遣わしげな視線を向ける。
「フォルテ。……いいの? まだ休んでたほうが」
「いいよ」
フォルテは抑揚のない静かな声で、ユウの気遣いを遮った。
「そんな事言ってられるような状況じゃねーのは分かってる。それに――」
そこで少しだけ言葉を切ったフォルテは、ユウの顔を振り仰いでわずかに眉を下げた表情で笑う。
「今は何か、意味のあることをしてたいんだ」
その気持ちに心当たりのあるユウは、返す言葉を失って押し黙った。そんなユウに意趣返しをせんとばかりに、フォルテは肘で軽くその脇腹を小突く。
「あんたこそ大丈夫なのかよ。相棒、消えちまったんだろ」
「うん。それはもう、平気だよ」
ユウはただ穏やかに頷いた。そこに強がりも諦観も欠片もないことを感じ取って、フォルテはただ「ふぅん」と呟く。それ以上深掘りしようとはせず、何かの準備をしているアサクラへと向き直った。
「で、俺を呼んだってコトはまた思考マップでも解析しろと?」
「んーん。音声解析とバックアップのためだよ〜」
アサクラは軽い調子でそう言うと、よし、と呟いて手元のケーブルをフォルテに投げ渡す。
「バックアップ?」
怪訝な表情でケーブルを首元のポートに差し込みながら、フォルテは首を傾げた。
「そ。今からそいつでキミの意識のスナップショットを5分単位で艦内サーバにバックアップする。解析中に僕らがまとめて蒸発した時の保険だねー」
「……は?」
ケーブルを挿し込むフォルテの手が止まる。
「何の話だ、蒸発って。データ解析するだけなんだよな?」
「そうだよ。僕らが今から解析するのは未来のユウが持って戻ってきたデータだ。知ることにどういう副作用があるか分かんないからねぇ」
「話が見えない。未来のユウってナニ? これはシエロが持ってたデータの話だよな?」
「アサクラさん、話してないんですか?」
「いやぁ、ちょっと忙しくて」
ぺろりと舌を出して額にこつんと拳を当てたアサクラを、ユウはちょっぴり殴ろうかな、と思った。フォルテは台所の隅に害虫を発見したような顔でアサクラを見ている。ユウは肩を竦めながら、フォルテに説明に掛った。
「ええと、簡単に言えば。シエロは未来から来た俺で、その存在が認知されたから消えちゃったんだ。で、シエロが消える前に、シエロの筐体から抜いたデータが残ってる」
「——なぁ。今、映画かアニメかなんかの話してる?」
「残念ながら。現実だったり、する」
「…………」
フォルテは笑い飛ばそうか、唾棄しようか、正気を疑うかどうしようかと言った様子で、玉虫色に表情を変えながら黙りこくった。ややあって、長い溜息を吐き出す。
「オーケイ。まるで理解も納得も及ばないけど、とりあえず飲み込んで作業は手伝う。音声解析をすればいいんだな?」
「やぁ。キミのそういう切り替えの効くトコ、助かるよぉ」
分かっていたかのように微笑うアサクラを、フォルテはじろりとねめつけた。
「いや、もう切り替わんねーから無理に感情演算切ってるよ。むしろやけっぱちに近い」
「あはは、それが出来るのがまあ才能だよ。で、だ。うん、何か音声データにサブリミナルや暗号的に隠されているものがないかを見て欲しい。とりあえず僕のほうで一通り確認はしてるから、突然副作用があるってことはあんまりないとは思う。気楽にやろう」
* * *
あ、あー。音声、入ってる……うん、大丈夫そうかな。
やあ、どの時点に居るのかわからない、どこかのキミ。同存在同士の因果が引き合う、っていう僕の理論が正しければこの情報は過去のユウ――そしてユウの連なる第13調査大隊の、僕の元に届くと信じたいねぇ。ねぇ、聞いてるかい、キリヤ・アサクラ。そこにいるんだろ?
まずは答え合わせをしよう。シエロの正体は第13調査大隊に所属しているはずのユウ・ホシエだよ。シエロの名前を付けたのは僕だ。CIELO――つまり空の意味を持つ単語でソラの存在をほのめかせば僕は無闇に箱を開けられないはずだからねぇ。実際上手く行っただろ? 次があるなら参考にしてね。
これをキミが聞けたということは、僕の希望的観測じみた理論が上手く行ったってことなんだろう。これは[ノイズ]■■まで辿り着いた僕の考えだけど、この世界には矯正力みたいなものがあるんだよ。時間遡行によって同一存在が同一時間軸に存在した場合、それは削除されてしまう可能性が高い。でもねぇ、その理論が正しいなら[ノイズ]……■■が太陽系に…■在できてしまうのはおかしいんだ。
キモになってるのは認知だよ。AとBは同一存在であり、同一時空に存在してしまっている、という認知を阻害してさえしまえばパラドックスは起こらない。つまり、世界を騙すことが出来るんじゃないかと僕は思ってる。その時間軸のユウ・ホシエが死亡していない状態でこのデータを再生しているなら、それが上手く行ったってことだ。さら言えば、認知されてから消えるまでにタイムラグがあったってことになる。
この世界はねぇ、因果よりも観測優位の世界なのさ。つまり観測されない限り、確定しない。それが逆に、都合のいい穴を空けてくれてる。いわば世界に対するグリッチだよ。この情報は是非次に活かしてほしいかな。
さて。情報の渡し方を伝えたところで、本題に入ろうか。ああ、本当の本題に入る前に、一つキミたちには"鍵"を渡しておこうと思う。文字列データとしても格納してあるけど、保険としてこっちにもね。うーん、読み間違えないといいんだけどなぁ。
―― From beyond, we who remainoffer our penance and prayers.
必要なのは文字列だ。しっかり持って行ってね。この鍵を得るために今回の僕らは失敗した。最初からこれを持っていれば、勝ちの目があるかもしれない。今度こそアザトゥス母星を[ノイズ]■てくれるといいんだけど。
さて、今度こそ本題に入ろうねぇ。キミたちの行く先にあるのは"星の卵"だ。まあ、これは僕がそう呼んでるだけなんだけど――フロストアークを破壊し尽くした超巨大個体が来た場所だよ。星の卵は土星に追従する軌道で太陽系に食い込んでいる小天体だ。こいつは[ノイズ]■で、[ノイズ]―――、力を[ノイズ]―――。
アサクラがどう? と言いたげな表情でフォルテに目を向けるが、フォルテは難しい顔で首を横に振った。アサクラは僅かに落胆したような小さな溜息をついて、ノイズの合間に微かに聞こえる意味を拾えない自分の声に耳を傾ける。
数分その状態が続いたあと、酷いノイズにまみれながら再び意味を聴き取れる言葉が微かに零れ落ちた。
■の卵は既に孵り[ノイズ]いる。あれが孵ればすべてが吹き飛ぶから、君たちは[ノイズ]―――だけで、[ノイズ]―――。いいか、殻を割るんだ。そうすれば―――[ノイズ]
後にはただノイズだけが残る。数分の激しいノイズの後に、ふっつりと音声の再生は止まった。




