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黎明のアヴィオン - 第13調査大隊航海記  作者: 新井 狛
第五章 土星の環でワルツを
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第18話 徒花は冷たく散って ②

 食事も睡眠も要らない身体というものは、思考に物理的な逃げ道を用意してくれないのだと知った。予備バッテリーを挿し替えれば無限に動く身体で、フォルテは過熱し続けている電脳を休まず回し続けている。


(――俺は、どうするべきだったんだろう)


 何度目になるかもう分からなくなっている自問を、フォルテは再び繰り返した。


 ――私は大丈夫だから、兄さんの援護に行って!

 ――お願い……。


 縋り付くようなユリアの最後の声は、義体の耳の奥に埋め込まれた集音デバイスの底にずっと焼き付いている。

 ヘイムダルのブラックボックスを解析したアサクラには、「キミがあの場に残っていても死体が一つ増えただけで、現状が覆ることは無かったはずだよ。むしろユリウスが無事に戻れたのはキミがいたからだろうねぇ」などと言われたが、そんなものは何の慰めにもなりはしなかった。

 拡張電脳が冷静に処理する理性は、ユリアはユリウスの無事を望んでいたはずなのだから、これで良かったんだなどとのたまっている。生来のフォルテの思考回路をなぞって演算を繰り返すメイン電脳が、それをせせら笑った。だから何なんだ?

 俺が守りたかったのはユリウスじゃなくてユリアで、それが叶わないなら俺はあの場でユリアと一緒に死ぬべきだった。そうだ。死んじまえば良かったんだ、一緒に。たとえその後で復元(レストア)するんだとしても、ユリアと一緒に飛んだ俺はそれで終わったはずなんだ。そうしたら、今も一緒にいてやれたかもしれないのに。


 ――どうして、兄さんを守ってくれなかったの。


 そうはならなかったイフを描き出したフォルテの思考に、拡張電脳がエミュレートしたユリアの台詞を叩きつける。ユリアの願いを聞き入れず、あの場に残って自分が共に死んだ未来。ユリウスまでもが無事に戻れなかったイフ。ああ、そうであったならユリアはきっと俺を許してはくれないだろう。

 そんな事はない。ユリアはそういう時に他責するような女じゃない。もし死んだ俺とユリアが一緒にいるなら、そこにユリウスも加わるだけだ。それはある意味、最も幸せな未来だったんじゃないのか。

 

「――……ああ、クソ。どうかしてる」


 全滅エンドに幸福を見出しかけた思考を、物理的に出力した音声で遮る。この結論に至ったのは何度目だろうか。エウロパの水族館で見た、閉じられた丸い水槽を前へ泳ぎ続ける魚になった気分だった。これは決して結論(ゴール)に辿り着くことのできない思考の環だ。こんな事を取り留めもなく考えていたところで、確定した今が変わらないのは分かっていた。


 拡張視界(オーグメント)の端で、着信通知が小さく跳ねる。ポップアップした長方形の小さな通知には、3桁の数字が小さく付属していた。クロエから何度となく送られ続けてきているその通知を、フォルテは開かずに投げやりに押しやる。

 艦のデータサーバーの権限のない領域に潜り込み、クロエのバングルの現在位置を検索した。近くには居ない事を確認して、わずかに表情を緩める。帰艦してからというもの、フォルテはクロエの事を避け続けていた。

 クロエと会って、この胸中を打ち明けてしまえば、まるで父親であるかのようなあの男の手によって、この苦しみも惑いも綺麗に落ちるところに落ち着いてしまうに違いなかった。それはきっと、とても楽なのだろう。


(だから今、俺はアンタに会っちゃいけないんだよ。悪いな、おっさん)


 フォルテは胸中でそう呟いて、踵を返した。拡張電脳が弾き出す、極力他人と会わないルートをただ無心になぞってそぞろ歩く。クロエと話したくないのは勿論だが、その他の誰とも同じく話したくはなかった。今話す余裕のある者はきっと、誰もが自分を労わってくれようとするだろう。そうした会話はきっと、まだ曖昧なままで揺れている自分とユリアの間に横たわった何かに徐々に形を与えてしまうに違いなかった。

 それはいやだ、と思う。この何かに輪郭を刻みつけるのは、ただ自分ひとりでありたかった。


(――俺は、どうするべきだったんだろう)


 何度目になるか分からないその問いに、ぶふぅ、と獣の荒い鼻息が答えてフォルテは現実に意識を引き戻された。いつの間にか食糧生産プラントに迷い込んでいたらしい。目の前の柵の向こう側から、少し小柄な体躯の牛が濡れた黒い瞳でじっとこちらを見上げている。フォルテは力なく微笑むと、金属の柵に背中を預けた。軋む柵の合間に仔牛が湿った鼻を突っ込んで、火炎放射器が内包されたフォルテの手をぺろりと青黒い舌で舐め上げる。


「——なに。お前、話聞いてくれんのか?」


 ぶふふ、と再び鼻を鳴らして、それはもぉぅと小さく鳴いた。世話をしているはずの糧食班の人員はいない。畜舎を照らす照明は黄昏時のような鈍い橙色をしていて、まもなく眠る時間であることを動物たちに示しているようだった。生身の人間とはどこか違う、嗅ぎなれない臭いを纏わせた少年に興味を示したこの仔牛以外は、寝藁の上で穏やかに蹲っている。

 湿った鼻が、手のひらをゆるく押し上げた。催促された気分になって、ぽつりぽつりとフォルテは言葉を口にする。


「好きな子のお願いをさ、聞いたんだよ。俺。それが正しかったのかどうか、分かんねーんだ」


 言葉を理解しないこの幼い生き物に、それでも説明を試みた言葉は、繰り返した自問とは違う形で口から滑り出た。濡れた鼻の少し上にある、短い毛の群れを指先でちいさく撫でる。長い睫毛の下の大きな目が、ゆっくりと瞬いた。蹄が苛立たしげに床を掻く。


「んん、なんだよ。違うって言いてーのか」


 動物は敏感だ。もしかしたら思っても居ない事を口にしたのかもしれない、とフォルテは顔をしかめた。心臓の鼓動のない、自分の胸に掌を押し当てる。どうすべきだったのか、ではないところに、答えを探る。


「…………ああ、そーだなぁ。正しかったかどうかは大事じゃねーんだ。うん」


 たっぷり考えた後、照明の落ちた闇の中でフォルテは小さく呟いた。仔牛は既に柵の脇に丸くなって、穏やかな呼吸を繰り返している。


「あの時泣きそうだったユリアを、なんとかしてやりたかったんだ。また笑って欲しかった。あのダンスホールの時みたいに」


 フォルテは温かく乾いた鼻を軽くくすぐって、柵から背中を離した。指先と掌に額を押し当てる。それを言って、気付いてしまった。


(――ああ、俺。また、ユリアに会いたいだけだ)


 ——もっと自分を大事にしなさい。


 お前にまたそう言って欲しいから、きっと俺は今、俺を責め続けてる。


 フォルテはよろよろと足を踏み出した。それは、後悔なんていう綺麗なものではなかった。ただただ惨めな未練の形だった。


(ユリア。ユリア。ユリア————)

 

 彷徨う脚が、ユリアの名を呼ぶことしかできなくなった思考ごと身体を運んでいく。何かよすがになるものがなかっただろうかと拡張電脳が足掻いて、拡張視界(オーグメント)に白くふわふわしたものを浮かび上がらせた。フロストアークの街でユリアが買ってくれた、綿飴(コットンキャンディ)のARデータ。縋るように細い棒をつかみ取る。顔の前に持ってくると、砂糖のかすかに甘い香りがした。

 ぽつ、とその頰に雫がひとつ落ちる。さああ、とささめくような水音と共に、菜園エリアの植物たちに与えるための水が降り注ぎ始めた。その下で濡れ鼠になりながら、フォルテはただ立ち尽くす。冷たい雫が頬を伝って幾つも滑り落ち、顎の先から絶え間なく滴った。それはもう泣くことの出来なくなったこの義体(からだ)に、泣いてもいいと与えられた赦しのようで、少年は唇を噛んで表情を歪める。

 降り注ぐ雫の下で、手にした綿飴はふわふわとしたまま形を保っていた。かつてユリアが手にしたそれは、自分と同じようにぐっしょりと濡れた時に、すっかり失くなってしまったのに。

 

 ――残るものは、嫌。


 ユリアのあの言葉の意味が、今ならわかる気がした。


「なぁ、ユリア。俺の綿飴、なくなんねーよ」


 届かないと分かっている言葉を、小さく呟く。


「残るものは、確かに嫌だな。だってまだそこにあんたがいる気がするのに、もうどこにもいねーんだ」



"徒花"とは、咲いたけれど実を結ばない花の事を指します。


5章はこれにて完結となります。

喪失を抱えたまま、もう戻れない生存圏のその先へ。

もう少しだけ、彼らの旅路へお付き合いいただければ幸いです。


このあとおまけの断章を挟んで、来週からは第6章「星の卵」開幕となります。


おまけは明日更新、6章1話は4/11の更新です。

それではまた、次回。

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