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黎明のアヴィオン - 第13調査大隊航海記  作者: 新井 狛
第五章 土星の環でワルツを
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第17話 星を衛る者

 あちこちが歪んで破損し、侵食をあまさず炙られて、無残に黒焦げた姿で格納庫に戻ってきたシエロの機体に、ユウは駆け寄った。半分破損したキャノピーが開いて、中から救助機(イージス)のオペレーターであるルイスがのっそりと顔を出す。ルイスが降りるために掛けられた梯子を、ユウは無理やりに登っていった。梯子の端からコックピットを覗き込む。


「ルイス、さん。し、シエロは」

「応急処置はしたがな。…………俺では何とも言えん」


 ヘルメットを外したルイスは、そう言って汗まみれの髪をかき上げた。怜悧な目が視線を向けた先にある箱は、応急処置のようにあちこちに補修材が張り付けられている。


「ユウ!」


 ぐ、とユウが表情を歪めたのと同時に、息を切らしたアサクラの声がコックピットの下からユウを呼んだ。縋るような、泣きそうな声でユウが言う。


「アサクラさん、早く診て」

「ああ、待ってくれ」


 アサクラを呼ぶユウにルイスはそう言ってコックピットから身体を抜き出すと、分厚い体を縮めて彼を手招いた。ユウがコックピットに片足を突っ込むと、それを跨ぐようにして梯子に足を掛けて機を降りていく。


「行ってやってください」


 アサクラは小さく頷くと、ルイスと入れ替わりに梯子を登ってきた。抱え込んだ薬液のボトルをユウに投げ渡し、ストラップをたすき掛けにして背負っていた物質透過スキャナを手に取る。さらにそれをユウに押し付けて、コックピットに片足を捻じ込んだ。あちこちが濡れた計器の類を気にせず踏んで、ぐっと箱に近付く。


「中を見て」

「はい」


 消え入りそうな声と共に首肯したユウがスキャナを向けるのと並行してアサクラが箱の状態を調べに掛かる。側面のメンテナンスハッチの蓋は歪んでいたが、細い工具を差し込むと何とかこじ開けることが出来た。バングルから抜き出したケーブルをメンテナンスハッチのコネクタに突きさして、モニタリング情報を出しながら白衣の内側をあさる。見つけた薬液交換用のチューブを箱に取り付けて、反対側をユウに投げて寄越した。


「繋いで。どう?」

「形は保ってます、ただ生命維持溶液の水位が……」


 ボトルにチューブを繋いだユウのバングル上に表示されたホロモニタには、液体からわずかに露出した脳髄の映像が映っている。アサクラがチューブのポンプを作動させると、ゆっくりとその水位が上がっていった。アサクラは無言で自分のバングルのホロモニタに視線を戻すと、液体の水位を数値で眺めながら小さく呟く。


「まだ"生きて"はいるね」

「……まだ」


 ユウは沈んだ声でアサクラの言葉を繰り返した。その"まだ"がどの"まだ"なのかは怖くて聞くことが出来ない。ぎゅっと物質透過スキャナを強く握りしめた、その時だった。

 ざざ、と機内のスピーカーがざらついた音を吐き出す。


『こ、こは……』

「シエロ!?」


 ユウががばと顔を持ち上げた。身を乗り出して、機内カメラのレンズを覗き込む。


「シエロ! 俺だよわかる!?」

『……あ、れ。俺がいる……?』

「――――――え?」

 

 いつものシエロの声が、まるで別人のように響いた。カメラを覗き込んだユウが凍り付く。変わらぬ滑らかな響きの合成音声が、感慨深そうに呟いた。


『ああ……そうか。そうだった。ちゃんと、戻ってこれたのか、俺」


 ホロモニタを睨み続けていたアサクラが、はっとしたように顔を上げる。


『その様子じゃ、俺はちゃんと、俺を騙しきれたんだなぁ……なぁ、(ユウ)

「シ、エロ? 何を……何を、言ってるんだ」


 目を見開いて声を震わせるユウの傍らで、アサクラがそういうことか、と苦々しく呟いた。


『アサクラさん。足しか見えないけど……その声アサクラさんだよね。データ抜いてます?』

「……もうやってる。ブラックボッ(これ)クス化は僕とユウを騙すためだったな?」

『はは、流石です。その様子じゃ蓋はもう開いちゃってますね。いや、そもそも俺が自己認識してるからもう()()か。うんでも良かった、瞬間的に爆発とかしなくて』


 シエロの声をした誰かと、アサクラの会話をユウは呆然と聞いていた。何が起きているのか全く理解できない。いや、頭が全力で理解を拒んでいる。


「二人とも、一体何の話……」

『もう時間がないんだ、今はこの話をしている場合じゃない。アサクラさん、俺が知ってる限りのことを――』

「いいや、それを知るのは後にするべきだねぇ。()()()()()()()()()()()? だから今出来ることはもうないなぁ。残った時間はキミのために使いなよ、()()

『……そうか。そういえばそんな話だったっけ。それにああ、繰り返すかもだから――とりあえず俺を納得させないといけませんね』


 シエロだったはずのものは、ふぅ、とプリセットの溜息をひとつ吐き出した。待って、とちいさな拒絶を示すユウの言葉を無視して、それは容赦なく言い放つ。


『俺はお前だ。お前なんだよ、(ユウ)


 必死に目を背けようとしていた真実が、明確な輪郭を与えられて逃れようもなく襲い掛かった。でも、とか、だって、とか、そんなどうしようもない言葉だけが口をつく。


「だって、じゃあ、リサは」

『分かってただろ、俺がリサじゃない事くらいは。死んだんだ、リサは、フォボスで。いいか星衛悠(ホシエ ユウ)、死んだ人間は生き返らない。奇跡なんてものは存在しない。そうだ。俺だって本当は……ずっと分かってた』

「何を言ってるのか、わからない。だってそんなの、あり得ないだろ……シエロが……お前が俺だって、百歩譲って信じるなら……それだって奇跡なんじゃ」

『アザトゥスと同じように、俺は時間の捻じれた次元孔を辿って()()()()()だけだよ。連中の事を奇跡だと思う?』

「…………。なんで、リサの真似なんて」

『次元孔を辿って時間遡行をした場合、お前が死んでいなければこの時間軸に俺は二人いることになる。()()は許されない事だ。でもそれが正しく観測されない限りは、世界を騙せる可能性があったんだ。グリッチみたいなものだよ、ってアサクラさんは言ってたかな』


 ユウを名乗る合成音声は、そこで一度言葉を切った。ほんの一瞬の逡巡のあと、だから、と続ける。


『だから俺は、俺自身の歪んだ英雄像を被ることにしたんだ。俺は絶対にそうはなれないと思ってたから』

「ゆが、んだ」


 声が、震える。そうだ、と少し大人びた自分が、合成音声の殻を被って言う。


『あの子を歪んだ英雄に仕立て上げたのは俺自身だろ、(ユウ)。自分がそうでありたかった、そうなりたかった後悔と憧憬の寄せ集めだよ。利用しといてなんだけど、いい加減そこからリサを解放してあげてよ』


 それはどうしようもなく自分の思考だった。本当は自分(おれ)がリサを導いて飛びたかった。彼女を守りたかった。彼女の犠牲によって生き残った自分が、その犠牲と歪に融合して見出したどこにもない英雄の姿。どこかで自覚していた。それでも最後まで遺体が見つからなかった彼女の死を受け入れられなくて、それを自分自身にまで利用されて。

 鼻の奥が熱くなり、左目の端から熱い雫が流れ出た。ずっと、ずっと目を背けてきたリサの死が、ようやく明確な形を帯びて埋まらなかった胸の穴にはまり込む。喉の奥から低い嗚咽が漏れた。


「リ、サ……」


 名前を、呼ぶ。


「お前がっ、リサじゃ、なくて、よかった、」

『うん』

「あの、子がっ、もう1回死ぬ、のを見なくて、済んだ、俺、はっ、もう一度、あの子を、こ……殺さずに、済んだ、んだ、よな」

『うん。リサはきっと今も安らかに眠ってる。だから……この先、お前が何をすべきかはもうわかるよな、悠』


 ジジ、と合成音声の出力にノイズが走る。淡い燐光が、"シエロ"を閉じ込めた黒い箱から漏れ出るように溢れ始めた。まずい、とアサクラが珍しく切羽詰まった声を出す。間に合わないかな、と箱の主はその声に苦い笑いを含ませた。


『俺の役目は今度こそアレをぶち壊すために第13調査大隊(みんな)を導くことだった。状況は良くはないけどそれでも()よりかは幾分かマシだ。絶対に無理だと思ってたデータまで渡せた。正直、限りなく可能性の低い、分の悪い賭けだったけど、なんとか、なった……』


 ゆっくりと、ゼンマイの残りが僅かになったオルゴールのように、言葉とテンポのトーンが落ちていく。


『俺は、俺に出来ることを、やり尽くせたよ。"英雄"は、ここで、バトンタッチだ。もう、出来る、よな』

「……うん」

『頑張れよ。あと、少し、だからさ』


 そう言ったノイズまみれの穏やかな声は、ああ、と満足そうな嘆息を吐き出した。燐光の中に、黒い箱が淡く透ける。


『これで、俺の仕事は、終わりだ。なあ、みんな。俺――――やり遂げた、よ』


 それが最後の言葉だった。ふっつりと光と共に箱が消える。それと同時に機体までもが淡い光を放ち始めた。ユウも降りて、と言いながらアサクラが慌てたように梯子を降りていく。

 それを聞きながらも動けないままのユウの身体の下から、支えになる全てが消えた。艦の人工重力がその身体を絡め取る。義手と義足が僅かに衝撃を吸収してくれたが、ユウはそのまま強かに尾底骨を格納庫の床に打ち付けた。


「――っつ!!!」


 脳天まで突き抜けるような痛みに、声にならない叫びを上げる。その真横に支えを失った梯子と、防衛軍共通規格の巨大なバッテリーモジュールが重く鈍い音を立てて転がった。数人が駆け寄ってくる足音が聞こえる。

 ユウは涙でぼやけた視界をぎこちなく巡らせた。かすかなタイヤ痕に梯子とバッテリー、そして自分のガーゴイルと、クピドのカドリガと、ハイドラのハーメルンを見る。格納庫にある戦闘機とその痕跡は、それがすべてだった。新型高機動戦闘攻撃機HUS-01は、初めから存在などしていなかったかのように、綺麗に消え失せてしまっていた。

 状況を理解していないクピドが、アサクラに詰め寄る声が遠くに聞こえる。感情の残滓のように浅くしゃくりあげ続けているユウに、残って様子を見ていてくれたらしいルイスが静かに手を差し出した。


「……大丈夫か」

「すみ、ません、大丈夫です。……ルイスさん、ありがとう、ござい、ました。こいつを、連れて帰ってきてくれて」


 ルイスは複雑そうな表情で、機体のあった空間を見つめる。


「まだよく状況をよく飲み込めてはいないが……俺達は、本当にシエロを()()()()()()()?」

「はい」

「……そうか。ならいい」


 ルイスはユウの身体を支えて立ち上がらせると、労わるようにその背中を数度叩いて背を向けた。静かに去っていくその広い背中を見送って、ユウは自分の掌に視線を落とす。いまだに留まる事を知らない涙が顎を伝って、ぽたぽたと湿ったグローブに染み込んだ。


(ああ、忘れてたな……)


 かつてその手の上に乗った、白くて細い手を思い出す。背骨を突き上げるような痛みの向こうで、優しい顔をしたリサの記憶が、淡く笑った。


――へぇ。ユウのファミリーネームって星を守る、って意味なのね。


 バディを組まされた時に、リサは気弱そうな顔にほんの少しの安堵を浮かべてそう言った。海馬の奥から、優しい声がこいねがう。


――ねえ、ユウ。私たちの惑星(ほし)を、まもってね。


ずっと書きたかったシーンをようやく書くことができました。

これは、ユウの物語。

英雄は引き継がれ、旅はまだもう少し、続きます。


次回の更新は4/4です。

それではまた、次回。

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