第10話 Shall we dance, my lady ①
ユリアの編み上げブーツが踵を鳴らす。煉瓦の模様を映し出した硬質な床を叩くその音は、先ほどまでとまったく同じリズムを刻みながらも何処か軽やかだった。
(――なんて、俺が思いたいだけかもだけど)
濡れた隊服を入れた透明なビニールバッグの表面では、カラフルな魚とデフォルメされたイルカが楽しげに泳いでいる。
「可愛いな、それ」
「なっ――あ」
ユリアの白い頬にさっと頬に朱がさした。反射的に噛みつこうとして、フォルテの視線がバッグのイラストに向いている事に気付くと決まり悪そうに手の甲で口元を覆う。その一連の流れにフォルテは気付かないふりをした。フォルテの視線が動かない事にほっとしたように、ユリアは表情を緩める。
「そうね、可愛い。ずいぶん親切にしてもらっちゃったな」
「そこは隊服のおかげかもな。ここの人達はずいぶん軍人には感謝してるみたいだった。お姉さんをちゃんと支えてあげてね、って言われたよ」
そう言うフォルテはカリプソー潜入用に用意された衣装の予備――つまりは少し仕立ての良い少年らしい服を着込んでいた。確かにこのフォルテを見て軍人だと思う人もいまい。ユリアは少しだけ眉を下げた。
「あんただって軍人なのにね」
「いーんだよ、親切心に水をさすようなコトしたくねーしさ。言ったって気を遣わせちゃうだけだろ」
ユリアは優しく表情を緩めてそう、と呟いた。
「アンタも頼りになる、って言われてたわよ。……あ」
店主の評価を伝えたユリアは、はっと思い出したような表情になる。
「ごめん、立て替えさせてたの忘れてた。いくら?」
「え? ああ、いーよ。気にすんな」
「バカ、やっとまともに貰えるようになった給料なんでしょう。ちゃんと自分のために使いなさい」
「いやな、祭りに行くっつったらクロエのおっさんがいっぱい小遣いくれてさ」
「ますます自分のために使わなきゃいけないやつじゃない。ほら」
バングルに伸びてくるユリアの手から逃げるようにフォルテは身をよじった。
「やーめろ。俺の金だってんなら俺の好きにさせろ。自分のモノを買うだけが自分のためじゃねーだろが」
袋に詰まった綿飴を指さされて、ユリアがうっと反論に詰まる。フォルテはユリアと同じ日に生まれたユリウスに心の中で手を合わせた。
「妹が兄ちゃんにプレゼントするなら弟だって姉ちゃんにプレゼントする権利があるよな。誕生日おめでとう、ユリア。ちょっと早いのかもしれないけど、そういうことで」
ユリアは感情の置き場を見つけられない顔で目を白黒させた。ひとしきり百面相をしてから、深い溜息を吐き出す。
「……卑怯だわ」
「へん。何とでも言え」
「チビ。バカ。……チビ」
「悪口のバリエーションそれだけ? そういうトコが可愛いよなあんたは」
「うっさい、このスケコマシ」
くつくつと笑う横顔にビニールバックをびたんとぶつけて、ユリアは口をへの字に曲げた。
「アンタの誕生日はいつなの」
「知らねー」
ぶっきらぼうな問いに、フォルテは肩を竦める。本当の事だった。たびたび主張している年齢も、いつかの日に母がぽろりとこぼした「あんたももう4歳か」の言葉を頼りに数えていたものに過ぎない。
ユリアはちいさく目を眇めた。
「そ。じゃあ今日でもいいわね」
「お、おお?」
突然腕を引かれてフォルテはたたらを踏む。明後日の方向に顔を向けて歩き出しながら、ユリアはぼそっと言った。
「行きたいんでしょ、お祭り」
「へ」
「……残るものは嫌。だからお祭りに一緒に行く……それで、どう」
「それって……」
私と過ごす時間をあげる、ってコト、と喉元まで登ってきた言葉をフォルテはすんでのところで飲み込んだ。せっかくのチャンスをふいにするほど馬鹿ではない。ずんずんと歩くユリアに歩調を合わせて、頷いた。
「それって、最高の誕生日だな」
青玉の瞳がちらりと視線を送ってから、またそっぽを向く。思春期の子供みたいな仕草に小さく笑いを漏らしてから、フォルテははたと気付いたように尋ねた。
「あれ。そういえばユリア、誕生日ってもう過ぎたの?」
「まだよ。来月だから」
「へぇ。じゃあ今は俺ら同い年ってことじゃん」
からからと笑ってそう伝えれば、振り向いたユリアはとてもとても嫌そうな顔をして見せた。




