第17話 エウロパ内部海中都市潜入戦 - Phase 5:楽園の崩壊 ①
ナギが掴んだアイザックの襟首を投げ捨て、その背中を蹴り飛ばす。巨大な口が再度空を切った。
「ほーらそんな無機物じゃなくてこっちのほうが美味しいぞぅ!」
忙しなく上下左右に動く眼球の群れを、細い白光がかすめる。ごきばき、と先程喰った義体を噛み砕く不快な音を立てながら、肉塊はちょいちょいと手招きするナギのほうへ進路を変えた。
アヴィオンのレーザー砲を極限まで縮小したような光が散発的に迸り、目玉が幾つか弾け飛ぶ。流線型のレーザー銃を構えたナギは、跳ねるように飛び掛かってくる肉塊の攻撃をひょいひょいと躱しながら叫んだ。
「フォルテ! 今は色々思うところがあるんだろうけどさ、ボクがキミをこの潜入班から外さなかったのは、キミを信用してるからだぜ!」
「ナギ……」
切迫した状況に自失状態は脱したものの、その機械眼の底に昏く渦巻く感情を凝らせたままのフォルテは、舞うように戦い続けるナギを歪んだ表情で見つめる。
「まーキミの人生だ、キミの自由にしろよ! 自由な人生ってのは選択だ。差し当たって今の選択肢はボクと一緒にこいつをぶち殺すか、そこに転がってる教祖様と心中するかの二択かなぁ!」
「……はっ」
レーザーの白光に照らされた少年の口元が、小さく上向きに歪む。ガコ、と機構が変形する音が響いた。
「選ぶ余地のない二択を迫ってんじゃねーよクソ野郎」
「なーに言ってんだ、ちょうどそこに自由意志で破滅を選択してる野郎がいるじゃんか。ボクはどっちでもいーんだけど?」
「やなこった。こんな海の底を俺の終端にする気はねーんでね!」
フォルテの右腕から吹き出す業炎が肉塊に襲い掛かる。巨大な炎の舌が脈打つ肉を舐めまわし、肉塊は口を大きく開けて苦悶の叫びをあげた。
「サンキュー、足止め助かるぅ!」
アイスブルーの間接照明に照らされ、引き抜かれた手榴弾のピンがきらりと輝いて宙を舞う。
「爆発するぞ! 飛び降りろ!」
そう叫びながら脈打つ口腔にそれを投げ入れ、ナギが壇上から飛び降りた。顔を引き攣らせたフォルテが慌てて後に続く。壇の下の壁に揃ってぴたりと張り付くと同時に、壇上で轟音と共に閃光が弾けた。クライマックスを観劇するように固唾を飲んで壇上を見守っていた人々から、思い出したように悲鳴が上がる。
「警告は投げる前に言いやがれ! 俺ごと殺す気かよ!?」
「ふっふーん、信用してるぜフォルテ? そら、仕上げの時間だ!」
「だー、畜生!」
目の覚めるようなブルーのヒールと煤けた革靴が床を蹴る。再び壇上に躍り上がった二人の前に、爆発でずたずたになった人工皮膚を貼り付けた義体フレームが立ちはだかった。先ほどナギを押さえていた二人のうちの片割れだろう。剥き出しになった機械眼がぎらりとオレンジに輝き、ひどく音割れしたノイズ交じりの声が叫ぶ。
「アダム様をこれ以上傷つけさせはしないぞ!」
「相方喰われてその化け物がまだお仲間に視えてるなら大した忠誠心だ、ねぇっ!」
剥き出しのそのフレームに、ナギは小型のソードオフショットガンを突き付けて躊躇いなく引鉄を引く。発砲の反動を身体を捻って逃がし、踊るようにくるりと回って反対の手に持ったハンド・グレネードランチャーで上半分が吹き飛んだ肉塊にぴたりと狙いをつけた。露出した核を覆い始めている肉の膜を焼き払いながら、フォルテが目を剥く。
「よくそんなモン隠してたな!!」
「女のコのスカートの中にはヒミツのポケットがいっぱいってね。じゃあな化け物!」
ぱすん、という気の抜けるような小さな音と共に、銃口から薄く白煙がたなびく。アンカー用の劣化ヴェネクス弾を改造した榴弾が、蠢く核に突き刺さって破裂した。ヴェネクスの成分が混じった精錬廃棄物が核組織を内から破壊し、肉と腱と脂肪の塊が自壊しながらべしゃりとくずおれる。
「アダム……! くそっ、捕まえろ!」
爆発の時に脚をやられたらしく、へたり込んだままの下半身を引き摺ってアイザックが叫んだ。ショットガンの至近発射を喰らって吹っ飛ばされた義体フレームがぎこちない動きで立ち上がる。ばちばちとスパークが弾けた。
「わぁ頑丈ぉ! フォルテ、ここはいったんずらかるぞ〜! 待たせたなシエロ、退路を開け!!」
「待ちなさいフォルテ君! 行ってはいけない!」
ナギの伸ばした手を取りかけたフォルテに、アイザックが悲痛な声を投げかけた。フォルテはナギの手を取りかけていた指を止め、アイザックを振り返る。
「ごめんな、アイザックさん。でもカリプソーでは誰も俺の意思を妨げられないって言ったのはアンタだろ。だから行くよ、俺」
「待っ――」
義体の手が生体の手を取る。火炎放射の熱に当てられた循環水が熱く巡る身体に、ナギの手はひやりと冷たく感じて心地良かった。
――FLUG OUT
拡張視界に半透明の警告文言が大写しになる。
ヴン、と腹に響く音が空気を震わせ、青い閃光が弾けた。壇上によじ登ろうとしていた人格コピーを含めて、礼拝堂前方にいた義体が一斉に動きを止める。手を取ったフォルテが引き攣った顔で瞬きをしたのを見て、ひゅう、とナギが口笛を吹いた。
「電磁パルスさいっっこう!! やるねぇ範囲カンペキじゃん!」
『そりゃどーも! 低出力なんでそんなに持ちませんよ、早く!』
「はいはい……っと!」
もはや声にならない電子音を上げながら突っ込んできた義体フレームを蹴り飛ばして、ナギは檀から飛び降りた。手を強く引かれたフォルテがたたらを踏みながら後に続く。糸が切れたように静止している義体の間をすり抜けて走っていると、前方で再び電磁パルス榴弾の青い閃光が迸った。
シエロとハイドラの周りだけ動きを止めていない義体がじりじりと二人を取り囲む輪の中に、ナギが躍り込んだ。
「ここだけずいぶん賑やかだねぇ、シエロ!」
「あのですね、ここまでEMP撒くと私も動けなくなるんですよ!!」
「分かってる分かってる。そんじゃ蹴散らさせて貰いましょーか!」
お互い武器を構えたまま睨み合っていたバランスを、ナギのショットガンがぶち破った。至近発射を受けた義体が後方に吹き飛ぶと同時に散発的に銃声が響く。ハイドラの身体を包む若草色の布地が弾けた。
「あ……アザトゥス様……」
ワンピースのふんわりとした布地を突き破って無数に生えた触手が、弾丸を残らず掴み取っている。その鮮やかな肉の彩に、恐怖と畏怖の入り混じった声があちこちから上がった。取り囲む人々の間から急速に敵意が消えていくのを感じたナギが銃を降ろす。
「あ、あなた様は一体……」
呆然とした様子で呟いた義体の持つハンドガンを、ずるりと伸びてきた触手が優しく奪い取った。見せ付けるように肉が黒光りする金属の塊を覆い尽くし、眼前でみし、と軋む音に義体がびくりと身体を震わせる。
ごぎ、めき、ばき。鈍い音を立ててハンドガンを触手で握り潰しながら、触手の先にいるハイドラは黄金の瞳を昏い感情に染め上げて微笑んだ。
「僕は破滅に向かって歩いているだけのただの化け物ですよ。この身がさっきのアダムさんのようになる日も近いでしょう」
そう言って背を向けた少女の姿をした少年を、立ち竦んだ義体たちは誰も追いかけなかった。




