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黎明のアヴィオン - 第13調査大隊航海記  作者: 新井 狛
第四章 生命の檻と復肉教
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第8話 密航者 ①

「ねぇハイドラ君。少し背が伸びた?」


 ラウンジで甘いコーヒーを啜りながらくつろいでいた時の事だった。お代わりを淹れようと立ち上がったハイドラにクピドが言った。

 木星最大の衛星であるガニメデの防衛軍基地に寄港してから、二週間が経っている。ここの所アサクラがアステロイドベルト戦で四肢を失ったクルーに義肢をあてがう作業に追われ、やたらと忙しそうにしているせいで二人は暇を持て余していた。


 立ち上がったハイドラは、コーヒーサーバーに向けかけた足を止めて振り返った。


「そうかな? 自分じゃあんまり実感がないかも」

「そうだよ」


 クピドがするりと立ち上がる。カップの底に少し残った、ミルクの色が強いコーヒーが揺れた。


「やっぱり。最近なんか目線が合わないなって思ってたんだよね」

「そんなに近付いたら危ないよ」


 額の前にカップを持っていないほうの手をかざして、口付けできそうな距離まで顔を寄せたクピドをハイドラは慌てて押し返す。伏し目がちな金の瞳がうろうろと彷徨って、カップの中身に目を付けた。


「ええと……クピドもお代わり、いる?」


 クピドは軽く肩を竦めて、カップの中身を飲み干した。


「お砂糖3個入れてね。フォームドミルクでふわふわのやつがいい」

「はいはい」


 差し出されたカップを受け取って、ハイドラは踵を返した。サーバーにカップをセットして待つ。機械が豆を挽き始め、コーヒーの香りが鼻をくすぐった。

 抽出を待つ間、ハイドラの手が所在なさげに赤錆色の髪を弄ぶ。ソファに身を沈めたままそれを眺めていたクピドが、乱雑に切られたその毛先を見た。


「まだ自分で切ってるの? 理容室あるんだから行ったらいいのに。持ち回りだけどみんな上手だよ」

「うん。3日に1回は切らないと目に掛かってくるんだ。そんなに頻繁に行くのもなんか申し訳なくて」


 こぽこぽと淡い水音がコーヒーを注ぐ。くるくると指に巻き付いていた赤毛が、離れてストンと落ちた。


「せっかく綺麗な髪なのに」


 ぽつりと小さく呟いたその声は2杯目の豆を挽く音にかき消され、かろうじて発声の事実だけを聞き取ったハイドラが振り返って首を傾げた。


「ごめん、今何か言った?」

「んーん」


 クピドは視線を逸らすと、ソファの上に足を上げて膝を抱え込む。剥き出しの膝の上に頬を乗せて、コーヒーの抽出される音にゆっくりと耳を傾けた。砂糖を水面に落とす音とそれを混ぜるカチャカチャという音がそこに重なって、一口コーヒーを啜り込む音が鼓膜を撫でる。


「はい」


 しばらくそうしていてぼんやりとし始めた意識を、ハイドラの声が揺さぶった。差し出されたカップを受け取る。


「ん、ありがと」


 ソファから足を降ろしたクピドの横に、拳一つ分の距離を空けてハイドラがぽすんと腰を降ろした。しばらく二人で甘いコーヒーを啜る。ややあって、カップに視線を落としていたクピドが顔を上げた。


「ねぇ、髪。わたしが切ってあげようか?」

「え?」


 黄金(きん)の瞳が瞬いた。少女の同じ色の瞳は、真っ直ぐに少年のそれを射抜いている。


「どうせ最近暇でこうやって毎日お茶してるんだもん。それならその時間を有効に使ったほうがいいかなって」


 ふ、と少年の表情がやわらいだ。

 

「ありがとう。……クピドは優しいね」

「ふふーん。わたしはお母さんの記憶をぜーんぶ持って作られた原型(オリジン)だもん。ハイドラ君よりずうっと大人なんだから!」

 

 それなのに身長だけそんなに伸ばしてぇ、と頰を膨らませたクピドの姿はその言葉とは裏腹に子供そのもので、ハイドラは大人びた表情で微笑む。感情に素直なクピドが少し羨ましかった。経過時間が他人と異なるこの体は、日ごとに子供という属性から乖離していくように感じる。


 ぷっくりと膨らませた頬にはフォームドミルクの泡がついていた。取り出したハンカチでそれを拭ってあげようと手を伸ばした時、にわかにラウンジの外でバタバタと何人もが走り回る音が聞こえてきて二人は顔を見合わせた。


「そっちに行ったぞ!」

「あー畜生すばしっこい! こらキミ、待ちなさい!」


 ソファ脇の小さなカフェテーブルにカップを置いて、ハイドラが立ち上がる。不穏な会話に眉をひそめて外の様子を見に行こうとした少年の脇を、小柄な影が走り抜けた。


「わっ!?」


 驚いたハイドラの声に、ラウンジの外の「あれっどこ行った?」「また見失ったんか!?」という大人たちの焦った声が重なる。


「ハイドラ君、あそこ!」


 ラウンジの奥の備品棚の陰にこっそりと身を潜めようとしている小柄な人影を認めたクピドが声を上げた。チッ、と舌打ちする音がして小柄な少年が飛び出してくる。ハイドラの足が床を蹴った。


「あっ、畜生なんだよテメー! 離せよ!! 離せってば!!」


 年の頃は12、3といったところだろうか。自分よりわずかに背の高い少年をがっちりと抱え込んだハイドラは、目つきの悪い三白眼で睨みながらジタバタと暴れるそれを困ったように見つめた。


「ええと……どうしよう?」


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