5話目 M13
私は宇宙人と交信している。
その宇宙人は単なる地球人であり、単なる宇宙バカだ。本当に、間違いなく、迷うことなく、宇宙バカだと断言できる。ついでにその宇宙人は宇宙語まで操れる。……単なる悪筆で解読不能なだけだが。
元々間違いメールから始まったその交信は、半年ごとの本当にたまにある繋がりだった。
それが、何の因果か、大学に入り宇宙人と遭遇することになってしまった。完全に巻き込まれた形で。
でも、その宇宙人とはまだお互いにきちんと名乗ったこともないので、宇宙人には私がその交信の相手だとはばれてはいない。宇宙人とは勉強の話しかしたことはないので、ばれる要素もない。ばらす必要も感じないので、きっとずっとそのままだと思う。
その宇宙人との交信が始まったのは高校一年の春だった。まあ、その時は地元にいたわけで、まだ男女交際の何も知らぬピュアな時だった。
……言っちゃなんだが、今のところ男女交際をかじったことはあるが、手を繋ぐのがせいぜいで、まだピュアだと言っていいだろう。
そのピュアな男女交際の思い出がいい思い出かと言われれば、そんなことはない。
ものすごく苦い思い出で、半年経ってようやく消化できたようなものだった。それに宇宙人との交信は役に立ったわけだ。
その苦い思い出は風化した、はずだった。
「久しぶり」
ものすごく当たり前のように笑顔で声を掛けられて、驚かない人がいたら教えて欲しい。
確かに地元の駅前のショッピングモールで、誰がいたっておかしくはない場所ではあったけど、それでもこんな確率で会う可能性など必要はなかったのに。
電車を降りて一瞬だけ体験したあの暑さを和らげる冷房がよく効いた建物内だというのに、快適だと思った気分は一瞬でぶち壊された。
自分の成績が彼女である私に劣ったからということと簡単にキスをさせてくれる女子の出現にキスもさせてくれなかったから、という何とも自己中な理由で私を振った元部長が、たまたま同じ本屋にいたというだけで近づいてきたのだ。
お盆には帰省するものだ、との固定概念で実家に帰ってきたのを後悔したのは間違いない。何せ今まさに駅に着いて、家に帰る前に本屋に寄ってみただけなのだから。
本来ならこの場所は私のテリトリーではない。地元での私のテリトリーは主に図書館。私が読みたい本は高価すぎて自分では買えないものが多々あったからだ。
私は気付いた時点でスルーするつもりだった。苦い思い出を思い出して気まずい気分になってしまったのは、完全に風化しきれていないと言うことなんだろう。それに対して元部長はスルーだってできるはずなのに、よく気軽に声を掛けられるものだ!
その苦い出来事があったのは、丁度一年くらい前の話だ。三年前とかならまだあるのかもしれない。でもたった一年前だ。元部長の頭の中ではどれだけ月日が過ぎるのが早いのか。
私が元部長の立場だったら気まずくて話しかけるなんてできない。
「え? 久しぶりに会ったから、ドキッとしてる?」
私が答えずにいることに、元部長が勝手な解釈をつけた。それは間違いだ。元部長がこんなに軽率で厚顔だったことに、ある意味ショックを受けている。
一年前の……いや元部長と付き合いだす前の二年前の私よ、この元部長のどこを好きになったのだ。まあ、文化祭と言うフワフワした空気に流されたのも一因だったが、それだけでもなかったはずだったのだ。
「変わったね」
少なくとも、私が思っていた元部長とは違う人間がそこにいる。
「大学生になったんだから変わるでしょ」
私の知っている元部長は私と同じフィールドに立つ人間だった。つまり、地味。
だけど、元部長が私を振った翌日から堂々と付き合い始めた相手は、私と違うフィールドの人間だった。つまり、派手。そのせいなのかどうかは知らないが、元部長のフィールドも私と違うフィールドになってしまったようだ。
「そ。じゃ」
そもそも元部長との会話の必要性など感じてもなかったが、それ以上の会話の必要性も全く感じなかったため、あっさりと別れの言葉を伝える。
「ちょっと待って」
そう言って私の手を握ってくる手は、どこか冷たい人間の暖かみのない手だった。
「待つ必要を感じないんだけど」
私の返事に、元部長はクスリと笑う。それはとても嫌な感じで、今までもモヤモヤとしていた心の中が嫌な気分に支配される。
「ここで会ったのも何かの縁だから、飲みに行こうよ」
それは腐れ縁という割にどうでもいい縁だと思う。
「嫌だ。それに私たち一応未成年なんだけど」
まるで私に断られることがないだろうとの自信でもあったのか、元部長が驚いたように目を見開く。
「相変わらず固いのな」
“相変わらず”と言う言葉が何を示しているのかが嫌でもわかって、心がすっと冷える。
「異星人と話してるみたい」
普通なら宇宙人と言うところだろうが、私にとっての宇宙人は完全に固有名詞になっているので、異星人という言い方をした。それに私の言ってる宇宙人は、地球人だし。
「は?」
私の言いたかったことは、元部長には全く理解されなかったようだ。まあ、元部長に理解を求めているわけでもないから、別にいいんだけど。
「何を話しても通じないってこと。そこに時間を費やす意味を全く感じない」
でも私が元部長にわかりやすく説明した言葉は、元部長にも理解できたようで、ムッとした表情になる。
「俺が振ったから怒ってるんだろ」
まあ、あの時怒っていたかいなかったで言えば、怒っていたのかもしれないが、どちらかと言えばショックの方が大きかったから怒りの感情なんて思い出せもしない。でもそれでOKが出るなら怒りの感情を認めることなど簡単だ。
「ま、そういうことで」
「……いいだろ、水に流せよ」
これでも駄目なのか。それに水に流せよって、怒らせた本人が言う言葉?
「むしろ二度と会いたくないんだけど」
目を細める私の言葉に、元部長がふ、と笑う。それが昔私が好きだと思った笑い方と変わらないことに、哀しい気持ちになる。
「それだけ好きだったってことだろう?」
「だからどうした」
即座に反応した私に、元部長が驚いている。
……こんな反射神経は、一年前にはなかったかもしれない。この数か月で宇宙人とその仲間たちにより鍛えられた能力であることは間違いない。考えるよりも先に反射的に突っ込みの言葉がするりと出せる能力は、あの三人との掛け合いで必要な能力に違いないからだ。
「……だって好きだったから……」
私の“だからどうした”という言葉に上手く返す言葉を思いつかないらしく、元部長が言いよどむ。
「確かに好きだった。それで?」
「だから……俺に会えて……」
「あんな別れ方しといて、元カノに会えて嬉しかったと思えるなんて、きっと今幸せなんだろうね」
そうでなければ気まずいだけだと思う。
「俺は別に嬉しいとか……」
「ないなら声なんて掛けないで」
「でも前付き合ってたんだから……懐かしくもなるだろう?」
「あ、一つ訂正。異星人の方がよっぽどお互いにコミュニケーションを取ろうとするだろうから、元部長よりマシ」
元部長につかまれた手を振りほどくと、それはあっけなく振りほどかれた。あっけにとられた元部長を放置して、私は本屋から出た。
ああ、早く家に帰ろう。本屋なんかに寄るんじゃなかった。
最後に元部長の名前を呼ばなかったのは、私なりの意地だ。天文部の元部長なんだから、呼び方が間違っているわけでもない。
*
『え、元部長に会ったの?』
電話の向こうで驚きの声をあげたのは、メガネっ子だ。明日会う約束があってどこで会おうかという話と元部長に会った話を文字にあらわすのがまどろっこしくなって電話をかけた。
「うん。何と言うか……変わったね」
メガネっ子は元部長と同じ大学に行っているはずで、だから知っているかと思ったからそんな言い方をしたんだけど、メガネっ子はつまらなさそうな相槌しか打たなかった。
『学部違うから見かけた記憶はないけど、高校の頃と変わったって言うんなら、見かけても気付いてないかもね』
「そうかも。私も苦い思い出がなければきっと気付いてない」
好きだった、という過去があったから元部長に気付いたんだと思う。元部長は高校時代に私服で会った時の服装とは違っていたし、別人かも、と一瞬思ったのだ。本人だったし絡まれたけど。
『でもあの二人は別れたらしいよ』
伝えられた事実に、私は哀しいとも腹立たしいとも何とも言えない感覚を得る。いうなれば虚しさと言うか。
「まあ、そうでもなければ、元カノを飲みに誘いはしないだろうね」
それは想像できた話で、メガネっ子に言われてあっさりと納得できた。
『ま、そうだよね。あの彼女と付き合ってて尚飲みに誘うなら、キチクだね』
やはりメガネっ子は私とあんな別れ方をした私の元部長に怒りを抱いていたんだろう。その言い方がとても皮肉げだ。
「で、私の元部長を見てもないのに、何でそんな話知ってるの?」
どちらかと言えば、怒りは抱いていても、元部長に対する興味は薄そうなメガネっ子に、どうしてそんな情報を手に入れることができたのか、不思議だった。
『あ、別れたとかの話は、卒業する時だよ』
「……なるほど。だから知ってるのか。お気遣いどうも」
『だって、ようやく吹っ切れたみたいだったし、他県に行くのもほぼ決まってるしで、元部長情報なんてどうでもいいでしょ?』
どうやらそれはメガネっ子たちの気遣い、ではなく、単にもう興味もなかろうと放置された情報だったらしい。
「確かにどうでもいいかも」
もし私がまだ元部長に気持ちを残しているのならば、一喜一憂する情報なのかもしれないけど、一喜したいとは思えないこの感情は、元部長に対する恋心が既に風化したことを示している。
『お、言い切る当たり、微塵も未練はないと見える。よきことかな』
「ご心配どうも」
『それとも何かい? 新しい恋の予感でも?』
「恋の予感? そんなものないよ」
即答できるくらいには、そんなものは存在しない。
『行ってる学部って男子率多いんでしょ?』
「おぬし、同じ高校に半分は男子いたけど、彼氏はできたかね?」
『できないねぇ。……ま、男子が多いからってモテモテになるわけでもないよね』
こんなことを揶揄ったって、彼氏がいなかったことを気にしていたり怒りだすような友達じゃないと知っているから言えることだ。
こんなこと同じ学科のあの女子集団に問いかけたら集団ヒステリーを引き起こすかもしれない。
「そういうこと」
それに何より、私はいずれ消えてしまうかもしれない彼氏の存在よりも、もっと長く深く付き合える友達を作りたい。
『ま、そんな腐った元部長の話なんてどうでもよくて、明日はどこで会う?』
こうやっていつ連絡とってもほっとするような友達が、大学でも欲しいと思うのは、欲張りなんだろうか。
*
「うーん、外れ、大外れ」
暗い部屋の中から出ると、蛍光灯の光がまぶしくて目を細める
「え? 面白かったよね?」
メガネっ子とは、とりあえず映画を見ることになった。ちょうど宇宙を描いた映画がやっていたから。ただ私が想像したものとは違っていたけど。
「どこが?」
「えー、純愛って感じが?」
確かにメガネっ子は泣いてた。私の見てるところが人と違いすぎているんだろうけど。
「……なんかロマンが足りなかったよね」
「出た、ロマン」
「だって、フィクションで宇宙を描くなら、ロマンが必要でしょ」
はぁ、とメガネっ子が首を横に振る。
「出た、ロマン」
「ちょっと、他に言うことないの」
「だって、この映画の売りは純愛であって、ロマンじゃないの!」
「宇宙描いてるのに?」
「出た、宇宙バカ」
「そうだよ? 何か悪い?」
「……普通に映画を楽しもうよ。何で宇宙の描写が正しいか、もしくはそうかもしれないと思わせてくれるロマンがある描写じゃないと許せない、なのよ。今日の映画はこれでいいの。ロマンがなくったって、宇宙の描写が出鱈目だって、あの二人の純愛が貫けたことが正義なの」
なんだかんだ言いながらも、私が宇宙に関する映画を見たいと言うとついてきてくれるメガネっ子は神かもしれないと密かに思っている。同じ天文部の愛犬家ですら早々にリタイアしたけど、メガネっ子だけは付き合ってくれているのだ。やっぱり神に違いない。
「純愛は正直どうでもいい。あのありえない宇宙の描写にドン引きした」
それでも、メガネっ子に同意することなどできない。
「田崎」
呼ばれた名前に、ぎょっとする。
私の後ろから呼びかけた人間の顔をしっかりと見つめているメガネっ子の顔は、すぐに歪んだ。、その表情を見なくても誰なのかは分かった。だって昨日会ったばっかりだから。
「行こう」
ここまで腐った縁が続かなくてもいいと思うんだよね。
でも、元部長のこの映画のセレクトは、やはり元々の天文好きからくるものなんだろうか。
「田崎でもこんな映画選ぶんだな」
懲りずに私に話しかけてくる元部長に、私は表彰してやりたい気分になった。
「こんな映画?」
振り向けば、元部長が隣に女子を連れて立っている。
……なぜ話しかけてきたんだ。どうりでメガネっ子の顔が歪むわけだ。元部長がしたいことの意味が分からん。
「ああ、こんな純愛物の映画とか興味ないのかと思ってた」
元部長の推測は全く間違ってない。私は純愛などに興味のかけらもない。だが言いたい。
「純愛なんて自分はできそうもないから、あこがれるんだね」
なぜメガネっ子が私のセリフを取った!?
まさに今私が言おうと思ったことをメガネっ子が口にした。
「な、に言うんだよ! 俺は誠実……だからね?」
元部長が慌てた様子で隣の女子に言い募る。
「口では何とでも言えるよね。昨日も飲みに誘って来たじゃない? じゃ」
メガネっ子はそれだけ言うと満足したのか、私の腕をつかんで外への道を急ぐ。
「……ありがとう」
私を引っ張るその背中に、小さく感謝する。
「いんや。しかし、あの元部長、翌日にデートの予定がありながらよく元カノを飲みに誘うね。キチクだ」
呆れた様子で首を振るメガネっ子は、早足で映画館を出ていく。
映画館の外は暑さがぶり返して、その蒸し暑さが不快なはずなのに、さっきのやり取りの不快さと比べれば、じりじりとする太陽の熱と入道雲が立ち上る空の青さが救いに思えた。
「言いたいことすべて言ってくれてありがとう。確かにキチクだね。苦い思い出が更にズタズタにされたような気もするけど、案外気にはならないもんだ。」
「あれだけ突き抜けてれば、呆れはててどうでもよくなるんでない?」
メガネっ子の説明に納得しつつも、ちょっと違うんだよね、と思う。
「なるほどね。でも苦い思い出だからズタズタにされてももうどうでもいいのかも。これがキュンとするような終わり方してたらショックだったかもしれないけどね」
「付き合っててふられた時点でキュンとする思い出になりようもなくない?」
ないない、とメガネっ子が手を大袈裟に横にふる。それに合わせるように、セミが合唱を始める。
「えー。ほら転校で離ればなれになって泣く泣く別れるとか」
青空を見上げながら、どこかで見た少女マンガの設定を述べてみる。
「離ればなれになって別れるならそれまでの気持ちだったってことでしょう。遠恋でも続く人は続くよね」
「なんてドライな」
「結局さ、距離を言い訳にして自分の都合のいいようにしたいだけでしょ」
「なんてドライな」
「現実にロマンスなんてないのよ」
えっへん、とでも言い出しそうなメガネっ子に疑問を覚える。
「さっき純愛だって泣いてた人誰だっけ?」
泣いてたのついさっきだよ?
「あれはフィクションだからあり得るの! 私が言ってるのはノンフィクションだからね」
「なんてドライな」
「ほら、他にある?」
「……会えない外国に……」
「却下」
「異世界に……」
「全否定」
「宇宙に……」
「無に帰れ」
メガネっ子に否定され続けるのも癪で昔読んだ恋愛ものの何かを思い出そうと入道雲をたどると、ふいに天啓がひらめいた。
「あれよあれ、身を引きますってやつ!」
「あー。……サキミと元部長の間にそんなことあり得る?」
「……ないね」
だろうね、とメガネっ子が肩をすくめた。
*
お風呂から上がり、寝ようと思ってその前にスマホをチェックする。
メールの着信があって、それは何と宇宙人からだった。
私は驚きのままメールをタップする。送られてきたのはM13の画像だ。見覚えがある。
それはそうだ、一番初めに宇宙人から送られてきた画像が確かこの画像だったからだ。
私からのメールに宇宙人から返信があるがいつもの流れだけど、今回は私がメールを送っていないのにメールがあったことに驚いている。何でだろうな、と思いつつ、宇宙人がこの画像を送ってきた意図を考える。
……初心に戻れ?
宇宙人の意図はよくわからないまま、ふと、今日の出来事と繋がって、元部長と接近した頃合いにもらった画像って何だっけ、と思ってしまった。別に元部長のことを考えて感傷的になりたくなったわけではなくて、純粋に何の画像をもらったのか気になっただけだ。
気になって残しておいた宇宙人からのメールを見返す。
一年前には……いや、高校の三年に上がる前には、楽しそうに嬉しそうに宇宙の話をしていた元部長が、いつの間にか宇宙の話を楽しそうにする姿が減っていたことに、私は目を逸らしていた。そして別れが来た時には、もうその姿はなくなっていた。別れは突然のようでいて、実はひしひしと私に近づいてきていたものだった。
今日の様子からしても、もう元部長は宇宙の話を嬉々とする人間ではなくなったのだ。
今日私にもたらされた喪失感は、元部長が私に対する恋愛感情を云々という部分では全くなくて、あの楽しそうに嬉しそうに宇宙の話をする宇宙バカが一人この世から失われてしまったことに対する喪失感だ。
あ、と思う。外れだった。そこに添付してあったのは、ブラックホールの画像だった。
じゃ、メシエが添付してあったのって、どれだ? そう思いながら宇宙人のメールを確認していくと、高校時代のメールにM22とM21があった。でも、大学に入ってからの宇宙人のメールには、太陽とハレー彗星が添付してあるだけだった。そうか。大学生になってから私が送ってるだけだったんだな。
はて、と我に返る。
何で宇宙人のメールの画像を探してたんだっけ? あ、宇宙人がメールを送ってきたからだ。しかも一番最初に送ってきた画像を。
さて、どんな意味なんだろう?
……単なる、宇宙からのメッセージ?