15話目 オリオン座流星群
私は宇宙人と交信している。
その宇宙人は単なる地球人であり、単なる宇宙バカだ。求愛行動に宇宙の画像を使うような宇宙バカだ。
そんな宇宙人との元々間違いメールから始まったその交信は、本当にたまにある繋がりだった。私が進学した大学に実はその宇宙人がいて、そのメールだけの繋がりは続いたまま、私は宇宙人と知り合いになった。
そう、単なる通信の相手で、単なる越えるべきライバルで、単なる先輩だったはず、なのに。
気の早い星が流れないかと夜空を眺めていたら、母方の祖父の危篤を知らせる電話がかかってきた。
早く帰らなきゃ、と焦る。でも既に新幹線の最終には間に合いそうにもないし、この近くに親戚もいないで、朝イチの新幹線まで私にはどうしようもないと理解はした。理解はしたけど、気持ちはざわめいている。
父方母方の祖父祖母は皆健在で、こんな場面になるのは、私の人生では初めてだった。
母方の従兄弟たちはほぼ男で、母方の祖父には特別可愛がってもらった記憶がある。だから、私も母方の祖父になついていた。だけど、大学生になって地元を離れてから足が遠のいた。いつでも会える、そう思ってたから。
でも、いつまでも当たり前のようにそこにいる、なんてことがあり得ないってことは考えれば分かることだ。
明日の朝が早いことを考えれば、もう寝た方がいいことは分かっている。でも、不安で興奮してしまった気持ちが、眠りに至らない。
こんな時に星の本でも読めば落ち着くんじゃないかって、開いた本の文字は、私の頭の中を上滑りして、少しも入ってくることがなくて、私は諦めて本を閉じた。
誰かと下らない話をしたら落ち着くかな、と思った時、なぜか宇宙人の顔が真っ先に浮かぶ。
多分、今までの関係性で下らない会話を一番できる相手は、宇宙人くらいしかいないし、と私は自分の思い付いた相手が正解なんだと理由をくっつけて、宇宙人に電話を掛けた。
『もしもし?』
聞こえた声に、私は何を言っていいのか分からなくなって開きかけた口を閉ざす。
『実明?』
呼びかけに、答えなきゃ、と口を開く。
「せ……んぱい」
その声がかすれた。
『実明? どうかしたか?!』
宇宙人が焦ったような反応を返してきて、失敗した、と思う。いつものような下らない話をしたいはずだったのに、どうしてあんな声を出しちゃったんだろう。
「何でもないですよ」
心配の必要がないと言いたくて、私はいつも通りに答えたつもりだった。
『今どこにいる?』
「家、ですけど」
『何かあったんだろ。行くから』
「いえ、何でもないんです」
流石に私も焦る。心配をかけたかったわけではなかったから。
『何でもないって声してないだろ』
でも、宇宙人にはバレバレだったみたいだ。
『どうした?』
その、凪いだ宇宙人の声に、心配が潜んでいる。私は滲んできた涙を抑え込むように、細くため息をついて口を開く。
「おじいちゃんが……危篤だって言われて」
『実明のおじいちゃんちはどこ?』
「T市なんです。今から行く方法って、何かありますか?」
今行けないことを諦める理由が欲しかった。
『迎えに行くから待っといて。あと、病院の名前聞いといて』
「え?! 何言ってるんですか!?」
まさかの提案に驚く。
『車出すから』
「え?! 車?」
宇宙人が言う車がどこから出てくるのか分からなくて、つい聞き返す。この時間、レンタカーだって借りるのは無理だと思う。
『天体観測に行ったときに、車があると便利だなと思って、中古だけど買ったんだよ』
これまた予想外の答えに驚く。そんなこと宇宙人の口からは聞いてもなかったから。でも、一つだけはっきりしているのは、そんなつもりで電話したわけじゃないってことだ。
「いや、いえ、いいです! そう言うつもりで電話したわけじゃないですから」
こんな夜更けに、二時間はかかるだろう道のりを車を出してもらって何かがあったら、その方が申し訳ない。
『俺がいいって言ってるからいいの』
私がダメな理由を言い募ろうとしたら、電話は一方的に切られてしまった。その後何度電話しても、宇宙人は出てくれなかった。
*
ピンポン、とチャイムが鳴って、私は困った気分でドアを開けた。……断るつもりでパジャマを着たままだ。
「行くぞ」
有無を言わせない様子で宇宙人に手を取られて、私は首を横に振る。
「いいんです。せっかく来てもらったけど、もし最後に会えなくても、それが運命だと思うんで」
宇宙人が来るまで考えてみたけど、私が出した答えはこれだった。皆が皆、最後に立ち会えるわけでもない。だから、もし私が祖父の死に目に会えなくても、それが運命なんだと思うのだ。
「何言ってるんだよ。運命は自分で作るんだよ。ほらいくぞ」
運命は自分で作る。その言葉にドキリとしないわけじゃない。でも、やっぱり私は宇宙人の好意をそのまま受け取ることはできないと思った。
私にはメリットしかない話だけど、宇宙人には何もメリットがない話だからだ。
「いえ。こんな夜中に電話してすみません。心配してきてくれてありがとうございます」
私はぺこりと頭を下げる。そうして、宇宙人のその好意を受け取れないのだと示した。
「俺に無理やり連れて行かれるのと、着替えて自分で行くの、どっちがいい?」
私が拒絶したのに、宇宙人は飄々とそう言ってのけた。
「いや、それ……」
私は信じられない気分で宇宙人を見つめる。
「今夜中だからな。ギャーギャー騒いだらうるさいだろうな」
その言葉に私はハッとする。玄関先で騒がれて困った出来事があったのを思い出したからだ。
「ああ、大家さんが来るかも。ケイスケ先輩中に入って下さい」
以前、偽勇者が家のドアをドンドン叩いてたら、心配した大家さんがやってきたことを思い出して、焦りつつ宇宙人を家の中に招き入れる。私は困った表情のまま部屋にいる宇宙人を見上げた。
「わざわざ来てくれてありがとうございます。でも……」
「でもじゃない。実明はおじいちゃんに会いたくないのか?」
会いたいに決まってる。でも、誰かに無理をさせたいわけじゃない。
「でも」
「会いたいんだよな? なら、行こう。こうやってうだうだ言ってる時間が勿体ない」
私がまだ言い募ろうとしたのを、宇宙人はそう一喝して飲み込ませた。申し訳ない気分のまま頭を下げる。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせてください。……すぐ着替えるんでちょっと待っててください」
宇宙人が明らかにホッとする。それだけ、私を心配してくれているんだろう。着替えるために内ドアを閉めた私は、宇宙人の優しさに涙が滲んだ。
「こんな時間にすみません」
闇夜がライトに照らされるのを見ながら、私は何度目かになる謝罪の言葉を口にした。
「いいんだよ。俺がいいって言ってるんだから。もう謝るなよ」
「でも……」
そう言われても、謝る気持ちを止められそうにもなくて、私は気を落ち着けさせるために着ているパーカーのひもをくるくると指に巻き付けた。
「次言ったら……そうだな、一回ごとに、実明が手料理を俺に振舞う、でどう?」
「な、何ですか、そのペナルティ!」
「えー。だって実明は俺に申し訳ないって思ってるわけだろ。だったら、それくらい簡単だろ? 一人分も二人分も作るのそんなに変わらないだろうし」
「……もう言いません」
私がムッとすると、宇宙人からクスリと笑いが漏れる。
「そうして」
宇宙人は私に気を遣わせないためにからかったのだと、嫌でも分かる。また滲んできた涙を紛らわせるように、ふー、と息をついて、背もたれに体を預けた。宇宙人にはかないそうにない。
「着いたら眠れないかもしれないから、ちょっとでも寝ろよ。後ろに毛布あるから」
あっさりと告げた宇宙人に、私は “はい”と返事ができそうになかった。
「ケイスケ先輩が起きて運転してくれてるのに、寝るなんてできません!」
「いいから。そもそも俺は、既に仮眠してるし、今の時間起きてる予定だったの」
私は理由が分からなくて不思議な気持ちで宇宙人を見る。
「オリオン座流星群だよ」
宇宙人の言葉に、あ、と声が漏れる。危篤の知らせがなかったら、私も見ようと思っていたんだった。今日がピークで、そのピークの時間はこの後のはずだった。
「ケイスケ先輩ごめんなさい」
私が謝ったのに、宇宙人は笑った。
「手料理一回、な」
「え、だって……。謝るしかないじゃないですか!」
「見れなかったら見れなかったで別にいいんだよ。そんなことより、実明がおじいちゃんに会えることの方が大事だからな。むしろ仮眠しててよかったよ。こうやって運転するのに不安がないから」
宇宙人と視線が合って、その目がひどく優しいことに気付く。
「ありがとうございます。……でも、ごめんなさい」
「ほら、手料理二回な」
「作りますよ。お礼としたら、手料理二回くらいじゃ足りないくらいじゃないですか」
手料理で宇宙人がいいって言うんだったら、何回だって作ってもいい。それくらい感謝の気持ちはあふれている。
「流星群のピークは多分、あっちに着いた頃だと思うから、あっちで見てみるつもりでいる。ほら後ろに双眼鏡とかテントとか転がってるだろ。準備は万端。むしろ、いつも行かないだろうところで見るからワクワクしてるくらいだけど」
私は後部座席を覗き込む。確かにそこには名前の挙がった道具が並んでいるし、その宇宙人の言葉が全くの嘘ではないとも感じられた。私に気を遣わせないようにそう言ってくれているのだと、それくらいは分かる。
「流石宇宙バカですね。……って言うか、あんな短時間で良くここまで用意しましたね」
だから、私はいつものような軽口をたたいた。それが、宇宙人が与えてくれる優しさを正しく受け取る方法な気がした。
「車買ったときに、いつ行くか分かんないからと思って全部積んどいた。正解だったな」
「用意周到すぎますよ。で、実際星を見に行ったのって?」
本当は電話でこんなやり取りをするつもりだったのに、私の地元に向かう車の中でこんなやり取りをしているのも不思議な感じだ。でも、間違いなく気は紛れる。
「今回が初。だからようやくこの道具が使えて、俺的にも万々歳なわけ」
「流石宇宙人」
するっと言葉が漏れる。あ、と思ったけど、宇宙人はニヤリとしている。
「あれ、もう五年くらい前の話になるのか?」
んー、と私は指を折る。そうか、もう五年前になるんだ。
「……そうですね。私のスマホに謎の宇宙人の電波を受信したのは、五年前ですね」
あの当時はさっぱり理解できなかったメールだけど、今となってはよく理解している。
「あの時、何でメール返してきたわけ?」
素朴とも言えるその質問は、今の今まで宇宙人からされた記憶はなかった。でも、改めて聞かれると、私は首をひねる。
「え? 単純に面白かったから、ですかね?」
「なるほど。もう変なメールに返信するなよ」
送ったはずの当人が苦笑する。
「それは流石に大丈夫ですよ。でも、あのメールがなければ、今この大学にいなかったでしょうね」
私が何の気なく言った言葉に、宇宙人が、え、と声を漏らす。
「……それって、俺のメールがきっかけで、宇宙バカになったってこと?」
「えーっと……。あれ、言ったことありませんでしたっけ?」
私は首をかしげた。
「前に聞いた時、何となく興味があって天文部に入ったって言ってただろ?」
プラネタリウムで会ったときだったかな、と宇宙人が続けた。。
「それはあれです。まだ私が”みはる”だとばれてなかったから、ばれないように細心の注意を払った結果です」
「そう言えば、何でばれないようにしてたわけ? 最初に話すようになった時に言ってくれて良かったんじゃないかと思うんだけど」
その話も、具体的に掘り下げられたことはなかったな、と思う。そこまで考えて、宇宙人と二人きりで長時間いるのなんて、初めてかもしれないと思う。
いつぞやプラネタリウムで遭遇したことはあったけど、あの時はそもそもほとんど話すこともなかったし。
「単に傍観者でいたかっただけですよ」
私は誤魔化す必要も感じなくて、正直に答えた。
「傍観者?」
「そうです。……だって、私のメールを受けた後のケイスケ先輩とシロー先輩の掛け合い、面白かったんですもん」
「俺らは見世物か」
呆れたような表情の宇宙人と目が合う。
「まあ、そうなりますね」
それ以外の真実はなく、私は頷くしかない。
「……そうか、だからあの時期、星の画像ばっかり送ってきたのか」
「でも、タケノシンがそれぶち壊したんです」
「……ああ、志朗が“勉強教えようか”って言い出したからな」
宇宙人もあの時のことを思い出したみたいで顔が笑った。
「関わらないようにって思ってたのに、何で巻き込まれちゃったんだろうな」
そう呟いて、息を吐く。気が付けば、こうやって車の助手席に座るような関係性にまでなった。不思議な縁だと思う。それがたった一つのメールから始まっただなんて、誰が思うだろうか。
あふ、とあくびが漏れる。あと一時間ちょっとと、カーナビは到着時刻を示している。
寝ないようにしないと。そう気合を入れたつもりだったのに、いつの間にか私には眠りが落ちてきていた。
*
「山は越えました。ですが小康状態ですので、まだ予断は許さない状況だと思って下さい」
病室から出てきた医師が、母たちに説明しているのを聞いて、まだ、とは言われてもほっと息をつく。
私が病室に入ってきたのを驚いた様子でいた母たちだったけど、直後に鳴り響いた異常を知らせる音に、病室は一気に騒がしくなり、治療の妨げになるだろう私たちは病室から出された。
忙しなく出入りする看護師や医師たちの姿に、私を含めた皆は不安が入り交じった表情で、聞こえてくる話し声も、ボソボソと必要最低限の声だけだった。
そうしてようやくもたらされた、唯一のすがれる吉報に、その場にいた私たちがほっと息をついたのは当然だった。ぞろぞろと皆が病室に戻っていく。
「あれ? みーちゃん、どうやってきたの?」
呼ばれて振り向けば、私の二つ上と一つ下の従兄弟が兄弟揃って私の後ろに立っていた。
「あ、たっくんとなつ兄。あれ? いたっけ?」
さっきまで従兄弟は誰もいなくて、孫世代は私だけだった。
「ダメかもって連絡貰って今ついたとこ。……どうなの?」
なつ兄と呼ぶ従兄に、私は頷く。
「持ち直したって。まだ予断は許さないって言われてたけど、今は大丈夫みたい」
病室に入ると、従兄弟たちに押し込まれるように、祖父のベッドの真横につく。私が祖父にかわいがられていたと知っている親戚たちが、スペースを開けてくれたのだ。
「父さん、実明ちゃんがきたよ」
私の横に立つ叔父が祖父の肩を叩く。
「おじいちゃん」
私の呼びかけに、うっすらと開いていた瞳が、大きく開く。
「みは……る」
口元は酸素マスクに覆われて、声はかすれて小さいけれど、確かに祖父が私の名前を呼んでくれたことに、ホッとする。私がさっき病室に着いた時に騒がしくなったのと違って、病室に響く機会の音は一定で、状態が落ち着いていることを示していた。
「おじいちゃん、会いに来たよ」
私が祖父の手に触れると、コクコク、と祖父の首が動く。触れた手はどこか冷たくて、さっきまで危険だったということを示しているようにも思えた。
「ほら、実明ちゃんもおじいちゃん心配して、遠くから来てくれたんだから、早く元気にならないと」
叔母の声に、祖父が頷く。
「……本当に人騒がせなんだから」
母の声は少し滲んでいて、涙をこらえてるのが分かる。
ウトウト、と祖父が目を閉じていくのを見ながら、病室にはどこかホッとした空気が流れていた。
個室とは言え病室に全員がいるのも多すぎると、私と従兄弟たちは病室から談話室に移動する。まだ薄暗い病棟の中、談話室のソファーに三人で座る。
「で、実明ちゃんはどうやって来たの?」
私がそのままにしていた従弟からの疑問は、兄の方に引き継がれた様子だ。
「先輩が送ってくれて」
私はスマホを弄って、宇宙人に祖父が峠を越したことを伝えるメールを送る。
「お、彼氏かー」
従弟の言葉に、私は首を横に振る。
「違うし」
「えー……だってみーちゃんの大学があるところからここまで、こんな時間に送ってきてくれるそんな親切な人っている?」
「……ま、いるんだろ」
同意してくれたはずの従兄は、明らかにそう思っていなさそうにニヤニヤ笑っている。
「で、その実明ちゃんを送ってきてくれた先輩は、どうしてるわけ? もう帰ったの?」
従弟の疑問に、私は首をひねる。
「どこかで星見てると思うけど」
「「は?」」
流石兄弟。ハモった。
「今日はオリオン座流星群がピークだから」
ぷ、と吹き出したのは従兄で、は? と首をひねったのは従弟だ。
「何その先輩。実明ちゃんと星繋がりなの?」
私が高校生になってから天文部に入り、大学も天文学を学べる大学に進んだのを知っている従兄が、呆れたような声を出す。
「まさしくそれ」
「落ち着いたって連絡したか? 心配してるんだろうから連絡してやれよ」
お兄さんぶる従兄に頷く。
「さっき送ったところ」
「私も好きです! って送ったら喜ぶよ」
余計な一言を言う従弟を睨みつけたら、間を置かずにメールが届く。
『そうか良かったな。眠れそうならきちんと寝ろよ』
ジワリと胸が暖かくなる。
「えー。何? 笑ってるけど、付き合うことになったの?!」
「うるさいな、たっくん」
従弟に文句を言いつつ、私は宇宙人にどこにいるのか問いかけた。素朴な疑問だ。
『まだ病院の駐車場にいる。移動する時間が勿体なかったしな。でも、結構見れた。もうピークは過ぎたけど、まだ見れると思う。そこから見えるか?』
立ち上がって談話室の窓を覗いてみるけど、残念ながら談話室のある窓からはオリオン座が見えなかった。多分、方向的に反対側だと思う。
「何してんだ?」
従兄の問いかけに私は振り向く。
「まだ流れ星が見えるって言われたから見たんだけど、こっちの方向じゃなかった」
「……外見ただけで方向分かるとか、みーちゃんどうなってんの?」
「宇宙バカだぞ、巧」
呆れた様子の従兄弟たちにムッとしつつ、私は宇宙人に見えないとメールを返す。
「で、その宇宙バカに輪をかけた宇宙バカな先輩は、今どこにいるんだ?」
従兄が不思議そうな顔で私を見る。
「まだ、病院の駐車場にいるって」
移動する時間が勿体ないとか、本当に宇宙バカだな、と思う。気が緩んだのもあって、頬が緩む。
「どうせだから、お礼言いに行ったら? その先輩、もう帰っちゃうんだろ」
従兄の提案に、それもそうだと立ち上がる。
「何かあったら電話ちょうだい」
スマホをかざして見せれば、従兄弟たちは二人そろってニヤニヤしていた。……誤解を解くのは諦めた。
病院の外に出ると、私は一度空を見上げた。オリオン座を探すと、すぐに見つかった。ピークが過ぎたからか、すぐに星は流れてくれなくて、私は諦めて暗い中ぽつぽつと街灯が立っている駐車場に目を凝らす。
宇宙人がまだ起きているとすれば、多分外に出ているはずだし、荷物の中にランタンがあったから、明かりがついているはずだと思ったから。でもそんな形跡はなくて、私はスマホを取り出す。呼び出し音がそれほど鳴らないうちに、電話は繋がった。
『……もしもし?』
その声に、ホッとする自分に気付く。いつの間に宇宙人の声に安心するようになったんだろう。でもそのちょっと眠そうな声に、申し訳ない気分になる。仮眠を取ってる最中だったのかもしれない。
「改めてお礼を言おうと思って。ありがとうございました」
直接会いに行くのは辞めた。折角寝ようとしているところを邪魔したくなかったから。どうせ大学に行けば、宇宙人には会えるのだ。……それに、今までにない気持ちの動きに、私は戸惑っていた。
『やりたくてやっただけだから気にすんな』
その言葉に、涙が滲みそうになるのは、何でだろう。
「ありがとうございます」
スマホを離して、スン、と鼻を鳴らす。息を整えてまたスマホを耳に当てる。こんな時間でも病院に来る人は当然のようにいて、私の目の前に車が止まってそこから慌てたような人が出てくる。私は邪魔にならないように脇に避ける。
『え? もしかして実明、今外にいるのか?』
車のドアが閉まった音をスマホが拾ったのかもしれない。
「流れ星のおこぼれでも見ようかと思って」
『ちょい待ち。こんな夜中に一人で外出るなよ。どこにいる?』
慌てたような声に、私も慌てる。
「もう戻るから大丈夫ですって!」
『お礼言うなら、直接言えよ』
「はい……」
それ以外に何が言える?
『どこいる?』
「救急の入り口です」
『すぐ移動するから、中入って待っとけ』
ぷつり、と宇宙人の電話は切れた。ジワリと押し寄せる暖かな気持ちを、何と呼ぶんだろう。
私は宇宙人の忠告を無視して救急の入り口から少し進むと、他の光が極力目に入らない角度で夜空を見上げた。オリオン座の周りを騒がしていたはずの塵たちは、もうその出番を終えて静まり返っているように見える。その静けさが、きゅっと胸を締め付ける。
この宇宙人への気持ちは、多分、恋だろう。
だけど、この居心地のいい関係の方が失いたくないもので、ワンコがお試しに、と言ったように、気軽に付き合うなんて選択肢なんて選べそうにもなかった。
終わりがあるかもしれない関係なんて、選びたくはなかった。たとえ宇宙人の隣に、私ではない誰かが立つことになったとしても、私は今の関係を壊したくはない。尊敬する先輩として、超えるべきライバルとして、ずっとこの先も近くに居て欲しい。だからきっと、私はこの気持ちを口に出すことはないだろう。
あ、と零れ落ちるように流れた星を目で追う。同時に、車が止まる音とドアが開く音に気付く。
「実明、中に入っとけって言っただろ」
近づいてきた声に、どんな顔をすればいいか少しだけ迷って、憎たらしい後輩の顔を思い出す。
「流れ星見れるって言ったのケイスケ先輩じゃないですか。それを見るなって言うのはひどいですよ」
ムッとした顔をして宇宙人を見れば、宇宙人が呆れたように肩をすくめる。
「実明、本当に宇宙バカだな」
「おほめいただいてありがとうございます。ケイスケ先輩のおかげで立派な宇宙バカになりましたよ」
「おじいちゃん、とりあえずよかったな」
宇宙人にぐしゃぐしゃと髪をかき回されるのに、胸がきゅっとなって感情がこぼれそうになる。
「この節はありがとうございました。でも、髪をぐしゃぐしゃにするのは辞めてください」
心の中とは裏腹に宇宙人を睨めば、宇宙人が優しい顔で私を見ていた。
「いつもの調子が戻って来たな」
「おかげさまで。ところで、ケイスケ先輩この後どうするんですか?」
帰り道が心配で尋ねた。
「仮眠して帰る。さっき寝入ってたんだけどな。誰かさんに起こされたんだよ」
謝罪の言葉を口にしようとした瞬間、ニヤニヤした宇宙人に、病院に着いた時に交わした約束を思い出す。
「そうなんですね」
「何だよ、起こしたの自分だろ。謝るところだろ」
私が謝罪の言葉を口にしなかったことに、宇宙人が抗議してくる。でもそれは、本当に謝罪してほしかったわけでは絶対にない。
「だって次謝ったらデートなんですよね? いやですよ!」
病院に到着してからまた謝った私に、宇宙人はそう宣言したのだ。案の定、宇宙人がつまらなさそうな顔になった。……こうやってからかわれてるくらいがちょうどいい。
「あ、流れ星」
私が空を指さすと、宇宙人も空を見上げる。
「次の流星群は一緒に見るか?」
「いいですよ」
ちらりと見た宇宙人は、目を輝かせながら夜空を見上げている。この星たちの光が地球に届くまでの時間ぐらい、私たちのこの関係もずっと続いていけばいいのに。
その願いを、流れ星は叶えてくれるだろうか。




