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14話目 M13

 私は宇宙人と交信している。

 その宇宙人は単なる地球人であり、単なる宇宙バカだ。求愛行動に宇宙の画像を使うような宇宙バカだ。そんな宇宙人との元々間違いメールから始まったその交信は、本当にたまにある繋がりだった。私が進学した大学に実はその宇宙人がいて、そのメールだけの繋がりは続いたまま、私は宇宙人と知り合いになった。

 ところが、宇宙人はあんな下らないメールのやり取りだけで私に対する恋心を発露させた。そして、実はその相手が私だと分かったにも関わらず、暗黒星雲を送ってくるようになった。“始まり”つまり付き合おうという意味らしい。私が何個もブラックホールを送るのでそれが嫌になったのか、最近は普通の画像に戻ったけど。


 夏に見える星座の画像。夏休みに入ったら、天体観測をする話があるからだろうと思う。誘い方が狡い。こんなの見せられて見たいと思わないわけがない。

 はくちょう、こぎつね、こうま、わし、こじし、おおかみ、こぐまにおおぐま。確かに動物の名前がついた星座は多いけど、私は別に動物を愛でる趣味はない。

なのに何で私は懐かれてるんだろう。


「ね、あのワンコ、どこで拾ってきたの?」


 ほどほどに冷えた学食で私が一人黙々とご飯を食べていたら、隣にカチャン、と偽勇者がトレイを置いた。月曜日の午前中の講義は、男の娘とかぶることはなく、私はいつも一人で黙々と食べているところに、こうやって偽勇者が合流してくるか、まれに宇宙人が襲撃してくるか、だ。

 今日は一人で食べていたら、ワンコがじゃれてきた。こいぬ座は冬の星座なんだけど。


「図書館で、レポート用の本を探してたら、探してた本がたまたま一緒で、私が先に見つけたんだけど、急ぎでもないから一週間後に図書館に返してくれてればいいよ、って譲ったら……懐かれた」


 それ以外に説明のしようがない。丁度テスト代わりのレポートが課されるようになった一か月ほど前のことだ。


「……それだけで懐かれるもの?」


 訝しそうな偽勇者に、私は肩をすくめる。


「同じ学科だったから、親近感があるのかもね?」


 そのワンコが実は同じ学部の同じ学科の一年生で、翌日ばったり学部棟で会って、その時はぺこりとお互いに挨拶するくらいのものだったんだけど。確か翌週わざわざ私のところまできて譲った本とちょっとしたお菓子を持って来るもんだから、その律儀さにおかしくなって笑ったら、ワンコが目を見開いて少し顔を赤くした様子に、若干嫌な予感はしつつ、その場はお互いにお礼を言って別れたわけだけど。

 その後から、ワンコの接触が増えた。つまり、懐かれた。まあそれも学部棟のみで会えばという感じで、特に深い意味は……ないだろう。学食で声を掛けられたのは今日が初めてだ。


「……それだけじゃ、ないでしょ」

「それだけじゃない?」


 私に要らぬ感情は不要であります!


「先輩?」


 先ほど私に声を掛けてから、自分の食べ物を取りに行った背が高めの茶色い毛並みのワンコが、偽勇者を見て困っている。さっき、断る理由もなくて“勝手にしたら”と同席を許可してたから、同席者が増えてどうしたらいいか困っているのだろう。


「座れば?」


 テーブルの向かいに視線を向ければ、ワンコが嬉しそうに笑った。


「ね、どう見てもしっぽ振ってるみたいに見えるんだけど」


 ワンコが向かい側に移動するスキを縫って、偽勇者が私に耳打ちする。


「気のせいじゃない?」


 私にもしっぽを振っているように見えるけど、きっと気のせいだ。気のせい気のせい。


「ケイスケ先輩はどうするのよ」

「……知るか」


 なぜに私が宇宙人の心配までしなきゃいけないんだ。


「……こんな展開、全く予想してなかったわ。みゃーがモテるとか……」


 ブツブツ呟く偽勇者は流石に偽勇者なだけある。言葉を選ぶことはない。


「モテてないから」


 私たちが小さな声でブツブツと会話しているのは、きっと向かい側のワンコには聞こえないだろう。私は“勝手にすれば”と同席は許可したが、別に会話して仲良く食べましょうと言ったわけではないので、ワンコのことを気遣うつもりは毛頭ない。


「先輩たちって、仲いいですよね」


 だが流石ワンコと言うべきか。スキを見て絡んでくる。


「よく、知ってるわね」


 そう答えたのは偽勇者だ。私はちらりとワンコを見ただけで、肩をすくめて返事にした。最低限の関りにしようとは思っているのだ。


「八代先輩とも一緒に居るのを見かけるので……目を惹くと言うか……」


 納得しかない答えだ。まあワンコはまだ一年生で男の娘を見慣れてないからかもしれない。男の娘はそのうち景色になるから特別に目にも入らなくなる……かもしれないよね。


「確かに八代がいると目立つわね」


 偽勇者もそれは否定ができないらしい。


「あの! 八代先輩と田崎先輩って……付き合ってないですよね?」


 ワンコよ、勢い込んで言うセリフがそれか。それは、私に喧嘩を売っているのか。


「ありえん」


 私が一刀両断すると、ワンコが明らかにホッと息をついた。……気のせい気のせい気のせいだ。


「どうしてそう思ったの?」


 偽勇者が不思議そうにワンコに問いかける。私と男の娘が付き合うような可能性は微塵もない。男の娘が好きなのは偽勇者だしね。


「他の先輩が、二人はいつも一緒にいるから、そうじゃないかって話してるのを聞いたんで……」

「みゃー、知らない間に面白いことになってるわね?」


 偽勇者がニヤニヤと私を見る。


「最悪」


 よりにもよって、男の娘と付き合ってるという噂が学科に広がっているというそら恐ろしい事実を今更知る。


「あの、僕訂正しときますから」

「……よろしく」


 あまり学科の同級生と深くは関わらない私がその噂を訂正する場面などきっとないだろうし、それは噂を聞く側のワンコに任すほかはないだろう。


「はい!」


 そう言って嬉しそうに笑うワンコは、やっぱりしっぽを振っているように見えた。

 そのまま学食で勉強するつもりの私と偽勇者は、次はテストで、と去っていたワンコを見送った。そして待ってもないけど、宇宙人が襲撃して来た。


「さっきの、誰?」


 宇宙人は私じゃなくて偽勇者に尋ねた。


「みゃーのワンコですよ」

「違うし」


 私の所有物では決してない!


「……やっぱりそうか……物好きがいるもんだな」


 ……何を言う。


「ケイスケ先輩、物好き筆頭じゃないですか」


 偽勇者、そこは突っ込まなくともよい。


「物好きは俺くらいだと思ったのにな」

「ここはドキッとするところよ、みゃー!」


 偽勇者、そのアドバイスいらないから。


「するわけないし」


 私のいつもの返しに、宇宙人がクスリと笑う。私にはこれくらいで丁度いい。恋愛など……必要ないのだ。


 *


西川にしかわ、最近、あの女装男の彼女と仲良くしてるな」


 翌日、授業が終わって別の講義室の前を通りかかったら、馬鹿にしたような声が耳に入った。確かにワンコは西川と言ったし、女装男は男の娘一人しか知らないし、その彼女となっているらしいのは私らしいから、それは私のことを言っているんだろうと思う。


「田崎先輩は八代先輩の彼女じゃないって!」


 迷わず否定してくれたワンコの声に、少しは褒めてやってもいいかな、と思う。


「何、むきになってさ。お前、まさかあの先輩好きだったりして」


 そこから先は知らなくてもいい話だな、と思って私は足を先に進める。講義室の入り口から離れたから、ワンコの答えは私の耳には届かなかった。私は知らぬ存ぜぬ。


「そんな風に人を蔑むのって、人として最低だな」


 その講義室のもう一つの入り口に近づいたら、思いのほかワンコの声が近くに聞こえたのと、多分私か男の娘をかばっただろう言葉に、ドキリとする。ワンコが出てくるかもしれないと足を速めたけど、その判断は遅すぎた。


「あ、先輩」


 ワンコの声に、私は聞こえなかったフリをして足を進める。私の後ろをワンコが追いかけてきて、そしてすぐに追いついた。


「先輩! 呼んだの聞こえなかったんですか?」


 私を上から覗き込んでくるワンコに、私は初めてドキリとする。いやいや気のせいだ。気のせい気のせい気のせいだ。


「もしかして……さっきの話、聞こえてましたよね?」

「……何が?」


 私は肝心な話は何も聞いていないと思うのだけど。じっと見られることに耐えかねて、私は目を逸らした。


「あの……さっき言った通り、僕は先輩のことが好きです。良かったら付き合ってくれませんか」


 ……なんてこった。避けたのに!


「無理」


 私は……恋愛なんてしたくないのだ。哀しそうに眉を下げるワンコを置いて、私はまた歩みを進めた。あの一瞬のドキリとした感情は、きっとタイミングの問題……だ。だから、気のせいだ。


 *


「ワンコ、ますますワンコ化してんじゃないのよ」


 週末、女子トイレでたまたま一緒になった偽勇者が、呆れたように私を見る。


「……本当にね」


 ばっさりと振ってあれで終わりだと思っていたのだけど、ワンコはめげなかった。宇宙人の距離感は適度にあるからあしらい易いんだけど、ワンコの距離感はちょと近すぎる。あしらってもあしらってもじゃれついてくる。……流石ワンコと言うべきか。


「これじゃ、みゃーが押し切られるのも時間の問題ね」

「いや」


 私の曖昧な返事に、鏡の中の偽勇者は呆れた顔で首を振る。


「今の調子じゃ無理でしょ。でも、まあ明日から夏休みだしね、ワンコの出番は今日で終わりかもね」

「……まぁ、そうだね」


 人の気持ちは移ろいやすいのだ。二か月近い夏休みをはさんでしまえば、ワンコの気持ちも変わっているだろう。そのことにわずかに心が重くなるのを、私は気にしないことにした。


「ケイスケ先輩は、天体観測っていうイベントもあるわけだし、まだ逆転のチャンスはあるわよね」


 ……偽勇者よ。どうしてそんな話になる。


「逆転も何も、チャンスは存在しないし」


 はぁ、とため息をついた私に、偽勇者は肩をすくめた。


「そこはすぐに否定するのにね」


 その偽勇者の言葉も、私は聞き流すことにした。全て、気のせいだ。


 *


「先輩」


 最近聞きなれた声が、いつもと違う低い声なことに、ドキリとする。私は気付かなかったフリをして歩き続ける。


「……デート行きませんか?」


 私はそのまま大学の正門へ向けて足を進める。


「一回だけでいいんで、それで諦めるんで……お願いします」


 絞り出すようなワンコ声に、私は足を止める。


「一回だけ、だから」


 振り向いた私の言葉に、ワンコは笑顔を見せる。そんなにしっぽをぶんぶん振るな。それで終わりって自分でも言っただろ。……うっとおしい。


 *


「プラネタリウム、先輩好きそうだなと思って」


 夏休み初日……つまり私がデートに行ってもいいと言ったその翌日、私たちはプラネタリウムに来ていた。去年男の娘と行った……宇宙人と偶然会った公立のプラネタリウムではなくて、隣の隣の市にある商業施設に併設されたおしゃれな雰囲気のプラネタリウムだ。


「最近、カップルシートっていうのがあるらしいですよ」


 そう言ってワンコが案内してくれたのは、多分ベストポジションにあるソファー席だった。私が相変わらずのTシャツ、ジーンズだと言うのに、ワンコはいつもよりおしゃれな格好をしていてドキリとした。待ち合わせ場所に来るのをじっと見てたら「変ですか」と聞かれたから「別に」と答えたら笑われた。納得がいかん。

 そわそわした気分で星を見上げる。でも、プラネタリウムが始まれば、私の意識はそっちに引き込まれていく。




 流石商業施設にあるだけあって、結構凝った内容だった。確かに面白かった。でも、いつも見る公立のプラネタリウムの内容も私は好きだ。そう言えば宇宙人とは座る場所まで同じ場所を選ぼうとしてたな、と思い出して、クスリと笑ってしまう。


「先輩?」


 耳元で呼ばれてドキリとする。


「な……に?」

「いや、今笑ったから、何かな、と思って」


 横を向けばワンコがニコニコ笑っていて、私は何だか悪いことをしていたような気分になる。……別に私が何を思い出そうと、自由なんだけど。


「何でもない」

「じゃ、出ましょうか」


 私がぶっきらぼうに言うのも気にもしない様子で先に立ち上がったワンコが、私に手を差し出す。さっきのちょっとした罪悪感で、私はワンコの手を振り払うことができずに、その手につかまってソファーから立ち上がる。


「手、このままで」


 私がつかんだ手は、そうワンコに言われて、そのままにされた。私が振り払おうとする動きは、ワンコの大きな手で抑えられてしまった。はっきり言って、元部長とも手もきちんと繋いだ記憶がないくらいだ。心臓が今までにないくらいのリズムを刻む。


「先輩、顔赤い。可愛い」


 クスッと笑われて、私はギロっとワンコを睨む。


「じゃあ離して」

「嫌です。今日はデートしてくれるって約束でしたし。それに手が冷たくなってるから温めますよ。僕の体温高めですから」


 ますますぎゅっと手を握られる。


「……もうデート終わりでいいでしょ」


 プラネタリウムを見るというイベントが終わったんだから、もう十分だと思うのだ。このままだと心臓がまずいことになりそう。


「駄目です。まだデートは終わりじゃありませんよ」


 ニコリと笑うワンコは、いつものワンコじゃないみたいに見えた。




「じゃ」


 心臓に悪いデートが終わり、私は月明かりのあるムシムシとした空気の中、ワンコに手を挙げた。


「先輩」


 でもワンコはまだ私に用事があるみたいだった。……諦めるって言ったのに。その言葉に変な心の動きを終わらせることができると思って私はここに来たのに。


「……諦めるんでしょ?」

「ごめんなさい。やっぱり無理です」


 ワンコが勢いよく頭を下げる。私は困って目を伏せた。


「プラネタリウムでキラキラした目で星を追ってる先輩見てたらもっと好きだなと思ったし、僕が手を繋いで顔を赤くする先輩見たらかわいかったし、やっぱり諦めきれません!」


 ……いや、諦めてくれないと私も困る。


「お試しでいいんで、僕と付き合ってくれませんか」


 まっすぐなワンコの視線が、私に突き刺さっているのが分かる。


「お……試し?」


 予想外の単語に、ワンコとは目を合わせないまま首をかしげた。


「そうです。付き合うのが無理だと思ったらそう言ってくれて構いません。お試しで、僕にチャンスをください。先輩も……完全に僕のことを嫌いなわけじゃないですよね? だったら、お試しで付き合ってみませんか。でもそれは僕の勘違いで、先輩は僕のこと嫌いですか?」


 完全にワンコのことを嫌いか、と言われれば、それは違うと言えるだろう。そうならばきっと私はこのデートすら拒否していただろう。


「……完全に嫌いってわけじゃないけど……」


 私の言葉に、ワンコがホッと息をつく。


「じゃ、お試しだけど、よろしくお願いします」


 私は慌てて顔を上げる。


「今のでお試しするってことになるの?」


 ワンコはきょとんとした顔をする。


「だって、先輩僕のこと嫌ってるわけじゃないんですよね?」


 そう質問されれば、私はきっぱりと首を横にふれなかった。


「だったら、そう言うことです」


 ニコリと笑うワンコに、私は戸惑いつつも拒否の言葉は出てこない。あのドキドキが、何を指すかなんて、流石に気付いているから。


 *


 なぜに私が恋愛映画。

 でもお金を出してもらっている身で、文句は……言えぬ。とりあえず電源を切ろうとスマホを見れば、メールが届いていて、丁度ワンコが席を外していたからメールをタップした。私はクスリと笑う。宇宙人から送られてきたのは、キリン座だった。キリン座とかマニアックだから。


「みはるさん、どうしたんですか?」


 席に戻ってきたワンコが私のスマホを覗き込む。


「……星座?」

「キリン座。今度天体観測する約束があって」


 来週宇宙人と宇宙人の友達と男の娘と偽勇者の五人で、宇宙人の家ではない場所での天体観測が予定されている。宇宙人の友達は実家暮らしで、そこから車を調達するらしい。なのでもれなく偽勇者はやってきた。そしてもれなく男の娘もついて来た。まあ……今となってはそのメンバーなのが良かったと思う。……流石に今の状況で宇宙人と二人きりとか許されないだろうと言うことは私にも分かる。


「……誰と、ですか?」


 機嫌が悪くなったと分かる低くなった声に、厄介だな、と思う。

 ワンコは同じ学科だけど、星に興味が、というよりは宇宙工学に興味がある人間で、別に一緒に星を見に行くことに楽しみを見出せそうにないのだ。

 大変申し訳ないけど、今回の天体観測は結構どころか相当楽しみにしていたのだ。だから、あのメンバーの中にワンコを放って、私がワンコを構わないといけない状況になるのは勘弁してほしかった。ワンコの今までの感じからして、絶対に構わないといけなくなることが簡単に想像できたから。


「学食でよく一緒に居るメンバーとだよ」


 誤魔化しても仕方ないと、私は正直に伝える。


「それ、僕も……」

「いやだ」


 最後まで聞かずに私は拒否をした。予想以上にはっきりと断られたのがショックだったんだろう。ワンコは眉を下げる。でも、流石と言うべきか。ワンコはへこたれることはなかった。


「……行かないでください」

「いやだ」

「……付き合ってる僕が嫌だと思ってるのに?」


 そう言われてしまうと、私は言葉を選べなくて口をつぐんだ。


 *


 “付き合ってる僕が嫌だと思ってるのに?”

 ワンコと映画を見に行ってから一週間。その言葉は、私の思考をぐるぐると支配していた。付き合っている相手が嫌だと思っているんだからやめるべきだ、という一般論は勿論分かっている。だけど、相手が嫌だと思ったら私はすべてを辞めなきゃいけないのか? という自分本位な考えも頭をもたげる。

 一週間堂々巡りをしていた。だけど今日は天体観測の約束の日で、私は答えを出さないといけないのだ。結局一週間ぐるぐると考えていたことがバカバカしくなるぐらい、私の出した答えはシンプルだった。


 セミたちの声は、ガラスに遮られて聞こえてこない。冷房の効いた店内は、夏の実感を消すのには十分な空間だ。でも私の指先が冷たくなっているのは、冷房のせいだけじゃない。


「西川君。やっぱり付き合うのは無理だから、もうやめよう」


 今日会おうと私が言ったことにワンコは喜んでいた。……多分私が天体観測を断ると思ったからだろう。でも私は終わりの言葉をスマホを介してやるのは嫌だった。それがお試しとは言え、ワンコと付き合うと決めた私なりのけじめだ。だから、会おうと言った。


「どうして……ですか?」


 ワンコにとっては、予想外の言葉だったんだろう。戸惑いが大きい。


「私ね、ものすごく宇宙バカなの。それを辞めろって言われたら、それは私を辞めろって言われてるのと同じだから。だから、このまま付き合うのは無理」」


 私が好きなものの話を聞かれたから、ワンコに語ってあげたけど、ワンコは私の話をニコニコと聞いてはいたけど、私の話の内容に食いついてくることはあまりなかった。だから宇宙工学に興味があるワンコの興味と天体の方に興味がある私の興味はずれているんだろう。


「……天体観測の話ですね? ……だったら、行ってもいいですよ……」


 渋々ではあったが譲歩してくれるワンコの気持ちはありがたいことなんだろう。だけど、それだけじゃないのだ。


「私、恋愛映画には全く興味もないし、文学作品読むんだったら、宇宙の本を読みたいわけ。だから、西川君との時間を共有できない」


 私の趣味とワンコの趣味は全く違う。それぞれに楽しむのはそれでいいと思う。でもワンコは同じものを共有したいと考えるみたいなのだ。だから私と恋愛映画を見に行ったし、おすすめの文学作品を私に紹介してくれたりした。だけど申し訳ないけれど、私の琴線には全く触れることがなかった。


「僕が……僕が変わりますから」


 ワンコの必死な顔に、私は首をゆるりと横に振る。


「無理して付き合う意味はないと思う。お互いに自分を殺すだけだよ」


 確かに私はワンコのことを好ましいと感じていた。だけど、それと付き合うってことが同意ではないってことだ。きっとお互いに無理をした関係は、いつか破綻を招く。それを私は良しとしないだけだ。


「お互いに歩み寄るのも、付き合うってことだと思います」


 それも正論だろう。私もそれを考えて堂々巡りを続けていたんだから。


「私はそうやって無理して歩み寄るつもりがないの。だから、無理。ごめんね、期待させるようなことして。じゃ、行くね」


 私は立ち上がる。


「みは……先輩、そんなんじゃ彼氏できませんよ」


 それはきっとワンコにとっての精一杯の嫌味だったんだろう。だけど、私には意味がない。

 彼氏とかいらないから。でも、それを言ってしまうと折角虚勢を張ったワンコが可哀そうな気がして、その言葉は飲み込んで伝票をもって私は席を離れた。


 *


「ワンコとどうなってる?」


 望遠鏡をのぞきながら、倍率を調整している宇宙人が問いかけてくる。

 予想外に連れてこられたのは高原で、街中ならじっとりとした空気があるのに、ここは爽やかだ。そして無駄な明かりがなくて暗い。まさに夏の天体観測にはうってつけだ。


「何の話ですか」


 私は呆れた気分で宇宙人に答える。そんなことより、早く調整してほしいんだけど。


「ワンコからアプローチがあったか、って聞いてる。ほら、夏休み中会わないか、とか」

「ないですよ。私に興味を持つ人間なんて、いないはずって言ってたじゃないですか」


 ワンコと付き合った話はなかったことにした。だから夏休み中にあったことも、私はなかったことにした。


「……あの感じなら、もっとぐいぐい行くかと思ったんだけどな」


 そうか、と言いながら宇宙人がホッとした声を出した。


「彼氏なんかいりませんよ」


 それは宇宙人にも向けた言葉だ。きちんと受け取ったらしく、宇宙人が苦笑した。

 ちなみに、他の三人は宇宙人の望遠鏡の調整が終わるまで、草原で寝転ぶと言って、少し離れたところに寝転んでいる。……偽勇者がニヤリとして離れて行ったので、まあ意図的なんだろうが、どうでもいいことだ。


「おし、OK」


 望遠鏡から顔を離した宇宙人が、私を見てニヤリとする。うん、これくらいの関係が私は居心地がいい。


「ほら、見てみろ」


 私は期待に胸を膨らませて望遠鏡を覗く。


「うわぁ」


 私の声が草原に響く。


「何々? 何が見えるの?」


 近づいてきたのは宇宙人の友達か。


「えー? 私も見せてよ」

「みゃー、“私”も!」


 偽勇者も男の娘もどうやら望遠鏡を覗こうと近づいてきたらしい。


「M13だよ」


 答えたのは宇宙人で、私は高校一年の時に受け取ったメールのことを思い出した。望遠鏡の中に見えたのは、私の世界を変えたものだ。

 この無数の星の集まりを、私は一生忘れることはないだろう。

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