後編
白と黒の帯が目の前にある。
わたしは壁が鯨幕に覆われた廊下を歩いていた。
曲がり角が多い上に、壁が幕で覆われてるために、今どこを歩いているのかがわかりづらく、迷路のような廊下だった。意識が少し朦朧しているのもあって幻を見ているようだった。
遠くからはノイズじみたお経が聞こえた。辛気臭い線香の臭いが、時折鼻をかすめた。
しかしわかりにくい廊下だ。
どこまで続いているのだろうか。
「余部さん?」
もしや迷子になったのではと不安で心細くなっていたところに、聞き覚えのある声が聞こえた。わたしは安堵のため息をつく。
「先生……」
背景に溶けるような黒色で整えた服を着ている。担任の先生がたたずんでいた。
いや、今はわたしの担任ではない。
「何をしているの?」
「何をしているのって……お焼香を上げるために来ました」
「あなたにその資格はない」
ゆっくりと優しく、しかしはっきりとした声で彼女は言った。
「な、何故」
「何故って?わからないの?」
「わからない。わたしは間違っていない……はず」
「本当にそう思っているのね……」
ため息か先生の口から洩れる。
わたしはそのため息を聞くのが辛く感じた。
「何故って、それはね」
彼女はわたしを手招きし、廊下の角に消えていった。
わたしはそれを追いかける。追いつくと、先生は葬儀用看板を指さしていた。
看板にはこう書かれている。
「故 山田武蔵葬儀式場」
……誰?
「確かに」と先生はこほんと咳をした「私の恋人の葬式に出席してくれるとうれしいって言ったけど、葬儀は昨日終わったのよ。私は手続きが残っているから来ただけ」
「え、……え……えー、そんな。そんな間違いをするはずが……」
「携帯電話に連絡したはずだけど」
「すみません……気が付きませんでした……」
「何故?」
「……それは、言えないです……すいません」
ため息がもう一度。
「まあ、彼も私以外にご焼香をしてもらう資格なんてなかったのかもしれないけどね……」
あれ?何だかうやむやになりそうな流れだ。
葬儀の日取りを間違えただなんて、大失敗なのにそんないい加減な叱り方でいいのだろうか。
それとも叱る価値もないと諦められている?
疑問をよそに彼女は言葉をつづけた。
「彼、一応あなたに一回だけご飯をおごってあげただけだから、悪いイメージはあまりないでしょうけど……」
「もしかして先生に暴力を振るうとか……?」
「いいえ。でも似たようなものなのかもしれないわね……」
こうして先生は語り始めた。
あの人は小説家で私はその小説のファンだった。
彼の小説は鬱屈したダメ人間の自意識を貯めて溜めてためて爆発させるような話が多かったけど、私はその小説の主人公に凄く共感したし、感動した。
これは私!私だ!って。
でもあの人にファンは結構いたけど、主人公に共感したって人はほとんどいなかった。変人が暴れまわっているのが好きなだけで、共感や理解をしたことがないって。檻の中で自慰をしている猿を眺めている感覚って感想が忘れられなかった……。同じファン同士で話していても、何か疎外感を感じるばかりだった。
でもきっとこれを書いた人なら私と同じ思いを持って日々生きているって、そう信じていた。いつか会って話してみたい。そのチャンスはすぐに来た。
彼の講演会が開かれることになった。
場所は新幹線で片道2時間と少し遠くて、当時高校生だった私にはちょっとだけ金銭面で辛かったけど、微々たる問題だった。
そして講演会が終わって彼が一人になるのを見計らって、私は作品に対する思いを早口で語った。
すると彼はこう言ったの。
「それはうれしいね。僕もぜひとも君と語りたいので後でこの場所に来てくれるかい?」
すごく胸が高鳴った。
その時は彼と付き合うとかはまったく思ってなかったけど、お互いの内面を共有できる人に初めて出会えたかも、ってそう思っていた。
人気のいない路地裏に呼び出されたのだけれども、彼はそして私を見ると大きく拳を振りかぶった。
「そして私の腹を思いっきり殴った」
「やっぱり振るわれてたんじゃないですか。暴力」
「まあ待ちなさい。こんなのは暴力の内に入らない」
「はあ……」
彼はうずくまって泣いている私の前に仁王立ちしてこう語ったの。
『痛いか?痛いだろうね!だが僕のこの10年の痛みのほうがはるかに上だと思うね!訳が分からないって顔をしているな。いいだろう。何故こういうことになったのか教えてやる。僕の小説は実はある女性をモデルにしていてね。その女性に僕はとても痛い目にあった。あんな屈辱は生まれて初めてだったよ。いつか仕返しをしたいと思っていた!しかし彼女は僕の前からすぐにいなくなっていた。探偵を雇って探してみたが、結局見つからなかった!そこで僕は思いついたんだよ。彼女ではなく、彼女に似た人に仕返しすればいいってね!彼女と同じような考えを持っているというだけで、この地球にとって害悪だからね!まずできるだけ彼女に似た主人公の小説を書く。次にその小説でデビューする。彼女の思考回路はとても理解しがたいものだったけど、何とか頑張って理解しようとした。最終的に理解は何とかしたけど、共感はまったくできなかったけどね。そして講演会を開いたりして、小説のファンとできるだけ多く話す。そして見事!君が釣れたってわけだね。あーはっはっは」
そして満足そうに彼はその場を後にしたの。
わたしは先生が語り終えるのを複雑な顔をして聞いていた。
「それでそのあと付き合ったんですか?ちょっと意味がわからないんですけど」
「あなたにはわからないわ」
「いやそういう抽象的な話ではなくて……彼が頭のおかしい人だというのはわかったんですが、付き合ったということは紆余曲折の末改心したとか?」
「いいえ、暴力こそ最初の一回だけだけど、その後さまざまな嫌がらせを彼はしてきた」
「じゃあなんで……」
「私はどんなことにも教訓を求めるというということはあまり好きではないのだけれども、あえて無理やりあげるのならば」
先生は言葉を切り、建物の外へ向かった。
「人とは理解し合えない生き物、ということなのかしらね」
ちなみに先生の恋人は飲酒運転で事故を起こし死んだのだった。
◇ ◇ ◇
わたしはその後簡単な挨拶だけして先生と別れた。
空を見上げると、日の光が薄い雲にかかり、中途半端な明るさで街を照らしていた。
一年ぶりで見上げたこの街の空にもあまり感慨は浮かばなかった。
一年ぶり。
私があの少年を殺そうとして一年がたったのだ。
あの時私は彼を突き飛ばした後、追撃をかけ沈めようとしたが、たまたま通りかかった釣り師のおじさんに大声でどなられたため、彼を殺すことはできなかった。
その後警察に連れていかれ事情を話した。
『溺れていた少年を助けたけど、自殺の途中だったと怒られたので、むしゃくしゃして突き落としました。今はとても反省しています』
遺書が見つかり、少年の証言とも一致したため殺人未遂と言うことにはならず、また自殺幇助という段階でもないため、わたしが退学になるという形に落ち着いた。今は家族もろとも引っ越して、別の街に住んでフリーターをしていた。
先生は私が退学になった後も連絡をとり、色々よくしてもらったけれども、今回の件で愛想を尽かされたような気がした。あのよくわからない話は何が言いたかったのかというと、結局のところ『先生にはあなたのことがもう理解できません』というすごく遠回りな意思表示だったのかもしれない。
日付を間違えたのはわたしが今家出中だからで、携帯電話を家に置いてきたからだった。家出中なのは先生に言ってない。
電話は嫌いだった。かけるのも出るのも苦手だ。だから置いてきた。
わたしはダメ人間だけど、良くしてくれた先生まで失望させることになった今回の結果は残念だった。
しかしそれをどこか他人事のように感じている自分もいて、それに嫌悪感を感じる自分もまたいた。
なにかいらいらがこみあげてくる。自分にイライラしているのはわかるが、結局のところ理不尽に周りににイライラしているとこを「これは自分にイライラしているんです」と言い訳してるようで、そのこと自体にもイライラした。
これはいけない。とりあえずコンビニでチョコミントアイスを買ってイライラを落ち着けよう。
かつての友人からは、私はチョコミント味大好き人間だと思われていたが、そこまで好きだというわけではない。かといって嫌いと言うわけではない。
周りが皆、チョコミント味が嫌いでよくそれの悪口を言って盛り上がっていた。しかし、わたしはそこまで嫌いではなかったのでよく援護をした。それが続いているうちに『春ちゃんはチョコミント味大好きだもんね』みたいに言われるようになり、別に強く否定するほどでもないのでそのままにしておいた。
さすがに『昨日はごめんね。チョコミントアイスおごるから許して』みたいなことを言われた時はイラッとしたが、そこで怒って人間関係に亀裂を入れたくはなかったので、そのままアイスをおごられた。
そうしているうちに、なぜかチョコミント味の何かを口に含んでいないとイライラするようになってきた。わたしが思っている以上にチョコミント味が好きだったのか、それともチョコミント味に大量にとると中毒になる成分を含んでいうるのか。はたまたわたしが何かを演じていないとイライラする性格で『チョコミント味大好き人間』を演じていない状態にイライラしていたのか。結局のところ真相は謎だし、自分のことにそこまで興味はなかった。
ただやはり日常的な障害は多かった。10代の身としてはチョコミントアイスを常に頬張っているわけにはいかないので、様々な対策をとることになった。
最初はガムを噛んでいた。
これは悪くなかったのだが、当たり前のことだがガムは味がいつまでも続くわけではないので、消費量が激しく他のものと変える必要があった。
それが飴だった。
これはかなりよかった。慣れれば授業中でもばれずに舐めることが出来、ガムの三倍は味が保つ。
ただアルバイトなどでは、飴を口に含みながら接客業をするわけにはいかないので、会話を最小限で済ませられる作業しか選べなかった。
それがちょっと前までやっていた工場でのライン作業だった。
それでも家出をする前にメールで辞めると一方的に連絡したのだけども。返事は怖いので見ていなかった。
飴ばかり舐めていると飽きてくるで、バリエーションが欲しかったため、試しに電子タバコを吸ってみたのだが、これが予想以上に効果があった。それを機に今でも隠れてこっそり吸っていた。
そんなこんなで、アイスを食べながら、わたしはまたあの海岸へ行こうと思っていた。
あまりいい思い出はないが、また彼がいるわけはあるまい。そう思ってわたしは向かった。
しかし残念なことにと言うか。
彼はいた。
◇ ◇ ◇
遠くから―――崖の上から見ると、岩場は海面と言う名の足場にへばりついたフジツボじみていた。
ゆっくりと蠢くように腹をすかせた霧がそのフジツボを喰らっていく。
やがてこの辺りにも霧が這って動くように達する。
わたしは霧の体内を歩いていく。わたしの皮膚を軽く湿らせる。それは霧と言う生き物の体液にも感じられた。
胎動を廻る夢み心地に浸り、歩きにくい道を進んでいく。
その奥に彼はいた。
学生服でちょうどいい岩に座り込み、胡坐をかいて釣りをしていた。
「釣れる?」
彼はゆっくりと振り向き、わたしを確認すると、目を見開いた。
少年は目を細める「この一年、釣れたことは一回もないですよ」
「ふーん」
「お待ちしてましたよ。今日あなたがここにくることはあらかじめ予想していました」
「嘘つけ」
わたしの言葉に彼は手を上げずに肩だけをすくめた。
キャラ変えたんだね……
まだわたしに似ているが、対消滅したくなるほどではなかった。殺したく成る程では。
「よかったらおごりますよ。あなたには2回分の借りがある」
「2回」
「助けたくれたことと、自殺の手伝いをしてくれたこと」
???
ああ。
成程。成程。
強がりだなこれは。
本来であれば自分で殺そうとした女に恐怖を抱いてもおかしくはない。しかし彼は自らのプライドを守るために、助けてくれたことに礼を言い、殺そうとしたことに礼を言った。そういうところは昔のわたしそっくりだ。本当ににそれを外面に出さないのなら大したものだが。
わたしは座っている彼の太ももに触った。
「震えてる」
彼の体がビクンとはねて、立ち上がり、わたしから慌てて距離をとった。
「ななな何触ってるんですか!いきなり人の股間に障らないでください!」
「股間には触ってない」
確かに脚の上の方に触ったけど。
わたしを何だと思ってるんだこいつは。
気を取り直すようにという風に、彼は深呼吸をして、自分の尻を払った。
「常識がないと思っていましたが、ここまでとはね」
「どの口が言う」
まあわたしもこの二年に10回は言われた言葉だけれども。
わたしは改めて一年ぶりにあった彼を観察した。
背は以前より少し伸びただろうか。上は紺色のブレザー。下はチェックのパンツ。この街にある公立の中学校の制服だった。胸元のワッペンにより、一年生だということがわかった。
髪の毛は以前よりも少し長い
何か言おうと思ったが、私の腹の虫が当たりに鳴り響いた。
「おごってくれるって言ったよね」
場面転換。
ファミリーレストランの窓から車のライトが行きかうのをぼんやりと見ていた。あたりは薄暗くなっており、街に明かりがともり始めていた
ためしにイタリアンをねだってみたら、サイ○リアで勘弁してくれといわれて、今に至る。
店内には部活を終えた生徒などかちらほらと見られた。
「おごりって言ったってこずかいだよね」
「はい」
「じゃあいいよ。さすがに中学生におごってもらうのは悪いし」
「僕は別にかまわないですが、呼べさんがそういうのなら仕方がないですね」
心底ほっとした顔で彼は言った。
「じゃ、割り勘ね」
「……はい」
そんな顔をしても私はおごらない。
わたしは生まれてこのかた他人に何かをおごったことがない。
「わたしは生まれてこのかた他人に何かをおごったことがない」
会話が思いつかなかったので、そのまま言ってみたが、微妙な顔をされただけだった。
というかいつまで続けるんだろうこの茶番。
彼は今プライドを守るためだけに私におごるといってきた。
しかしお互いに会話が得意なわけじゃないので、ただこう着状態が続くだけだ。
恐らく行き当たりばったりにここに連れてきただけだろう。
時間ばかりが過ぎていく。高校生ぐらいのわたしと、中学生ぐらいの男子の組み合わせが珍しいのか、通りかかる客が少し視線を偶に送ってきた。
かつての知り合いに出会ったらどうしようかと思っていると、彼から話し出した。
「俺はあなたに憧れてた……」
「どういうところに?」
「俺と同じ性質を持っているのにもかかわらずに、行動力があるところに。TVとか漫画で行動力のある凄い人を見ていても、どうせ俺とは違う人種の人間だと思っていた。でもあなたは違った。ダメ人間で物凄く痛い。それでも行動力はある」
「気のせいだよ。私にとって行動力とは、やる気に依存するだけで、日によって変わる。偶々あなたを助けたのが、何かしらのやる気の有り余っている日だった」
「それならば俺の中の理想のあなたを尊敬をする。だからといって元のあなたをないがしろにしたりはしない。リスペクトする」
「あなた今凄い失礼なこと言ってるよ」
「だが俺はあなたを超える」
少年漫画みたいなこと言いだした。いや、普通に少年漫画に失礼か。
「どうやって?」
「取りあえずトイレにでも行ってください。準備があるので」
「ええ……いきなりスカトロはちょっと……」
「冗談下手ですね」
「うぐぐ……」
言うじゃないか。
言っておくが取りあえずトイレいってこいとか、お前のデリカシーも大概だかんな。
わたしは彼に従い、トイレに向かった。しかし何をやるのかは知らないが、ちょっとワクワクしてきた気がする。
メイクは直した方がいいだろうか。服装は……突発的な家出だったのでちょっとダサい気がする。
少し胸が高鳴ってきた。中学生のくせに生意気な。
もう行っていいだろうか。いや準備中に戻ってしまうと、彼の面子が台無しだろう。ここは10分ぐらいは待った方がいいだろう。
10分後わたしは席に戻る。
そこには誰もいなかった。
伝票もすでに無くなっており、最初の宣言通り、おごってくれたようだ。
「逃げた?」
意味深なことをいってその場を後にして逃げる。確かに中学生時代のわたしがよくやった手だ。
しかし、予想以上にがっかりしている自分がいた。
わたしを超えるとか言って、わたしと同じように逃げないでほしい。
あーあ、がっかり、がっかり。
まあ同じ状態になったらわたしも逃げると思うけど。
「帰るか……」
そろそろ日が落ちたので、ちょうどいいネット喫茶やらカプセルホテルやらを探さなくてはならない。
それとも貞操チキンレースなんてせずに、もう家に帰って両親に謝ってしまおうか。謝ってほしいのはこちらなのだけれども。
いや、もう謝られてるけど。
―――と、そこで店の客の幾人かが窓の外を眺めたり、携帯で写真を撮ったりしているのに気が付いた。
それに店の外も何やら騒がしい。
外に出ると夜風が肌をかすめる。
道の一角で小さな集まりが出来ていた。
その中心から演説のようなものが聞こえた。その声はまさしく強介のものだった。
「僕は道化になりたかった」
頭蓋の中、脳髄の奥に、鈍い痛みのような感覚がゆっくりと走った。
聞き覚えのあるフレーズだ。苦く満ち足りていた日々の記憶が思い出されるようだ。
人通りの多い路上で丸裸にされたような不安が襲う。
あれはもしかすると……
もしかするのかもしれない。
彼は文章を印刷した用紙を見ながら演説をしていた。
その姿は顔の幼さもあって、発表会を連想させた。
だがわたしは彼を止めなければならない。彼にあれを読ませてはならない。
体が重い。血液に鉛を流し込まれたようだ。
わたしが体を動かしている間にも彼は構わず朗読を続けた。
「僕は、道化になりたかった!僕は人を笑わせる存在になりたかった!僕はせめても人に笑われることで、他人を満たしたかった!
自殺とは敗北である。失敗とは敗北である。自殺の失敗とは敗北に敗北するということである。
敗者に向けられるのは同情だが、敗北に敗北した者に向けられるものは嘲笑しかない。
ならば道化になるしかなかった。道化になりたかった。社会のパロディとして踊り狂いたかった。マイコメディアンに、ライムギ畑の捕まえ手に。
しかし結局のところ人に笑われるということにも才能と努力はいる。ならば道化師と言うのは全員悪人だ。皆ジョン・ゲイシー やペニー・ワイズと同罪だ!幼き子供相手にも愚鈍なように振る舞い、笑いを甘んじて受け入れるどころか、それを糧とする。
聡明じゃない子でも10代に入るころには道化というものの本質を知る。だがそれでは遅い。もっと早く教えてほしかった。自分が道化にもなれない愚鈍な存在であると。
それでも僕は無理な道化を演じるしかなかった。ゴシップロリータの服で皮膚を守り、これ見よがしのリストカット跡で回りをけん制した。僕はメンヘラを演じるメンヘラではあるが、何かを演じているという仮初の安心を着こんで――」
「やめろー!」
わたしはなんとか彼の下にたどり着き、平手で張り倒した。
だが体制を崩しながらも、梅迫少年はわたしから距離をとりつつ新たなるカードのようなものをあたりにばらまき始めた。
「つづきはカードに書かれたURLを検索すれば読めます!ぜひ見てやってください」
「やめろ!まじでやめろ!」
はいつくばってカードを回収しようとするが、数が多すぎる。
わたしがカードに気を取られている間に、彼はその場からすでに逃げ出していた。
「今の何の演説だったの?」「え?何何」「コントか何か?」「うける」「ヘイトスピーチ?」「でもまだ子供だったよ」「だから何があったの」「街頭演説だって」「いや違うって」「URLで出てきた娘ちょっと好みなんだけど」「えー趣味悪」
ギャラリーが集まってきた。ここはもう諦めるしかない。
わたしは「おほほ、弟が粗相を働きましてごめんあそばせ」と自分でもどういうなりきりなのかわからない、雑なことを言いながら少年の後を追う。
やられたというべきか、そうでもないというべきか。
あの文章は、わたしが中学生のころに書いてブログに乗せていた奴だった。顔は隠してあるが、ゴスロリの服を着た写真も貼ってある。
どうやら彼は、わたしを精神的ないし社会的に殺したいらしい。
成程、確かに私は彼を殺そうとした。逆に彼がわたしを殺したいと思い、こういった行動をとるのは必然なのかもしれない。バカみたいな方法だが、お互い馬鹿なので、ある意味ふさわしいのかもしれない。
だが悲しいかな人はそう簡単には死なない。
先ほどは突然のことで動揺したが、ブログを消していないということは、別に見られても仕方がないと考えているということだ。
わたしは過去を恥じに思いこそすれ、過去を否定することはしない。結局のところ過去を無かったことにはできないので、受け入れるしかない。だから黒歴史のブログだろうが、ノートだろうがぞんざいに保管してあった。
しかし、夜の大通りを駆けながらも、わたしは今この状況を楽しんでいることを自覚していた。期待を上回ったかは、置いておくとして、彼は予想は上回ってくれた。ならばこそ応えよう。
あの時わたしに普通に殺されてればよかったと思うくらいに、恥ずかしい目に合わせてやる!
戦争だ!
校門から部活を終えたであろう生徒が、まばらに吐き出されていた。
疲労感をたっぷり顔に張り付けながらも、どこかまぶしさを感じる顔々だった。
わたしは校門前で誰かを待ってるほうを装いながらも、携帯で昔のブログを検索していた。
思った通り閲覧数はそこまで伸びていない。個人情報はあまり乗せてないし、痛いポエムが並べられてるだけのつまらないホームページなのだから当たり前だ。あれぐらいのは、ネットの海にいくらでもある。
試しにURLで検索してみると、このブログを晒しているツイッターのアカウントが見つかった。
呟き内容から察するに十中八九梅迫少年のアカウントだ。呟きやフォロー数はそこそこあるが、フォロアーが5人しかおらず、そのすべてがスパムアカウントだった。
かわいそうだったので、とりあえず出会い系スパムっぽいアカウントを新しく作りフォローしておいた。
さてと。
あたりを見回し、手ごろな生徒を探す。
わたしはおとなし過ぎない、かといって不良じみてもない、一人で歩いている普通の一年生男子に目星をつけて、出来る限り話し方が緩くなるように話しかけた。
「あのお、すいませんーちょっといいー?強介はー、あっ違った、梅迫強介君はーまだのこってる感じー?」
「梅迫君?別のクラスなのでちょっとわからないですね。梅迫……強介君のお姉さんですか」
「セフレですー」
「セフレって何です?」
「えー、とぼけてる感じー?リアルにー?うけるー?」
「す、すいません浅学で……」
「君マジハーケンクロイツだねー」
「???」
「お友達に聞いてみるといいよー。それか、あそこにいる先生とかー」
「はい!聞いてきます!僕わからないことが嫌いなんです!」
「真面目だねー。頑張ってねー」
わたしはそそくさとその場を後にした。
思ってた流れと違ったが、目的は果たした。通報される前にさっさとこの場を後にするとしよう。
さて次はどうしようか。
「待ってください!」
声の下方を向いてみると、可愛らしい中学生の少女っぽい子がいた。
こちらを向いているが、あんな子がわたしに用があるとは思えないので別の人に言ったのだろう。
気を取り直して、別の場所に移動しよう。
「そこのあなたですって!不良女子高生からサブカル好きにジョブチェンジしたみたいなあなた!」
……残念ながらその外見に当てはまるのはわたししかいなかった。
「まあわたしとしてはサブカル好きを演じているみたいなところはあるんだけどーそれはそれとして駕籠真太郎とかは好きみたいなー。サブカル好きを演じてるサブカル好きみたいなー」
「いかにもサブカル好きが言いそうな言葉ですね」
「そりゃどーも」
「そんなことより!梅迫君とはどういう関係なんですか!」
「えーなんでそんなことあなたに話さなきゃいけないのー」
「あたしは……梅迫君の、か……彼女です」
「ふーん」
「ですから、先ほどの話を聞いてたのですが、変なデマをばら撒こうとしないでください!」
「うーん、あなたABCで言うとどこまでいってるのー?」
「え……え……」
「A-?」
「エックスです!!Cなんて赤子のころに通り過ぎました」
「すごーい」
何がすごいのかわからないところが凄ーい。
「というかその変な喋り方やめてください!」
「それはそうとして彼女のアレって何センチなのー?」
「下ネタはやめてください!」
「えー身長の話だよー何を想像したのかなー」
「またベタな……」
「やーい、頭おちんぽまみれー」
「やめろ!やめてください!」
これぐらいにしておくか……
とりあえず目の前の子を携帯の写真で予告なく撮影した。
「な……何で写真撮ったんですか……?」
「いや強介君女装似合うなって思って」
「な……なんのことです……。あっ、顔が似てるってことですか!?いやー!実は彼とはいとこでして似てるってよく言われるんですよ!」
「そういうのいいから」
梅迫少女こと梅迫少年は顔を真っ赤にした後、歯を強く食いしばった。そして頭のウィッグを取り外し、地面に落とした。
「……意外といけると思ったんですがね」
「いけてるいけてる。確か男子校だったよね。クラスの姫……いや学園の姫狙える」
「茶化さないでください」
「……ちょっと君が何でこんなことしたのか理解できないんだけど」
「余部さんが根も葉もない噂を流すことは予想していました。なので俺の彼女と言う設定の娘を作り出し、評判を元に戻そうと……とは言っても女装した俺だとばれたら、余計に学校にいられなくなるので余部さんで練習しようと」
「アホじゃないのかな」
「それはお互い承知のはずです」
「うんまあ」
まあいいや。
はてさて。彼は次はどんな手を打ってくるのだろうか。
とりあえず今の会話は録音してある。これを彼への脅しに使いつつ、今撮った写真のコラージュ画像をばら撒こうか。流石にいきなりネットにばらまくのはかわいそうだから、ピンクチラシ風の画像を作って目線は隠し、街角にでも貼り付けようか。
と、そんなことを考えてたら、彼が切り出してきた。
「もうやめませんか」
「は?」
もうやめませんか?もうやめませんかって言ったの君?
「こんなことを繰り返していてはお互いが破滅するだけですよ」
「いやいやいや。喧嘩を始めたのは君じゃん」
「いいえ。あなたが俺を殺そうとしたことから始まりました」
「詭弁を……いやでも、これからじゃん。これからどんどんエスカレートしていき、お互いに破滅の末までいこうよ!ここで終わったら『戦争だ!』とか考えてたわたしが馬鹿みたいじゃん」
「お互いに破滅するというのは大変魅力的な考えです。確かに」強介君は周りが気になるのか、電柱の影に移動した「確かに俺たちはどうせろくな生き方ができない。ならばいっそこのまま共倒れした方が楽なのかもしれない」
「わたしは破滅願望はないけど。死ぬ気で頑張れる人に自殺願望があると称するのは嫌い。わたしは多少ずれていても死ぬ気で頑張れるひとになりたいってだけ」
「俺たちは人に合わせるってことが苦手だ。だから苦手だからこそ精一杯悪ノリも他人とにあわせようとする。どこまでが喜劇でどこまでが悲劇なのか理解できない。今回はお互いの悪乗りに合わせてエスカレートを望んでる。そして最後に待つのは社会的な死」
「……それで?怖気づいたの?」
「お互いに不幸になるだけならもっといい方法があるってことですよ」
「例えば?」
「例えば……」
そこでなぜか、少年は顔を下に向けた。
「早く答えてほしいんだけど」
「ここで例として言うのは違うっていうか……例じゃなくて願望?いやお願い?」
「言いたいことがわからない」
「えっと……それはつまりですね」
梅迫少年は大きく深呼吸をすると、いつになく真剣な顔をした。
いくら真剣な顔をしても、今は女装をしているので締まらないんだけども。
それでも自らの滑稽さを自覚しながらも、真剣であろうとするのは、わたしの……わたしたちのかつて目指した道化のあるべき姿なのかもしれない。
「好きです。一緒に不幸になってください」
かくして彼の最後の攻撃は放たれた。
◇ ◇ ◇
場所を変えましょう。
流石に女装姿で、それもたくさんの人が通る道で真面目な話をすることに耐えられなくなったのか、彼はそう言った
海のさざ波が聞こえてきた。霧は出ておらず、遠くに船の明かりが動いているのが見えた。
いつもの海岸。始まりの海岸。見飽きた海岸。
「見飽きたんですか?お気に入りってブログに書いてありましたけど。俺はあのポエム好きですね、『わたしは霧が好きだ』から始まる奴」
「黙れ」
「というか昔は一人称『僕』だったんですね。いつ変えたんです?」
「黙れ。さっきの話の続きをしろ」
「……」
「肩をすくめるな」
「何で怒ってるんです?」
わたしは軽く咳払いをする。
「まあ」気を取り直して、わたしも彼を習って肩をすくめて見せた「悪くない攻撃かもね。いきなり告白して、動揺を誘うっていうのは。実際君みたいなかわいい子に告白されて悪い気持ちはしない。私と君が同年代ならもっと効果はあったかもね。でも残念、私は君より5歳も年上。それに私はこう見えてというか見た目通りと言うか、経・験・豊・富だからね。動揺はしない。そもそもわたしが初めに君を殺そうとしたのは、簡単に説明すると、同族嫌悪、と言うことになるからね。嫌いな人に告白されるというのは結構嫌悪感があるよ。でも露骨に嫌悪感を表すのは、中学生相手に大人げないとは思ってるから、ちゃんと『気持ちは嬉しいけど』みたいな態度はとってあげる」
「めっちゃ早口ですね」
「はー?早口?いつもと同じくらいですけど?何勘違いしてんの?わたしがあなたの告白に動揺してると思ってるの?あなた自意識過剰で寡廉鮮恥で厚顔無恥で性欲旺盛で唯我独尊なんだけど!いや、わかるよ。わかる。君ぐらいの年齢になると、道行くすべての人が、自分を好いていると勘違いしがちになる。君みたいに多少顔がいいと尚更。でも悲しいかな、現実はそんなことはない。人に愛されるというのはそれ相当の努力が必要なの。それを知って皆大人になっていく。おめでとう。君はまた一歩大人に近づいた。と言ってもわたしも大人にはまだまだ遠いんだけどね。なんて。というかなんか熱くない。いや熱くないよ。熱くない。あ、今勘違いしたでしょ。動揺して汗かいてるって。まあ勘違いと言う自分の妄想に浸ってるのも悪くないと思う。わたしも普段そうしてる。あ、そうそう。忘れてた。演じてるの!わたしは君に告白されて動揺してる自分を演じてるの!。いやーこまるわー。わたしぐらいになると何かを演じてるってことに気が付かなくなるから。ごめんんね勘違いさせちゃって」
そこまで言ってから息継ぎを全くしていないことに気がついて、脳が急に酸素を欲し、強くせき込んでしまった。
いかん。このままでは、彼がわたしが動揺していると勘違いしてしまう。
落ち着け。とりあえず一服しよう。大きく息を吸い込み、電子タバコを取り出して口にくわえた。
「落ち着きました?」
梅迫少年はすでにトイレでいったん学生服に着替えていた。平たい岩の上に登り、こちらを見下ろしていた。
「だから最初から落ち着いてるって」わたしはチョコミント味の息をゆっくりと噴き出す。暗闇越しにわずかに見える紫煙を眺めて落ち着いた「まあ、訳を聞こう」
「好きな理由ですか?好きなのに理由がいるんですか?」
「生意気な……」
「しいて言うのなら、それが春さんにとってのブログと同じことですよ」
「どこが?」
「春さんのブログは自分語りをひたすら繰り返していただけだ。あんな誰も共感できない思考を垂れ流したところで、何の意味もない。それでも、あなたはなぜあんなものを書いていたのか。ネット上にアップしていたのか。それはもしかしたら誰かに共感してもらいたかったからでしょう?」
「あの頃のわたしは若かった」
「今の俺の方が若いですよ。だから同じ感性を持っているという人に合うと同族嫌悪より好感を持つ。本当はあなたもそうじゃないんですか?」
「はーつまんない。結局似ているから付き合おうだなんて、平凡中の平凡。もっと気の利いた理由を期待していたのに。もっと乙女心にキュンキュンさせる訳を話してほしいな」
「乙女なんです?」
「揚げ足をとるな!」
「そうですね、でも結局お互いに誰とくっついても性格上対して幸せにならないなら、同族でつるんでお互いの傷をなめ合うのが一番の最適だとは思うんです」
「最適だから付き合うってのが、ちょっと消極的で受け入れられない」
「確かに最適と言う言葉は良くないですね。じゃあこういうのはどうですか。お互いの相性が最悪だから付き合いましょう」
「ほう」ちょっと惹かれる。「悪くないけどわたしがあと4年若ければ……具体的に言うと中学2年生の感性を持っていれば飛びついたかもしれない案だね」
「今も持っているでしょう?中学二年生の感性」
「誰が中二病のメンヘラのサブカルクソ女だ」
「そこまでは言ってません」
というか何をしてるのだろうわたしは。
こんなのは、さっさと理由を付けて断ってしまえばいいのに。
理屈っぽい恋愛観は嫌いだ。でも感性に頼る動物のような恋愛観も嫌い。
でも彼の言葉を聞いていると付き合った方がいいんだろうか、という気分になってしまう。
「最悪だから付き合うってのは、具体的にはどういうこと?」
「俺たちはその場主義です。だから将来の幸せののためなんて考えない、その場の……えーなんて言ったらいいのか……」
「その場の快楽のために付き合う?」
「ちょっといやらしいですね」
「違うならじゃあなんなのさ」
「その場の幸せ……と言うのは違いますね。じゃあやっぱり快楽なのかな……」
ぐだぐだじゃないの……
「つまり後先考えずに俺とセックスしてくださいってこと?最低……」
「そんなこと言ってません……というか今の誘導尋問ですよね?」
らちが明かない。このままぐだぐだとよくわからない恋愛論を話し続けなければいけないんだろうか。
それでも切り上げられないわたしがいた。ここで無理やり帰ったら一生後悔しそうな気がした。
変な話を聞かされることには、嫌悪感よりじれったさを感じていた。
わたしはあたりを見回した。
周りに人影はいない。対岸の半島の街の夜景が澄んだ空気を通して煌めいていた。空を見上げると星々に見下ろされているのがわかった。遠くで間延びした汽笛が聞こえる。
悪くない。シチエーションとしては悪くない。
指をちょいちょいと動かし、彼にこちらに来るように指示をした。
「わたしの目の前に立って」
「な、なんなんですか?なんか怖いですよ」
わたしは拳を目の高さまで上げた。
「歯を食いしばって」
「え、えー……殴るんですか?いや今の流れは絶対誘導尋問ですって。どっちかと言うと今までの流れからしてセックスしたいとか言い出しそうなは春さんの方で……」
「歯を食いしばって」
「はい……」
「目を瞑って」
「……はい」
「強介君」
「はい?」
「ごめんね」
わたしは梅迫強介の唇に、余部春の――わたしのくちびるを強く押し付けた。
「!?」
驚き、暴れようとする彼の頭を、背中から回した両手でがっちりと固定する。
チョコミント味の息を、彼の隙間から風船を膨らますように入れた。彼の中に侵入しようとしたが、歯ががっちりとかみ合っているためにうまく入れない。隙間を縫うように彼の歯茎と唇を舐めた。
そして彼を地面に突き飛ばした。
「うぐ」
暗がりでよくわからないが、梅迫少年は何が起こったのかわからないという顔をしていた。
クエッションマークを額に浮かべながらも、少年は立ち上がる。
わたしは手ごろな岩に乗り、彼を見下ろしていった。
「どうだった?ファーストキスの味は?」
「……良くはないですね」
「ちなみにわたしはファーストキスじゃなかった」
「まあ、そりゃ……」
「わたしは今ので二回目。初めては母親の再婚候補相手だった」
「……」
「母の再婚候補相手はパッと見いい人で、40歳だけど結構イケメン。普段の行いも行儀が良くて、物腰が柔らかでユーモアのセンスがあって性格も悪くない。わたしもこの人ならいいかな、って思い始めていた。でもそれも一週間前まで。一週間前に酔った勢いで唇にキスされるまで」
「……」
「次の日彼に土下座して謝られて、一緒に母親も土下座してた。それから毎日のように謝られたけど、やっぱり許せなくて、家を出てきたってわけ」
「……」
「つまりいまのは八つ当たり。偶にドラマとかでレイプされた女性が、主人公に『慰めて……汚れを落として』とか言ってセックスするのを見てるとアホじゃないだろうかとか思ってたけど、同じようなことをすることになるとはね」
「そんなシチエーション見たことがありません」
「え?いやあるでしょ。あるでしょ……。いや本当に見たことない?そう言えばわたしもぱっとでない……。あ、あった!あったよ!ゴルゴ!ゴルゴ13で見た!」
「話を続けてください」
「話の腰を折ったのは君でしょ!……えっと、つまりファーストキスが40歳のおっさんで最悪だったので、セカンドキスを中学生の美少年で上書きしようと思って」
「はい」
「はいじゃない!だからこれは八つ当たりなの。結局のところわたしもあいつと同じことをした。嫌いな奴の真似をして、留飲を下げようってわけ。いじめられっ子が殴られたので、ほかの弱い奴を殴って気を紛らわしたみたいなもの。どう?失望したでしょ。無理しなくていいよ。君、震えてる。どう見ても『好きなお姉さんにいきなりキスして貰えてラッキー!!』みたいな顔してない。だからこのはなしはここでおしまい。いくら理屈をこねても、君はわたしを好きになれない。だからこの話はこれでおしまい。さあ、もう会うことはないでしょう。お互い言語一度も会わずに別れ、お互い性格が悪いため不幸になって死にました。嗚呼、ハッピーエンド。嗚呼、カーテンフォール。またのご来場はお待ちしていません。さようなら」
わたしはそこまで言うと後ろを振り返った。
やってしまった。言ってしまった。
例えば二つの選択肢があった時、どちらを選んで後悔するのならば、より後悔する方を選ぶ。わたしはいつもそうやって生きてきた。理屈じゃない。ただ感情の赴くままに選択をしてきたらそうなっただけだ。自己嫌悪の時期は通り過ぎた。それでも嫌な思いが胸に残った。
帰えろう。
なんだかんだ言って義父も土下座までして反省しているのだし、このまま帰ってなあなあの生活を続けるのもいいのかもしれない。なあなあで就職できず。なあなあでフリーターを続け、なあなあで親子関係を続ける。それもいいのかもしれない。
「言いたいことはそれだけですか」
後ろの暗闇から低い声が聞こえた。
背筋が凍る。誰?誰の声だこれは?
「俺ですよ。ここには最初から俺と、あなたしかいない」
「そんな声も出たんだね。凄い怒ってる」
「怒ってませんよ。ちょっと僕の前に来てもらっていいですか?」
「もしかして、殴るつもり?お姉さん女の子を殴るのは感心しないなあ。なんて。わたしは殴られても仕方がないことをしたもんね。いいよ、それで気が済むのなら」
「目を瞑ってください」
「それとも仕返しにキスをするつもりかな?残念。わたしはあなたみたいなかわいい子にキスされてもうれしいだけだから。仕返しにならないよ」
「……」
「な、殴るなら顔はやめてくれると嬉しいな。お腹なら大丈夫だからさ」
「黙って」
「はい……」
どうしよう。めっちゃ怖い。
目を瞑って殴られるのを待つのって、思った以上に恐怖を感じる。
こんなことなら変なプライドを持たずに、走って逃げればよかった。
実はキスでしたってことにならないかな……
そうなると、付き合うってことになる?
いやいや、彼がキスして来たら、わたしは彼を軽蔑する。そういう風な性格を演じてきた。
だから名一杯失望した顔を作る準備をしなければ。
そんなことを考えていた次の瞬間――わたしは突き飛ばされ宙に浮いていた。
後ろは確か、海。
私の体を夜の冷え切った海水が包み込んだ。
追い打ちをかけるように、物体がわたしの体に覆いかぶさる。
息を大きく吸い込もうとすると、肺に汚水が入り込んだ。
物体から二本の手が伸びてきて、わたしの首に絡みつく。
首が強く絞められ、意識が遠のいていく。振りほどこうにも、海水が体力を奪い上手くいかない。
ここで死ぬのだろうか。思えば後悔だらけのくだらない人生だった。走馬燈も浮かばない。
だけれども、死ぬのか仕方ないとはとても思えなかった。死ぬのは怖い。
死にたくない。死にたくない。何を成し遂げられなくても、グダグダと生きていたい。できれば同じような考えな人と、傷をなめ合っていきたい。世間への迷惑は最小限に……できる限り最小限にするから
生きたい。
「助けて」
声には出ていなかったと思う。
それでもわたしは強く引き上げられた。
視界が戻ると、目の前に、疲労した梅迫少年の顔があった。月明りをバックにして、海水に濡れているので心なしか輝いているようにも見える。
「これで……これでおあいこですね」
わたしは彼に肩を抱かれていた。
大きくせき込み海水を吐き出す。少年はそれを避けた。
口の中が潮辛さと、泥の気持ち悪さでいっぱいだった。
「どういうこと……?」
「俺はあなたに憧れていたと同時に怖かった。先ほどもキスも怖かったです。だからあなたと同じであり逆のことをした。あなたは僕を助けた後、殺そうとした。俺はあなたを殺そうとした後、助けた。同じです。だから改めて言います。好きです。付き合ってください」
わたしは震えながらも鼻で笑う。
頭に酸素が戻ってきて、寒さを自覚してきた。
「サイコパスかな?」
「サイコパスじゃないですよ。多分ソシオパスです。高性能ではないですけどね」
「ソシオパスと言えばバットマンのジョーカーってソシオパスらしいけどわたしはそれについては苦言を申して建てたい。後天的におかしくなった要素が強いとソシオパス扱いされがちだけど、キリングジョークのジョーカーの過去はやっぱりジョーカーの回想でしかないので、いつものように嘘をいってるのかもしれないし、最初からおかしかったのかもしれない。だからと言って私は彼をサイコパス扱いしたいんじゃない。なんとなくジョーカーはサイコパスであってほしいってライターや読者は多い気がする。創作では魅力的なサイコパスが多いもんね。現に創作で魅力的なソシオパスキャラってあんまりいないと思う。カンバーバッチ版ホームズはまあれはソシオパスキャラとしては異端だし。でもライターによってサイコパスだったり、ソシオパスだったりするのがジョーカーの悪役としての魅力だと思うんだけれども」
「そのはなし今必要ですか?」
「うんにゃ」わたしは力なく微笑んだ「怖くなくなったってことは無理やりキスしてもいいんだよね」
「ええ」
「成る程」
わたしはそう言い終わる前に彼を突き飛ばし海に沈めた。
彼の頭を強く抑え、上がってこられないようにする。
しかし既に消耗し来た体力ではどうもうまくいかない。すぐに逆転され、今度はわたしが下になった。
体力を消耗しているのは彼も同じだ。すぐに私が上になる。
目まぐるしく攻守が入れ替わる。いまだかつてないほどの興奮が脳を支配し、寒さを忘れさせた。
長く続くと、文字通りの泥仕合のように互いにもつれ合うだけになった。どちらが上かも、どちらが下かもわからない。はたから見れば足を引っ張り合って、海の中で抱き合いながら溺れているだけに見えるだろう。
わたしは頃合いを見て、海の中で彼に唇を合した。お互いの体内から酸素を奪わんとせんがごとく、唇を奪い合う。幸せなキスをしたからと言って、殺し合いは終わらなかった。
心中するかのように、海の中へ潜っていく。暗くて深い、闇の底へ。気が遠くなるほどの時間それが続いた。
二人は抱き合いながらも、海の波に揺られる。
気が付くと日が昇っていた。
わたしたちは岸に打ち上げられていた。隣の梅迫少年を見ると意識を失っている。首を絞めようと思たが、流石にそんな体力はなかった。ただ寒さを感じたため体を重ねることしかできなかった。
まぶたを開けているのが限界だった。ひと眠りしよう。この状況でひと眠りをするのは自殺行為の何物でもないとは思ったが、それでも耐えられなかった。
もしも、目が覚めて生きていられたのなら、もしもまた彼と出会うことが出来たのなら。
彼の告白にOKしようと思う。
結局のところこの物語はバットエンドだ。
ただちょっと性格が悪くて不器用なのを、世界のせいにして、思春期をこじらせ、自分が世界に独りぼっちだと思っている二人。
そんな二人が付き合ってもどうせ破局する。それでも刹那的な快楽を求め、お互いの駄目なところを無理やり肯定するために、二人で少しの間だけでも生きようとした物語だ。世間と折り合いを付けずにお互いの傷をなめ合って、この話は幕を閉じる。
それでもわたしはそんなありきたりな終わりであり始まりでもあるものがとてもいとおしいと思ったのだった。




