2、Hide and Seek(その四)
店から歩道に出たところで、アルトは大きく伸びをした。
「ふわぁ……ごちそうさま」
「お前、いつもわざと食べないようにしてるだろ」
意外な指摘に振り返ると、ファルスはやっぱりな、といった風で肩をすくめてみせた。
「飛べない上に、ホントのポテトになるわけにはいかないってところだな」
「……どうして分かったの?」
「あいつもな、同じようにしてたからさ。少しでも軽くなって、飛べるようにってな」
大きな背中が動きだし、仔竜がその後を追う。
「……なんで、飛べないドラゴンを『ポテト』って呼ぶのか、おじさんは知ってる?」
「ジャガイモが芽を出したところって見たことあるか?」
「理科の教科書に載ってたよ」
「で、それを思い出しながら、俺を見てみろ」
新芽がにょきにょきと伸びたジャガイモの写真、それがまん丸の太鼓腹を持つファルスの姿と重なり合う。
「ぷっ」
「……ま、そう言うことだ」
「そ、そっか」
「元々は、空軍関係の俗語でな。空挺部隊を退役した軍竜を冷やかしたのが、始まりだって言われてる」
「空挺部隊?」
「大型輸送機からばらまかれて、都市や局地を制圧する飛行部隊さ」
堤防の向こうから吹き付けてくる潮風が、街路樹を揺らして涼しげな音をたてる。浜辺を見やり、ファルスは首筋を掻いた。
「やってる仕事が、飛べなきゃ話にならない所だからな。厳しい訓練と、普段から必要最低限の食事を強いられるんだそうだ」
「大変だね」
「ところが退役した途端、摂生の反動でぶくぶくに太っちまうんだと。そうなると、二度と飛べなくなるそうだぞ」
アルトは思わず身震いした。飛べるようになっても、空挺部隊だけは絶対に入るまいと心に刻み込む。
「んで、その飛べなくなった体付きが芽を出したポテトに似てるから、そう呼ばれるようになったんだとさ。ポテトの一大産地では、種芋は空から蒔かれるらしいし、そのイメージも重ねてるんだろうな」
「へえ~……」
解説されて仔竜はしげしげと、実物を観察した。
「じゃあ、おじさんも空挺部隊出身?」
「……そういうのは、思ってても口にしないもんだ」
「あはは」
藍色のドラゴンは、アルトの額を軽くつついた。
「まあ……努力するに越したことはないとは思うけど、無理はするなよ」
「え?」
それまでとは打って変わった真剣な表情で、彼はこちらを見つめた。
「世の中万事便利になって、ドラゴンの飛行もそれほど重要じゃなくなってきてる。いずれは飛べるようになるんだし、のんびりやれよ」
「でも……」
「確かに早く飛べれるようになればかっこいいさ。でも、俺を見てみろ」
大きく突き出た腹を叩いて、ファルスはにっこりとした。
「いくら八歳から飛べてたって、こうなったらおしまいだぜ?」
「ぷっ……」
「お前のクラスの一番飛べる奴、ダンだっけ? そいつだって十年、二十年経ったら、まるっきり立場が入れ替わってるかもしれないぜ?」
唐突に浮かんだ想像に、仔竜は思わず吹き出していた。さっきの黒い竜便の姿に自分が重なり、はるか下の方にうごめく、丸くて赤い姿。
口をしっかり閉じて笑いをかみ殺すと、アルトは頭を下げた。
「じゃあ、僕もう行くよ。友達の家に行く約束してるし」
「おう」
少し窮屈な胃袋を感じながら、仔竜は太ったドラゴンを追い越して走りだした。
「お昼、おいしかったよ! ごちそうさま!」
「じゃあな」
しばらく行ったところで立ち止まり、振り返ってみる。
藍色の背中が、港の方へと歩いていく。遠くからでも一目で分かるまんまるな姿に、悪いと思いつつ笑みがもれた。
「……へんな竜だったな」
さっきの会話を思い出し、また口元がほころぶ。
「ほんと、へんな竜」
そう呟いて、青い仔竜は友人の家を目指して走りだした。約束の時間に遅れた言い訳を考えながら。
次の日も、相変わらずセドナの空は青かった。降り注ぐ日差しがむぎわら帽子を貫いて、髪の毛の間に汗を浮かばせていく。目の前を過ぎるトラックを眺めながら、アルトは横断歩道の前で立ち止まっていた。交差点の向こうにはなだらかに続く坂道が、その果てに学校がある。
信号が青に変わり、仔竜は足を踏みだそうとした。
その途端、頭の中にひたすら滑走と墜落を繰り返す自分のイメージがよぎる。気が付けばシグナルは赤へと転じ、次々と車やバイクが横切ってった。
やがて、彼は学校から視線を外してポートの公園へと歩きだした。
入り口を抜け、芝生を横切り、誰もいないはずの秘密の場所へ。
臨時着陸場には一人の先客がいた。
丸い体を緩衝器に押し込むようにして座る背中。ファルスはこちらに気が付き、首をめぐらせて片手を挙げた。
「悪いな。またお邪魔してるぜ」
「こ、こんにちわ」
そう言ったきり、アルトは黙り込んだ。何か言われるだろうか、飛行の訓練があることは話してある。何か言われるよりも先に、仔竜は発着場から逃げ出そうとした。
「いい天気だな」
「う……うん」
「ちょうどアイス買ってきたところなんだ。一緒に食わないか?」
片手に抱いた小さなバケツほどもある容器から、乳白色のバニラがすくい取られる。それを美味そうに舐め取ると、彼は何気ない様子で言葉を継いだ。
「秘密基地の間借り賃ってことでさ」
「……それ、おじさんの分でしょ? 僕が食べても大丈夫?」
相手の食欲を考えたこちらの言葉に、ファルスの片目がいたずらっぽく閉じられた。
「溶けちゃうんだよ、もう一個」
緩衝器の影から取り出される、かなり小振りな容器。
「今日も暑いし、ちょっと休憩していけよ」
「ありがと……おじさん」
仔竜はそれを、深い安堵とともに受け取った。