2、Hide and Seek(その二)
体中についた木の葉を叩き落として、大きく伸びをする。
目の前に広がった校庭ほどもある空間。雑草がはびこる中にレールが何本か敷かれ、その端の方にアルトの背と同じくらいの、大きな車輪がついたかごのような物が並んでいる。
観光シーズンや天候の急変によって、ランディングポート内の着陸施設でまかないきれない時に使用される臨時着陸場。特別な理由が無いかぎり立ち入りは禁止なのだが、フェンスの一部に隙があり、そこから通り抜けられることを知っていた。
誰もやってこない、静かな自分だけの世界。ここの存在はテッドにすら教えていない。
車輪の上の荷台には斜めに板が立てられ、その回りをネットが被っている。着陸時の衝撃を和らげる緩衝器。その内の一つに、青い仔竜は座り込んだ。
内側にはスポンジでクッションが張られ、斜めになった板の裏にはスプリングが入っているので、ちょうどドラゴン用の安楽椅子の形に似ていた。
板の上にうつぶせになり、アルトは視線の果てにそびえ立つ塔を眺めた。再び屋上から、新たな点が蒼空へと射出されていく。
「あそこから打ち出してもらったら、落ちるまでに飛べるかなぁ……」
仔竜の口元に、思わず苦笑いがこぼれる。
ポートを利用できるのは航空免許を持つ十六歳以上、しかも屋上の射出機は長距離以外は使用できないことになっている。
航空免許取得の第一条件は、学校で飛行できると認められている事だ。
「はぁ……」
学校で飛べなければ大人になってもポートは使えない。ポートが使えないということは航空免許がないということ。航空免許がなければ、ブレイズのプレイヤーになることもできない。
「ライル」
彼の名前を苦い思いで口にする。心に浮かび上がった不安、このまま自分は飛べないまま、あこがれたあの場所に行くこともなく終わるのか。
アルトはかぶりを振ると緩衝器から降り、翼を広げた。
それから、思い描いてみる。
スタートポートの一番グリッド、そこで身構える自分の姿、シグナルが赤から緑へ。
心の中の自分がホームストレートへと滑り降り、つられて現実の自分が、翼を広げたまま地面を駆けていく。
「さあ、勢い良く飛び出しました、アルト・ロフナー。序盤より後続を大きく引き離して、快調な出だし」
緩衝器の間を擦り抜け、レールの上を駆け抜けていく。踏み付けられた雑草が足元でがさがさ言うが、スポットの音ということで無視する。
「最終スポットを抜けて、ホームストレートへ……っと、ここで背後からものすごい追い上げだ!」
イメージのアルトの背後から追い上げてくる、深い青色のドラゴン。
「さすがはライル、新人のアルトをものともせず、ライトニング・フォールで瞬く間に一位へと躍り出た!」
自分を引き離して行くライルの尻尾が、小馬鹿にするように左右に揺れる。時々ライルがやっていた挑発のサインを、イメージの彼も同じように繰り出してきた。
その姿に笑いかけ、その背中に追いすがろうと、アルトがさらに加速する。
「二人の距離は変わらぬまま、アッパースポットに突入! お互いに急降下の構えだ!」
茂みに近いレールの前へ、一気に走りこんでいく。
「ゴールまで、あと四百、三百、二百、百……っ!?」
いきなり誰かが木立を抜け、進路を塞いだ。必死に足を踏ん張るがとても間に合わない。
「ど、どいてぇっ!!」
「んなぁっ!?」
鈍い衝撃とともに、アルトと相手はお互いを弾き飛ばして、地面に引っ繰り返った。
「ってぇ~……」
「ご……ごめんなさい!」
ぶつけた鼻と背中と翼に痛みを覚えたが、すぐに起き上がって頭を下げる。
「あの、僕は、いつもここで遊んでるってわけじゃなくて、今日はたまたま学校帰りで、友達の家に行くのにはまだ時間があって、その」
「う~……なんだってぇ?」
頭を振りながら起き上がってきた相手を見て、アルトは半歩後ずさった。
藍色の肌を持つ大人のドラゴン、なのだが。
まず目に付いたのが、大きく突き出た腹だった。半袖のチュニックを身につけているが、服の前後を合わせるベルトが一番端の穴のところでようやく止まっている。
頬やあごの下は豊かに肉付き、首回りもゆるんでいる。大きなズボンからは太い足と、ソーセージを思わせる形に膨れた尻尾が出ていた。
制服でないところを見るとポートの職員ではなく自分と同じ部外者らしい。ちょっと安心すると、アルトはもう一度頭を下げた。
「ごめんなさい、大丈夫ですか?」
「なんでわざわざこんなところを走ってんだよ。遊ぶならもっと別の場所があるだろ?」
「ごめんなさい……」
「まぁ……いいけどよ。次はもっと気をつけて……ああっ!?」
絶叫した彼の視線の先に派手に破れた紙袋がある。破れた隙間から小さな包み紙が転がり、中に入っていたハンバーガーがほとんど土にまみれていた。
「ああ、畜生!」
「あう……」
大慌てで無事な物を拾い始めるドラゴンと一緒に、仔竜も作業を手伝った。
「ごめんなさい。ほんとにごめんなさい!」
「謝るより先にそっちの足元にあるの拾ってくれ!」
しばらくの奮戦の後、わずかに無事だったハンバーガーを片手に抱えて、彼は嘆息した。
「やれやれ、せっかくの昼飯が台無しだよ」
「あの……ごめんなさい」
「あ~?」
難しい顔をしている相手に向かって、アルトは再び頭を下げた。それから緩衝器の近くに置いてあったカバンを取って戻ってくる。
「それで僕、あんまりお金もってないから、弁償とかできそうもないし……だから」
小さな布包みを中から取り出すと、相手に差し出した。
「僕のお昼なんですけど、全然足りないと思うんですけど……」
「当たり前だ! 食えなくなったハンバーガー三十個分、どうしてくれんだよ!」
「う……」
相手は目を吊り上げてこちらをにらんでいる。唾を飲み込んで、仔竜はポケットの財布を差し出した。
「ごめんなさい、これで、許してください……」
怖さと後悔で体が震えてくる。自分はどうなるんだろう、殴られるのか、それとももっと金をよこせとか言われるんだろうか。こんなことならまっすぐテッドの家に行っていればよかった。嫌な想像が頭をぐるぐるめぐりだして、ぎゅっと目をつぶった。
「……わかったよ」
「え……?」
「わかったからとりあえず、それしまえ」
恐る恐る顔を上げると、太ったドラゴンは苦い顔のまま片手をひらひらさせていた。
「でも……」
「いいからしまえって!」
相手の怒声に体が再び縮こまる。そのまま硬直していると、太ったドラゴンの影が深いため息と一緒にかすかにしぼんでいくのが見えた。
「怒鳴って悪かった。もう気にしてないから、財布はしまってくれ」
「で、でも」
「頼むよ。でないと、俺がお前から金を巻き上げてるように見えちまう」
のろのろとポケットに手の中の物を戻す。それでも顔があげられず、仔竜はきまずい沈黙を感じたままその場に立ち尽くしていた。
荒々しく頭をかきむしる音。それから、大きな手がそっとアルトの頭に触れた。
「それなら……お前、この辺りで美味い料理を食わせてくれる店を知ってるか?」
意外な一言に彼の顔を見上げて、少しばかり考えてみる。
「僕の誕生日の時に行くお店なら知ってるけど……」
「……チェーン系のレストランじゃないだろうな?」
「そういうんじゃないと思います。結構有名なお店みたいだし」
手元に残ったハンバーガーを一瞬のうちで食べきってしまうと、太ったドラゴンは頷いた。
「わかった。んじゃ、案内頼むよ。お前の名前は?」
「あ、アルト、です」
「俺はファルス。それから、別に敬語はいいからな」
そう言うとファルスは窮屈そうに身を屈めながら、茂みへと入り込んでいく。その後を追ってアルトも着陸場を後にした。