2、Hide and Seek(その一)
「よーし! それじゃみんな聞け!」
あいかわらずバカでかい声を張り上げて、ハワード先生は目の前に並んだ仔竜を見渡した。
「お前達Eクラスは滑走を中心に練習することになる。授業でもやっていると思うが、滑走は飛行を行う上で大切な基本姿勢を体に叩き込み、ポートから飛び立っても体を支えることのできる翼の筋力を鍛える効果がある!」
夏の日差しと熱された校庭の暑さに体をあぶられながら、アルトは複雑な気持ちで体育教師の説明を聞いていた。自分の目の前には今年から飛行の授業が始まった四年生や、低層部の飛行に入っているはずの五年生が並び、真剣な表情で先生を見つめている。
「滑走は、現役のスポーツ選手も毎日欠かさず行っている訓練だ。その重要性を理解して、手を抜かずに練習すること。分かったな!」
元気よく返事をする生徒の中で、アルトは返事にも満たないうめきを漏らした。なぜならハウリンの言葉は、去年この校庭で聞いたものとそっくり同じだったからだ。
あの時はまだ、この練習で自分も飛べるようになると信じていた。だが、その期待は失望に変わり、すでに諦めに近い感情に変わりつつあった。
「それでは四年生から順に五十メートルダッシュ! 終わったら整列して待て!」
言われたとおり四年生が大きく翼を広げて白線の引かれたコースを走っていく。バランスがとれずに右左へ揺れてしまう仔や、翼がどんどんすぼまっていく仔、それでもみんな一生懸命走っている。
「ほら、ちゃんと翼を広げて! 少し走ったら軽くジャンプ!」
声にしたがって一人の仔竜が軽くジャンプする。その体が一瞬空に浮くが、翼から力が抜けて空に向かって閉じられてしまう。
「もっとしっかり翼を支えろ! 背中に押し付けるようにして水平に保つんだ!」
仔竜が走り、軽くジャンプする。そして滑空。次々にアルトの前から生徒がいなくなる。
「次!」
「は、はい!」
翼を広げてアルトは走り始めた。ピンと張った翼が風を切り、体がすいっと背中側に向けて引っ張られる感覚が生まれ、一歩ごとに足が地面から離れていく。
「ほら、そこでジャンプ!」
爪先立ちになりながらアルトの足が砂場を蹴る。浮き上がった体が大きく飛び上がり、そのまま一メートルほど空を泳いで地面に着地する。
「よし! その調子だ!」
すでに走り終わっている仔竜たちがこちらを見つめている。練習しているドラゴンの中で、アルトのジャンプは誰よりも高く、きれいな放物線を描いていた。
「よし。それじゃ、次はトラックに移動してカーブの練習だ! ……アルト!」
一緒に行こうとした青い仔竜を呼び止めて、教師はちらりと練習用ポートに目を向けた。
「お前はポートで練習だ」
「え、でも」
「フォームを見ていたが特に問題はないようだし、どんどんポートから飛んで感覚を掴んだほうがいいだろう」
何か言おうとしたアルトの顔を覗き込んで、教師は力強く宣言する。
「失敗するのも経験だ。恐れずにどんどんやってみろ」
「……はい」
相手の熱意とは裏腹に、仔竜の心は待ち受ける結果を予感して、冷たく沈み込んでいた。
誰一人いない坂道を、アルトは下っていた。自分以外の仔供たちが去っていくのを見計らって出てきたのだ。今頃はみんな、家に戻るか町へ遊びにいっているはずだ。
練習は散々だった。
何度繰り返しても、自分の体は地面にまっさかさまに落ちてしまう。ポートのぎりぎり端で飛んだり、助走を付けてみたりもしたが、結果はいつも決まって落下だった。
『ほら、もう一回!』
そう言う先生の顔がどんどん険しくなり、最後に怒ったような表情でこう告げられた。
『……仕方ない。明日から滑走に戻れ』
しばらく様子を見る、それがハウリンというあだ名にそぐわない、消極的な答えだった。
正直、滑走に関してはもう何も期待してい。なぜなら、四年生の頃から誰よりも先に上手にできていたからだ。大きな体をもてあましていたダンよりも早く。
それなのに自分は未だに飛べていない。一体何が悪いのか、それすらも分からない。思えば思うほどイライラした気持ちが募ってくる。
気が付くと、いつの間にか坂道は終わって交差点にたどり着いていた。
街路の脇に建てられた時計が十二時五十分を指している。今日は午後からテッドと遊ぶ約束をしているが、とてもそんな気分にもなれない。
「はあ……」
嘆息して、アルトは交差点をテッドの家のある直進ではなく、左へと曲がった。
コンクリートや石作りのビルが立ち並ぶ通りを抜けてしばらく歩くと、行く手に緑の木々が生い茂る空間が現われる。その彼方にひときわ高くそびえ建つランディングポートが見えた。 ランディングポートの周辺には色々な制限があり、半径十キロに渡って高層建築を建てられない決まりになっている。そのため、大抵のポートは周囲に緑地帯を造り、公園として一般に開放していた。
横断歩道を渡り、緑の木々が作り出した門をくぐると、アルトを色々な食物の匂いが出迎える。入り口近くのあちこちに、ホットドッグやアイスクリームなどを売る屋台が並び、鼻腔と胃袋を刺激された人々が群がっている。
緑の芝生のむこうには噴水を囲む広場があり、ストリートオルガンの音色に合わせ、銀色のリングを器用に投げ交わすジャグラーや、色とりどりの風船を配っている者の姿が見える。
そして、いつも以上の仔竜や子供が混じりあって、一層の賑わいを見せていた。
「おじさん、ソーダ一つ」
「あいよ、ソーダね」
お金を手渡すと、出店の主人からビンを受け取って歩きだす。甘く喉元を弾けて過ぎる液体を飲み下しながら、アルトは空に視線を移した。ちょうど、ポートから射出された竜便がまた一人、空を駆け上がっていくのが見えた。
「いいなあ……」
黒い肌を持つそのドラゴンは十字型を乱さずに飛翔していった。体も引き締まって余分な所がなく、ブレイズのプレイヤーを彷彿とさせる美しさがあった。
竜便の姿を見送ると、アルトは少し首を傾げて思案した。
(……今日は月曜だし、天気もいいから大丈夫だよね)
頷くとアルトは歩道を抜け、ある場所を目指して歩きだした。