11into the sky
磨き上げたような青が、空と海を彩る季節。そんなセドナの夏をかえりみる事もなく、二つの影が坂を駆け下っていた。
「だから昨日聞いたじゃないか! 宿題終わってるかって!」
「しょうがないだろ! 色々あってやり忘れたんだよ!」
息を切らせながら言い訳をする青い仔竜。その背丈は一年前よりも少し伸び、体付きからもひ弱さが消えている。
一緒に走っているヒューの少年よりも成長しているように見えるが、言い訳がましいところは変わっていない。
坂道を下りきって信号を渡り、二人は真っすぐアルトの家をを目指した。
「ただいま、かあさん!」
「お、おじゃまします!」
挨拶もそこそこに、アルトは階段を駆け上がった。続いて、靴をそろえたテッドがその後に続く。
「アルト!」
「なに!?」
「手紙が来てたから、机の上に置いておいたわよ!」
部屋のドアを抜けてすぐ仔竜は自分の机に目を走らせた。ラグーンレースの優勝メダルと、並んで置かれた記念写真。
その手前にある封筒を一瞥して、アルトは顔を輝かせた。
「ごめん、ビデオの準備やっといてくれる?」
「……ファルスさんから?」
頷くと、仔竜は大急ぎで封を解いて、折り畳まれた一枚の紙を取り出した。
「ファルスさん、何だって?」
「待ってよ……今読むから」
大慌てで録画の準備をしているテッドのために、アルトは手紙の内容を読みはじめた。
『アルトへ
あんまり返事書けなくてすまない。こっちもかなり忙しい上に、手紙なんてあんまり書かないから、つい遅れちまう。
今年のレース、悪いが見にいけそうもない。本当にごめん。でも、ちゃんと応援してるから頑張れよ。あとで結果報せてくれ。
俺の方はなんとかやってる。さぼりにさぼってたおかげで、相当きついんだけどな。でも、挫けたり嫌になったりする度に、お前の事を思い出してる。お前に貰ったカードを眺めながら元気を分けてもらってる。
ありがとう、アルト。お前が居てくれたから、俺も頑張れるんだ。
それじゃ、短いけれどここら辺で。
ファルス
追伸、ライル、復帰するみたいだな。きっとお前の気持ち、通じたんだと思うぜ』
読み終えると、青い仔竜はため息をついた。嬉しさと寂しさの少し混じった吐息が、手の中の紙片を揺らした。
「おじさん、来れないってさ」
「しょうがないよ。向こうは仕事なんだし」
「また、夏休み取ればいいのに……」
ぼやくアルトをなだめながら、テッドが時計を指差す。リモコンを手に取ると、アルトはテレビの電源を入れた。
『昨日までの雨がきれいに止み、雲一つない快晴が広がるマレーネ・サーキットです。サラマンダー・ブレイズ・ワールドグランプリ、第三戦の模様をお伝えします』
ビデオの中では、録画のためにテープが唸りはじめている。画面の中ではサーキットの遠景や観客の姿が次々と映し出されていく。
『……ますが、今回のレースはいつもとは別の緊張感が流れています』
画面が切り替わった瞬間、アルトは思わず目元が痛くなった。
全身を隙なく覆う耐火スーツに包まれた、藍色のドラゴン。以前よりも少し痩せて見えるがそこにいるのは紛れもない、待ちわびた姿だ。
『今から四年前、ここマレーネで事故を起こして以来、消息不明だったライル・ディオス……現役復帰の記念すべき第一戦を、この悪夢の舞台で行なうことになります』
『彼自身、相当な意気込みでこのレースに臨んでいるでしょうね。しかも、今回はプライベートです』
狭い控え室の中にひしめくドラゴンたちのスーツには、チームのロゴやスポンサーのデカールが貼られているが、ライルの物にはチームのロゴすらない。
『情報によれば、復帰に際してシエルからのオファーを留保。復帰第一戦のプレイを見て改めて検討してほしいと言ったそうです』
『彼のプライドが、安易なワークス参加を許さなかったんでしょうね』
チームへの復帰ではなく選手としての復帰。その発表を新聞や雑誌は『驚くべきこと』と書いていたが、アルトにとってはライルが帰ってきただけでうれしかった。
『さて、いよいよリフトアップです』
控え室から出た彼らが、暗く何もない広間に並ぶ。と、天井が開け放たれて、床がせり上がっていく。
リフトが停止すると、画面には水溜まりの残るコースや満員の観客席が映りこみ、その熱気が音声を伴って伝わってきた。
『今……第一スポットに、火が入りました!』
勢い良く吹き上げた炎が、空気を灼いた。いつもと変わらぬブレイズセレモニーに、アルトは顔をしかめた。
「ちょっとくらいライルに気を使うとか、そういう気持ちはないのかなぁ、もう!」
「でも、ライルは気にしてないみたいだよ」
たしかに、藍色の顔には気負いもおびえも感じられない。仔竜は少し安堵した。
『関係者の間では、重度のパイロフォビアによって現役復帰は絶望的と見られていたそうですが、そんな様子は微塵も感じられません』
『しかし、ブランクの問題はあるでしょうね。それを意識してか、事故前のベスト体重から五キロほど絞り込んできてます』
少しやつれたようにも見える表情。だが、彼の瞳に宿っているのは、以前の物とは比べようもない闘志だ。
『各竜、スタートラインに立ち最後の確認……シグナルが点灯、スタート二十秒前!』
次々と身構えていくドラゴンたち。
その中でライルはそっと胸に手を当てていた。
祈るような表情でその場所を優しく撫でると、フェイスガードを下ろし、身構える。
『……七、六、五秒前、シグナルがオールレッドから……』
「がんばれ……」
固く拳を握り締めながら、青い仔竜は祈った。
『……今グリーンに! スタートです!』
その姿は、初めて彼を見たときを思い出させた。
地面に縛られ、あざけられた自分を励まし続けてくれた翼。一度は手折られながらも、再び舞い上がる藍色の翼。
『お前の気持ち、きっと通じたんだと思うぜ』
優しい、太ったドラゴンの言葉を、アルトは信じたいと思った。
そして彼が、誰よりも速く、どこまでも飛んでいけるようにと、強く願う。
自分が、空を掴み取れたように。
「がんばれーっ、ライルぅっ!」
灼熱の追い風を受けて、抜きんでていくライルへ向かって、アルトが声をかぎりに声援を送る。
その光景を、一枚の写真が見ていた。
嬉しそうに笑う青い仔竜と、その肩を抱く太った藍色のドラゴン。はにかみながら、その前に座り、輝くメダルを掲げている少年。
二度と還ることのない遠い情景は、全てを見守るように、優しく輝いていた。




