9戦いの季節(その三)
『これは驚き! アルト選手、ダン選手のさらにインをつく形でポールをスルー! 一気に距離を縮めたぞ!』
「す……すごい」
「……あいつ」
まるで張り付くような旋回。一歩間違えればポールに激突しかねない攻めの姿。
「や、やった……すごいよ、アルト」
「……できた、のか」
知らないうちに体が、声が震えていた。
まだまだぎこちない、稚拙なコーナリング。それでもあの飛びは、
「すごい……ライルみたい……」
「……ああ」
少しずつ近づく仔竜の姿を見つめるファルスの拳が、固く握られる。
「本当に、すごいな」
だが、二人の見ている前で、飛翔するアルトとダンの影に異変が生じていた。
「あ……あいつ、また!」
赤い仔竜が小刻みに動き、青い仔竜の進路を塞ぐ。先行しようとするアルトの動きはダンによって完全に封じられていた。
「またって……毎回やってんのか、ラインカット」
「そうなんですよ! あいつ、ああやって毎回後続を海に落としてるんです!」
「なんて奴だ……」
「それよりもアルトですよ! 何とかならないんですか!?」
すがりつくテッドの体を抑えながら、ファルスはもがく仔竜に向かって絶叫した。
「ちくしょう! 負けんじゃねぇっ、アルトぉっ!」
歯を食いしばって、アルトは先行するダンの背中をにらみつけた。
ぴたりと自分の前を塞ぐ赤い仔竜。まるで後ろに目でもあるかのようにこちらの動きを読んで進路に割り込み、その翼が切り裂いた大気が乱流となって襲い掛かる。ブレイズでは当たり前のテクニックとして使われるラインカットと呼ばれる技法だが、まさか自分がそれを食らうとは思っても見なかった。
しかも、山風が刻一刻と強くなり、自分の体と翼をさらに攻め立てて体に疲労感がのしかかる。砂浜が、ゴールの横断幕が近づいてきた。
追い越せない赤い姿、その向こうにあるゴール。
このまま二位になってしまえ、そんな心が一瞬沸き起こる。だが、仔竜は即座にその意識を食いつぶした。
たどり着きたい、あそこまで。あいつよりも速く。意地が必死に答えを探そうともがく。
下は無理だ。海面との距離はもう十メートルくらいしかない。海に落ちて終わりだ。
左右の動きは完全に読まれている。大きく外せば避けられるかもしれないが、その分開いた距離を挽回できる速度がない。
上――。確かに上空に行けば高低さによる加速が可能だ。それでも結局は左右に避けるのと同じで、相手との距離ができる。上昇している間にもダンは先に行ってしまう。
ほんの一瞬、わずかな間だけダンが止まってくれれば、
そんな、ありえるはずのない願いを一陣の風が拾い上げた。
セドナを囲む山々から吹き付ける風、洪水のような乱流に叩き落され、冷たい海に投げ出された敗北の記憶。
だが、あの風を利用すれば、自分が求めている勝利への可能性が手に入る。逆に、自分がイメージしたとおりのことが起こらなければ海に落ちて一巻の終わりだ。
それでも、このままあいつのケツを見て飛ぶよりずっといい。
そして、心の中に浮かんだライルのイメージと重なったとき、青い仔竜は静かに燃えた。
ライトニング・フォール。答えはそこにあった。
「やるよ、ライル」
『さあ、ゴールまで約三百メートル……おおっと!? どうしたアルト選手、ここでずるずると後退! なぜかどんどん体を高みに引き上げていくぞ!』
「あ……アルトぉっ! 諦めちゃだめだよぉ!」
「いや……そうじゃない……」
「それって、どういう……」
ファルスは声を掠らせ、青い仔竜を見つめた。その意図を読んだ顔が驚愕と戦慄に引きつっていく。さっきから強くなる山風、その突風よりも一瞬速く急降下を掛け、同時にその風を受けながら揚力を回復してゴールするつもりだ。
<自分>が得意にしていたライトニング・フォールの応用。
だが、一歩間違えば急降下したときの勢いを殺しきれずに海に叩きつけられる。アルトは意識していないだろうが、あの高さから落ちれば水も地面と同じぐらいの固さを持つ。
しかも、海に出て日の浅いアルトではいつ突風が吹きつけるかも分からないはずだ。
ファルスの心の中で、あの時の自分と仔竜の行く手に待つ運命が重なる。
「やめろアルト! いくらなんでも無茶だ!」
次第に荒れていく気流の上を舐めるように翼を動かして、アルトは体を押し上げた。ダンとの距離が広がり、その姿が目線の下になっていく。
歯を食いしばると、青い仔竜は相手の動きに一切を集中させた。
『いよいよゴール目前! あと二百五十……二百……百五十……』
その時、赤い仔竜が首を持ち上げようとしたのを、彼の瞳ははっきりと捉えた。
「いっ……っけえっ!」
勢い良く、青い仔竜は自分の体を斜め下へとねじ込んだ。引力と急降下によって生み出された加速力に、周囲の大気が悲鳴を上げる。
風圧のため閉じかけた瞳の向こうに、アルトは追い抜くべき相手を見た。
「うおあああっっ!」
青い疾風と化した仔竜は求めるべき敵の脇をすり抜け、そのまままっしぐらに海へと突き進んでいく。
『なんということだ! アルト選手玉砕覚悟の急降下でダン選手を突破! だがこのままでは海に落ちてしまうぞ!』
「落ちて……たまるかあっ!」
眼前に迫った水面から、渾身の力を振り絞ってアルトが全身を引き起こす。
次の瞬間、全てが同時に起こった。
爆発するような水しぶきと、それを一瞬で洗い流す山からの突風。そして、水の壁を突き破ってゴールを目指してきたのは、
「アルト!」
テッドの叫びにファルスのうつむきかけた視線が上がる。水面ギリギリを飛翔する姿。プネウマ過多の特性と体の軽さ、そしてかつての<自分>の技が、一つに結実したその姿。
こちらへ向かって突き進む仔竜に向かって、ファルスは腹の底からの声で吼えた。
「いけえっ、アルトぉ!」
『なんと! なんと! 水面近くで体勢を立て直しアルト選手、山風で揚力を回復! そして今……ゴー……』
砂が、爆発したように巻き上がった。
ゴールの横断幕の下に小さな丘ができあがっている。全ての視線がそこに釘づけになった。
『え……えー、ゴールしたアルト選手……果たして大丈夫、なのか?』
「あ……ああ……」
「あの、バカ……」
観客が複雑な感情を持て余している頃、ゴールから百メートルほど離れた海中から、赤い仔竜がひっそりと助けだされていた。




