9戦いの季節(その一)
空と海が見分けられないほど真っ青に彩られたセドナの沖。それをバックにした海岸通りにはたくさんの物売りや見せ物が並び、物見遊山の人やドラゴンでごった返している。
わずかに開いた隙間を通り抜けながら、アルト達はある場所を目指していた。
「しっかし、よくもこんなに集まったもんだな」
「今日はセドナ市の『海の祭り』なんですよ。ラグーンレースはその一環で……」
背後で説明をしているテッドの声を聞きながら、アルトは砂浜の方に目をやった。
そこには『ラグーンレース実行委員会』と染め抜かれたテントの群れがあり、翼を背負った背中が列を作っている。
「いよいよ、だな」
「う……うん」
緊張で思わず喉を鳴らす仔竜の肩に、ファルスの手が触れた。
「さあ、まずは受け付けだ」
なんとか頷くと、道路を降りて砂浜に立ち並ぶテントへと向かう。視線を左右に振ると『仔竜の部受け付け所』と書かれた看板が目に留まる。
そこに並んだ列の最後尾に着くと、アルトはほっと息を吐いた。
「まずは一次予選だよ」
「でも、いきなりあいつと当たったらどうしよう」
「その時は、その時さ。なるようになる」
そんな事を話している間にも、心臓が高鳴ってくる。気分を落ち着けようと必死になって深呼吸を繰り返すアルトを、前に並んでいた仔竜がうるさそうに振り返った。
「あ……アルトぉ!?」
「フィリオ……」
その顔は、紛れもなく自分と同じクラスの仔竜の一人だった。瞳を限界まで見開いて、こちらを凝視していた彼は、ようやっと言葉を発した。
「こんな所でなにやってんの? ここ、ラグーンレースの受け付けだよ?」
「僕も……参加しにきたんだ」
その言葉にまたしても沈黙し、フィリオは困ったような顔をした。
「テッド……アルト、本気なわけ?」
「もちろん本気だよ」
「……どういうつもりか知らないけど、やめたほうがいいよ」
たしなめるというより、憐れむといった雰囲気にアルトのこめかみに少し力が入る。そんな気持ちも気付かずに彼は忠告を続けた。
「海の上の風と、練習場の風は全然別物なんだよ。昼はまだいいけど、夕方になると山風になるし……だいたい君、飛べるようになったの?」
「いや……その……」
「よう、ポテト」
耳慣れた嘲弄が、アルトの言葉をさえぎった。反射的に振り向くと、黒いチュニックを着けた赤い仔竜が背後に立っている。
「これから受け付けか」
「……うん」
「少しは、ましになったのかよ?」
小馬鹿にしたようなダンの表情に、アルトの心は静かに反転した。頭一つ分高い相手の顔を睨んで、声に精一杯の力を込める。
「戦ってみれば、わかるよ」
「……そーかい。せいぜい、がんばんな」
素っ気なく言い放つと、ダンはきびすを返して歩み去っていく。その背中に向かって舌を出しているテッドをたしなめながら、ファルスは片目をつぶってみせた。
「緊張してた割には、いいタンカだったぜ」
「ありがと」
「アルト……もしかして、ダンと勝負する気?」
訝しそうに問い掛けるフィリオに小さく頷くと、彼は大きく頭を振りかぶった。
「相手はラグーンレースで、三年連続の優勝者なんだよ!? そのダンに、君がどうやって勝つのさ!?」
「作戦はあるんだ。一応ね」
「作戦って……」
絶句してしまった相手に、アルトはちょっと同情した。なにしろ、うまく行くかどうかも分からない、そんな作戦なのだ。
「おーい、そこの君たち! 受け付けの仔かい!?」
気が付くと、列はずいぶん消化されていて、受け付けに並ぶ仔竜たちの姿もだいぶ少なくなっていた。
「早くしないと、もうすぐ締め切るよ!」
「それじゃ、ちょっと行ってくるね!」
立ち去りぎわに軽く手を振るとテッドは黙って頷き、ファルスも何も言わずに親指を立ててみせる。遠くで鳴り響く花火の音を聞きながら、アルトは受け付けのテーブルへと向かった。
『……ありがとうございました。セドナ市長、マルロ・ロンディニウム氏でした』
礼を欠かさない程度の適度な拍手が終わると、どこかに設置されたスピーカーからの声は、がらりと口調を変えた。
『それじゃ、開会式も終わったところで、これからが本番! 夏の終わりのお待ちかね、ラグーンレースの始まりだ!』
今度は惜しみない拍手と声援、マイクの前の男も上機嫌で愛想を振り撒く。
『OK! さて、今年でもう二十八回目を迎えるこのレース、やるごとに盛り上がってきたもんで、よその街からのお客さんもだいぶ増えた。そこで、地元の連中には耳タコな話で悪いがここで内容とルール説明行ってみよう!』
「……最初の運は、あったみたいだな」
フランクな調子でがなるアナウンスを聞き流して、ファルスは傍らの少年に話し掛けた。
「百を越す参加者がいるんですから、当たるほうがおかしいですよ」
「ま、そうだけどな」
そう答えてから、眼下に目をやる。砂浜に設けられた観客席はどこも一杯で、結局二人は歩道脇のガードレール前に陣取っていた。
『この大会は二日間に渡って行なわれる。一日目は仔竜の部、二日目は成竜の部。競技は一次・二次の予選を通過したものだけが、決勝に進めるってわけだ!』
「アルトの方……大丈夫ですか?」
最初の組の仔竜たちを運ぶ船を見つめながら、テッドは少し不安そうな表情をした。
「グレイさんとの練習、あんまりうまく行ってなかったように見えたけど……」
「あいつの要求することが高度すぎるんだよ。……まぁ、あそこまでしなきゃ、アルトが勝てる見込みもないってのが実際なんだが」
太ったドラゴンは険しい顔をして首筋を掻いた。黒い友人の指導ははっきり言ってスパルタに近かった。セドナの隣町にある海水浴場で繰り広げられた厳しい指導、何度も止めに入ろうかと思ったくらいだ。
だが、その成果は確実に出ている、そのはずだ。
「とりあえず、まずはタイムアタックを抜けられるかが勝負だ。あいつが海に落っこちないでゴールするのを信じようぜ」
「はい!」
『……は一度に八名ずつ。二次に進めるのは六十四名、タイムが良かった順だ。っと、そんなこと言ってるうちに最初のブロックの準備が出来たようだぜ!』
自然と、ファルスの視線が海上のポートへと移る。テッドも持っていたザックからオペラグラスを取り出して、観戦に備えた。
「アルトは、何ブロックだ?」
「Fです。結構はやいですよ」
『各竜位置について……今、スタート!』
一斉に飛び立つ仔竜たち。小さな黒い点が、まっしぐらに砂浜を目指していく。
だが、いくらも行かないうちに水しぶきを上げて海中に没していく者が出る。観客の中から残念そうな声や嬌声が漏れた。
『海の風に翻弄されたか、早くも失格者だ!』
結局、辿り着けたものは四名、そのうち二名は大きく遠回りをしてゴールするはめになっていた。
『このレースは、セドナの荒っぽい風をどうやって乗り切るかが勝利の鍵だ! 風の神様は仔供だからって遠慮はしないぜ!』
「大丈夫、だよね」
小声で呟くテッドの肩を、ファルスはそっと叩いた。
二人が見つめる前で次々と仔竜たちが飛び立つ。あるものは砂浜へ辿り着き、またあるものは海へと落ちていく。
『さて、次はFブロック……』
「いよいよか」
「アルト……がんばってよ……」
軽く目を閉じると、ファルスは視覚を望遠状態に調節した。近くの景色が霞んで、ポートに並ぶ八名の仔竜がかすかに分かる。アルトはちょうど真ん中に立ち、翼を広げて間隔を取っていた。表情までは分からないが固さは感じられない。
『係員のピストルが……鳴った! 今、スタート!』
一斉に仔竜たちが飛び立つ。その集団が滑るように水平飛行に移る中、一つの影が高く飛び上がる。
「アルトっ」
「……大丈夫だ、いける」
放物線を描いて青い仔竜の体がまっしぐらに海を目指す。その体が力強く引き起こされると同時にぐんと加速され、先行していた仔竜たちの群れをあっという間に引きはなしていく。
「やったっ!」
「<ポップアップ>成功だ!」
過電症によって翼が常にプネウマが多い状態になっているアルトは、余剰な分を除去して飛行する必要がある。だが、迎角を下向きに取る方法は短距離には向いても、長距離では上昇気流を捕まえられる高度まで昇ることができない分不利になる。
そのため一度スタート地点で高く上昇、プネウマ過多による墜落が起こると同時に迎角を下げ、通常の飛行軌道に戻る<ポップアップスタート>を使うことになった。
グレイの指導によって必死で身に付けたスタート。見切りを間違えば水面に落下するが、スタート時の高低差によって普通の仔竜をはるかに越える加速が可能になる。今回の特訓で身に付けた秘策の一つだった。
他の仔竜たちをはるか彼方に引き離した青い姿が、水面ギリギリの高度でまっしぐらに砂浜を目指し、
「ば、バカ! もっと高度を上げ――」
ゴールの横断幕の下で盛大な砂埃が立ち上らせ、アルトはゴールした。
陸に着いていために失格ではないようだが、観客の間から爆笑が沸き起こっている。
『気合い充分、スピードも充分。ど派手なゴールを見せてくれたゼッケン七十四番の……アルト・ロフナー君に、みんなで拍手ー!』
巻き起こった歓声と爆笑にファルスは思わず顔を押さえ、テッドもうめき声を洩らした。
「入れ込みすぎるなって、散々注意しただろうが」
「はずかしいなぁ、もう」
『さてさてお次はGブロック……おおっと、ここで今年の優勝の大本命が登場だ!』
実況の言葉に二人は顔を上げ、視線を交わした。
「……実際どうなんだ、あのダンとか言う奴」
「悔しいけど、実力は本物です」
視覚を望遠に戻すと、ファルスは右端に陣取った、赤い仔竜に意識を集中した。
ピストルの音と共に飛び出したダンは、他の仔竜より一回り大きな体にいっぱいの風を受けて矢のような速度でゴールを目指していく。そして、砂埃も巻き上げずにふわりとゴール。
『ゼッケン百十二番ダン・トリエスタ……今、一着でゴールイン! この調子なら、相当いいタイムが期待できそうだ!』
「嫌味なヤツ! あれじゃ、アルトが変に比べられちゃうじゃないか!」
「しかし……腕は確かだな」
着地の瞬間を思い返し、ファルスは独りごちる。友人の姿を思い浮べる程に、見事なフェザータッチだった。
「感心してる場合じゃないですよっ!」
「いや、ちょっと、落ち着けって……」
ものすごい剣幕で怒る少年をなだめながら、太ったドラゴンはふと、その瞳を覗き込んだ。
「なあ、どうしてそんなにアルトに肩入れするんだ?」
「え……」
「あいつが飛べなくても、友達として付き合うなら関係ないはずだろ」
ほんの少しテッドはうろたえ、やがて頷いた。
「僕、小さい頃、自分をドラゴンだと思ってたんですよ」
「ドラゴン?」
「家の近くにちっちゃいポートがあって、そこから飛んでいく姿を見て、僕もああいう風になりたいって」
子供の物にしては苦い笑みが、少年の口元に淡く浮かんだ。
「僕は変わり種で、なにかの拍子にドラゴンになるんだって思ってて。でも、初めての飛行の授業の日、僕がいたのはポートじゃなくて、バスケットのコートだった」
相づちもはさまず、ファルスは視線だけで先を促した。
「それからしばらくして、泣きながら帰るアルトを見かけて……気が付いたら家に連れていってライルのビデオを見せてました」
「あいつがライルのファンになったのは、そういうわけか」
「アルトとは何度か遊んでたけど、家に呼んだのはそれが初めてで」
海の彼方から、また仔竜たちがゴールを目指して飛翔してくる。テッドはオペラグラスを使わずに、それを眺めていた。
「翼を持っているアルトが飛べないってことが、何だか悔しかった。だから……」
「あいつを、飛ばせてやろうとしたのか」
少年は頷き、それからまた苦く笑った。
「でも、ライルがいなかったらアルトがレースに出ることもなかった。飛ぶことを教えたのはおじさんで……僕にできたのは、無責任に励ますことだけだ」
「んなこた、ないさ」
ファルスは微笑んで、首を横に振った。自分にグレイがいたように、アルトにはこのヒューがいる。ふと、そんな思いが浮かんで麦わら色の髪の毛をそっとなでた。
「俺や……ライルは、きっかけを与えたに過ぎない。お前のしてきたことに比べれば、俺の役割なんて、大したことじゃない」
「ファルスさん……」
『……これで一次予選はすべて終了だ! 結果発表はそこの掲示板に、一位から書き込まれてくぜ。みんなしっかりチェックしてくれよ!』
実況の言葉が終わらないうちに実行委員会のテントの傍らにある大きな黒板へ、係員たちがハシゴを使って名前とタイムを書き記していく。
「あのダンってやつは、一位か」
「そんなことよりアルトですよ!」
「……おじさん! テッド!」
こちらの声を聞き付けたのか、青い仔竜が群衆を擦り抜けてこちらにやってきた。
「お前なあ、あれほどブレーキングに気をつけろって言っただろ?」
「うん。でも、飛んでるうちに速く飛ぶのでいっぱいになっちゃって」
「アルト、髪に砂が残ってるよ」
大慌てで砂を叩き落としながら、アルトは黒板を食い入るように見つめた。
「僕、何位になってる?」
「まだ結果発表の途中……あ!」
「おおっ!?」
アルト・ロフナーの名前は、十八位に記載されていた。
三つの視線は同時に互いを見つめ合い、それから同時に歓声を上げた。
「と……通った! 通ったよ!」
「おめでとう、アルト!」
「ばっかやろ、まだ一次通っただけだぞ!」
そんな事を言いながらも、ファルスは太い腕を廻してアルトの首を抱き寄せた。
「……でも、よくやったな!」
「この調子で、二次も頑張ってね!」
「お……おじさん、ちょっと苦し……」
やっと手荒い祝福から抜け出すと、仔竜はあらためて協力者達に向き直った。
「ここまで来れたのは二人のおかげだよ。ありがとう」
『そういうのは』
期せずして重なった声に、二人は思わず笑みを浮かべた。
「決勝であいつに勝ってからにしてくれ」
「そうそう」
胸の奥がじわりと熱くなるのを感じながら、アルトは口元を引き締めて頷いた。




