6俺の声が聞こえるか(その三)
脇に抱えた紙袋を騒がせながら壁をまさぐると、指が目的の物に触れ、行動する。
薄暗かった室内が明るくなり、内部の惨状が照らしだされる。部屋のあちこちに散乱するゴミ、スナック菓子の袋や宅配ピザの空き箱、大小のジュースの空瓶。
面倒臭そうにそれらを蹴散らしながら、部屋の主人である太ったドラゴンは、部屋の中央に置かれたソファの脇に紙袋を置いた。
食べこぼしのかすやジュースのしみの付いたソファにもたれ掛かり、ファルスは袋の中からポテトチップスの徳用サイズと、無色の炭酸飲料を取り出して無造作に口に運ぶ。
『その気になったら言ってくれ。いつでも待ってるから』
甦った一言に、体の芯が疼いた。
グレイはずっと、自分の飛行について触れなかった。こちらがそれを要求し、向こうもそれを受け入れたからだ。
あの時、友人その態度をひるがえした理由も、気が付いていた。
「なに、勘違いしてんだかな」
きっかけは、偶然だった。
時折訪れる友人を待つだけの単調な生活。そんな日々にほんの少し飽きていただけだ。何一つこちらの事を知らず、気がね無く付き合える存在。グレイの重すぎる感情を持て余していた自分に、アルトとの交流は安らぎだった。
ただ、それだけのことだ。
そこから、何をしようというものではない。
まして、
「う……」
疼きが、怯えに変わる。
ほんの少し、そこへ意識を向けた途端に体中の細胞が悲鳴を上げた。これほどまでにあの場所から心が、それ以上に『体』が離れてしまったというのに。
ポップコーンの袋を開け、中身を口に流し込みながらテレビのスイッチを入れる。適当に押しされたチャンネルで画面がでたらめに移り変わる。
『……が、やはり雨の影響が出る前に入るべきでしたね』
ふと、指の動きが止まった。
特徴的なスーツに身を包んだドラゴンが、金属の枠にはまっている姿。画面下に羅列される文字たち。
『ピットからガラムがコースへと飛び出します。トップとの差は一分五七』
『ガラムとしては、もう少し早めに天候が崩れてくれればという気持ちでしょうねぇ』
ファルスの手からリモコンが滑り落ち、床の上で乾いた音を立てた。
画面の向こうでは、強い雨で灰色になった空間を、たくさんのドラゴンたちが飛びかっている。スポットから吹き上がる熱に、蒸気が立ち上って視界を悪くさせているが、彼らはそれを物ともしない。
『さあ、荒れ模様となったネグラスタ・サーキット、現在の所トップはリヒャルト・ジンガー次いでアルベルト・ヒューリック……』
食い入るように全てを見つめる顔に、先程までの無関心はない。熱をこめた眼差しが画面をむさぼっていく。
『……最終スポットに突入! トップ集団は固まったまま、最後のスポットを……』
「すいません! どなたかいらっしゃいますか!」
突然の声に、ファルスの全身が冷や水を浴びたように縮こまった。
慌てて床に転がっていたリモコンをまさぐり、テレビのスイッチを切ると、荒々しく叩かれている玄関のドアへと向かう。
「誰だっ!?」
「ご……ご注文のピザをお届けに……」
おどおどとこちらを見つめるドラゴンの青年を見て、彼は深くため息をついた。
「驚かせて悪かったな。で、ピザは?」
「は、はい。それじゃ、こちらが商品になります……」
足早に去っていく後ろ姿を見送って、ファルスは部屋に戻った。
持ち込んだ四箱のLサイズピザを床に並べ全ての封を解く。
『そういうつまんない冗談は、何度も言わないほうがいいよ』
「つまんない冗談、か」
そう呟くと、太ったドラゴンはサラミの敷き詰められたピザを無表情で頬張る。だが、体の奥から突き上げる恐怖と震えは、それでも収まらない。
やがて、すべての食事を平らげ終わったファルスは、ぐったりとその場に寝そべった。板の間のひんやりした感触が、食いすぎでほてった体を冷ましてくれた。
このまま、何もせずにいれば眠気が襲ってくる。そうすればまた何事もない一日が始まる。
その視線の先に、小さな現実が映った。寝そべった鼻先の少し先、テーブルの下に転がる一枚のカード。航空免許書と印字されたそれに貼り付けてあるのは今より十分の一は痩せた顔。
そして、ネームのところに刻まれた、ライル・ディオスという名前。
荒々しく起き上がると、太ったドラゴンはいらだたしげに免許書を引っつかみ、部屋の隅に投げつける。
「ちくしょう……」
呻きながらうずくまると、彼は買い置きの菓子のむさぼり始めた。
その音は、しばらく止むことはなかった。




