4変化の先触れ(その二)
「もう絶対っ、あんなの嫌だからね!」
体中を熱くしながら、仔竜は憤りを振りまいた。
「ごめん……僕も考えが無さすぎた」
「ないとかあるとかじゃないよ! 学校の友達に笑われても嫌なのに、今度は街中の笑い者になっちゃうじゃないか!」
すっかり沈み込んだテッドを、通りすがりのおばさんが気遣わしげに見やっていく。
街中を喧嘩しながら歩いていればやはり注目の的になる。アルトはようやく声のトーンを普通に戻した。
「練習に付き合ってくれるのはうれしいけど、僕の気持ちも考えてよね」
「うん……」
それから二人は無言のまま、あてもなく大通りを歩いた。
昼下がりの太陽に全ての影が際立ち、吹き渡る風に乗って暑気が通り過ぎる。
「誰かの目を気にしないで、練習できるところってないかな」
「学校のポートは午後は誰も使わないけど。先生たちも帰っちゃうからなぁ」
「海岸通りの運動公園はどうかな?」
嫌そうに顔をしかめて、仔竜は右手を振った。
「あそこがラグーンレースに出る竜の練習場になってるって、知ってるでしょ? 絶対ダンも来てるに決まってるよ」
「でも、誰か飛び方のうまい竜に教われるかも」
「教わるっていったって、さあ」
先生や他の大人も、言っている事は変わらない。姿勢と翼の開き、そして練習。
その上、飛べるもの達は、どうして自分がそういう感覚をつかめていないのか、いつも当惑していた。
たぶん、彼らもよく分かっていないのだ。自分たちは飛べなかったことがないから、飛ぶのに必要な何かがどういうものか、説明することができない。
技術や理論ではない何か、神秘的なもの。
仔竜にとって、それはまさにミステリーだった。
「アルト?」
「あ……ごめん。何か言った?」
「ランディング・ポートの公園はどうかなって、思ったんだけど」
たしかに、あそこの施設には普段使われていないものや、ほとんど誰も立ち入らない場所がある。
「でも、練習に使えそうな遊具とかには、誰かいると思うよ」
「夕方になったらみんな帰るだろうから、その時を狙っていけば?」
「う~ん……」
山からの風が夏の暑さと一緒に太陽を水平線の彼方へと押しやってくころ、アルトたちは公園のはずれにある遊具が置かれた場所にやってきていた。
ほぼ中央に作られた木製の滑り台。登り口にあたる部分は櫓になっていて、一番上の部分が屋根のない飛翔口のような形状をしている。高さはアルトの背丈と同じくらい、学校のポートの下層よりも低い。
「練習できそう?」
「……このくらい低かったらマットもいらないし、下も砂だから大丈夫だと思う」
階段を上りきると、赤い光が顔に当たった。林の向こうに沈んでいく夕日が眩しくて、思わず目を細める。
「それじゃ、行くよ!」
「うん!」
いつも通り心の中で手順を復唱し、大きく翼を広げて体を押し出す。
「うわぁっ!!」
あいかわらず、落下は一瞬だった。
地面に胸や腹が打ち付けられ、強い痛みにアルトの息が止まる。
「だ、大丈夫!?」
「ぐっ、げほっ、ごはっ」
引き起こしてもらいながら、仔竜は目をつぶって呼吸が楽になるのを待った。
「い、いつもはマットがあるから気にならなかったけど、これはちょっと辛いかも」
「……やっぱり、ちゃんとした施設で練習したほうがいいんじゃない?」
テッドの言葉にアルトは首を横に振った。痛いのはもちろん嫌だ。だが、笑われるのは痛いことより、もっと嫌だった。自分のことを、全部否定されてしまうようなあの感覚は味わいたくない。
青い仔竜は、再び起き上がった。
「今度はうまく着地するよ。心配しないで」
心配そうな少年に手を振ると、アルトは再び櫓に上った。
「うっ、うわぁっっ」
「アルトっ!?」
やがて、遊具の近くに立っていた電灯に光がともった。
真夏の宵のおぼろな空に、白々とした星がその数を増やしていく。
「もう、そろそろ帰ろう」
三十回目の落下のあと、テッドは切り出した。
「遅くなると、家でも心配するよ」
「レースまで、あと一ヵ月しかないんだ」
服の前についた砂をはたき落としながら滑り台の階段に足を掛ける。
「テッドはもう帰っていいよ。僕はもう少しやっていく」
「じゃあ、僕も待ってる」
言いながら、テッドが首筋の辺りを掻いているのが見えた。自分の周りでもさっきから蚊がうるさく飛び回っている。
あと少しやったら終わりにしよう。そう思いながら、アルトが櫓に上った時だった。
「おい! そんなところで何やってんだ」
「お、おじさん?」
声の方を見ると片手に大きな袋を抱えたファルスが、こちらを眺めていた。
「おじさんこそ、こんなところに何しにきたの?」
「家に帰るんだよ。こっちを通ったほうが近道なんでな」
袋からホットドッグを取り出して口に放り込むと、太ったドラゴンは不思議そうな顔でこちらに歩み寄った。
「どうしたんだその格好、砂まみれじゃないか」
「う……うん……」
「滑り台で遊んでるってわけでもないし……って、まさかお前」
驚きに見開かれたファルスの目から、そっと視線を外す。
「飛ぶ練習してたのか?」
「……うん」
「やっぱりなぁ……あいつもおんなじ事してたし。そうじゃないかと思ったよ」
「冷やかしなら、やめてもらえますか」
かばうように立ちふさがるテッドに、ファルスは片手を上げて降参を示した。
「そんなつもりはないさ。だけど、なんだってこんなこと始めたんだ?」
「……ダンと、勝負するんだ」
「なにぃ?」
記憶を掘り起こすように首を傾げ、彼はたるんだ頬の肉を掻いた。
「たしかそいつ、クラスで一番飛ぶのがうまい奴だろ?」
「うん」
「今から練習して、勝負になるのか?」
「そんなこと、やってみなくちゃ分からないよ!」
こちらの勢いに押されたのか、ファルスは軽く後に下がって肩をすくめてみせた。
「そうかもしれないが、お前のやり方じゃ、まず無理だな」
「ど、どうしてさ!」
「ちょっと、飛んでみせてくれないか?」
探るように、アルトは相手の顔色をうかがった。太ったドラゴンは無言のまま、袋からホットドッグを取り出しては、頬張り続けている。
仕方なく、仔竜は同じように櫓から飛び降りてみせた。
「……これで、どう?」
「お前、滑走得意だったりする?」
いきなりの問いかけに驚きながらアルトが頷くと、ファルスはニヤッと笑った。
「お前の飛べない理由、心当たりがある」
その言葉が耳に届いて理解されるまで、数秒間を要した。
「え、ええ~っっ!?」
「どういうことですか!?」
驚く子供達をいなすように、指が左右に振られる。
「結構珍しいケースとは聞いていたけど、まさかまたお目にかかるなんてな」
「あっ、じゃあ僕、その、だって、あれ!?」
「落ち着け」
おもむろに仔竜の口へと、数本のホットドッグが押し込まれる。
「うぐっ」
「とにかく、それ食ったら今日は帰れ。続きは明日だ」
ようやく塊を飲み下したとき、丸い背中は宵闇へと消えていこうとしていた。
「おじさん!」
「明日、あの臨時着陸場で待ってる。学校の練習が終わったら来いよ」