二、黒い人魚姫
ここからは人魚姫視点で進行します。
ようやく見つけた海の魔女を前に弟子入りを志願したエーデリスは緊張を隠せない。啖呵を切ったはいいけれど、何から話せばいいのか。わずかに記憶を遡るだけでも途方に暮れてしまう。
「楽園追放ってだけでも穏やかじゃないが、まさか人魚の姫君とはね。どんな罪を犯せば追放されるのか参考までに聞かせておくれよ。こりゃ海が荒れるだろうねえ」
「あ……」
長く考えているうちに質問されてしまった。弟子になるべく訪れておきながら満足に受け答えもできないことが情けない。こんなことでは呆れられてしまう。今こそ名誉を挽回しなければ!
「えっと、その心配もいらないと思うわ。私は存在しない方だから」
「なんだって?」
「王の末娘はただ一人、双子の妹ミレーネだけよ。本当は私、アルグレンテを名乗ることも許されていないの」
「双子ってのも初耳だが本当なのかい? 楽園に出入りしている魚たちからも聞いたことはないね」
「生まれた瞬間から隠されて育ったわ。双子だったから誤魔化しやすかったのね。私は呪われているから、王の娘だと都合が悪いのよ」
「ああ、黒い人魚だって?」
王とその妃の間に生まれた姫はたくさんいるが、エーデリスという人魚はあまりにも異端だった。
その出生からして人魚には珍しい双子である。妹のミレーネは海の色を閉じ込めたような美しい瞳にきらきらとしたプラチナブロンド、愛らしいピンクの鱗を持って生まれた。一般的な人魚の、愛されるための容姿を授かった。
けれどもう一人、姉の方は違った。瞳の色こそ同じはずが、およそ人魚にはあり得ないとされる黒髪に黒い鱗を持って生まれた。たったそれだけのことで、エーデリスは王女であることを秘された。王族から除名され、隠され、ただの人魚として生きることが決まった。
「これだからお綺麗な人魚様ってのは嫌になる。別に色なんてたいした問題じゃないだろうに」
「嬉しい」
「あ?」
「そんな風に言ってくれたの貴女が――」
初めてと、紡ごうとした。けれどいつまで経っても言葉にはならず、口先だけですら誤魔化すことはできないのだと思い知る。
「貴女で、二人目だったから」
もう一人だけ、この色を褒めてくれた人がいた。彼も黒を気にすることはなかった。美しい色だと臆することなくこの髪に触れ、それどころかエーデリスが人魚であろうと気にすることもなかった。
たとえ嘘だったとしても、紛れもなくその瞬間は人生で最高の幸せを感じていた。否定されてばかりいた自分が無条件で許されたのだから。
最後に与えられたものが深い悲しみだとしても忘れることができない。二度と思い出したくないはずなのに、またこうして触れてしまう。思い出しては記憶の彼方へと追いやるために苦労した。
「楽園では違うの。黒、闇は恐れ引き寄せる。小さな綻びもいさかいも楽園には許されない。それはいずれ楽園の崩壊へと繋がるから」
「楽園てのは堅苦しいところだねえ」
さっきから散々な物言いだ。エーデリスにとっては生まれ育った故郷を侮辱されるにも等しい行為である。それなのに、笑い飛ばしてくれたことに清々しさを感じていた。
「……そう、なのかも」
いけないことと知りながらも同意する。
楽園のルールは絶対、これまで疑問に感じることはなかった。でも楽園はエーデリスを拒絶する。信じてきたものが崩れ始めていた。
「そう、よ……。おかしい、おかしいの」
それは不思議と心地いい。彼女の言う通り、色だけで運命を決められるなんて馬鹿げていると思った。完璧な国がとたんに窮屈に感じる。心が軽くなったせいか、言葉を紡ぐことに息苦しさが消えていた。
「でも、私は幸せだったから……。姫として生きることはできなくても、黒くたって受け入れてくれる人はいた。友達がいて、ミレーネだって、普通の姉妹にはなれないけれど仲良くしてくれたわ」
ミレーネはエーデリスという姉がいることを知らない。知っているのは両親と姉たちだけだ。
悲しい境遇を嘆いたことは数えきれない。どうしてミレーネだけが愛されるのかと羨んだこともある。それでも受け入れて笑うことができたのは温もりを与えてくれる人がちゃんといたからだ。
「私はこんな姿だけど、歌だけは褒めてもらえたの。人魚の歌には力が宿ると言うけれど、楽園でも一番の歌い手だと褒められたわ。悲しいことも苦しいこともあったけど、あの楽園で生きた私は幸せだった」
「健気なお姫様だねえ。けど、全部過去の話なんだろう?」
受け入れてくれた。
友達がいた。
仲良くしてくれた。
褒めてくれた。
幸せだった。
全てを失いエーデリスはここにいる。
「そうよ」
毅然と答える。泣いたところで失ったものは取り戻せない。時間が戻るわけでもない。これ以上惨めになりたくはない。ならば背筋を伸ばしていよう。ちっぽけな矜持だけれど何もかもを失ったとしてもこの気持ちだけは奪わせない。
「始めは小さなことだった。誰かの持ち物が無くなるとか、壊されているだとか、そんなことが何度も起こったわ。そうするとね、誰かが決まって私のせいだと言い出すの。そうして私の家から証拠が見つかる。おかしいわよね、何もしていないのに。その度に、親しい人が離れていったわ」
実の娘のように可愛がってくれた人。
ずっと友達だと言ってくれた、年の近い友達。
色なんて関係ない、君が好きだと言ってくれた男の子。
みんな最後には、やはり黒い人魚は浅ましいと別れを告げた。
「ミレーネだけが最後まで信じてくれた。嬉しかったわ。姉妹にはなれないけれど、私たちは心で繋がった本当の友達なんだと思った。それでも事件は終わらなくて、最後には海の秘宝が盗まれてしまったけれど……」
「なるほど話が見えたよ。なんて陳腐な展開だ。あんたの家から見つかった、そうだね。そしてあんたは身に覚えがない」
エーデリスは彼女の洞察力に頷く。
「誓って私じゃないわ。それなのに誰も信じてくれなかった」
エーデリスを糾弾する声は波紋のように広がった。昨日までは隣で笑いあったはずが、今はもう遠巻きに眺めてくるだけだ。
黒い人魚は災いを呼ぶ。楽園に平和を、王よ決断を――
小さかったはずの不安は楽園を巻き込み、大きな渦となってエーデリスを追い詰める。騒ぎを黙認できなくなった王が追放という烙印を押すのは早かった。
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