十二、報告する人魚姫
まるで昔に戻ったよう。お互いに何も知らないままでいられたあの頃、幸せだったのかと聞かれれば迷わず頷ける。だからこそもう終わりにしよう。この歌が途切れたのなら、今度こそディルクとは永遠の別れを。
「アランー! もう戻っていいよ」
エーデリスの重い決意など知らぬディルクは明るい調子で呼びかける。するとアランも負けじと扉を挟んで返してきた。
「ホンットに大丈夫ですか? 俺戻っていいんですか! 邪魔じゃない!?」
「否定はしないけどいつまでも廊下に張り付いていられても困るだろ」
「だって色々聞こえて来るんですよっ! 無理させてごめんとか、妖しげな声とか!」
「彼女の名誉のためにも言っておく。アランが想像しているようなことは何もなかった。あと、今の話誰かに言ったらどうなるかわかるよな?」
「もちろんですボス!」
清々しいまでの即答を添え、アランが扉から顔を覗かせる。街での対応といい、たとえ理不尽であろうと主人には逆らわない主義らしい。
「で、彼女どうするんですか? 王子が城に女性なんて連れ込んだら――まあもう軽く噂にはなってますけど」
「問題ないだろ。女神役の候補を見つけてきたってことでどうとでもなる」
「あー、なるほど! 彼女、歌上手いですもんね。部屋の外までバッチリ聞こえてましたし、通りがかったメイドもうっとりしてました。さすが悪知恵が働きますね!」
「えー、褒めても何も出ないよぉ? むしろアランの給金が減るだけだって!」
ディルクは笑い飛ばしたがアランは表情を引き締めた。
「――ゴホン。私は何も言っておりません」
「あの、私はどうしたら!? できればそろそろ解放してもらえると、家にも帰りたいので……」
「ねえ君、今年の女神役やらない?」
「女神、役?」
「この国が昔海だったっていう話は知ってるかな? 毎年平和を祈るために一人女神役を選出して歌を捧げてもらうんだ。君ならぴったりだと思うし、どうかな?」
エーデリスはなんとか相槌を打つが、あまり話を理解できてはいなかった。もうこの人とは関わりたくない、その一心で早く終われと願い続けていた。
けれど、自分は今、どこにいる?
ここが目的地ではないのか。
できる、できない?
そんなことは関係ない。パメラならやれと言う。利用しない手はないと得意気に語る。そんな風になりたいと決めたはずだ。ならば答えは決まっている。
「やります」
「本当!?」
もう逃げないと決めた。
「歌うことなら私にもできます。頑張りますから、やらせて下さい。というより、私なんかでいいんでしょうか?」
「女神役の選出はこの城の主に一任されてるんで問題ないと思いますよ」
アランが補足してくれる。
「じゃあ決まり。早く決めろと急かされていたから助かるよ。衣装合わせもあるだろうし、そうだな……明日、いや俺がしばらく城を留守にするから……四日後にまた来てくれないか」
どう考えてもこの城に、である。これが最後の邂逅であることを望んだはずが、運命は残酷にもエーデリスとディルクを引き合わせたいらしい。
「わかりました」
「えっと、また会える?」
勧誘しておきながらディルクが不安そうに問いかけてくる。エーデリスの口から確かな答えを聞くことを望んでいた。
「私、役を引き受けたばかりですよ。ですからまた、会うことに、なりますね……」
気を抜けば逃げ出しそうになるので自分自身によく言い聞かせておく。
「じゃあ俺待ってるから!」
「あのー、もうホント勘弁してください。砂糖吐きます。この部屋空気甘すぎ」
ぎこちない会話に見かねたのアランが横やりを入れ始めた。
「アランさん、空気は甘くないですよ。無味無臭でした。ちょっとがっかりなくらいです」
真実を告げたはずが、アランからは信じられないといった眼差しを向けられている。
「俺はこんな純粋なお嬢さん、初めて見たかも」
「見るな減る」
「あんたは安定の酷さだけどな! それとお嬢さん。俺のことはアランでいいから。殿下みたいに偉い立場ってわけでもないんで」
「王子の専属護衛ってけっこう上位の役職なんだけどな。もっと有り難がっても罰はあたらないよ?」
「だーかーらー、俺は目的のために仕方なく就職しただけなんですって。いずれ大作家としてデビューしてやりますからね!」
きっとアランがいてくれたら歌っている間も賑やかだったに違いない。助けを望んでいたはずが、あの時間を失っていたと思うと残念に感じてしまうのだから感情を持て余す。
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パメラが深い溜息を吐けば泡が舞う。エーデリスは緊張の面持ちで判決を待っていた。人間と交流があったことを黙っていたのだから怒られても仕方のないことだ。きつい説教を覚悟していたのだが、エーデリスにかけられたのは「よくやった」の一言である。
「まさか、アンタが王子と知り合いだったとはね。驚かせてくれるよ」
「黙っていてごめんなさい。ずっと言えなくて……」
「謝ることはないさ。嬉しい誤算だよ」
「怒らないの?」
窺うように丸い瞳を見つめる。迫力はあるというのに相変わらず瞳だけは可愛い。
「誰が怒るもんか。こうして正直に話してくれたんだ、それでいいよ」
「よかった……!」
「まったく御伽話もびっくりの展開だが、さすがアタシの見込んだ娘だね。まさか一度の上陸で過程をすっ飛ばして目的地にまで乗り込むとは大したもんだ」
パメラは驚きながらも満足そうだ。本来は人間としての地位を手に入れ、王宮で働くという過程を目指すはずが、大人しく四日後を待てばいいのだから。
「そこで提案だ。アンタ王子を誘惑しな」
「誘惑!?」
なんて難易度の高い命令だろう。
「え、でも、心変わりをもたらす薬を作るって」
「そんな不確かなものを作るよりアンタが王子を誘惑した方が確実だろう。王妃になって実権を握ればこっちのもんさ!」
「無理よ! 絶対に無理、私には無理だわ!」
「どうしてだい? 向こうはまんざらでもないだろうに」
「あり得ない、そんなはずないわよ! パメラ、ちゃんと聞いていた!?」
「だから、初恋の相手と陸で再会したって話だろ」
「ちがっ――え、初恋!?」
「アンタにとっては初恋の相手なんだ、誘惑したって何も問題はないだろ?」
「待って、私恋なんてしてないわ! 何もかも問題だらけよ! 私、薬を作るわ。その方がずっと確かだもの!」
「はいはい悪かったよ。じゃあまあアンタのことは置いといて。王子はアンタのことがお気に入りだ。もともと脈ありなら薬なんていらないだろ」
「それも違うわ! だって私はこんな見た目で、性格だって暗いし、いいところなんてまるでないのよ。誰かに好きになってもらえるはずないわよ!」
「自信を持ちな。ここにいるアタシも、その王子とやらも、アンタを虐げた楽園の奴らじゃない。アンタはいい女だ。どこへだしても恥ずかしいことはない、自慢の娘さ」
「パメラ――」
勿体ないほどの評価にエーデリスは言葉を詰まらせる。油断すれば泣きそうなほど、自分には勿体ないものだ。けれど――
「でも私に誘惑は無理よ!?」
どれほど感動させられようと誤魔化されたりはしない。