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初仕事と、事件発生

 そして。


 翌日の昼間より、シルの仕事が開始される。


 「よい、しょっと……」


 シルは、あの部屋にいる全員分の食事が入ったワゴンを運んでいた。さすがにまだ皿には盛りつけられていない。いくつかの食缶に入っている料理と皿とを、その細腕で押して行く。


 こんな様子を端から見れば、とても奇妙に見えるのではないかと思うかもしれない。


 だが違う。


 これは、本来軍上層部の人間が来た時用の道具なのだ。


 いくら基地でも、いや軍の基地だからこそ、コストパフォーマンスは重視される。つまりは一日で一二を争う消費エネルギーを誇る食事という行為には、最大限の消費エネルギー削減計画のガサ入れがこれでもかというほど執拗に入る。


 そんな軍のお財布事情で、たとえ軍上層部の人間と言えども食事内容はほぼ一般兵のものと同じになる。なににせよ同じ所で大量に作るというのが一番効率が良いのだ。そんな一般兵と同じ食事が嫌なら自腹で払え、という事らしい。


 そんな訳で、食事内容に関しては連合軍は平等が徹底されていると言える訳だが、食事場所に関してはその限りではない。


 上層部の人間も上層部の人間なりに頭を働かせて特権を行使しようとする。そうでなくても上層部の人間の部屋には機密情報がたくさん詰まってるのだから、あまり離れたくないという気持ちは十分理解可能なものだ。


 よって、軍上層部の人間に食事を届ける手段が必要になる。


 そうして導入されたのが、今シルの押している手押しワゴンである。


 これなら何人もの軍上層部の人間の部屋、その直前で配膳し、ワゴンを一度置いて上層部の人間の部屋へ温かい食事を届けることが出来る。


 その盛りつける人間を厳選することで、見栄えを重視したいかにも上層部っぽい見た目にすることも可能だ。


 そんな合理性の塊であるワゴンを押して、シルは一般兵が原則近づかない上層部の人間の執務室が立ち並ぶエリアへと向かう。


 軍上層部の人間にはフリズスキャルヴがこの基地にあることを知っている人間もいるから、隠蔽のためにそうせざるを得ないことを納得するだろう。


 上層部の人間の部屋が立ち並ぶ中、シルは指定された部屋へと入る。そこは控室なのか、教室の4分の1程の大きさに本棚やソファなどで過ごしやすそうな空間を演出していた。


 シルは確実に扉を閉める。特殊な操作を経て、鍵をかける。シルがこれから開くあの部屋への扉が閉まらないと、絶対に開かない鍵を。


 それからシルは部屋の一面を覆う本棚の前に立って、目的の本を探す。


 もちろん本を動かすと扉が開くなどという、偶然にもそうなってしまう可能性がある方法など使わない。


 本を探すのは、それが邪魔になるからだ。


 「連合軍戦闘教本……これかな?」


 シルは棚の左の方で見つけた目印の本と、その左右の本を棚から出す。


 「お、もい……」

 最後に左側にあった厚さ10センチを超える恐ろしく大きい本を棚から退けると、シルは姿を表した棚板に手を置いて、すっと奥に滑らせる。


 すると、シルの手に吸い付くように棚板の上部が動き、その内部の空洞を晒した。


 「っ!!」


 思ったより抵抗なく滑った事に驚きながら棚板の中を覗き込むと、そこには黒光りする金属製の押しボタン式のスイッチがあった。


 「これ、だよね……?」


 恐る恐るその綺麗な手を伸ばして、スイッチに触れる。押す。


 その瞬間。


 本棚の、一番右の部分が凹んだ。


 いや。


 扉として中に開いたのだ。


 つまりは。


 ここがあの部屋、連合軍最高軍事機密フリズスキャルヴメインサーバー保管室への入口。


 その未踏の扉は、シルの()()をあっさりと()()()のだった。



 本を元の場所に戻したシルは、本棚の扉の中へとワゴンとともに足を踏み入れた。


 足元がかろうじて分かる程度に照らされた螺旋階段だが、その右端はスロープになっている。ワゴンを押して進むのに苦労はしなかった。


 「気をつけないと……」


 薄暗い階段を下っていくこと数分、たどり着いたのは無骨で巨大な扉だ。


 初めて見るその扉に、シルは息を吸い込む。


 そうして、瞳に光を瞬かせて。


 「すみません、お昼ご飯を届けに来ました……」


 その声を響かせた。




 ◆  ◆




 『すみません、お昼ご飯を届けに来ました……』


 外のマイクが拾った声に、ネオはふと集中力を途切れさせた。


 声と言うが、スピーカーから放たれた再現音ではないか、という人がいるかもしれないが、この場合は声という表現が正しい。


 ハッキング対策のために、こういう部分もアナログで作られているからだ。


 仕組みとしては、伝声管を思い浮かべてもらえば話は早い。扉の一部が伝声管のようになっていて、音を伝えるようになっているのだ。といっても伝声管の中は中空ではない。音を伝えるのに最適化された媒質を注入して、その振動パターンを機械的に増幅し部屋の中で音を響かせている。


 「……? いつもの人と声が違う……?」


 サキが不思議そうに首を傾げる。


 「今日から変わるって話、聞いてなかったっけ?」


 言いながら立ち上がるネオに、追従するように席から立つサキは人工アホ毛を嬉しそうに揺らしながら言った。


 「今日からネオとご飯も一緒だね。ご飯だけじゃない、四六時中ずっといられるね」

 「そうだね、これからずっとそうなるだろうね」

 「うん」


 なにやら同棲を始めたカップルみたいな会話になっているが、客観的に見れば軍によって監禁されている訳だ。違う言い方をするなら幽閉である。決して喜んで享受するようなものではないのだが、これこそまさしく恋は盲目という奴なのだろう。サキはネオにばかり注目して実際の光景を把握できていないようだ。


 だが、そんなサキの望む平凡な日常が続かないことは明らかだ。なぜなら、彼女が来ているのだから。


 「今日のご飯は何だろうね?」

 「なんでも良い、ネオと一緒なら……」


 そんな話をしながら扉へと向かうネオの前で、ネオより先に開錠装置を操作していた大人のプログラマが扉を開いた。


 巨大な扉の全てが開く、訳ではない。もしも攻め入れられた時の対策として、普段使う可動入口は小さく作ってある。丁度ワゴンが入る程度、人間なら背を屈めないと入れないくらいの大きさだ。


 そこからワゴンの後で入って来た人物の姿を見て、後ろの方で男性プログラマ陣がどよめいた。


 彼女がとても美しかったからだ。


 それは、入口が小さいということがプラスに作用していた。まずワゴンが入口のほとんどをふさいで現れたおかげで、背を屈めたシルはワゴンの陰になって見えなかったのだ。当然そこから立ち上がれば、あたかも虚空から唐突に現出したように見える。それが目を惹きつけられる一因になっているのだ。


 純白の彼女に周囲の人間が目を奪われる中、ネオは彼女に声をかける。


 「シル、お疲れ様」

 「むぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」


 ネオのその声に、サキはその人物がネオをたぶらかしているシルであることを認識する。もうその声は犬が「がるるるる」と言っているのと同意義の、唸り声だ。


 「あっ、ネオ……」


 言葉を尻すぼみにして答えたシルは、その端正な顔立ちをそっと逸らす。そのままこの『部屋』の食堂の方に向かって行ってしまった。


 (……? どうしたんだろう……? 初めての仕事で緊張しているかな?)


 そんな事を考えるネオの肩をサキが叩く。


 「どうしたの?」

 「やっぱりほふる」

 「ちょっと、サキっ!? やめてよ!」

 「むぅぅ。どいてネオ、そいつほふれない」

 「ほふったらダメだからっ!」


 じたばたするサキを抑えようとするが、小柄なサキはなかなか捕まらない。それでもネオは意地をはって、捕まえられないけれどシルの方へ通さないように動く。


 互いに互いを突破できないまま推移して行くその争いは、ついにはじゃれあいになってしまった。


 「ネオ、通して?」

 「行かせないよ?」


 ただの遊びになったそれは、二人に冗談混じりの笑顔を咲かせる。


 二人は少しの間そうやって遊んでいた。






 「(どうしてあんな事しちゃったんだろう……)」


 シルは胸中にそんな事を思いながら食堂で配膳をしていた。


 すでに食缶をワゴンから下ろして、机の上で大人のプログラマに手伝ってもらっている。


 シルの胸にはきまり悪さが残っていた。しかし罪悪感は無かった。


 「(どうしたらネオに普通に思ってもらえるかな……? 私のこの気持ちに整理がつくまでの間……)」


 シルは考える。


 そんな状態だったので、シルは話し掛けられていることに気付かなかった。


 「ええと、すみません。すみませーんっ!?」

 「ひゃいっ!」


 何回か話し掛けていたのか近くで大声を出されたシルは驚いて飛び上がった。


 大人のプログラマは言う。


 「もうこっちの用意はやっておくから、ネオとサキを呼んで来てくれないか?」

 「わ、分かりました……」


 その言葉に従い、シルは配膳する手を止めた。


 「(ネオにいつも通りだと思ってもらえるように、ネオにいつも通りと思ってもらえるようにしなきゃ……)」


 そう思えばそう思うほどカチカチになっていく体と心を引き連れて、シルは二人の元に向かう。







 考えてみれば、それは当然の事だった。


 ネオはサキを進ませないようにサキの前に立ちはだかっていて、サキはネオを追い抜こうと位置している。


 つまりは、引き返してきたシルを最初に見つけるのは、ネオではなくサキということになる。


 「むぅぅ」


 こちらに向かって歩いてくるシルを見て、サキは不機嫌そうな声を漏らす。


 「……?」


 そんな微かな感情を敏感に察知したネオはなにが起きたのか、後方に一瞬だけ注意が逸れる。逸れてしまう。


 「いまっ!」


 その時間が致命的だった。


 単なるじゃれあいだったはずのそれが、サキの中で元の意味を取り戻した瞬間をネオは見逃したのだ。


 それが示す意味はもはや明白。


 サキが、強固なネオ防衛線を突破してシルへと突き進む。


 「あっ!」


 ネオのマヌケな声を置き去りにして、人工アホ毛を獰猛になびかせながら走るサキは、シルに向かって言った。


 「ほふる」

 「……っ!」


 次の瞬間、激突があった。


 二人の人間の陰が交錯し、人と人とがぶつかる鈍い音が響く。


 結果として人影が宙を飛び、ドサッという音とともに地面に倒れ込んだ。


 二人の戦いによって片方は吹き飛ばされた。


それによってもう片方の勝利が確定した。


 もたもたと立ち上がろうとする敗者に、ネオが慌てて駆け寄る。


 「サキっ! 大丈夫っ!?」

 「むぅ。ネオ、あいつつよい」


 当たり前だ。


 シルとサキとでは、立っているフィールドが違う。


 忘れているかもしれないが、シルは元々戦場に立つ戦闘要員だ。たとえ記憶を失っていたとしても、体に染み付いた動きまでが消滅したわけではない。武器を失った時の近接格闘術は必ず必要なものなのだ。


 それに対して、サキは軍人ですらない。自ら志願して従軍しているネオとは違い、ネオの職場環境を改善するために招聘された、分類上は一般人だ。当然、軍隊格闘術など学んでいないし身につけている訳がない。


 よって、シルとサキが肉弾戦というジャンルで戦えば、サキが負けることは明白なのだ。


 「サキ、やめときなよ。そういうのは良くないよ?」

 「……ネオがそう言うなら」


 しぶしぶ、という感じで人工アホ毛が揺れて、サキが一歩下がる。


 「シルごめんよ、サキが突然飛び掛かっちゃって……」


 そう言うネオに、思いもしなかったことが起きたからか緊張がほぐれたシルは、笑って言う。


 「大丈夫、私にもケガは無かったし……」

 「なら良かった。シルがケガしたら大変だよ」


 親しげに話し込む二人を見て、


 「むぅぅぅぅぅぅぅっ」


 サキが唇を尖らせるがネオは気付かない。


 だが、気付いた者もいた。


 (……? もしかして……)


 シルだ。


 (この子も、ネオのことが好きなの、かなぁ……?)


 サキのそんな様子を見て、シルには『負けないっ!』という気持ちが沸き上がっていた。


 そこへ。


 「むぅっ! ネオは渡さない」


 ネオの手を引いてサキがネオの注意をサキの方へ引き付ける。


 それに張り合ってシルも言おうとするが、


 「私も……」


 その先の言葉を言うことは、あの感情が許さなかった。


 さっき味わった、あのきまりの悪い気持ちが。


 シルの言いかけて止めたせいで空いてしまった時間も、サキの言葉によって埋められる。


 「ネオ、ご飯に行こう?」

 「あ、そうだった。私もそれを伝えに来たんだった……!」


 その言葉に安堵ながら、シルはやっぱりあの感情を味わう。


 三人は連れだって食堂の方へ歩いて行く。


 しかし、結局シルがその言葉をサキに告げることは一度も出来なかった。



 ◆  ◆



 「っ! 信号、来ましたっ!」

 「ついに来たかっ! だが油断は禁物、デコイである可能性、一過性のものである可能性、罠である可能性、全て精査せよっ! ここが正念場だ、全てのリソースを投入しろっ!」

 「暗号文、読み込みましたっ! 照合……完了っ! 全て予定と同じものですっ!」

 「通信元のGPS解析、完了しました! おそらく予定地点ですが、地下から発信しているのかデータが安定していません!」

 「プロトコル解析完了しました! 予定の通信であることはほぼ確実ですですっ!」

 「平文化成功っ! 文章は全て予定通りのものですっ!」

 「結論しろ」

 「これが我々が待ち望んでいた通信である確率は、99.9999999%ですっ!」

 「よし」


 部下のその報告を聞いて、男は獰猛に笑う。


 「さあ、巻き返しの時間だ」



 ◆  ◆



 その青年兵は、骨伝導イヤホンを耳につけ、狙撃用のライフルを持って伏せていた。



 現代の連合軍対帝国軍の戦いは、攻撃回避の連合軍と範囲攻撃の帝国軍の戦いとなって泥沼化していることは周知の事実である。


 しかし、実際はどのように戦争がなされているかと言うことを、知っている者はあまりにも少ない。


 どのように広範囲殲滅兵器が運用されているか、ということも。


 帝国軍が扱うのは、フリズスキャルヴという監視装置があることを前提として、敵を打ち倒すための戦術。


 即ち。


 小型化した兵器を生身の人間が起動し、起動者の命と引き換えに広範囲を焼き尽くす、という方法だ。


 そんな広範囲を覆う殺戮兵器を人間一人で持ち運べるのか、という疑問が持ち上がるかもしれない。


 だがその疑問には『出来る』としか答えようが無いのだ。


 ABC兵器、またはNBC兵器。


 Atomic-Biological-Chemical兵器またはNuclear-Biological-Chmical兵器の総称で、国際条約で使用禁止が義務付けられるそれらの兵器は、通常兵器とは一線を画す特殊な性格を持っている。


 例えば毒ガス兵器はカプセルトイのカプセルの分だけでも、風に乗せて広範囲に散布することで大量の人間を虐殺出来るし、閉鎖空間内なら感染力の強い細菌兵器が猛威を振るう。核兵器であっても例外ではない。SHE爆弾と呼ばれる最新の核爆弾は、親指サイズの大きさを実現できるといわれている。


 いくらフリズスキャルヴであっても、過去のデータを参考に出来る通常兵器ではなく、比較対象が少ないそういった特殊兵器の使用タイミングを正確に計ることは難しい。


 よって実はフリズスキャルヴがあっても、相手が通常兵器のみを使った場合を除き絶対に死なないわけではない。


 どんな戦争でも楽なものは無いのだ。


 だが、フリズスキャルヴが使えないということは、手も足も出ないということには直結しない。


 フリズスキャルヴによって敵兵の位置は分かっているのだから、早めに狙撃して起動する前に倒せば良い。


 よって現在、特攻隊を遠距離から打ち倒すという一方的な展開が繰り広げられているのが戦争である。





 「フリズスキャルヴからデータ更新が来た。北西863メートル、森の木陰に一人だ」


 青年兵は、隣にいて周囲を警戒しつつ端末を覗き込んでいる同僚の声に従って、北西の方向にライフルを向ける。


 可変倍率スコープの視野を一旦低倍率にして、言われた辺りの森を探す。


 「あれか……?」


 見つけた敵兵は、中肉中背でこれといった特徴は無かった。


 (囮か?)


 青年兵はそう判断する。


 フリズスキャルヴは個々の兵士を判別することは出来るが、その装備までを詳しく決定することは出来ない。せいぜい、『このポイントに配置されているということはこの用途で使うはずだからこんな武器を持っているはず』と推測することしか出来ないため、この戦争ではフリズスキャルヴが敵兵を見つけ狙撃兵がそれを倒すという流れがセオリーになっている。


 「発見したが、どうする?」

 「まぁ分からないし、やるしか無いだろう。毒ガス兵器だったらここに居たって安全とは言え無いんだしな」

 「了解」


 狙撃兵の青年は息を吐いた。


 人を殺すという衝撃は、並大抵のものではない。以前では、兵士全員が発砲を拒否する時代もあったのだ。殺人を忌避する感情というのは、絶対に存在する。


 その感情を緩和するために、人を殺す衝撃を分散するために、現代では狙撃は二人で行われる。


 観測手(スポッター)狙撃手(スナイパー)


 狙撃に実弾銃が使われていた時代には、狙撃に影響を与える風速、湿度、重力加速度などを簡易計測して狙撃手に伝える役割が必要だったために生まれた観測手だが、現代戦には必要ない。それでもなお今度はフリズスキャルヴを使っての標準補助という形でこの二人一組(ツーマンセル)が生き残っている事が、殺人による人間への影響を上層部が重く受け止めているということの証明になる。


 「……」


 青年兵は、手に持ったライフルで敵兵を照準する。


 現代のライフルは、既に実弾の時代を脱している。いまだユニットが大型の傾向があるので突撃銃(アサルトライフル)軽機関銃(ライトマシンガン)には使えないし、乱れ撃ちという用法上実弾の方が良い付設型の重機関銃には採用されていないが、唯一精度が求められるライフルには、光学兵器が実装されてる。


 そう、こう言えばもっと分かりやすいだろう。

 レーザー兵器が、だ。


 ライフルの照準線が十時に交わる中心が、左右にゆっくりと揺れながら、しかし段々と敵兵の頭へと近づいて行く。その揺れが無くなった時が、敵兵の命日になる。


 揺らぎが小さくなる。


 揺れが細かくなる。


 揺さぶりが微小になる。


 止まる。


 安定する……っ!


 そして、青年兵はトリガーを引く。



 瞬間、色彩なき閃光が放たれた。




 レーザーとは即ち光だ。


 光とは、散乱しない限り直進する性質を持つ。


 つまりは。


 レーザーを横から見ても、そこには何も見えないのだ。


 音や光すら発生させる事なく、それでいて超遠距離から敵を狙い撃てる兵器。


 狙撃銃(スナイパーライフル)は、これまで以上に恐れられる、悪魔の兵器としての進化を遂げていたのだ。


 レーザー兵器の弱点は、空気濃度の急激な変化による屈折だ。だがそれを起こす手段は通常歩兵が持っているはずもなく、実質としてそれは光の速さで放たれる、死の一撃と同義となっている。


 この攻撃を避ける相手を、青年兵は一種類しか知らない。


 フリズスキャルヴの支援を受けた、友軍兵士だけだ。


 色無き光条が敵兵の頭をぶち抜いた。


 崩れ落ちる敵兵を、青年兵は複雑な心情で一度確認してから目を離す。着弾確認をしなければならないが、人の死体など見ていて気持ちの良いものではない。


 (慣れれば何も感じなくなるらしいが、俺はそんな人間になりたくない。だからこそ恐怖は再確認しておかないと……)


 そんな事を考えている青年兵に、観測手(スポッター)の同僚がさらに声を上げた。


 「東北東1502メートルっ、野郎、ナメ腐ってやがるっ!」

 「どうした、落ち着けよお前」


 同僚に適当に答えながら体ごと東北北を向く青年兵だが、その頭にかすかに情報がよぎる。


 (あれ……? 1500って言ったら平原地帯じゃなかったっけか……?)


 向き直った体でスコープを覗き込んで敵兵を探す。


 果たして。


 「……っっ!」


 それはすぐに見つかった。そして青年兵は同僚と同じく怒りを感じた。


 敵兵は、身を隠す事なく悠々と平原を基地に向かって歩いて行っていたのだ。


 「……落ち着け落ち着け、あいつが囮の可能性もある、ちゃんと精査しないと……」


 そう思って、怒りを抑えてスコープで周りを見回す青年兵。しかし、フリズスキャルヴを使うということを思い付かない辺り、かなり頭に血が上っているようだ。


 キョロキョロとライフルの倍率を変えたりライフルの方向を変えたりして、他に潜んでいる敵兵を探す青年兵。そこで何も見つけられない状況を経て、青年兵の怒りが再発する。血が沸騰するような怒りが青年兵を支配した。


 「野郎、舐めやがってっっっ!!」


 その怒号とともに、標準線の中心が敵兵を捉える。標準線の揺れが収まるのを待つのではない。そんなことでは遅いとばかりに揺れの周期を見切って、標準線が敵兵の頭を捉えた瞬間トリガーを引く。


 目に見えぬ暴虐が解き放たれた。


 そう、この光学狙撃銃は避けられる事はない。照準さえしっかりと行えば、この世で最も早い光の速度で突き進む攻撃は、回避を許さず、ただ一方的に敵を叩き潰す。


 だが。


 青年兵はトリガーを引いた瞬間、奇妙な光景を見た。


 トリガーを引く、丁度そのタイミングで敵兵が一歩横へ動いたのだ。


 体感的には、十時照準線の中心から逃げ出すような。


 ヌルリ、とまるで予知したように、狙撃兵の照準を外したかのように脅威から逃れる。


 そう。


 ()()()()()()()()()()


 「っっ!?」


 青年兵は驚愕した。だがすぐに思い直す。ありえない事が起きた、即ちそれは偶然なのだと。


 「運が良かったな……?」


 青年兵はそう呟き、再び敵兵を照準する。


 今度こそ外さぬように、きちんと全てをお膳立てして。


 再び、全ての狙撃準備が調った。


 瞬間、ヌルリという滑るような手応えとともに、色彩なき閃光が放たれた。


 再び放たれた死の一閃は、しかし敵兵には当たらない。


 「なっっ!!」


 今度こそ、青年兵の口から声が漏れた。その言葉を訝しんだ観測手がその理由を訊く。


 「どうした」

 「野郎が、狙撃を避けやがったっ!」

 「なんだと、ありえないだろうっっ!? そんな事があってたまるか、1500メートル先の攻撃を察知できるはずがないだろうっ?」


 響く怒号に、青年兵の心にさっき考えたことが再び思考に浮上する。


 そう。


 青年兵は、この攻撃を避けられるものはフリズスキャルヴの支援を受けた友軍兵しか知らない、と思ったのだ。


 「まさか……」


 青年兵は声を上げる。それは、既に怒りによるものではなく、恐怖によるものに様変わりし始めていた。


 青年兵は、その思いつきを否定する材料を探すために敵兵をスコープでもう一度隅々まで見つめる。


 フリズスキャルヴの支援を受けて回避したのならば、絶対にあるはずの接続用インターフェイスを探すために。


 果たして。


 「ああ……」


 青年兵は見てしまった。


 「あああ……」


 敵兵の身につけるその装備を。


 「ああああ……っ!」


 どんな環境下でも、聴覚が一時的に麻痺していたとしても、頭蓋骨の振動を利用して中枢神経に直接音を届ける装置。


 連合軍共通採用式の、骨伝導イヤホン。


 それは、自分がフリズスキャルヴの支援を受けるために耳の後ろに引っ掛けている装置ではなかったか……?


 カチリ、と青年兵の中で全てが当て嵌まる。

 つまりは。


 「フリズスキャルヴが、盗まれた……」


 狙撃の通じない、それでいて広範囲攻撃を神風特攻する敵が、連合軍に迫る。



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