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疑問と継続

 少年にとって永遠にも等しい時間が、少女にとって苦痛に満たされた時間が、終わる。


 しかし、少女の恐怖はここから始まった。





 少女が、目を覚ました。


 「シルっ!?」


 それをいち早く気付いたネオが、ナースコールを押しつつ叫ぶ。


 「大丈夫っ? 病院の簡易検査だと体に異常は無い、精神的なものだって言われたけど、記憶が戻ったのっ!?」


 バタバタ、と外から慌ただしい雰囲気が伝わってくる。


 そんな中でシルは。


 「ううん、記憶はまだ……。なんか突然怖くなって……」


 そう、答えた。


 次の瞬間ドアが開き、衛生兵達がなだれ込んできた。





 「ネオ、うろたえるなみっともない。情報部所属だろう、表情筋ぐらい操れるようにしろ」


 衛生兵の群れにシルの部屋から追い出されたネオは、手持ち無沙汰で個室の外の壁にもたれていた。


 「部長……」

 「どうだった、シルは記憶を取り戻したのか?」

 「いえ、シルは取り戻していないと言っていました」


 息を吐いて安堵したように言うネオに、部長は首を傾げて言う。


 「取り戻さなかったのか? ふうん、だとすればどうして気を失ったのだろうな」

 「ですよね……。それは何故なんでしょう?」

 「うーん、精神的なものが原因というのだから、簡単に思い付くのは心的外傷後ストレス障害ぐらいか?」

 「心的外傷後ー、ストレス障害……」

 ネオは呟いた。


 心的外傷後ストレス障害。略してPTSD。

 心的外傷経験後、一ヶ月以上経っても症状が出るものを言い、一ヶ月未満のもの−即ち急性ストレス障害ASDとは区別される。


 具体的な症状としては幻覚、フラッシュバックに象徴される外傷体験の繰り返し、無感動、無関心等の外傷体験の抹消、不眠、集中力低下などに代表される亢進状態のいずれか、またはどれもが現れる症状だ。


 慢性症状などは現れなかった、またはネオとの関係の中で改善していたと考えると、失神はフラッシュバックによる恐怖だと予想することが出来る。


 だが。


 (それだとおかしいんですよ部長……)


 ネオだってそれを考えなかった訳ではない。しかしそれが原因だとすると矛盾点が生じるのだ。


 シルが気絶する前に呟いた言葉は、『フリズスキャルヴ』。


 それがトラウマになる光景なんて、ネオには思い付くことが出来ない。


 ……フリズスキャルヴが敵に使われた、と想像した時を除いて。


 そうすると、シルは連合軍ではなく帝国軍として戦ったことがあるということになってしまう。


 それでは、辻妻が合わない。


 「まあ分からないということは、もう少し調べるということだ。シルはここで、もう一度一通り検査を受けてもらう。それには数日かかるから、監視はその間いらなくなる。常に衛生兵が見ているからな。ネオはすまないが休暇を切り上げて、HUVの方をやっていてくれ」

 「分かりました」

 とんとん拍子で話が進む中、ネオは思い出す。

 「あ……」

 「どうした、問題があったか?」


 不思議そうに訊く部長に、ネオは申し訳なさそうに言った。


 「サキのお菓子を買ってない……」



 ◆  ◆



 「……ネオ、早かったね。お菓子は?」

 「……ごめん、買ってこれなかったよ」

 「……? 珍しい、ネオが約束を忘れるなんて。なにか起きたの?」


 しょんぼりとした様子で垂れ下がる人工アホ毛とは裏腹に、ネオの心配をするサキ。


 「いや、僕にはなにも無かったんだけど……」

 「? じゃあどうしたの?」


 今度こそ不安げに揺れる人工アホ毛を見ながら、ネオはサキに言った。


 「うん、急にシルが気を失って倒れちゃってね……?」

 「むぅ」


 ピキーンッ、とサキの人工アホ毛が重力に逆らって垂直に立った。心なしかいつもより人工アホ毛の体積が増えているようにも感じられる。そして人工アホ毛の先がいくつにも割れて、その先が別々にわさわさー、と蠢き始めた。


 これはもう、あれだ。


 サキはこれ以上ないくらいにご立腹だ。


 「あの女と一緒に休暇を取ったの?」


 サキの声が、響く。


 それは、サキ特有の感情が分かりにくい声だったが、しかしネオには分かる。分かるようになった人なら、ビビる。


 それは、ネオが今まで経験したことが無いほどの底冷えするような声だったからだ。


 いや。


 今まであまり感情をださなかったサキが、初めて強く感情を出しただけなのかもしれない。


 「うん、一緒に連れていったよ……?」


 その雰囲気に恐れ戦きながら答えたネオの言葉に、即座にサキの威圧が続いた。


 「どうして?」

 「……人手が足りなくて、休暇中外に連れ出しておいてくれって部長が……」


 ネオは推測混じりの答えを返す。


 「ふうん」


 サキはなにやら屑をみるような目でこちらを見ている。と言っても、それはネオにしか分からない程度にしか現れていない。だが分かりやすいのは人工アホ毛だ。まるで威嚇するように先っぽをネオに向けている。


 「だから、町に一緒に行ったのも遊園地でシルが気を失ったのも不可抗力なんだよ……?」


 恐る恐る言った言葉に、サキをさらに怒らせる言葉があることにネオは気付かなかった。


 「遊園地……?」


 そうして、案の定サキはその言葉に反応する。


 「もしかして、ネオは昨日の夜その女と一緒に泊まった?」

 「え……なんで知ってるのっ?」


 慌てたようなネオの返事に、サキは一瞬動きを止めると、今までの無表情が温いと思えるほど完全完璧全壁な無表情無感情状態に移行した。


 「やっぱり……。あの時の悪寒は本物だったんだ……」


 そしてそう呟くと、すたすたとどこかへ歩いて行く。


 いや。


 外界とこの部屋を隔てている超厳重な扉へと。


 「え、サキ……? どこ行くの?」

 「その女を、ほふってくる」


 そう答えたサキの表情はネオでさえ読めないほど無表情で、人工アホ毛が静かに揺れている。しかしそれは安定しているのではなく、ただ嵐の前の静けさだということを決定的に突き付けていた。


 「ちょちょっ!? 待ってよサキ、なにも無かったってば!」


 殺気立ったサキをなだめるのに、ネオは1時間以上もかけたのだった。







 「むう」


 未だに機嫌が悪いサキをなんとか抑えて、ネオは二人でコンピュータデスクの方に向かう。


 「どうして止めるの? あの女はネオの初めてまで奪った敵だよ?」

 「いや奪われてないってっ! な、なに想像してるんだよサキっ!?」


 明らかに挙動不審になるネオを見て、サキは思う。


 (嘘じゃないけど……、まんざらでもない感じ……? ……ネオのばかぁ)


 そう考えてしまったサキは、さらに口を尖らせた。


 「むうううううううううう」

 「どど、どうしたのサキっ! さっきから変だよっ!?」

 「……しらない。ネオのせい」

 「ええ……?」


 戸惑うように言うネオを見て、サキは溜息をついた。


 そんなサキを見て、ネオはサキに思ったことを言ってみる。


 「サキも今度一緒に行く?」


 つまりは、ネオは遊園地に行ったのが羨ましかったのだ、と判断した訳だ。それは間違いではないが、理由の大部分が別のものであることにネオは未だ気付いていない。


 「……」


 サキは答えない。


 コンピュータデスクへ向かう足を止め、俯いたまま体を震わせている。


 (うわっ! なにか間違えたかな……っ?)


 ネオは一歩下がった。


 怒りに体を震わせたサキが襲い掛かってくると思ったからだ。


 だが。


 (……ん? 人工アホ毛が、怒ってない……?)


 少し身構えるネオに、それは目に入ってきた。


 サキの人工アホ毛が怒ったような重々しい雰囲気を纏っているのではなく、どちらかというと軽やかに揺れているような……?


 「…………」


 サキはまだ、動かない。


 ただ、その小さな体を震わせているだけだ。


 いや。


 なにか聞こえて来ないか?


 「……が……に連……」

 「サキ……?」


 ネオが不思議に思って身を屈め、サキの顔を覗き込む。


 そこには。


 「ネオが初めてデートに誘ってくれた……っ! 遊園地に連れていってくれるってっ! どうしよう……どうしようわたし……」


 小声で嬉しそうに呟くサキの姿があった。


 そう、嬉しそうにである。


 感情が外に出にくいサキが、明らかに、初めて会った人にでさえ分かるくらいに喜びを発露させている。


 「……よかった……」


 ネオは安堵の息を吐く。


 サキに嫌われた訳ではないと分かったからだ。

 しかし、問題がある。


 ネオは虚空に魂を飛ばしたサキを、現実に呼び戻す方法を知らない。


 「どうしよう……?」


 ネオは呟くが、その言葉に応える声はどこにも無かった。



 ◆  ◆



 一週間が経った。


 シルの検査も終わり、ついでに休暇も終わった(終わらされた)ネオは、部長に呼び出されてた。


 「シルの検査が終わり、観察期間も終わった。診断は『不明だが現在は問題無し』だそうだ」

 「『不明だが問題無し』、ですか?」


 不思議そうに首を傾げるネオに、部長はつまらなそうに捕捉する。


 「ああ、気絶した理由は不明だが現在に残る問題は無いということだ。再検査でもまだ、シルは記憶が戻っていないと言っている。そんな中ではPTSDだろうがASDだろうが原因が特定できない。原因となる記憶が特定出来ないからな」

 「そもそもの疑問なんですけど、記憶喪失下でPTSDなんて起こるんですか? 参照する記憶も無いのに……」

 「まあ、私もそれは疑問だったんだが、報告書にはこう結論づけられている」


 部長は一度言葉を区切ると、事無げに言った。


 「外傷経験そのこと自体を覚えていなくても、それを想起させる事柄に反応する、そういう反射が生きていたのではないか、ということらしい」


 その言葉を聞いて、ネオは少しの間動けなくなった。


 それは。


 つまりは。


 シルは、覚えてもいない事柄に、どれだけ経っても苦しめられているということではないのか?


 辛い記憶に苦しみ、でも忘れるという退路さえ許されない。


 それも。


 『フリズスキャルヴ』という言葉がトリガーになるPTSD、その残骸など連合軍で生きて行く限り呪縛にしかならないではないか。


 そんな気持ちに体を震わせているところに、部長は話を切り替えた。


 「さて、シルのことだが」

 「……なんですか?」


 言葉尻に込められた感情を感じながらも、しかし部長はそんな物は存在しないとばかりに次の言葉を紡ぐ。


 部長にあたるのも八つ当たりだとなんとなく理解しているネオも、その言葉に耳を傾ける。


 「シルの監視ももうそろそろ切り上げて、仕事を与えようと思う。何せ保証人までいる状況だ、連合軍にも人材を遊ばせておく余裕はない。そこで、シルをあの部屋との窓口に設定しようと思う」

 「……どういうことですか?」


 あまり部長の言いたいことが分からなかったネオは、確認にそう訊く。


 「つまりだ。ネオ、お前はもうそろそろHUV計画専属になってもらう。今まで徐々に消えてもスパイに違和感を覚えられないように少しずつHUV計画への従事比率を高めてきたが、潮時だ。だが外部との繋がりは少しとはいえ必要だ。今までネオがそれを担っていたが、これからはシルに担当してもらう」


 つまり。


 HUV計画の中心であるネオが、ある程度基地の中を自由に動けたのは急に消えることでHUV計画を敵スパイに悟られないようにするためだった。だがそれも終わり、敵スパイに違和感を与えないよう消える下準備は終わっている。ネオがHUV計画に完全に異動したことによって発生するHUV計画参加者の不都合を、シルが代替するということだ。


 ……一言で言うなら、『シル、パシリになれ』という事である。


 「分かりました」

 「よし。シルは基本的に部屋の外で暮らしてもらう。部屋の外と関係を保つ以上、姿を見せておくべきだからな。基本的には食事の配達、消耗品の補給とかその辺を任せる予定でいる。嗜好品に関しては、シルを介して他の兵に頼め」


 ……やっとシルの不審者扱いが無くなっただけ、という風に見えるが、実際には上層部にも思惑はある。


 記憶喪失の人間は、というかこの場合のシルは『いないはずの人間』に仕立て上げやすいのだ。


 フリズスキャルヴに関わる人間は、機密情報保持の観点から出来るだけ表の従軍関係者リストから外す。だがシルに関してはそれは必要ない。


 なぜならシルは軍紀上、一度死んだ人間だからだ。


 シルはドックタグでですら識別番号を認識できない。記憶喪失のために覚えてもいない。つまりは、元の部隊では『身元不明死体のどれか』として戦死扱いしているはずなのだ。


 これなら後はたやすい。対内的には『記憶を取り戻して部隊に帰った』、対外的には『保護後すぐに死んだ』または『保護しなかった』と言えば、簡単に従軍関係者リストから外すことが出来る。


 フリズスキャルヴに関わらせるのに、安全な人間に出来るのだ。


 そういった思惑が交差する中で、ネオは頷いた。


 「はいっ」

 「荷物はまとめて、今日中に部屋の中にまとめておけ。明日の朝移動させる」

 「了解です」


 とんとん拍子で進んで行く状況に、ネオはまだ気付いていない。


 サキとシルが直接出会うなんていう事態が発生し得る状況が、セッティングされつつあるということを。


 そんなこんなで状況は進んで行く。


 ◆  ◆

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