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約束と、やきもちと


 「んぁ……?」


 次の日。


 ネオは突っ伏した状態から目を覚ました。


 最初にネオの視界に入ったのは、調整中のプログラムが表示されたコンピュータの画面だった。


 寝起きの回転が悪い頭で考える。


 (ええっと……昨日プログラムの調整中に寝落ちしたのか……)


 ネオは頭を少しだけ持ち上げる。


 コンピュータの画面の端に書かれた時間は、6時40分。昨日7時半に救護室に行こうと考えていたので、まだ余裕はある。


 左手を頭の下に置いておいたおかげで頬にキーボードの跡はあまりついていない。


 (よし、まあ起きるか……)


 まだ寝ぼけて端が霞む視界のまま、ネオは体を起こそうとする。


 しかし、途中で右腕が体に付いて来なくなった。


 まるで、なにかが右腕の上に乗っているから動かせなくなっているかのように。


 「……?」


 ネオは、靄がかかった頭のまま右腕の先を見てみる。


 その先には、


 「っうわっ! なんで!?」


 サキがネオの腕に頭を載せて、寝息を立てていた。


 「すかー、すかー」

 「…………」


 サキはネオへ無防備に寝顔を晒しながら、腕枕に体重を預けている。


 人工アホ毛も今はリラックスしているようで動いていない。


 ネオはそれを見て少し微笑むと、キョロキョロと周りを見回した。


 大人のプログラマの一人がかけてくれたのだろうか、自分とサキにに薄手の毛布がかけられていることに気付いたネオは、自分の毛布を左手一本でぐしゃぐしゃにまとめて準備する。


 「起こすわけにもいかないしね」


 左手で持った毛布ごとサキの頭をそっと持ち上げると、右腕を静かに抜いた。


 「むぅぅー」


 突然の寝言に一瞬ビクッとしたネオは、不機嫌そうに蠢く人工アホ毛を見ながら心配に思う。


 (起きて……ないよね?)


 ゆっくりとサキの頭とキーボードの間にぐしゃぐしゃの毛布を置いて、頭のバランスが取れているかどうかかを確かめた。


 「ふぅ……」


 ネオは一度息を吐くと、大きく伸びをする。


 「よし、行くかっ!」


 サキを起こさないように静かに立ち上がり、静かに部屋を出ようとするネオの後ろ姿に、サキの寝言が伝わるだろうか。


 「いってらしゃい……」





 一度部屋に戻り、新しい服に着替えたネオは救護室に向かう。


 ネオの腕時計は7時20分を指しており、十分に間に合う時間だ。


 「よし、来たな」

 「はい」


 救護室の前に到着したネオは、情報部部長と合流した。


 「よし、じゃあ行くか。噂の『彼女』との御対面だ」

 「僕は初めてじゃないですけどね」

 「まあそう言うな」


 二人はそんなことを言いながら、救護室の中に入る。


 「ナナ、と呼んでいるんだっけか? 『彼女』に会いに来たんだが」

 「はいはいナナちゃんに面会ですねー。って情報部の人ですか、了解です。信用調査ですよね?」

 「そんな所だ」


 衛生兵の確認を曖昧に濁しつつ、部長は面会の準備を進めて行く。


 「はい、ナナちゃんはこちらの部屋です。念のため個室にしたんですけど、良かったですか? ナナちゃん情報部の扱いになるんですよね?」

 「ああ、一応このまま個室を確保しておいてくれ。私が扱う案件になるかどうかはまだ分からないがな」

 「分かりました」


 衛生兵はそう答えると、『彼女』が割り当てられている部屋の扉をコンコン、とノックする。


 「ナナちゃん、入りますよー。情報部の人が来ましたー」

 「どうぞ……」


 すぐに返ってきた声に、衛生兵はガチャリとドアを開ける。


 「どうぞ。私は外にいるので、用事があるときはブザーを鳴らしてください」


 その声を背景に部屋へ入ったネオは、足を止めざるを得なかった。


 昨日会ったときはボロボロの軍服を脱いだだけの、無機質な服だったのに、今はペイルブルーの薄手パジャマを着ている。


 純白の彼女がその服を着て、ベッドに佇んでいるところを見ると、ネオはまるで雪の精の寝室に忍び込んだかのような気持ちになってしまう。


 「……オ。おいネオ!」

 「は、はいっ!」


 いつの間にか見惚れてしまっていたのか、ネオの精神は部長の呼び掛けによってやっと現実へと帰還した。


 「ボケッとするな、任務中(・・・)だろう」

 「す、すみません……」


 部長の叱責に慌てて謝るネオを見て、部長はニヤッと笑いかけると、


 「(そういうのはな、上官がいない時にやるんだ)」


 そう小声でいたずらをするように言う。


 「え……?」


 ネオが部長の意外な言葉に何か反応する前に、部長はベッド脇に一つだけ置いてあったパイプ椅子に座って、ベッドの上で上体を起こしている『彼女』へと話しかけた。


 「見苦しいところをお見せしました。私は情報部の部長を務めている、セガワと言います。あなたの扱いについて、説明に来ました」


 「はい……」


 不安そうな声を出す『彼女』に、ネオはまたもや気持ちが引き込まれそうになるが、さっきの部長の言葉を思い出してなんとか耐えていた。


 「結論から言いますと、現在のところどんな手段を使っても身元が確認できないあなたは、軍紀上不審人物として扱うしかありません。不審人物に自由に出歩かせる事は、軍の不利益に直結する可能性がありますので、本来自由行動は許可出来ません。しかし、同胞の可能性があるあなたをそこまで束縛することはこちらも心苦しいのです。というわけで、ネオが保証人になった上で監視を付ける事を条件として、一般兵と同じ扱いをする事は出来ます。とはいえ、身元がはっきりとするまでこの部屋にいたいと言うならこちらは止めませんので、どうしますか?」

 「えぇと……監視というのは?」

 「そのままの意味です。この部屋の中にまでは入ってきませんが、それ以外はほとんど監視役が一緒に行動すると思ってください」


 その言葉を聞いて、『彼女』は俯いて黙り込んだ。


 「(まぁ実際はこの部屋にも監視カメラは設置されているから、監視されない時間はないんだがな)」


 部長は心の中でそう呟くが、そんな様子は全く見せない。汚れ仕事を引き受けるのはいつものことだ、達観しているのだろうか。


 「わたしは……わたしは……」


 『彼女』の中でも、どうするべきかは揺れ動いているようだった。かすかにネオにも聞こえる言葉には、その迷いが簡単に分かるほどに現れていた。


 それでもネオは何も出来ない。


 これは、今後どうするかは、『彼女』が決めるべき事だから。


 ただ一つ、何か言えることがあるとするならば……。


 「もし、君が普通の扱いを望んだら……」


 ネオはそう切り出した。


 部長が面白そうな顔で眺める中、純白の彼女は、その声を聞いてまっすぐネオを見る。


 「僕が、君のことを守るよ」


 そう、誓った(・・・)


 「……セガワさん」

 「どうした?」

 「監視役は、ネオ……くんなんですか?」


 どこか期待するような響きを持ったその声は、すぐに部長によって肯定される。


 「ああ。午前中……朝食から昼食まではネオが担当だ。午後は色々とあるだろうから、女性を割り当てる予定ではいるが」


 部長の言葉を聞いて、純白の彼女は安心したようにふっと笑って。


 思わず見入ってしまったネオに、純白の彼女の声がかけられた。


 「よろしくお願いします……ネオ、さん」

 「ネオで良いよ」

 「……分かりました。よろしくお願いします、ネオ」


 そう言って、ネオにだけに向けられたほほ笑みを、ネオは一生忘れることは無いと思う。


 なんとなく見つめあっていた二人だが、すぐに部長の声が投げられた。


 「さて、話はまとまったな。では次が最後の話だ」


 はっとして、顔を赤らめながら部長に視線を戻す純白の彼女に、部長は最後の話を切り出した。


 「それで、君の名前はどうすれば良い? 書類に書くにしても、人に呼んでもらうにしても、名前が無いというのは不便だからな。衛生兵達はナナ、と呼んでいるようだったが、どうする?」

 「え……?」


 純白の彼女が、また困ったような声を上げた。


 「私の、名前……?」

 「いや、思い出せと言ってる訳じゃない」


 部長は苦笑しながら補足する。


 「ただ、私達が君をなんと呼べば良いのか、とそういう話だ」

 「……ネオは、私を見た時どう思ったの?」


 少し考えてから、純白の彼女から放たれた問いに、ネオは即答する。


 「綺麗だなって……」


 ネオは言い終わってからその台詞の恥ずかしさに気付いて、顔を赤くしたが、純白の彼女はそんなレベルでは済まなかった。


 「ーーーっ!」


 一瞬でその純白の肌が、紅に染まった。あまりにもの恥ずかしさからか、膝にかかっていた毛布を持ち上げて顔まで隠してしまう。


 「……確かにその肌と白銀色の髪の毛は、同性の私から見ても素晴らしいと思うな。恥ずかしがることはないだろう、そう言われて当然の容姿をしていることの自覚が無かったのか?」


 部長の言葉に、さらに言葉にならない叫びを上げて足をバタバタさせる純白の彼女。記憶がなくなったからか、そうした言葉への耐性が一切無いのかもしれない。


 「……シル」


 そんな中、ネオは呟いた。


 「白銀色の髪の毛だから、シル。部長、これはどうですか?」

 「こればっかりは本人に決めてもらわないといけないからなぁ」


 その言葉を聞いて、毛布お化けになっている純白の彼女の動きが止まった。


 それから、少しづつ、顔を隠している毛布を下げていって、目だけを出してネオに言う。


 「それで、良い……」


 かすかに見えたシルの恥ずかしそうな顔も綺麗だな、とネオは顔をさらに赤くしながら思った。


 「シル、ね。(ほとんど知らない男の名付けた名前を受け入れた時点で、シルの気持ちは推し量るべし、だな。羨ましいなぁ)分かった、書類の方はその名前で統一しておこう」


 部長は途中が小声で聞き取りにくかったがそう言い、立ち上がる。


 「これでこちらが訊きたかったことは以上です。ありがとうございました。ネオ、あとはよろしく」


 「あ、はい部長」


 ネオの返事を聞いて満足そうに頷き、部長は扉の方に向かう。その時、


 「(私にもああいう運命の相手が見つかればなぁ……。母から結婚まだかと訊かれる度に気まずい雰囲気になるのを早くどうにかしたい……)」


 と呟いていた気がするが気のせいだろう。


 ガタン、と扉が閉まって部屋には二人だけが取り残された。


 「……」

 「……」


 毛布お化けは恥ずかしがって何も言わないし、ネオもさっき吐いた台詞を思い出して顔を真っ赤にしている。


 お互いに気まずい沈黙のまま数分間が過ぎて、やっと毛布お化けがやっぱり顔を隠したまま声を出した。


 「すみません、……着替えるので一度外に出てもらって……良いですか……?」


 恥ずかしさと気まずさが入り交じったその声を聞いて、ネオは言葉は少なく行動を起こした。


 「ご、ごめんなさいっ!」


 すぐに立ち上がり、風のような速度でネオが外に出ていき、ドアの閉まる音が鳴る。


 それから、毛布お化けは顔を覆っていたその毛布を、ネオがまだいないかどうか確かめるようにゆっくりと、おずおずと取る。


 「…………ふふん」


 やっと毛布の下から現れたその顔には、未だに恥ずかしさと、そして少しの嬉しさが残っていた。



 ◆  ◆



 出てきたシルの服装は、当然の事ながら軍服だった。


 当たり前だ、ここは軍の基地の中なのだから、一般兵待遇のシルが私服でいられる訳が無い、というか私服なんてあるはずが無い。この軍服も、いつの間に用意されたものなんだろう、とネオは頭のほんの片隅で考える。


 というのは、純白の彼女−シルが、黒を基調とした軍服(戦闘時用の野戦服ではなく、儀礼用軍服だ)を着ているのは、白と黒のコントラストがネオの目を灼くほどに綺麗だったからだ。


 もう、これ以上の形容の仕方をネオは知らない。


 凛とした、というのは遠からずとも当たっておらず、可愛い、というのも何かが違う。美しいというのも近いようで遠い気がする。そう、キレイでもきれいでもない綺麗。


 そんな彼女を見てしまったら、ネオがたっぷり数秒間見つめたままフリーズしてしまうのは当然のことといえた。


 「あの……ネオ?」


 シルの、心細さに揺れるような声でネオは我に帰った。


 (そうだ、シルの信頼に応えないと……!)


 ネオは心の中で自分を叱咤する。


 「ど……どうしたの、シル……?」

 「あの、私……」


 名前を呼ばれて恥ずかしいのか、それとも言い出す内容がそうなのか、頬を赤らめながらシルは言った。


 「ごはん食べたい……」






 「ここが食堂だよ」

 「広い……」


 そんなこんなで、二人が最初に来たのは食堂だった。


 時刻は8時。


 直接戦闘を担当する歩兵部、機甲兵器部の非番でない一般兵は既に朝食をとった後、ある程度食事時間に幅がある情報部や管理部の一般兵、または非番の兵士が食事をとるには少し早いか丁度良いくらいの時間だ。


 「メニューは選べないけどね……」


 全体の三分の一くらいしか埋まっていない席を見ながら、ネオはシルを先導して列の最後尾に並ぶ。


 「カウンターの前でトレーを持って、カウンターに置いてあるお皿を一つずつトレーの上に乗せるんだ」

 「わ、分かりました……」

 「よお新入り。今日はやけに遅いじゃないか、お前のシフトは8時半からだろう?」


 そんな時、後ろに並んだ先輩がネオとシルの後ろに並んだ先輩と呼ばれた青年が、ネオに声をかける。


 シルに説明をするために後ろを向いていたネオは良かったが、いきなり背後から声をかけられたシルは体をビクン、と震わせると急いでネオの後ろに隠れてしまった。


 「ひゃぁっ!」


 控えめな悲鳴を上げたシルを見ながらネオは青年に、怒ったように抗議した。


 「先輩、驚かせないでくださいよ」

 「悪い悪い、そんなつもりは無かったんだが……」

 青年はばつが悪そうに、でも軽く謝る。


 「そっちは、昨日助けた子だよな? もう捕まえたのか、ふーん」


 その直後に、ニヤニヤとした笑みをかすかに浮かべながら青年は言う。


 「違いますよ、先輩。先輩ならすぐに分かるでしょうから言いませんけど」


 もうそろそろ色々な人に言われて慣れてきたのか、ネオはなんとか普通に返すことに成功する。


 「(違うの……?)」


 ネオの後ろに隠れたままのシルが何かを言ったような気がしたが、きっと気のせいだろう。


 「そうなのか、つまらんなぁ。ところで、ほらよ」


 青年は適当にそう言うと、青年の前方、つまりはネオの後方を指差した。


 「……? なんです?」

 「もう次お前らだろう」

 「えっ、あっ……!」


 後ろを振り返ったネオは、10メートルほどあった列がいつの間にか消滅しているのを見て。


 「シル、急ごうっ」

 「う、うん……」


 シルの手を引いて駆けて行く少年、少し戸惑いながらも嫌がる素振りはない少女。


 「青春だなぁ」


 そんな光景を見た青年は、ぽつりと呟いた。






 『今日のメニュー。ロールパン、スクランブルエッグ、シーザーサラダ、コンソメスープ』


 カウンターの一番端には、その時のメニューが書かれた小さい黒板が置いてある。


 非番ではない軍人にとって、ご飯というのは心のよりどころだ。そのメニューを眺めるくらいしか一日の楽しみはない。食べる方なんて時間が決まっていて、一瞬で掻き込まなければならないからだ。


 直接戦闘を担当する部署ではないため食事時間に余裕のあるネオも、食事というのは楽しみな一日の小さなイベントの一つだ。仕事だからこそ、やりたくないことや嫌な事までやらなくてはならないからだ。


 そんな軍人を楽しませているメニュー黒板を、しかしネオは気にする余裕など微塵も無かった。

 なぜなら。


 (勢いだったけど手を繋いじゃったどうしよう……!)


 そんな想いに脳のリソースのほとんどを使われてしまっていたからだ。


 (どうしようどうしようどうやって切り出そう……)


 小さな黒板の前、トレーが山盛りになってる所まで来て、ネオはとりあえずやらなければならないこととして、説明する。


 「ここでトレーをとって、カウンターの皿を乗せるんだ」

 「うん」


 そこでトレーに手を延ばそうとしたシルだったが、そこでようやくネオが頭を悩ませている事態に気付いたようだった。


 「……っ!」


 瞬く間に真っ赤になって手を離したシルだったが、不思議と嫌そうな感じではなかった。手を慌てて離したのも、どちらかといえば嫌悪ではなく羞恥心から来るようなものに見えた。


 「(手を、つないじゃった……)」


 なんとなくネオと繋いでいた右手を見つめているシル。その頬は、羞恥ではない感情で朱に染まっている。


 純白のシルが頬を染めた姿というのは、さっきの部屋では毛布で隠してしまっていたためネオにとっては初めて見る姿だ。


 (シルの肌に朱は映えて綺麗だ……)

 そんな風に見惚れかけたネオだが、後ろから突き刺さる先輩の、ニヤニヤとした視線に気づく。


 「…………」


 先輩の面白そうな笑み通りに動くのが嫌だったので、ネオは無理矢理に思考をシルの綺麗な姿のことから引き離す。


 「じゃ、じゃあ行こうか」

 「はいっ」


 上擦った声を隠せないまま放たれた言葉に、シルは慌てて頷き、ネオに続いてトレーを取ってカウンターに向かった。





 「それで」

 「……はい」


 そんな、青年から見れば初々しいカップルのような、爆発しろと言われてもしょうがないほどの行為を繰り返しながら、二人はやっと料理の乗ったトレーを持って席につくことに成功した。


 食べはじめて少し経ってから、ネオはそう切り出した。律儀にも一度少しずつ千切って食べていたパンを一度置いて答えたシルに、ネオもシルに倣ってフォークを置いて言う。


 「今日は、どうしようか?」

 「……?」


 不思議そうな顔をするシルに、ネオは慌てて補足する。


 「いや僕はシルの監視役だから、行動の主導権はシルにある訳なんだけど、出来れば今日行きたいところとか教えてほしいなぁ、って……」


 やっと納得したように頷いたシルだが、しかしその口から案が出てくることは無かった。

 「……」


 考え込むようなシルを見て、ネオははっと気付いた。


 シルはまだ、この基地に来たばかりなのだ。

 だから、この基地の中に何があるかも知らないし、何が出来るのかも知らない。そんな所で、漠然と何がしたいかと訊かれても答えられるはずが無いのだ。


 「あ」

 「ネオ……」


 ネオがその質問を取下げようとした時、シルが口を開いた。


 「私、私が見つかったところに行きたいです」


 ネオはその言葉を聞いて、少し考えて。


 「それは、記憶を……?」


 そう、訊いた。


 「はい。昔見たことがある景色を見れば、記憶が取り戻せるかもしれないので……」

 「……分かった」


 ネオはそう答える。


 胸の中にかすかに走った痛みを意識しないようにしながら。


 「さあ、まずは朝ごはんを食べちゃおうか。それからあそこへ行こう」

 「はい」


 ネオの言葉に、シルは嬉しそうに頷いた。



 ◆  ◆



 「それで、どうだったの?」


 ネオの話を聞いて、一番最初に人工アホ毛を揺らしながらサキはそう訊いた。


 「うん、結局記憶は戻らなかったよ。まぁ、そんな簡単に戻るようなものではないと思うだけどね」


 「むぅ」


 ネオの言葉に、かすかに嬉しそうなものを見つけたサキは不機嫌そうに一言漏らす。


 「(記憶さえ戻ればネオのことよりもっと大切なことを思い出すはずなのに)」

 「ん、どうしたのサキ、何か言った?」

 「なんでもない」


 やっぱり普通の人には分からない程度に、不機嫌そうな雰囲気をにじませながらも答えたサキの追求をネオは諦めた。


 「それよりも」

 「どうしたの?」


 明らかに強引な方向転換だが、サキの不機嫌な理由が分からないネオはそれに従い機嫌を直してもらうしか手段はない。


 「ネオの次の休みはいつだっけ?」

 「ええと……、三日後だね」


 その答えに満足したかのように、ぴょんぴょん跳ねる人工アホ毛と共に、感情の読めない声が続く。


 「良かった。それくらなら()つと思う」

 「お菓子の話?」

 「うん」


 サキは人工アホ毛を振りながら答えた。

 原則として、この部屋の中にいる人間は、外に出ることは出来ない。


 そもそも、フリズスキャルヴのメインサーバーがこの基地にあるということ自体が機密事項だ。

 機密保持、そしてレオリア帝国がなんらかの手段を用いて暗殺した場合、秘密を知る物を増やさなければならない。無闇にこれを知る者を増やすという愚の骨頂を犯すつもりは軍にはない。

 ネオはその例外だ。


 サキが、完全にフリズスキャルヴのメンテナンス・バージョンアップのために軍に招かれた人間であるのに対し、ネオは元々軍に入ってからネモ・ウィータンの息子であることが分かる、という経緯をたどっている。


 つまり、僅かだが判明するまでの間に既に基地の面々に存在が認知されてしまっていたのだ。


 そんなネオは、表向きの軍隊従事者リストから外して『いないはずの人間』にするには、内情に深く食い込みすぎていたのだ。配属された人間が、少し経ったら消えたという情報をレオリア帝国に与えて何かあるぞ、と気付かせる訳にもいかないからだ。


 そんな訳で日用品を補充したり食事を届けたりする『裏』の補給部隊を除いて、ネオはこの部屋と外とを自由に行き来できる唯一の人間なのだ。したがって、軍の補給部隊になど頼めない嗜好品は皆ネオに頼むことになる。それの最たるものがお菓子だ。


 大人のプログラマー達も、ヒゲ剃り、散髪くらいはするものの、ファッション、化粧は見せる相手などいないため、する人はいない。


 だから、ネオは休暇の度に大量のお菓子を買い込んでくるのだ。


 「まぁ一ヶ月分だし、考えて食べないとすぐに食べ切っちゃうからね」

 「うん。……ネオ」

 「分かってるよサキ。いつものを買ってくるから」

 「うん」


 楽しみにしているようで、人工アホ毛が勢いよく揺れるサキは、機嫌がかなり良くなっているようだ、とネオは思う。


 「そういえば……」

 「どうしたの?」


 と、そこまで思ってネオは気になることが出来た。


 サキが反射的に返した声に、ネオは引っ張り出されるようにそれを口に出した。


 「その時シルはどうなるんだろう?」

 「むぅぅぅぅ。……しらない」


 はじめて会った人にも、かすかに分かるほどの不機嫌さがサキの全身から放出された。特にそれは『しらない』の辺りに集中していて、どっちかというと『シルの予定のこと』をしらないと言ってるのでは無いということが、ひしひしと伝わってくるほどだった。


 しかし、ネオはそれに気付かずに思考を続けていた。


 「うーん、僕の代わりの人がいくのか、それともシルも休暇になるのか、それとも……」

 「…………」


 ネオの考え込む時間が長くなるほど、サキの不機嫌さもどんどん増して行く。


 サキの無表情が、どことなく怖くなっていく気がするが、やっぱり気付かないネオには効果は無かった。


 「(どう、しよう……?)」


 見も知らずの女に夢中のネオを取り戻すために、どうすれば良いかをサキは必死に考える。


 「ネオ」


 そうして思い付いたのは、


 「早く一緒に、続きしよう?」


 手を握る、という事だった。


 「う、うん」


 急に現実へ返ってきたネオが戸惑いながら頷くと、サキは人工アホ毛をぶんぶんぶん回しながらネオの手を強引に引いていく。


 行き先はもちろん、二人のデスク。


 「ちょっサキっ、なんでそんなに怒ってるのっ?」


 後ろから聞こえるネオの言葉に、サキは不機嫌そうに答えた。


 「しらない」



挿絵(By みてみん)

紅芋(twiter @akiro2828)様から、シルの挿絵を頂きました。

ありがとうございます

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