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フリズスキャルヴ

 少年は、地下への螺旋階段を下りていた。


 足元がかろうじて見える程度に照らされているそこに少年以外の通行者はおらず、少年の足音のみが反響している。


 「よし」


 少年は、気合いを入れ直す。


 その声さえも、反響によって大きな声となって少年を一瞬驚かさせる。


 だがもうそんな事は慣れた事だとばかりに、少年は気にせずに階段を下りる。


 部長と一緒に救護室に行き、ナナが起きるのは明朝であることがわかったネオは、プルプルと体を震わせる部長に『もう辞令を出した以上いつもの仕事をさせる訳にもいかない。……例の件やって来い』と言われた。


 だから少年は、いつもは午前中にしかいないこの先の部屋へと、今向かっている。


 そしてたどり着いたのは、無骨な、巨大な、外からでは絶対に開かない扉。


 カメラとマイクを通しての、映像と声紋の認証を、内部の人間が行わないと絶対に開かない。


 デジタル技術が発達した現代において、わざとアナログ式の、これほどまでに強固な手段で閉ざされている扉の向こうには何があるのか。


 もちろん、連合軍側がどんな手段を用いても隠し、守り通したい物に決まっている。


 少年は、知っている人が10人といないパスワードを唱える。


 それを拾ったマイクがデータを扉の中に送り、扉の中の人間へと再生され。


 中の人間の操作によって、固く閉ざされているその扉は、中の秘密を少年へとさらけ出す。


 薄暗い通路に、部屋からの眩しいほどの光が射す。


 何度か瞬きをして目を慣らした少年は、勝手知ったる様子でその部屋の中へ入って行った。


 その部屋で、一番に目を引くのは、部屋の中央に鎮座する、絶えず低い音を響かせつづける巨大な箱だろう。


 いや、箱ではない。


 金属製のフレームに大量の記憶装置(SSD)、配線、冷却装置、並列化処理、そして演算素子が組み込まれたそれは、世界最大規模のスパコンだ。


 そのスパコンの名前は、金属製のプレートに刻まれフレームに溶接してあった。


 『Hlidskjalf』


 と。


 それは、北欧神話において七つ全ての世界を隅々まで見渡せるとされた神王の玉座の名を指す。固有名詞が故に、翻訳してもフリズスキャルヴとしか表記されない玉座を。


 つまりは。


 このスパコンは、衛星から送られるデータを統合したり、そのデータを元に相手の攻撃を予測したりする、フリズスキャルヴの中枢とも言えるメインサーバーなのだ。


 少年は、そっと銘の刻まれたプレートに手を触れさせる。


 「……」


 それは、この部屋に来た少年が必ず行う儀式みたいな物だ。


 これほどまでのシステムを作り上げた凄腕エンジニア(少年の父親)への尊敬の念を再認識するための。


 「どうしたの? ネオが午後に来るなんて珍しい」


 トコトコと、男として小柄なネオの、さらに10センチは背が低いだろう彼女が近づいて来てネオに話しかける。どうしたの? と訊いた割には表情はほとんど変わっていないし、言葉にも心配している感じは伝わって来ない。


 しかし、少年は彼女が言葉通りのことを思っている事は理解していた。


 もうそろそろ彼女と出会ってから半年が経つ。感情が表面に出にくい彼女の言葉も、言葉の端々に現れる特徴を掴んでなんとなく感情を理解できるようにはなっていた。


 「サキ、今日から仕事が無くなっちゃったからね。今日はこっちに裂ける時間が少し長くなったんだよ」


 「それは大変。ネオの仕事が無くなったら、わたしはどうやってお菓子を手に入れれば良い?」


 ポニーテールと言うにはかなり短い、元々ショートの髪の一部を強引にゴムで結んだ言うなれば人工アホ毛をだらんと垂らして、サキは残念そうな仕種を見せる。しかしそれも注意しても普通の人なら気付かない程度で、サキと付き合うことによほど慣れている人間でないと見つけることは困難だろう。


 「それくらい持ってくるよ……」

 「……? 部屋の外での仕事がなくなったのなら、ここの部屋に住めば良い。実際わたしもそうしてる。ネオはフリズスキャ()ルヴバージ()ョンアップ()計画の中心なんだから、それくらいすれば良いのに」


 仕事がなくなったのだからこの部屋に住むよね? と、さも当然の事を言ったような口ぶりのサキの言葉を聞いて、ネオはサキを勘違いさせてしまったことに気付いた。


 「あぁごめんサキ。たしかに事務仕事は無くなったんだけど、新しく監視任務についたんだよ」

 「監視任務?」


 むぅ、と言外に不機嫌そうな雰囲気をかすかに漏らしながら、サキはネオに先を促した。


 「うん、身元不明帰還兵の監視任務だよ」

 「身元不明の?……ドックタグは?」

 「千切れてる。おまけに彼女は記憶喪失なんだ。だから情報部の方に回って来たってことだね」

 「彼女……? ふん」


 今度こそ、サキが不機嫌になった。雰囲気だけではない。やはり会ったばかりの人には分からないだろうが、両頬が膨らんでかすかに目線が横を向いている。普通の人の仕種でいえば、『プイッ』にあたるだろうか。人工アホ毛もサキの感情が強いことを示すように、真っ直ぐ下に垂れている。


 「サキ……? どうしたの?」


 さっきと全く逆の構図でネオはサキに訊く。ネオから見れば、サキが突然機嫌が悪くなったように見えているのだ。


 「なんでもない」


 やはり初対面の人が聞けば、全くフラットで、感情が篭っているのかどうか分からずに言葉通りに意味を取ることしか出来ない声にネオは戸惑いながらも話しを続けた。


 なんでもないと言いながら、内心で機嫌が悪そうにしている人に、深く突っ込むのはあまり良いことではないと思ったからだ。


 「だから、部屋の外での仕事自体はまだ残ってるよ。ただ、仕事の内容が変わるから、この部屋に来る時間帯とか、間隔とか、そういうのが変わるかもしれないけど」

 「……いつから始まるの、その仕事」


 彼女を知っている人しか分からない程度に不機嫌さを撒き散らしながら、サキがネオに訊いた。人工アホ毛はサキの機嫌を表すように、わさわさーと力強く揺れている。


 「一応辞令はさっきもらったけど……。救護室の人が言うには、『彼女』は薬で眠ってるから起きるのは早くても明日の朝以降だって」

 「なら今日はずっとここにいるの?」

 「そうだね、今日はもう一日暇だよ。って言ってももう3時だけどね」

 「じゃあネオ、午前中の続きやろうよ」


 サキのその言葉は一見普通に見えるが、人工アホ毛が嬉しそうにびゅんびゅん跳ねている。ネオは同じ光景を以前見たことがあった。ネオが初めてサキの好物のお菓子を、しかも大量に持ってきた時もこんな感じで人工アホ毛は動いていた。


 (言葉や表情じゃなくてポニーテールもどきを見れば、初対面の人もサキの感情が分かるんじゃないかな? いや無理か、どの動きがどの感情を表しているか分からないし)


 サキの人工アホ毛を見てそんなことを考えていたネオは、サキの言葉によって再び現実に引き戻される。


 「ネオ?」

 「ん、あぁごめん。……そうだね、続きをやろうか……」


 内心では不思議に思っているのだろうか、無表情でじっとネオを見るサキから視線を外して、ネオは自分のコンピュータがある方向に目を向ける。


 午前中の作業が終わったままほったらかしにされているネオのコンピュータには、午前中と変わらず赤色のエラー表示が大量に残っていた。



 ◆  ◆



 フリズス(Hlids)キャルヴ(kajalf)


 ネモ・ウィータンが組み上げた、衛星からの映像を高精度解析することで、敵兵一人一人の攻撃を予測することが出来るシステム。


 これが連合軍で開発された事により、レオリア帝国は『来ることが分かっていても避けられない』大量破壊兵器を戦場に投入するようになり、人的被害を恐れた両軍は睨み合いを続ける膠着状態に陥っている。


 連合軍は、既に徴兵されていたネモ・ウィータンの息子ネオが基礎理論段階からネモのフリズスキャルヴ設計に携わっていた事を知り、ネオをフリズスキャルヴのバージョンアップを任せるようになった。


 軍外部の人間に任せるより、軍の中でやりくりした方が機密保護・使用コストの面で良いからだ。


 また、まだ年齢の低いネオが自由にフリズスキャルヴをバージョンアップ・カスタマイズするために、フリズスキャルヴのメンテナンスメンバーをネオと同年代で、かつこれらの分野で十分な力量を持つ天才少年少女を抜擢。


 ……と行きたかったが、実際には挫折。


 普通に大人のプログラマを数人配置するに留まった。


 現在、堅く閉ざされたフリズスキャルヴのある部屋にいるネオと同年代の人間は、サキだけである。




 「それで、わたしは何を手伝えば良い?」


 サキが表情を変えないままそうネオに訊いた。

 午前中ネオがやろうとしたのは、フリズスキャルヴの新しい機能の試験だ。


 それは、敵兵一人一人の攻撃を予測するだけでなく、予測した上でその意図をも解析し、作戦を逆算するという物だ。


 つまりは、枝葉の兵士一人を解析すれば、幹である敵本部の作戦が筒抜けになる、攻撃予測の上位互換、目的予測が出来るようになるはずだった。


 しかし、ネオ達は失敗した。


 プログラムの起動自体には成功したが、走らせ続けると山のようなエラーが出て、ついには停止してしまったのだ。


 そこでネオの、部屋から出る時間になってしまったため、ネオは上手く行かないプログラムに苛々しながら外に出たのだ。


 その後『彼女』を助けるというイベントが起きて、今に至るのだが。


 「とりあえず、午前中の試験でわかったミスの修正をしよう。一番致命的な部分が分からない以上、小さいのを直して浮き彫りにするしかないからね」

 「わかった」


 人工アホ毛を嬉しそうに揺らしながら頷くサキ。しかしやっぱり表情は変わらない。


 サキのデスクはネオの隣にあるので、二人は自分のコンピュータに向かって一緒に歩いていった。


 「(そんなぽっと出の女にネオはあげない。わたしの方がネオの役に立ってる)」

 「……?」


 ◆  ◆

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