04話*都市警察署
僕とアサギは、待ち合わせ場所の西棟1階エントランスに到着した。
トープさんの姿はまだ見えない。
学生たちはもうとっくに帰宅していて、昼間の賑わったエントランスとは正反対の静けさだった。
エントランスも艶のあるアンティーク調の質感で統一されていて、西日の差す時間帯であればとても情緒のある風景になる。
でも今は必要最低限の照明しかついていないせいで、大昔のビビッドシティの風景を描いたとされる壮大な油絵もほとんど見えない。
吹き抜けの窓から差し込む満月の明かりが、唯一の明かりと言ってもいいくらいだ。
「お待たせいたしました」
トープさんは僕らの姿を見つけると、小走りでこちらにやってきた。
学園長も見送りにきたようで、トープさんの後ろを悠々と歩いてくる。
「それじゃ、アサギくん。トープくんを宜しく頼んだぞ。あと……君はリオくんと言ったね?アサギくんの助手かい?」
「いえ、助手じゃないですけど……一応、手伝うつもりです」
「そうかそうか!リオくんもね!宜しく頼んだぞ!」
学園長は豪快に笑うと、僕の肩をバシンと叩いた。
彼にとっては軽く叩いたつもりだったのだろうけど、結構痛い……
直接話したのは初めてだけど、入学式の壇上でスピーチしていたまんまの明るい人だ。
学園長は僕らを校門まで送ると、西棟に戻っていった。
西棟は外観も茶色いアンティーク調で、古い映画の中に出てきそうな趣を持っている。
西棟の隣には東棟が建っているが、そっちは白や透明な壁で統一されていて、小綺麗だがやや無機質な雰囲気だ。
満月に照らされた相反する2つの校舎は、昼間とは違ってなんだか神秘的に見える。
警察署までの下り坂は木々に囲まれていて、石畳の通路だ。
暖色の街頭が夜道を照らしているが、その明かりも必要ないくらい今夜の月は明るい。
「それにしても、このカードに書いてある怪盗ツツジって、一体どんな人なのでしょう……」
トープさんがポツリと呟いた。
「やっぱりトープさんのストーカーなんじゃないですか?あなたの心を奪う……なんて。それも、わざわざ予告状を送ってくるなんて……相当な変質者かな」
僕が返事を返すと、そうなのかしら、とため息をついて不安そうな表情を浮かべた。
無理もない。僕のところにこんな予告が届いたとしても、気味が悪くて不快になるだろう。
「まぁ、まだどんな人物かはわからないさ……これから会うオーキッド警部なら、何か知っているかもしれない」
トープさんを安心させるためか、アサギは柔らかい口調で話した。
「オーキッド警部?」
「ああ、僕の顔見知りの警部さ。一見ふわふわとしていてやる気が無さそうに見えるが、本当は仕事に対しての情熱をきちんと持っている人だから、安心したまえ」
都市警察署は紺色の石壁でできた大きな建物で、中心街からほど近い場所にあった。
正面ドアの上に飾られたサクラのエンブレムが、光沢を放っている。
ドアの左右に立っているやる気のなさそうな警官は、アサギの姿を見ると慌てて背筋を伸ばして敬礼をした。
アサギは警官たちに軽く挨拶をすると、堂々と署内へ入っていった。
初めて入る建物で恐縮している僕とトープさんは、黙ってアサギの後ろをついてゆく。
警察署の中は物々しい雰囲気でもなく、事務的で淡々としている。
灰色の壁で統一され、どことなく陰気な雰囲気だ。
紺色のロングジャケットを纏った警官たちは、空中に浮かぶモニターを静かに眺めている。
入って正面の受付前まで行くと、アサギはにこやかに口を開いた。
「こんばんは。オーキッド警部はどちらに?」
「アサギ探偵!いらっしゃいませ。オーキッド警部ならデスクにいると思いますよ。何か御用で?」
「はい。ちょっと相談したいことがありまして」
「そうですか。では808会議室をご用意しましょう。オーキッド警部にもそちらに向かうよう連絡しておきますので」
アサギの後ろについてエレベーターに入る。エレベーターの中は全員無言で、少し居心地が悪い。
何も面白みもない廊下を歩いてたどり着いた808という部屋は、机と椅子だけが置いてある質素な部屋だった。
唯一いいところと言えば、中心街がよく見える窓だろうか。
「どーもー、お待たせ。アサギくん」
穏やかなぬくもりのある、低い声が響いた。
アサギの話していたオーキッド警部だろうか。
まだ実年齢は若いであろうにもかかわらず、目の下には濃い隈が出来ている。
灰色の髪の毛はクシャクシャとした天然パーマで、あちこちに飛び跳ねていた。
「警部、突然訪ねて申し訳ない。こちらは僕の学園で司書をしているトープさん。それと、同級生のリオです。トープさん、リオ。こちらがオーキッド警部です」
「やあ、どうも。初めまして。オーキッドです。さあ、まずはお掛けになってください」
それぞれ挨拶してから席につくと、アサギはここに来ることになった経緯を簡単に話し始めた。
警部はゆっくりと頷きながら耳を傾けている。
「……まずは実物を見てもらったほうが早いでしょう。こちらがトープさんの元に届けられた奇妙なカードです」
アサギがオーキッド警部の前に予告状を差し出すと、オーキッド警部は目を丸くした。
そして無表情で手に取ると、はあ、と大きな溜息をついた。
「またこれが届いてしまったか」
オーキッド警部は蝶のエンブレムを気だるそうに眺めている。
「なんですって?また、ということは……前にもこのカードが届いたことがあったと?」
「そうだ。最初に届いたのは半年くらい前になるかな。これと同じカードがこの警察署まで届けられたのは、これで3回目になる」
「でも、今までそんな報道聞いたこともないですよ?どういうことです?」
「まぁまぁ、ちょっと落ち着いてくれ。順を追って説明しよう」
***
「半年前の肌寒い夜だった。カードを受け取った被害者は、君たちと同じようにこの警察署へやってきた。私たちも最初は変質者がストーカー目的で寄越したんだと思って、被害者に警備員をつけることにした。その晩は3人の警備員が被害者の自宅周辺を警備することになって、被害者は安心していつも通りに自宅で眠ったのさ。ところが……」
オーキッド警部はパイプに火をつけると、紫煙を燻らせた。
「次の朝、目を覚ました被害者は、両親の存在を忘れていた」
フーッと煙を吐き出すと、オーキッド警部は無表情のまま言葉を続けた。
「記憶喪失って言ったらいいのかな……両親の存在以外の、一般的な知識は持ったままなんだけど。両親と名乗る知らない人が同じ部屋にいて気が動転した被害者は、慌ててまた警察署に駆け込んだ。私たちは焦って現場に向かうと、3人の警備員は街の地面に横たわって、意識を失っていたんだ」
パイプ煙草のぼんやりとした煙が、視界を遮ってくる。
ある朝起きると突然、両親が誰だか分からなくなるなんて、そんなこと起こり得るのだろうか?
「幸い被害者も警官も怪我は無かった。ただ、その被害者は私たちが説明しても両親のことだけを思い出せなかったし、カードを見せても、こんなもの知らない!という反応だった」
アサギは今までよりも格段に真剣な表情をしている。
トープさんは怯えた青白い顔で、ぶるぶると震えていた。
「それが最初の事件だ。2回目の事件でも、同じようにカードが警察署に届けられた。2回目ということもあって、ただの事件ではないと分かっていた私たちは、厳重な警備を施した。しかし、被害者の周辺にいた家族や警官たちは、真夜中12時を迎えたあたりで意識を失い、翌朝被害者は記憶を失ってしまったんだ」
「そんな奇妙な事件、何故報道されないのです?」
アサギがはっきりとよく通る声で問いかけた。
「いや、私個人は報道すべきだと思うんだが……上の人間はね、面子ってのを大事にするみたいなんだ。何しろ我々警察は怪盗ツツジに関するはっきりとした情報を掴めていない。どんな人物なのか。何の目的なのか。悪戯か?快楽か?犯行方法も、外傷が無いからわからない。分かっているのは、この予告状が届いた人は、大事な記憶を失い、真夜中の12時に被害者の周囲にいる人は全員意識を失ってしまうということだけだ」
パイプ煙草の火が消えたらしく、煙は薄まってきた。
警部が開けた窓から春の夜風が吹き込んできて、頰をくすぐる。
「ーーということは、警察に届け出ていないだけで、他にも被害者がいるかもしれない、ということですね?」
「うん、そういうことだね。翌日にはカードのこと忘れちゃってるんだから、届けようがない」
予告状に書いてあった文章をもう一度読み直してみる。
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今宵、0の鐘が響く時、あなたの心を奪いに参ります。
1番大切な感情を今のうちに噛み締めておくことをお勧めします。
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警部の話からすると、どうやら本当に心を奪われてしまうみたいだ。
僕にとっての1番大切な感情って……なんだろうな。
大事なものがあるわけでもない。大切な友達や家族もいない。
僕みたいな人が狙われたとしても、大して辛くはないだろう。
でも、トープさんの青白い顔を見る限り、彼女には大切な感情があるらしい。
「さて、トープさん。まずは人員を集めます。都市警察署全体で、あなたをお守りしますよ。ただ……大変申し訳ないのですが、今晩はここに泊まっていただきます。いいですね?」
「はい……よろしくお願いいたします」
トープさんは立ち上がると警部に向かって一礼した。
きっと、怖いのだろう。肩の震えが治まっていない。
「トープさん、大丈夫です。僕もついていますから。必ずあなたを守ってみせます」
アサギが声をかけて肩に手を置くと、少し震えが治まったようだ。
「アサギさん……ありがとうございます」
トープさんのか細い声が、質素な部屋に響いた。




