01話*看板のない部室
機械的な目覚まし時計の音を切って、無理やり体を起こした。
あの夢の香りで、脳まで麻痺しているような感覚だ。
現実に対する思考はまだ働きそうにないので、ベッドの中で夢の余韻に浸ることにする。
僕は小さい頃から、今みたいに特別な夢を度々見ていた。
特別な夢というのは、現実と区別がつかないほどの具体性があって、こうして起きた後も明確に覚えている夢のことだ。
そしてその夢を見たあと、必ず現実世界で同じようなことが再現される。
いわゆる予知夢というやつだ。
予知夢はいつも決まって、悪いことばかり知らせてくる。
弟みたいに可愛がってくれていたお兄さんの事故や、大切な宝物が壊れてしまう夢……
今まで予知夢だと確信したときは、必ず実現してしまった。
この生まれつきの能力を疎んで、夢を見なくなる方法を色々試してみたけど、何をしても無駄だった。
せめて、いいことを知らせてくれればよかったのに。
さっき見た夢も、今夜のことを予知しているのだろう。
この六感が冴えるような感覚……間違いない。
体を起こして窓の外を見ると、夢の中よりも遙かに薄い青空が広がっていた。
この家からは中心街の時計塔広場がよく見える。
そう、あの時計塔の下で青年は息絶えたのだ。
できることなら、人が死ぬ瞬間なんて見たくなかったのに……
時計塔の針は、いつも起きる時間よりも10分過ぎていた。
眩しい朝日が瞼を刺激してくる。
夢の感覚とは、そろそろお別れしよう。
***
僕の通うトライトーン学園は、ビビッドシティで1番学力レベルが高く、由緒正しいエリート学園と言われている。
学園までの長い石畳の坂を上って、木々に囲まれた敷地内を走り、遅刻ギリギリで講義室に入った。
講義室は格式高いアンティーク調の茶色い内装で統一されている。
もっと静かであれば趣きがあるとも言えるだろうけど、今は講義前の学生たちでガヤガヤと賑わっていた。
僕が講義室に入ったことがわかると、学生たちはチラリと視線をこちらに向けて
"ああ、自分の友達じゃないや"
と認識し、ペチャクチャと仲間内でおしゃべりを続けた。
うん。いつものことだ。
僕には隣席で講義を受ける友達なんていない。
いや、それをさみしいと思ったこともないし、 無理やり周囲と合わせて日常を送るくらいなら1人の方がマシだ。
学生たちはこの学園に入学したことを誇りに持ち、未来に向かって意識高く生きている。でも、僕は彼らのようにキラキラとした笑顔を振りまくことができないし、取り繕うのは苦手だ。
このまま卒業するまで1人でいい。
今日も1人で講義を受けて、1人で昼食を食べて、1人で帰路につく。
ーーそのはずだったのに。
「リオくん、ちょっと時間ありますか?」
帰り際に声をかけてきたのは、ジャスパー先生だった。
センター分けの黒髪を乱し、急いだ様子でこちらにやってくる。
ジャスパー先生の授業は丁寧でわかりやすいし、学生に対しても平等に優しい。学園内に友達のいない僕にとって、唯一まともに会話できる人と言ってもいいだろう。
「ジャスパー先生。何かご用ですか?」
「すみません、ちょっとお願いがあるのですが……この本をミステリー研究部に届けてもらえませんか?」
ええー……
早く帰宅して、本の続きを読みたいと思っていたんだけど……
「この本を放課後に貸す約束をしていたのに、職員会議があることをすっかり忘れていまして……もう会議室に行かないと間に合わないのです。リオくん、お願いできませんか?」
ジャスパー先生は僕より身長が高いのに、上目遣いのようなうるうるとした眼差しをこちらに向けてくる。
ああ、そんな目で見られたら、断りづらいじゃないか……
仕方がない。学園内で唯一まともに会話できる人の頼みだ。
「いいですよ。でも、ミステリー研究部なんてところ、ありましたっけ?」
「おお!行ってくれますか!助かりました。ミステリー研究部のこと、ご存知ないですか?」
「ええ。そんな部活、無かったと思いますが……」
「そうでしたか……ミステリー研究部の部屋は、この螺旋階段を上りきった廊下の1番奥にあります。ああ!もう行かなくては!リオくん、頼みましたよ!また明日に!」
「あっ。はい……」
ジャスパー先生は急ぎ足で会議室の方に向かって行った。
あんなに慌てて、こけたりしないだろうか。
いつも落ち着いていて、にこやかな人なのに珍しいな。
それにしても、ミステリー研究部なんて初めて聞いたけど、一体どんなところだろう?
***
ジャスパー先生が言った通りの順路を辿って行く。
放課後ということもあり、西棟は学生の気配が全く無くシンと静まり返っていた。
廊下は艶のある茶色の壁で統一され、鈴蘭型のランプが連なっている。
右側の長い窓からは、黄昏に染まったビビッドシティの街並みと、運命を管理していると言い伝えられている歯車が見えた。
やけに長いこの廊下せいで、異空間に迷い込んだ錯覚をしてしまいそうだ。
「ここか……?」
通常の教室の扉には、それが何の部屋かを示唆する看板がついているのだが、辿り着いた扉には看板が無かった。
その扉は他の部屋と違って、随分重厚でゴシックな装飾が施されている。
ここが本当にミステリー研究部なのだろうか?
あまりにも人の気配が無いので少々不安になってきたが、聞ける人もいないし、とりあえずこの部屋へ入ってみよう。
もし違っていたら、仕方が無い。ジャスパー先生に本を返せばいい。
ーーコンコン
静まり返った廊下に、ノックの音が響く。
「どうぞ」
その声を聞いた瞬間、ハッとした。
透き通った水のように爽やかな声。今朝みた夢に出てきた青年の声と、よく似ている。
いや、まだ分からない。声だけ似ていて、顔は全然違うかもしれないし……
「失礼します」
室内は廊下と同じ艶のある内装だった。
部屋の左側は、高い天井までめいっぱいの本棚が奥まで連なっている。
本棚にしまいきれなくなかったのか、床に積まれた本の山もいくつかあった。
部屋右側の机の上には、何かの実験中なのだろうか。試験管に入った不気味な色の液体が並んでいる。
アルコールランプの上に吊るされたフラスコからは湯気が立ち、ボコボコと音を立てていた。
古めかしく巨大な顕微鏡や、見たこともないネジと歯車、用途のわからない機械も散らかっている。
僕も講義で実験をすることはあるが、ここまで複雑な用具は見たことがなかった。机の上の不思議な器具に夢中になっていると、本棚のほうからあの声が聞こえてきた。
「君、本を届けに来てくれたんだろう?」
本棚の裏から出てきたのは、まさに夢で見た青年そのものだった。
浅葱色の瞳に、整った顔立ち。金色の跳ねた髪の毛。そして、瞳と同色の鹿撃ち帽……
間違いない。
こんなに健康そうな青年が、本当に今夜死んでしまうのだろうか。
死の匂いなど、まったく感じさせない凛とした雰囲気を纏っている。
「あ、はい。これ、ジャスパー先生から」
本を差し出しても、彼は受け取らずにまじまじと僕を見つめてきた。
浅葱色の瞳が僕の体の端から端まで観察してくる。
初対面の相手にここまでじろじろと見つめられると、あまりいい気分にはならないな……
「あの、なんですか?この本を受け取ってもらえたら帰りますから……」
「君は予知夢を見るのか?」
その一言で、心臓が早鐘を打った。
僕は予知夢のことを今まで誰にも打ち明けたことがなかった。いや、小さい頃に一度だけ打ち明けたことがあったが、そこで馬鹿にされて以来誰にも言わなくなった。
夢で示唆されたことが現実で起こっても、誰にも伝えずただ1人で、ああまた当たったな。と、悲しく思うだけだったのに。
「……どうしてそんなことを?」
「以前読んだ夢と予知に関する研究書には……月のような銀髪には、霊力が集まりやすいという記述があった。君の髪は、普通の銀髪よりも輝かしく、まさに月のようだ。そしてその鮮やかな青紫の瞳は、かの有名な夢占い師アルティと瓜二つだ。そこまで鮮やかな瞳を持つ人は、なかなかいない。身体的特徴から推測できるのは以上だ。あともうひとつ……君に友達がいないことからも、予知夢を見るのではないかという推測ができる」
……身体的特徴はいいとして、最後の言葉は一体なんなんだ。
「はい?友達?」
「ジャスパー先生は優しいお方だ」
彼はそこでようやく本を受け取ると、パラパラとめくり始めた。
「確かに僕はこの本を貸してもらえないかと頼んだが……ジャスパー先生は時間に正確だし、記憶力もいい方だ。いつもの先生なら、職員会議があることを忘れずにこの部屋に来ただろう。わざわざ君に届け物を頼んだのは、君がいつも1人でいることを知っていたからだ。先生は君に少しでも学生と話すきっかけがあればいいと思ったんだろうね。まぁ、ジャスパー先生が本当に職員会議を忘れていて、そこにたまたいたのが君だっただけかもしれない。先生にどこでこの本を渡されたんだ?」
「西棟3階の螺旋階段前だけど……」
「となると、やっぱり先生はわざと君にこの本を託した可能性が高くなるな。先生の教務室は東棟で、会議室は1階の東棟と西棟の中間地点にある。教務室から西棟に行くには、必ず会議室の前を通らなければならない。たとえ会議を忘れていたとしても、会議室の前にはその日の使用予定が貼り出されているし、そこを通れば会議のことを思い出すだろう」
彼はパラパラと本をめくりながら言葉を続けた。
「会議室の前で会議のことを思い出したのであれば、その近くにいた学生に託せばいい。わざわざ西棟の3階に行く必要はない。1階は学生も沢山通るからな」
「でも、先生の最後の授業が西棟だったのかもしれないじゃないか」
「最後の授業は東棟で行われていた。僕は学園の時間割と教室を全部覚えているんでね」
「へえ……」
彼は一通りめくり終えた本をポンと閉じると、肘掛け椅子に腰掛けた。
「なかなか興味深い本だ。後でじっくり目を通すとしよう……さて、やっぱりジャスパー先生は、君に学生ともっと話してみてほしいと思っていたんじゃないかな?ここに来れば、必然的に僕と話すことになる」
「さあね……余計なお世話だよ。まったく」
「でも、友達がいないっていうのは、事実だろう?」
「うっ……」
なんなんだよ…さっきからこいつは……
「友達がいないということは、人間関係を遠ざけているということだ。僕が思うに、予知夢で未来がわかってしまうというのも、なかなか辛いことだろう。例えばもし、仲良くなった友達が大怪我をする夢を見てしまったら……?忠告しても信じてもらえなかったら……?ああ、人間関係なんて、面倒臭い。友達なんて、作らなくてもいい。という結論に至ってもおかしくはない。どうだい?予知夢を見ることは当たっていたかな?リオ」
「ど、どうして僕の名前を知っているんだ?初対面だろう?」
「君の噂を聞いたことがある」
彼は悪戯っぽくニヤリと笑うと、僕に視線を合わせてきた。
「誰とも話さずにいつも1人で過ごしている銀髪のリオという学生がいるって、学生たちが噂していたんだ。安心したまえ、悪い噂じゃないさ。普段何をしているのか、よくわからない人物に対して好奇心を持つのはごく自然なことさ……もう一度聞くが、予知夢を見るのは確かなんだろう?」
「……その前に自分の名前を名乗ったらどうなんだ?」
彼は目を丸くした後に、クスクスと笑い始めた。
一体こいつは何なんだ……?看板の無いこの”ミステリー研究部"もわけがわからないし、予知夢のことまで言い当ててきたし……
「失礼、僕の名前はアサギという。瞳の色と同じ名前だ。この看板のない部屋を1人で使用している。初対面にも関わらず、君が秘密にしていたであろう予知夢のことに触れてしまってすまなかった。僕は自分のわからないことや出来ないことに対して興味が抑えられない性質でね。確たる証拠はなかったが、どうしても聞いてみたくなったんだ」
ここまで言い当てられてしまったら、答えるしかない、か……
「……ふん、確かにお前のいう通り、僕は予知夢を見る」
「ほー、やっぱり……今までどんな夢を見てきたんだ?とても興味深い。聞かせてくれないか?」
こうして僕とアサギは、現実世界で出会った。
死とは正反対の雰囲気を纏い、僕に興味を示すアサギ。
この後こいつの死を目の当たりにしなければいけないのだろうか。
いつも予知夢を見るたびに願う。
これ以上悪いことは起こってほしくないと。
でも何度願っても、夢を変えようと行動してみても、悪い現実は変えられなかった。
僕の予知夢を初めて見抜いた人だ。できることなら、死なせたくない。
できることなら……
長編初挑戦になります。
第1章終わるまで毎晩投稿する予定です。




