12話*ジャスパー先生の講義
なんて目覚めのいい朝なんだろう。
今日は夢を見ないで熟睡できたし、体も軽やかだ。
山の上にあるトライトーン学園は、朝霧に包まれている。
たった1日さぼっただけなのに、やけに久々に学園に来たような感覚だ。
アンティーク調で艶のある西棟と、現代風で洗練された東棟。それぞれに講義を受ける学生たちが入って行く。
今日僕の受ける一限は、東棟で行われる。
東棟のエントランスには、相変わらず大きな歯車が回っていた。
歯車の中心には触れたら溶けそうな銀色の魔石が埋め込まれている。
この歯車と魔石が、学園内の水道や照明を管理しているという。
全部階段移動の古めかしい西棟と違って、東棟は歯車で制御されたエレベーターがある。ホログラフィーのような質感でできたエレベーターは、行き先を自動で判断すると、目的の階まで何も言わずとも連れていってくれる。エレベーターが停止した5階で降りて、ツルツルとした白い廊下を進んでゆく。
一限の魔石学は、ジャスパー先生の担当講義だ。この街を運用するのに必要不可欠な、魔石について教わる。
東第4講義室と書かれた看板がぶら下がったドアを開くと、学生たちでガヤガヤと賑わっていた。
講義室は階段状になっていて、先生が使うホログラフィーボードを誰でも見下ろせるようになっている。
さて、いつものように右端の一番後ろにでも座ろう……
「リオ、おはよう! こっちへ来たまえ」
水のように透き通った爽やかな声が聞こえてきた。いや、爽やかなはずなんだけど、やや鬱陶しいような……
講義室の中央に腰掛けたアサギが、こちらに向かってヒラヒラと手を振っている。
金色の髪も、嬉しそうな笑顔も、なんていうか……眩しすぎる。
アサギの両隣は空席だったが、その周囲を固めるように女の子たちが座っていた。
女の子たちはアサギのことをチラリチラリと見てはヒソヒソ話をしている。
「おーい! リオ!」
アサギが二度声をかけたことによって、女の子たちの視線が一気に僕に注がれた。
……かつてこんなに注目されたことがあっただろうか。
ていうか、あいつはあんなに囲まれてて気にならないのか?
「あ、おい。どこ行くんだ」
アサギの誘いを無視して、一番後ろの端に座った。
あんなに人の多いところに座るなんて、僕には無理だ。ヒソヒソと囁かれるのも嫌すぎる。
「やれやれ、無視しなくてもいいじゃないか」
アサギは、中央の席から立ち上がると、僕の方に向かってきた。
「えぇ〜アサギくん、席変えちゃうのぉ?」
「やだぁ〜。どうする? 移動する?」
そんな女の子たちの囁きを無視して、アサギは僕の隣に腰掛けた。
「おはようの返事くらいしたらどうなんだ?」
「おはよ」
「そっけないなぁ」
「当たり前だろ……! あんなに女の子たちに囲まれてる席なんて嫌だよ」
アサギが僕の隣に座ったことで、女の子たちはあからさまにがっかりとしていた。
「いやーん! アサギくん、あっちの席に座っちゃったあ」
「あの隣にいる子だぁれぇ?」
「知らなーい。見たことないよ」
「アサギくんの近くの席で講義受けたかったのにぃ……」
いやいやお嬢さん方。ヒソヒソとしゃべっているつもりかもしれないけど、普通に聞こえてますよ……
「おい。あの子たち、あのままでいいのか? 残念そうにしてるぞ」
「ふむ。そうだな」
アサギは女の子たちの方へ振り向くと、ヒラヒラと手を振った。
それだけで女の子たちのキャー! という悲鳴があがる。
僕からだと見えないけど、たぶん恐ろしいほど煌びやかな微笑みを浮かべているのだろう……
「よし、これで大丈夫だ」
女の子たちに手を振り終えたアサギは、グッと親指を立てた。
「大丈夫って……お前、いつもあんなに囲まれているのか?」
「いや、実を言うと講義を受けるのは久々なんだ」
「ええ? なんで?」
「ほら、僕には探偵の仕事があるからね」
「へえ……出席日数、大丈夫なのか?」
「問題ない。学園長は僕のことを気に入ってくれているんでね。出席日数が足りなくても、進級できるよう手配してくれているんだ」
「学園長が!?」
「ああ。使用されていなかったミステリー研究部の部屋を、探偵事務所として使用するよう勧めてきたのも学園長だしね……それに、正直講義を受けなくても試験は余裕なんだ」
「はいはい。頭が良くて偉くてすごいですね」
「あからさまに嫌そうな態度だなぁ」
「あのなー……僕はお前と違って、ちゃんと講義を受けないと点数とれないの! 進級できないの! ちょっとくらい人の気持ちを察しろ!」
「ふむ……確かに僕が学園長に気に入られているのは、不平等とも言えるかもな」
「当たり前だ。事務所も用意してくれて出席日数もなんとかしてくれているんだし。ってか! なんでそんなに学園長に気に入られてるんだ?」
「それは……1年前にこの学園で起きた事件がきっかけでーー」
アサギが話そうとしたタイミングで先生が入ってくるドアの音が響いた。
くそ……1年前にこの学園で事件があったなんて知らなかったぞ。
あとでアサギに続きを聞こう。
「はーい、みなさん。講義を始めますよー」
ジャスパー先生は相変わらずにこやかな表情だ。センター分けの黒髪がツヤツヤとしている。
アサギも女の子に大人気だが、ジャスパー先生もなかなか負けていない。
前の方に座っている女の子たちは、先生目当てだろう。
「さて、このクラスのみなさんは、魔石学の講義は春になって今日が初めてですね。軽く去年やったことの予習をしますよ」
ジャスパー先生はゴソゴソと机の中を探ると、銀色の魔石を持ち上げてみんなに見せた。
「こちらをご覧ください。私たちのビビッドシティを動かしているのは、この魔石なのです」
魔石の輝きは、そこらへんの宝石とはまったく違う。
絵の具を水の中に落としたときみたいに、石の中をモヤが常に動き回っている。
ジャスパー先生が今手にしているものは、魔石の中では小ぶりなほうで、リンゴぐらいの大きさだ。
「通常、私たちの体内に直接魔力は宿りません。私たちが呪文などを唱えても、不思議な現象が起きることはありえないのです。魔石のように、元々魔力を秘めた物体から魔力を抽出して、私たちの生活は成り立っています。照明や水道も、この魔石のおかげで使えます。さて、去年はこの魔石の発見方法をお伝えしましたが、今日からはこの魔石から魔力を抽出する方法をお教えしてゆきましょう」
生徒たちから期待の声があがった。長々とかったるい話し続ける先生と違って、ジャスパー先生は実践も交えて教えてくれる。僕が1番好きな講義だ。
「はい、みなさんお静かに~! 今から魔力抽出に使用する天秤をお渡ししますので、1人ずつ取りにきてくださいね」
魔石抽出に使用するのは、レバーのついている金色の天秤だ。
天秤と一緒に、空のフラスコと飴玉サイズの魔石も配られた。
「はい、みなさんの手元に渡りましたかね。では、右側の分銅にはフラスコを置いてください。左側には魔石を……置きましたか? そしたら、天秤の中央にあるレバーを引いてみてください。どうぞ!」
魔石の重みで左側に傾いていた分銅が、ゆっくりと持ち上がってゆく。そして、フラスコの底からは抽出された魔力が液体となって現れた。
「おおお~~~! ! !」
銀色の液体が、どんどんフラスコの中を満たしてゆく。
何もない底からトロトロした液体が現れる様は、なんとも摩訶不思議だ。
みんな初めての様子で、魔力の液体を夢中で見ている。
僕も魔力抽出は初めてやった。未知の力を秘めた液体が現れるってだけで、なんだかワクワクする。
「なんだ。みんなやったことがないのか」
隣からアサギのボソッとした声が聞こえてきた。
「お前はやったことあるのかよ」
「ああ。君も魔法薬を調合しているところを見ただろう? あのときも魔石から抽出した液体を使っていたんだ」
「へぇ……なんでもやってるんだな」
この小さな飴玉サイズの魔石から抽出するのは誰でも出来るが、これ以上大きな物になると、難しい技術が必要になってくるらしい。
技術を完璧にマスターして、超難関と言われる試験をくぐり抜けた人が、魔石取扱士という資格を得られる。
そして、魔石取扱士の他に6つの資格をとると、第一級魔力取扱士という超スゴイ資格を得られるという。
「第一級魔力取扱士なんて夢のまた夢だよなぁ」
「そうか?」
「そうか? ってお前な……最上位の資格じゃないか」
「うーん、まぁそうだな」
初めての魔力抽出体験で興奮している講義室内に、ジャスパー先生の優しい声が響いた。
「はーい、みなさん。全員できたようですね。これはほんの初歩の初歩です。今抽出した魔力では、お料理一回分の火を沸かすこともできませんよ。これから徐々に難しい方法をご紹介してゆきますからね。では今日はこの辺で終わりましょう。さようなら~」
バタバタと学生たちが立ち上がって、講義室内は賑わい始めた。
そういえば昨日の夜、ジャスパー先生はわざわざ様子を見にきてくれたんだっけ。一応挨拶くらいしておくか。
「あ、リオ。どこに行くんだ?」
「ジャスパー先生にご挨拶だよ。昨日様子を見に来てくれたしね」
「そうか。それはいいことだな。僕はもう行かなくては……放課後、ミステリー研究部に来てくれ。渡したい物があるんだ。ではまた後でな」
そう言うとアサギは足早に去っていった。
……あいつ、魔石の取り扱い方知ってるくせに、一体何しにきたんだ。
「きっとリオくんの様子を心配して見に来たんですよ」
「ぎゃっ!」
慌てて後ろに振り向くと、ジャスパー先生がニコニコして立っていた。
「ややっ! そんなに驚かなくてもいいじゃないですか~」
「驚きますよ! 音もなく近づかないでください!」
「はは。リオくんは驚かす甲斐があっていいですねぇ。アサギくんは絶対に驚いてくれませんもの」
「ったく……あ、先生。昨日はわざわざ家まで来てくれてありがとうございました」
「いえいえ。もう体調は大丈夫なんですか?」
「はい、おかげさまで。体中すっきりしていますよ」
「それは良かった!」
ジャスパー先生は相変わらずニコニコと優しい微笑みを浮かべている。講義だけじゃなくて、この人柄も人気の一つだろうな。
「アサギくんは、本当にリオくんを心配してここに来たんだと思いますよ。彼はこの講義を受ける必要はありませんから」
「はぁ、受ける必要がないって?」
「アサギくんは、第一級魔力取扱士の資格を持っていますから」
「……ええ? 嘘でしょう?」
「本当ですよ! それもあって、アサギくんは講義にあまり出ていないんです。講義免除ってやつですね」
なんてこった。学園長だったりオーキッド警部だったり、色んな人がアサギを信頼している感じだったけど、まさかそんな資格まで持っていたなんて。
「あの若さで第一級魔力取扱士の資格をとるなんて、アサギくんは本当にスゴいですよ。女の子にモテるのも、学園長に気に入られるのも、頷けるでしょう?」
「はー……確かに。顔がいいだけじゃないってわけか」
「そのアサギくんが、リオくんのことは本気で心配して気にかけているんです。様子を見に行こうと言い出したのだってアサギくんですから」
「えっ。そうだったんですか?」
「ええ。君たちの間に何があったのか僕は知りませんが……きっとよっぽど相性がいいのでしょう。これからもアサギくんの側にいてあげてくださいね」
「はぁ……」
「さて、そろそろ次の講義の時間ですね。リオくん、次の部屋へ行ったほうがよいのでは?」
「あ……ああ! 本当だ! もうこんな時間。ジャスパー先生、また!」
「気をつけて向かってくださいね~!」
僕は次の講義に急いで向かった。




