10話*初めての来客
怪盗ツツジが現れて、トープさんを見送ったその後。
現場検証に付き合ってから、ようやく自宅へ帰ってきた。
見慣れた白い木造アパートは朝日に照らされて、いつもより更に白く見える。
慣れない力を使ったせいか、体の節々が痛くて、全身が重たい泥のようだ。
大した時間は経っていないはずなのに、やけに久しぶりに感じる自室。
このベッドは、自分専用の巣と言っていいだろう。とても安心する……
***
また、あの感覚だ。
見えない力が身体中に張り巡る、人には伝えづらい感覚。
今見えているこの映像は、きっと夢なんだろう。
薄暗い部屋の窓辺に、怪盗ツツジがちょこんと腰掛けている。
昨日見ていた満月よりも、ほんの少しだけ欠けた月が彼女を照らしていた。
ああ、なんて綺麗なんだろう……
わずかに揺らめく羽は現実離れした輝きを放ち、細すぎる手首は壊れやすいガラス細工のようだ。
月を仰ぐその表情は、見る人々の庇護欲を掻き立てそうなほど儚い。
ツツジは昨日と同じ服装をしているが、1つだけ違うところがあった。
首につけていた黒い首輪が、外されている。
露わになったその首筋には、青い光を帯びた切り傷が見えた。
痛々しい……
一体どういう事をしたら、あんな傷がついてしまうのだろう。
「どうやら失敗したようだな」
艶のある滑らかな声が響いた。
声の方へ振り向いてみたが、室内は薄暗くて、その人物の姿形はよく見えない。
「ごめんなさい……」
ツツジはか細く震えるような声で謝ると、目を伏せた。
「今回は許してやろう……でも、次は無いと思え」
その声はベルベットのように柔らかいのに、氷のような冷たい響きも含んでいた。
声だけで人を惑わしそうなほどの、艶やかな声が耳に纏わりついてくる。
ツツジを照らしていた月が、雲で覆い隠されてゆく。
薄暗かった室内は完全な闇になり、僕の意識もどんどん遠ざかっていった……
***
耳をつんざくようなインターホンの音で目が覚めた。
インターホンはしつこく鳴り続け、止まる気配がない。
まだベッドから出たくなかったが、あまりにもうるさい。
「ああっもう! うるさいな! 今出るよ!」
鳴り止まないインターホンに若干イラつきながら起きて、木造の室内をバタバタと歩いてゆく。
「はい! どちらさまですか!」
どうせ宅配業者だろうと思いつつガチャリと扉を開けると、そこにはアサギとジャスパー先生が立っていた。
「やあ、リオ。目は覚めたかい?」
「リオくん! 大丈夫ですか!?」
「な、なんでアサギとジャスパー先生が?」
「君が学園を無断欠席したからね。心配で見に来たんだ」
「へ? 無断欠席……?」
「リオくんは講義を欠席したことがなかったし、何かあったんじゃないかと思って……」
「ちょ、ちょっと待ってください。今、何時……?」
「夜の8時だ。外をごらんよ。もう真っ暗だ」
「えーっ!?」
アサギとジャスパー先生の間を割ってアパートの廊下に出てみると、空はもう深い藍色に染まっていた。
「そ、そんな……ちょっと仮眠して午後の講義には行こうと思っていたのに……」
「仕方がないさ。昨日は色々と大変だっただろう?」
「そうですよ! でも、体調を崩したりしていなくて安心しました」
ジャスパー先生はホッとした表情を浮かべると、僕の肩をトンと叩いてきた。
そういえば……ジャスパー先生には聞きたいことがあったんだった。
「ジャスパー先生! どうして嘘をついてまで、僕に本を届けさせたんです?」
「えっ? な、なんのことやら」
先生は思い切り目をそらして、うわずった声で答えた。
「ジャスパー先生、正直に白状してはいかがですか?」
アサギがニンマリと余裕の笑みを浮かべながら聞いた。
「……やっぱりバレてしまいましたか。アサギくんには嘘つけないですね」
ジャスパー先生は少しためらうと、諦めたように話し始めた。
「リオくんも、アサギくんも、寂しそうに見えたからです。リオくんは私以外の学園関係者とは絶対に話さなかったし……アサギくんはアサギくんで、みんなの憧れの的だけど、学生にとっては輝かしすぎる存在で、本当の友達はいない……そんな2人が話してみたら、案外気が合うんじゃないかなーって思いついて。ちょうどアサギくんに本を貸す約束をしていたし、リオくんに届けてもらおうかと」
アサギはうんうんと頷いている。
ま、確かに僕はジャスパー先生以外とは話してなかったけどさ……
別に寂しくなんかなかったのに。
「それにしても……私の目論見がうまくいって嬉しいです! やっぱり君たちの相性はぴったりでしたね。初めて出会ったその日に早速事件に向かうくらいですし……」
「はぁ……」
「リオくんの無事が確認できたことですし、私はそろそろ退散しようと思います。あ、見送りは結構ですから!」
「あ、ちょっと! ジャスパー先生!」
呼び止める暇もなく、ジャスパー先生はそそくさと帰ってしまった。そんなに急いで帰らなくてもいいのに。
ややお節介とも言えるけど、こうして様子を見に来てくれるし、やっぱりいい先生だな。
「春先で暖かいとはいえ、ここは少々冷えるな」
アサギがポツリとつぶやいた。
気がつけばアサギたちが来てから、ずっと玄関先で話していたままだった。
アサギは気を利かせて帰る様子もなく、アパートの廊下の壁に寄りかかっている。
どうやら、動くつもりはないらしい。
「……うちの中、入るか?」
「いいのか?」
アサギはパッと顔をあげると、しめたと言わんばかりの表情をした。
「別にいいよ。ちょうどお前に聞いてほしいことがあったし……」
「ほう、それは光栄だな。では遠慮なくお邪魔するよ」
この部屋に入るのは僕以外ではアサギが初めてだ。
まぁ、今まで招き入れるような交友関係もなかったしね……
アサギはお邪魔します、と一声かけると丁寧に靴を揃えて部屋にあがった。
「綺麗にしているんだな」
「綺麗にしているっていうより、物が少ないってだけだけどな」
アサギは感心した様子で部屋を見回している。
僕の部屋は本当に殺風景で、雑貨といえる類のものは1つも無い。
白を基調とした木の壁で、ベッドと机とソファが置いてあるくらいだ。
この部屋のいいところは、アパートにしては天井が高いところと、立地がいいところだ。
大きな窓からは時計塔広場が見えて、おとぎ話のような街並みをいつでも堪能できる。
「ソファにでも掛けてくれ。ティーバッグでよければお茶を出す」
「お気遣いありがとう。では遠慮なくいただこうか」
どこにでも売っているティーバッグでお茶を入れて、ソファ前のローテーブルに持っていく。
アサギは礼を言ってから一口含むと、早速口を開いた。
「また夢を見たんだろう?」
「やっぱり、お前にはお見通しだったか」
「聞いてほしいことがあるなんて、君の口からはそうそう出そうにないからね。また特別な夢を見たんじゃないかと思ったんだ」
「うん。あの感覚は、間違いないと思う」
「詳しく聞かせてくれ」
窓辺に腰掛ける怪盗ツツジと、艶のある声……
僕はついさっきまで見ていた夢の内容をアサギに話しはじめた。
1月中に投稿しようと思っていたのに、もう2月になってしまいました……
今日から2章が終わるまで毎晩投稿しますので、よろしくお願いします。




