00話*予知夢
ビビッドシティの上空に、躑躅色の蝶がひらりと舞った。
時計塔の時刻は、真夜中の12時を少しすぎた頃。
ミッドナイトブルーの夜空に、青白く巨大な満月が浮かんでいる。
西洋のおとぎ話のような美しい街並みを彩るように、光帯びた花びらが降りそそいでいた。
……そうか、これは夢か。
人気のない静寂に包まれた空間を、僕は夢だと確信した。
そして、夢にしてはやけに鮮明で、六感が研ぎ澄まされたこの感覚から、特別な夢に違いないとも確信した。夢の中だというのに、辺りは芳しい香りが漂っている。
蜜のような甘い香りが嗅覚を支配してきて、脳まで麻痺したような感覚だ。
香りの根元を辿ると、どうやら上空を優雅に舞う躑躅色の蝶から香ってくるようだ。
蝶は、街中に鱗粉を振り撒きながら満月へ向かって飛んでいく。
月に帰ってゆくなんて、まるでどこかの昔話のようではないか。ぼんやりとした頭で蝶の舞う様を眺めていると、パタパタと人が駆けてくる音が聞こえてきた。
「待ちたまえ!」
透き通った水のように爽やかな声の主が、路地から駆けてくるのが見える。
王子のように端正と言える顔立ちの青年が、蝶を追いかけていた。
浅葱色の鹿撃ち帽に、金色の跳ねた髪の毛。彼を作るすべての要素が女性を虜にしそうだ。
青年は僕には絶対に出せないようなスピードで走っていたが、蝶はそんな追跡など全く気にしない様子で、ひらりひらりと飛んでいる。
そして、からかうように円を描くと、あっという間に月光に包み込まれて……
魔法のように消えてしまった。
「ああっ……」
青年は時計塔の下で追跡をやめると、悔しそうに呻いた。
……いや、悔しいというよりも、苦しそうだ。
心臓近くのシャツを握りしめて、ぜえぜえと悶えている。
呼吸はどんどん荒くなり、尋常でない様子だ。
助けにいかなくては、と頭では思うのに、蝶が振りまいていった香りのせいで思考が鈍る。
青年が立ち止まったその瞬間、嵐のような春風が広間に吹き荒れて、蝶の振りまいていった鱗粉が青年を包み込んでいった。
「……っ!」
一瞬、時が止まったように思えた。
苦しみ悶えていた青年が、安らかな表情に切り替わる。
そして、魂の糸が切られたかのように、ガクリと地面へ倒れこんでしまった……
横たわった青年の顔は、絵画のように美しい。
眠っているだけとは思えない青白さと、微動だにしない身体からして、彼はもう……
確認しに行きたいのに、香りのせいで身体は思うように動いてくれない。
芳しい花蜜の香りは、どんどん強まる。
できることなら、ずっとこの香りに酔いしれていたい。
そんな願いを邪魔するように、うるさい時計の音が遠くから聞こえてる。
音はどんどん大きくなって、静かな空間を切り裂き、意識は現実へと引き寄せられていった……




