表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

この物語はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません

 その日のことは、もうあまり覚えていない。

 ただ、目に映る全てが赤く染まっていたことと、ひときわ赤い歪みの向こうから誰かが手を伸ばしてきたことが、絶望のイメージとして、あるいは悪夢となって今も玲瓏れいろうを苦しめている。

 実を言えば、イメージの正体には察しがついていた。六年前まで住んでいた家は、何者かによって放火され、父とともに灰になった。だから赤は、炎のイメージだろう。そして赤い歪みは炎そのものだ。でも、玲瓏に手を伸ばしてきたのが誰なのかはわからない。確かなのは、人影のイメージは強い絶望を伴っていることだけ。だとすれば、炎の中から玲瓏を助け出してくれた幼馴染みのことではあるまい。彼女には、本当に感謝しているからだ。

 それが誰なのか、玲瓏は知りたかった。もしかすると、父を殺した犯人かもしれないからだ。あらゆるものが火事で酷く損壊していたが、それでも焼け残った家屋の検証と、幼馴染みが証言した火事前後の状況、焼け跡から発見された父の遺体の司法解剖の結果から、父は火事で死んだのではなく、その前に殺されていたことがわかった。凶器は鋭利な刃物で、心臓を一突き。しかし奇妙なことに抵抗した形跡が見られないことから、父は己の死を受け入れていた可能性があるという。

 父が死ぬところを、玲瓏は覚えていない。何かを見た、聞いたのかもしれないが覚えていなかった。一方で、幼馴染みの真名はあの日のことを克明に記憶していた。インターホンが鳴り、来客を知らせる。特殊な家庭事情で使用人の真似事をしていた彼女が応対に向かうが、それは来客ではなく敵だった。護身術の心得もあった真名は苦闘の末、敵を撃退するが、時既に遅し。裏口から侵入していた何者か――おそらくは敵の仲間――が玲瓏の父、白亜を殺し家に火を放ったのだ。真名は苦闘の中で、彼女の帰りが遅いにも関わらず誰も様子を確認しに来ないことを不審に思っていたが、改めて考えれば、正面の敵は陽動で、本命は裏口から攻めてきていたのだ、と回顧している。煙と臭いで火事に気付いた真名は即座に玲瓏と白亜を捜したが、リビングに倒れている玲瓏を見つけた時点で時間切れ。当時十四歳の少女の力では炎の中から玲瓏を連れ出すのがやっとで、とても父を捜す余裕はなかった。近隣住民の通報を待つまでもなく、火災報知器によって火事を知った消防隊が駆け付け、煙を吸ってしまった玲瓏を救急車で搬送。まだ動けた真名も、検査のため病院に連れていかれた。必死の消火活動も虚しく、炎は家を全焼させるまで燃え続け、何もかも焼き尽くすと鎮火した。地元の、凍鶴いてづるの名士が死んだとあって、現場検証は入念に行われたが、やはり炎が灰にしたものが多すぎて真相は謎のまま。結局犯人は逮捕されず、今に至るまでどこの誰かもわかっていない。玲瓏は同じ凍鶴に住む叔父の黒司くろすに引き取られ、真名も当然のように引き取られたが、何故か二人とも凍鶴を追い出され、東京の親族のもとへ預けられることになり、東京の学校に進学した。

 こうして疑念に満ちた六年が始まり、六年後の今、玲瓏は故郷に戻る新幹線の車内にいた。季節は冬。十八歳、高校三年の玲瓏は推薦で大学進学を決め、二十歳、大学二年の真名は大学に通いながら、相変わらず玲瓏の傍で使用人の真似事をしていた。この関係がいつまで続くのかはわからないが、玲瓏は何となく、六年前の事件が決着しない限り、二人ともあの日から一歩も前に進めないと考えていた。だから、今回、叔父の黒司からの帰郷要請というか誘いがあったのは、本当に渡りに船だった。追い出される形で凍鶴を離れた玲瓏にとって、黒司は決して味方ではない。仮に強引に凍鶴に戻ったとしても、あの男は何も語らないだろう。父の死後、一族の家督を継いだのは黒司なので、他の親族も黒司に倣って口を閉ざしている。東京で玲瓏と真名を養ってくれた親族の夫婦は本当に好い「家族」だったが、その一点に関しては絶対に口を割らなかった。困り果てていたところに、一族の家宝、当主の証である天瞳てんどうのことで一時的に玲瓏を呼び戻したいと黒司から連絡があり、玲瓏は待ってましたとばかりに飛びついた。真名も同じようにあの日に縛られていると考えていたのか、凍鶴に戻ることに同意してついてきている。

 天瞳がどのような代物なのか、玲瓏は知らない。いつかは父から教わるはずだった先祖伝来の伝説の数々は灰になってしまった。それを今更、黒司はどうしようというのだろうか。疑問は尽きない。尽きないが、今この瞬間に限っては、思索より散策を優先したい気分だった。今日の午後、黒司から連絡があってすぐに席を押さえたものの、東京駅までの移動時間を考えると1六時台の便が最も早く、間に合わせるには荷物を現地調達とするしかなかった。招待した手前、黒司が二人分の宿泊の用意をしているのだろうが、だからといって素直に合流するつもりはなかった。六年振りの故郷なのだ、二、三日観光に充てても文句は言われまい。席を押さえた時点では真っ直ぐ黒司と合流する予定だったが、慌ただしい強行軍を終えて新幹線の車内でくつろぎ始めた途端、何故黒司の都合に合わせなければならないのか、むしろ黒司が玲瓏の都合に合わせるべきではないか、という黒い考えが浮かんできた。そこで急遽、凍鶴駅周辺のホテルを確保し、そこを拠点に観光を楽しむことにしたのだ。こんなことなら、急いで東京を出てこなくてもよかった。全く、慌てるとろくなことがない。

 車内アナウンスが、間もなく凍鶴への中継駅に到着することを告げる。隣では真名が降りる支度を終えて玲瓏を見ていた。考え込んでいる間に、いつの間にか終点に近付いていたようだ。遅ればせながら、玲瓏も慌てて降りる支度を始める。慌てるとろくなことがない、と反省した矢先にこれだ。玲瓏の人生はいつも慌ててばかりで、覚えていないが、もしかすると六年前も慌てて何かやらかしたのかもしれないな、と笑ったところで、新幹線が速度を落とし始めた。

 どうやら中継駅に到着したようだ。時計を見れば十八時半を少し越えている。ここから凍鶴までは地元ローカル線での移動になるのだが、雪で乗り換え列車の到着が遅れていて、発車まで若干、時間に余裕がある。散策するには少し短いが、駅の二階から街並みを眺めるくらいはできるだろう。もしもしお嬢さん一緒に夜景でもいかがですか、と真名に声をかけると、彼女は二つ返事で了承した。街並みが見える位置を思い出しながら、玲瓏はこれからのことを思案する。

 凍鶴に着いたらどうしようか。まずはホテルにチェックインするか、それとも身軽さを活かして買い物に行くか。

 期待に胸を膨らませ、玲瓏は席を立った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ