赤の中毒
それはもう「好き」だけでは済まされないくらいなのだが、ケチャップがそんなに好きじゃない人には上手く伝わらないだろうからこう言おう。
昌弘はケチャップが、大好きだ。
トマトをベースにした赤い調味料は、彼の人生と共に歩んできた一番近い存在であり、調味料を超えた、信仰心に近い気持ちを抱かせる物だ。
初めて彼に作った手料理はシチューで、次に作ったものは肉じゃがだった。そして三度目の料理で、私はオムライスを彼に出した。
手抜きだと思われないように、または彼が喜んでくれるだろうと思って、デミグラスソースとバターライスのオムライスをせっせと作った。小さなスプーンにすくったソースは蛍光灯の光を見事に反射し、とろりと舌に絡みつく。私は自信満々だった。包みの卵だってふわふわに仕上がったし、サラダの彩りも鮮やかで申し分なかった。
差し出されたオムライスを見て彼はまず、眉間に皺を寄せた。交際を初めて間もない頃。私は具材の中に嫌いなものがあるのかと思った。しかし、
「ケチャップ、どこにかけるの」
それが彼の第一声だった。
サラダには手作りのドレッシング、オムライスにはデミグラスソース。ケチャップなんてかけるところがなくて当たり前じゃないか。それでも私は必死に「至らなかった点」を探した。
「ケチャップご飯の方が好き?」
聞いてはみたものの、腑にはおちない。デミグラスソースとサラダのドレッシングを手作りしたのだ。手抜きだと思われないように。精一杯彼への愛情を示すために。ケチャップをかけるかかけないかなんて、神妙な顔つきで求めることなのだろうか。たかがケチャップ。膨大にある調味料のたった一つであるし、ケチャップをかけないものの方が料理の中には多い。
「俺は、ケチャップをかけるものがない料理はごめんだ」
どうしてどうなるの?私は必死で考えた。考えたけれど、私の彼の表情にはただ、「ごめんだ」という拒絶の色しか浮かんでおらず、どうしたらいいのかなんて、二人しかいない部屋では答えを教えてくれる親切な人だっていない。
成す術のない空白がチェーンのように繋がって私をぐるぐると巻いていく。それらは不安に変わり、じわじわと私を締めつけていく。空気の濃度が薄くなって、私は慌てて頭を働かそうとするものだから、さらに空気は密度を減らし、冷や汗とも脂汗ともとれない塩っけのない汗をかいていた。季節一つ分も過ごしていない彼に愛想を尽かされる現実が、見え隠れしていた。私がどんな言葉をかけるか、どんな行動を起こすかで、二人の関係はどうにでも転ぶ。せっかく見つけた人なのに…。
昌弘はスプーンに手をつけず、台所へと向かった。がさごそと音がして、彼が何かを作ろうとしていることが分かった。嫌、怖い、何故、腹が立つ、ひどい、言葉はいくらでも浮かんできたが気がつくと私は彼から菜箸を奪い取っていた。
「卵焼き作るから、それでいいでしょう?」
やっと選んだ行動に、彼はにこりともせずに頷いた。
思い返せば、怖かった。反射的に殴られたら?憎しみの目で睨まれたら?溜め息をつかれたら?急に優しく笑ったら?
何事も起こらず丸く納まったのが不思議だった。テーブルに戻った彼を背中に感じながら卵を溶かす。私の両手は震えていた。
例えばマヨネーズが大好きな人がいる。その人達は何にでもマヨネーズをかけてしまうと聞いたことがある。荷物の中には自分用のマヨネーズが入っていて、いつでもどこでも自分の好みで料理を頬張る。
最初は昌弘もそうなのだと思っていた。私といるときには少し我慢をしているのだと思っていた。本当は全てケチャップ味がいいのだと、そう思っていた。ただ、その一件以来の彼を観察しているとそうではないことが見えてきた。
昌弘が必要とするのは「ケチャップをかけられる料理」だ。何でもいいわけではなくて、卵焼きだとかハンバーグだとか、目玉焼きだとか、少し枠を広げればロールキャベツとかなのだ。だから自分用のケチャップを持ち歩くこともなく、私はその一件を迎えてからしばらく、彼のケチャップ依存に少しも気がつかなかった。
昌弘と交際を初めて大分の時間が経った。
友達にことの成り行きを話すと「大変だね」とか「別れた方がいいんじゃない?」と言われた。私は曖昧に笑って、それらを通り過ぎる。劇的な出会いでもなく、燃え上がるような恋ではないから尚更そうなのかもしれない。それに、彼はお金も地位も、持っていた。
一回り以上も年上だと知人に教えられて
「お若いですね」
と言うと、
「それは貫禄がないってこと?それとも若作りに成功してるってことかな」
と見つめられた。
「どっちもですね」
私の返答に彼は目を閉じるように笑った。左手に持ったワイングラスには赤ワインが揺れていたのを覚えている。
私は彼を観察することにしたのだ。そこには、顔も学歴も収入もいい彼がなぜ三十八の今まで結婚しなかったのか、の答えが見えるような気がした。愛しさ半分、興味半分といったところだろうか。
私は劇団で台本を書いていた。日銭を稼いでは寝る間を惜しんで台本を書く。成長の乏しい劇団の稽古に顔を出しては朝まで飲み明かした。日陰みたいな自分たちを笑ったり、熱く語ったりしていると、朝になる頃にはいつも後悔が伴った。視野の狭い中でごそごそと体位だけを変えるようなことに嫌気が差していた。そこに突然、「ケチャップ男」といういいネタが現れた。
それまでの生活に終わりを告げられるような気がしていた。私はを涎を垂らす獣だった。
彼の機嫌を窺いながら、ときには甘い言葉を垂らしながらの生活で書きためたメモは、すでに三冊目の終わりになろうとしていた。彼が四十を手前にして、私が二十五を過ぎている、夏の始まりでもあった。
「そろそろ、結婚しないか」
ケチャップ男が照れた色を頬に浮かべている。私が彼の目を覗くと、少し視線を外して、胡座をかいた姿勢を揺らした。
「俺のケチャップを理解してくれたのは、君しかいないんだよ」
言い訳のような言葉だと思った。でも、誰よりも愛しているだとか、空気のような存在なんだ、という言葉を吐かなかったのは嬉しかった。私の書く台本にはそういう言葉がたくさん並ぶ。舞台というものの為に、全てを誇張する癖がある。俳優陣を信頼していないわけではなくて、大声を張る言葉にはそれなりに、大声を張らせるだけの飾りが必要だと思うからそうしていた。
生活が合えば結婚してもそれほどの苦痛はないかもしれない。現実に彼とは同棲して半年が経っていた。結婚の準備をしていればあっという間にまた半年くらい経過してしまうだろう。それに、経済的なメリットは非常に大きい。まだ私が自分の部屋を借りている頃は居酒屋でアルバイトをしながら書いていた。家賃と光熱費のために、焼き鳥の煙をどのくらい吸ったのだろう。
今の生活はとても優雅で手放しがたいものに感じる。私は今、月に三万円を稼げばいいのだ。自分の食費のみでいいと、同棲を始めるときの話し合いで決めていた。家賃や光熱費は昌弘が払ってくれている。私が中途半端な意地を張ったりしなければ彼が全てのお金を出してくれただろう。「君は書くことに集中していいんだ」と彼はことあるごとに呟いた。それが愛情からなのか、ケチャップを認めた私を手放したくないからだったのかは本人に聞かないと分からないが、聞いても彼は本当のことを言わないだろう。ケチャップを始めとする多くのことを、彼はほとんど自分から話さなかった。私が察するか、言葉を引き出すかしないと、自分のことを話さない。飲んだくれても、巧妙に隠している。昌弘のこういうところを面倒だと感じた女達がいくらもいただろう。それが、妙に可笑しかった。
「プロポーズに笑うってどうなのよ」
彼も笑っていた。プロポーズは冗談、なんて素敵なんだと思った。彼もさぞかし楽だろう。そういう人だ。仕事場での彼は知らないが、格好をつけるということがひどく苦手な人だ。格好をつけなくても格好いいという方が正しいのかもしれない。
「いいよ。宜しくお願いします」
私も胡座を揺らしながら答えた。緊張感のない空気を吸いながら、私は四冊目のノートを買わなければ、とニヤついた。
昌弘はケチャップをかけられる料理があれば何も文句を言うことはなかった。やれ同じ料理ばっかりだ、とも、やれ手抜きだ、とも言わなかった。私は毎食に卵料理を出すことにしていた。コレステロールが上がることは知っていたが、それがどんな病気につながるかなんて知りもしなければ、調べてみることもしなかった。ただ黙々とそれらにケチャップをかける彼を眺めてはメモを取っていた。
結婚してからの私は最低限の家事をしながら「ケチャップ男」という題名の台本を書き始めた。最初は楽しくて楽しくて仕方がなかった。メモにある彼の動作を舞台用に着色したとき、今まで見たこともない景色が広がるのだ。笑いがこみ上げる。彼が会社に行っている間、私は一人で笑い続けた。
ある日、夕食を終えた後にお互いの家族の話をしていた時のことだった。当たり前に結婚の挨拶をしたとき、どちらの家族も安堵の表情を浮かべていた。でも、そこに昌弘のお母さんはいなかった。彼のお母さんは彼が幼い頃に亡くなったそうだ。その時は聞かなかったが、結婚して「そろそろ聞いてもいいだろう」と思った。
「病気で亡くなったの?」
「もともと体が弱かったらしいよ」
「それからはお父さんと二人きりだったの?」
「そうだね。おじいさんもおばあさんも健在だったけど、二人とも仕事が忙しかったみたいだよ。それに、俺はもう小学校の高学年だったしね」
「自分でご飯とか作ってたんだ」
「いや、そこまではしてないよ。親父がまめな人だったし、近所のおばさんが世話好きだったから」
「じゃあ、何でケチャップが好きなの?」
「・・・・何だろうなあ、何て言ったらいいんだろうなあ。うん、ああ・・・・上手く言えないよ」
限界だと思って、私は違う話を振る。何回も何回も同じような会話をして、私は徐々に、徐々にではあるが知っていった。
彼が覚えている中で、母親の面影がどうやらケチャップにあるらしい、というのが私の結論だった。私はそれすらもメモに書き留めた。たった一つの発見を得るのに、どれだけの時間がかかっても惜しくはなかった。
何百回目かの卵焼きを作っている時にふと思う。ケチャップの赤のせいだ。昌弘がこんな風になってしまったのは、あの色のせいだ、と。しかし、それが決して悪いことではない、とも思う。バターの香りが体に染みていくのを感じながら、昌弘とケチャップのことを考える。
私が彼の奥さんになり、今の自由な生活を手にすることなんて、ケチャップがなければなり得なかったことなのだ。彼にとってケチャップがどれくらい大きな意味を成しているかなどはどうでもいいことで、私はそれを準備することに何の苦労も感じない。自分もそれを頬張ることに、何の恐怖も感じない。毎日の生活でびくびくと怯えることも首を縦には振れないが、毎日の生活に何の危険も感じないことは、もっと危険か?本当は今、危険なのか?黄色い卵焼きを見つめて結論を急ぐ。
大丈夫。日々を避けるように、消費物のように扱う私のような人間には、劇的なドラマなんて起こりえない。
台本は々と完成に向かって進んでいくのだが、私は最後の場面を描くことに悩んでいた。ケチャップ男が辿る運命が、その先が全くもって見えなかった。滑稽な場面も、歯切れの悪い結末も、悲惨な運命もとりあえず書いてみようと思った。後は一番納得のいくものを選べばいい。それで一つの作品が完成し、一つの舞台が何日か繰り広げられて終わる。私は次の作品を書くだろうし、彼はそんな私を微笑ましく見守ってくれるだろう。希望的観測なんかじゃなくて、それは私が長い間ずっとやってきたことだった。疑う余地なんて微塵もなく、それが私の生活でもあった。
しかし、一行も、一文字も書けない。描けない。想像ができない。私の中にあったものが、いつの間にかごっそりとその形を失い、消えていた。壁も光もない、地も底もない、聞こえる音楽も鼓動もない、あるべきものがない場所に頭の中身だけが浮かんでいるような状況だった。考えることのできなくなった脳みそが緩やかに溢れだしていく。
気休めだと分かっていながら、私は目の前のケチャップ男を見てみる。昌弘は元気に仕事をしていて、四十を過ぎてもコンスタントに私を抱き、食欲も衰えることはない。ケチャップの量が少なくなることも多くなることもなく、それは普遍をなぞっているような動作でもある。私は、というと食欲の増減を繰り返し、固くなに彼を拒否しては、熱烈に求めることを繰り返す。ケチャップをかける日もあれば、かけない日だってあるし、書きためたメモを一心不乱に読んでいるかと思えば、唐突に閉じてしまうこともあった。台本を書いているパソコンの電源を切る度に、暗くなったディスプレイが終わりのこない、結末のないケチャップ男を予感させた。ケチャップ男は…物語の中ではなく、自分の目の前に存在する。彼には、終わりがない。
普遍的な彼の動作には、意味も温もりもないのではないだろうか。人間の仕草ではないような動作に、私の頭は厚い雲が膜を張る。拭っても散らしても、すぐに立ち込めて視界は非常に悪くなる。結婚してどれくらいが経ったのか、数えきれなくない頭。実感しない頭。私は夢を見ることが多くなった。
半透明の背景の中で、昌弘の笑う顔だけが目の前に陣取っている。無駄だよ、俺には終わりがないんだからと口がぱくぱく動いている。
残酷に彼はケチャップをかけ続ける。目玉焼きに、卵焼きに、ロールキャベツに、野菜スティックに、ハンバーグに、オムライスに、チキンライス。オムレツ、ベーコン、コロッケ、ウィンナー、ナポリタン。もちろん他の料理も口にはするけれど、それらが三食の中から消えることは私を選んだ時点で、いや、彼の人生の中で用意されていない。私のメモは五冊目の三ページから、ずっと進まなくなってしまった。空腹に耐えきれない私はもはや涎を垂らすこともできない。作品ができないモラトリアムの中で、餓死する寸前だ。だからといって、彼を愛していないわけでもなかった。ケチャップには何も感じないが、昌弘には長年の愛着が湧いている。
「最近、元気ないね」
昌弘は心配そうに私を見つめる。彼は、一体今何歳なのだろうかと思う。
もう劇団は辞めるわ、の代わりに私は言った。
「あなたとの生活を、大切にしていくわ」
彼は胡座を揺らしながら「うん」と言った。結婚して六年が過ぎようとしていた、秋の終わりだった。
劇団に別れを告げてから、少しずつ、私はケチャップ男の最後を描きはじめた。どうやっても描けなかった最後が、いくつかの変化を伴いながら頭の中に浮かぶが、もう書きたいとは思わなかった。完成は、何の意味も持たない。
塩分の取り過ぎで体の一部が腐っていく。
心臓破裂で死ぬとき、ケチャップのようなどろどろとした血が彼の倒れた床に広がっていく。
ケチャップが製造中止になって、彼は自殺を遂げる。
全てが同じように、男の死に向かっていた。私は必死で首を横に振ってその結末を散らし、卵焼きを作る。彼を殺したいなどと思ったことも、死んでくれと願ったこともない。例え嘘でも、そう思いたかった。書くことを辞めてから私に残っていたのは彼への愛情と、一緒に過ごす生活だけなのだ。これは誰にも奪わせないし、私から放棄なんてしたくはない。頭の中で描かれた空想が現実に起こったとしても、彼が死ぬ間際まで、嫌だ嫌だと駄々をこねるだろう。私は少し風変わりな、だけど大層優しい男の妻として、あらかじめ用意された幸せな生活を消費する。いつかの後悔も溜め息も、一緒に消費していく。
ケチャップ男は六年後に亡くなった。「いってきます」と、いつもの赤い印のついた目玉焼きを食べた朝、電車にひかれてぐちゃぐちゃになった。彼を切り刻んだ現場は私にさえも見せられることはなかったが、覆いきれない破片は見ることができた。ケチャップの色だった。赤でも紅でも、赤黒くも鮮明でもなく、それはケチャップの色だった。
ケチャップ男が亡くなった後、私は彼のいない部屋で、彼の残したものを食べて、彼のいた場所で暮らしている。毎食にあれらの料理を何の苦痛もなく作り、赤の印をつけている。彼を愛しているからでも、彼の残像にすがっているわけでもなく私には必要な動作なのだ。ケチャップを、可も不可もなく、過も負もなくかけ続ける。昌弘がどういう気持ちでケチャップをかけたのかは分からず、今更分かったとしても昌弘はもうケチャップをかけない。
私がこれをする意味も理由もない。私には母親の温もりがケチャップにあるわけでもないし、ケチャップによって昌弘との生活を繰り返している錯覚に浸りたいわけでもない。三十二歳の時に味わった消失は埋められることもないし、当時の劇団を続けている者はほとんどいない。全ての否定が肯定されることは永久にやってこない。だから残された者は、ぐちゃぐちゃになるまで続けなければならないのだ。「繰り返し」というループの中で体がぐちゃぐちゃになるまで。
普遍と限度の間にケチャップが広がっていく。