004
毎日連載します!
長いですが楽しんでもらえるとすごいうれしいです!!
これからも頑張っていきます!!
1.5倍に引き上げられたノルマ。
それは、物流倉庫の空気を物理的な重圧へと変えていた。周囲の労働者たちの呼吸は荒くなり、パワードスーツの駆動音は悲鳴に近い唸りを上げている。
俺の仕事は、荷積み用コンテナのシリアルナンバーと、搬入された物資の質量を照合し、管理サーバーに打ち込むだけの単純なデータ入力だ。
カタ、カタカタ、と乾いたキーボードの音が、俺のブースに響く。
(……このキーボードの反応速度、0.02秒のラグ。昨日の豪雨による湿度が基板に影響している。あるいは、清掃員がワックスを塗りすぎたか)
俺はそんな情報を無意識に処理しながら、指先を動かし続ける。
俺の入力速度は、全労働者の中で常に『23番目』を維持するように調整されている。
1位になって目立つのも、最下位になってヴェインの目に留まるのも愚策だ。上位5パーセントに入らず、かといって下位20パーセントにも沈まない。
この『有能でも無能でもない中間の層』こそが、組織において最も監視の目が届かない死角になる。
「……おい、シオン。少しペースが落ちているぞ。集中しろ」
背後から、ヴェインの冷徹な声が降ってきた。
俺はわざとらしく肩を震わせ、入力を一瞬止めて振り返る。
「あ、すみません、ヴェイン管理官……。ちょっと、数字が細かくて目が霞んでしまって……」
俺は情けない笑みを浮かべ、目をこすってみせる。
ヴェインの青い義眼が、俺の顔面をスキャンしているのを感じる。彼の網膜投影には今、俺の心拍数、瞳孔の開き、そして「疲労による集中力の低下」というデータが表示されているはずだ。
「無能な弁明はいい。ノルマを達成できなければ、貴様の食事ランクを一つ下げる。……理解したか?」
「は、はい……! 頑張ります!」
ヴェインは鼻で笑うと、次のブースへと向かっていった。
彼の足音が遠ざかるのを待ちながら、俺は再びモニターに向き合う。
(……チェック完了。ヴェインのデバイス、現在この地区の『ローカルハブ』と完全に同調している)
俺はキーボードの特定のキーを、ごく僅かな強弱をつけて叩いた。
それは一見、ただの入力ミスの修正に見える。だが、俺の指先が刻んだのは、今朝ゲートで仕込んだ『エラーキャッシュ』を、ヴェインのデバイスへと逆流させるためのトリガーだ。
0.01秒の遅延が、俺の指先を通じて、ヴェインの網膜投影へと伝播する。
今、彼の視界には、全労働者のパフォーマンスグラフが表示されているはずだ。
だが、そのグラフの端に、たった一箇所だけ、0.1ミリにも満たない『ドットの欠け』が生じている。
それは、第八星閥が誇る最高精度の監視システムにおいて、物理的には説明のつかない、概念的なバグだ。
第1段階の封印すら解けていない今の俺にできる、精一杯の「干渉」。
(……繋がった)
その極小のドットの欠けを通じて、俺の意識はヴェインのデバイスの深層へと潜り込む。
膨大な暗号化データ。第八星閥の軍事機密。
それらを解読しようとすれば、即座にメインサーバーの検閲に引っかかり、俺の脳は焼き切られるだろう。
だから、俺は『盗み見』などしない。
ただ、ヴェインのデバイスが自動で行っている『黒機城』との定期通信の『ログの残響』だけを、自分の指先に感じ取る。
(……いた。ガラン)
データの深淵から、一つの重苦しい波動が伝わってきた。
それは、100年前、常に俺の背後で絶対的な安心感を与えていた『重装の盾』ガランの魂の残滓。
彼の生体コードは、現在、この地区の中枢要塞『黒機城』の、最下層にある動力炉の制御ユニットとして組み込まれている。
「生きたパーツ」として、意識を封じられ、ただ組織の防壁を維持するためだけに消費されているのだ。
(待っていろ、ガラン。今すぐには助けられない。だが、俺はお前の拘束具に、一粒の砂を混ぜ込んだ)
俺は最後に一回、強くリターンキーを叩いた。
これで、ヴェインのデバイスを経由した『ノイズ』は、黒機城のメインサーバーにまで到達した。
それは爆弾でもウイルスでもない。ただの「無視できる程度の計算誤差」だ。
だが、その誤差はこれから数十日、数百日かけて、要塞の防壁システムに無視できない『歪み』を生じさせていく。
「……シオン、大丈夫か? 管理官に何か言われてたみたいだけど」
隣のレーンから、ルカが心配そうに声をかけてくる。
彼は自分のノルマを完璧にこなしつつ、周囲の状況を常に冷静に把握している。その手際の良さは、ただの労働者のそれではない。
「ああ、ルカ……。また怒られちゃったよ。俺、本当に向いてないのかな、この仕事……」
俺はわざと大きく溜息をつき、情けない自分を演出する。
「そんなことないって。お前は真面目すぎるんだよ。適当に手を抜くコツ、今度教えてやるからさ」
ルカは爽やかに笑い、再び自分の作業に戻った。
彼の瞳の奥に宿る、鋭い観察の光。彼は俺を「利用価値のある無害な情報源」としてリストアップしているに違いない。
(それでいい、ルカ。お前が俺を『無害な一般人』だと判断し続ける限り、俺の盤面は安定する)
俺は再び、無機質なデータの山に向き合う。
ガランの居場所は確定した。
第1段階の封印を解くための、最初の『鍵』。
それを手に入れるには、この倉庫の日常をあと何百回繰り返す必要があるだろうか。
一歩、また一歩。
俺は自分の中の『星王』としての矜持を、冷徹な理性の奥深くに沈め直す。
窓の外では、人工太陽が設定された夕暮れの色に変わり始めていた。
今日もまた、何の変化もない、完璧に偽装された一日が終わろうとしている。
だが、俺が今日仕込んだ『一粒の砂』は、確実に銀河の巨人の歯車を狂わせ始めていた。




