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毎日連載します!
長いですが楽しんでもらえるとすごいうれしいです!!
これからも頑張っていきます!!
アラームが鳴る3秒前。
俺は、ひどく規則的な心拍の音と共にゆっくりと目を開けた。
視界に映るのは、シミだらけの安い石膏ボードの天井。
気温は摂氏18度。湿度45パーセント。空気循環器のフィルターが詰まっているのか、微かに機械油の匂いが混ざっている。
「……」
起き上がることはしない。
アラームが鳴るまでの残り2秒間、俺はただ静かに、自分の脳髄にこびりついた『違和感』の正体を咀嚼していた。
ピピピッ、ピピピッ。
安物のデジタル時計が、無機質な音を立てる。
俺はそれを右手の指先で止め、ベッドに横たわったまま、己の記憶を一つずつ棚卸ししていった。
俺の名前はシオン。
辺境の第73コロニー星に住む、しがない物流倉庫のデータ入力係。年齢は22歳。両親は幼い頃に事故で他界し、特別な才能もなく、ただ毎日決められたノルマをこなし、休日は合成酒を飲んで眠るだけの、どこにでもいる平凡な男。
それが、昨日までの『俺』だった。
「……よくできている。感情の起伏から、味覚の好みまで、完璧なスクリプトだ」
独り言は、驚くほど冷静な声で出た。
俺はゆっくりと身を起こし、洗面台の鏡の前に立つ。
そこに映っているのは、間違いなく『シオン』という凡庸な青年の顔だ。
だが、今の俺は知っている。
この頭の中に詰まっている22年分の記憶が、すべて後から植え付けられた精巧な偽物であるということを。
「第一銀河・第一周期の終わり……か」
ポツリと呟いた言葉の重みに、鏡の中の俺の目が微かに細められた。
宇宙の覇権を握る上位者たちの寿命は500年、長き者は1000年を生きる。
そして、彼らが設定した『強力な記憶操作の概念術式』は、100年という星の周期の節目に、ごく僅かな綻びを生む。奴らはその綻びを計算に入れず、俺という存在をあまりにも完璧に『凡人』に仕立て上げすぎた。
思い出したよ。
俺の本当の名前。かつてこの全宇宙を統べ、『星王』と呼ばれていた事実。
そして……俺の傍にいた彼女を奪い、俺をこの最下層の泥水の中に叩き落とした、8人の裏切り者たちの顔を。
現在の銀河は『八星閥』と呼ばれる巨大な組織によって分割統治されている。
俺を裏切ったかつての部下たちは、今や宇宙の神として君臨しているはずだ。
ご丁寧に、奴らは俺から玉座と記憶を奪っただけでなく、『10段階の概念封印』まで施してくれたらしい。
俺は鏡に手を触れ、己の内に眠る『力』を確かめる。
……動かない。
かつて『1000』あった俺の全能感は、幾重にも縛られ、暗い海の底に沈められている。現在、俺が自力で干渉できるのは、遥か遠くにある第1段階の【基礎覚醒】の扉だけ。それすらも、今の俺の力では開くことができない。
現在の俺の素の能力値は、控えめに言っても『モブ同然』だ。
八星閥の末端兵士にすら、正面から殴り合えば負けるかもしれない。そんな絶望的なほどの弱者。
だが、不思議と焦りはなかった。
「力が足りないなら、盤面ごと操ればいい」
俺は蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗う。
かつての俺に絶対の忠誠を誓っていた『8人の最強の仲間たち』。奴らもまた、反逆者たちの手によって各派閥に幽閉され、洗脳され、利用されているはずだ。
彼女を取り戻す。王座を奪還する。
そのためには、まず手駒となる彼らを一人ずつ取り戻す必要がある。
俺はこの辺境の星を管理している、最下位の『第八星閥』の末端から、一歩ずつ、砂を掬うようにして外堀を埋めていく。
一切の力を誇示せず、誰の記憶にも残らず、ただ『偶然』と『情報』だけを操って、敵を内側から食い破る。
「よし、行こうか。今日も『真面目なシオン君』の出勤時間だ」
俺は支給品のよれた作業着に袖を通し、鏡に向かって、ひどく平凡で愛想の良い笑顔を作った。
全宇宙を騙し切る、気の遠くなるような暇つぶしが、今、始まった。




