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カタルシス  作者: Colorgray
12/12

011

毎日連載します!

長いですが楽しんでもらえるとすごいうれしいです!!

これからも頑張っていきます!!

ヴェインの眉が、ほんのわずかに動いた。


それは驚愕というほど露骨なものではなかったが、少なくとも先ほどまでの余裕に満ちた観察者の目ではない。相手が自分と同じ土俵に足を踏み入れたことを、あの男は一瞬で理解したのだろう。右目のデバイスが不安定な赤いノイズを走らせる中で、彼はむしろ口元を薄く持ち上げた。


「今、この場で開いたか」


低い声だった。嘲りとも称賛ともつかない響きが混じっている。


俺は答えない。答える必要がなかった。言葉にするより先に、もう感覚が変わっている。


格納庫に満ちていた怒号も、警報の残響も、配管の震えも、すべては遠い背景に退いていた。代わりに、ヴェインという一点だけが異様な密度で世界の中心に浮かび上がっている。肩が沈む角度、軸足にかかる荷重、筋肉の起動順、視線が次の攻撃に入る直前にわずかに切り替わる癖。その全部が“今ここ”の情報としてではなく、一拍先、一手先の結果として流れ込んでくる。


ヴェインは静かに息を吐き、乱れかけていたデバイスを指先で軽く叩いた。ノイズが走る。完全には沈黙しない。補助機能はまだ生きているらしい。


「なるほど。選択系か」


そう言って、彼は改めて構えた。さっきまでのような処刑の姿勢ではない。無駄が削ぎ落とされ、こちらの反応を測るための含みすら薄くなっている。正面から叩き潰すつもりだと分かる構えだった。


ルカが俺のすぐ後ろで息を殺している気配がする。割って入りたいのに入れない、そんな緊張がそのまま伝わってきた。ここで彼が踏み込めば足手まといになる。そんなことは本人が一番分かっているのだろう。


ヴェインが動いた。


先ほどまでと同じように見えて、今度は違った。踏み込みそのものは鋭いが、速度の中に“揺さぶり”がある。見切ったと思わせて、二拍目に軌道を変える。概念持ちを相手取る前提の組み方だ。


一撃目は拳だった。俺はそれを左に外す。だが、それだけでは終わらない。ヴェインの重心は最初から奥に残されており、空を切った腕がそのまま次の動作に繋がる。肘。膝。低い回し蹴り。どれもが独立した技ではなく、こちらの回避そのものを誘導するための連鎖になっていた。


(対概念の組み立てか)


理解した瞬間、背筋に冷たいものが走る。


この男、ただ概念という単語を知っているだけじゃない。実戦で何度か相対したことがあるか、少なくとも徹底的に研究している。最短を選び続ける相手には、選ばせる未来そのものを絞り込めばいい。そういう発想で攻めてきている。


普通なら厄介どころの話じゃない。だが今は、その“絞り込み方”まで見える。


俺は拳を半歩で外し、肘の起点より先に内側へ潜る。膝が上がる前に軸足の抜ける角度を読む。低い蹴りは床面との摩擦でわずかに遅れる。そのぶんだけ踵を浮かせて流す。大きく躱さない。必要な分だけ動く。そうすると、ヴェインが用意した“逃げ場”そのものに入らずに済む。


三手、四手と噛み合わなかったところで、初めてヴェインの表情から笑みが消えた。


「厄介だな」


吐き捨てるような声だったが、その温度はどこか楽しんでいるようでもあった。厄介な敵を前にした時の、戦闘者の素の顔だ。


彼は一気に距離を切った。床を滑るように後ろへ下がり、格納庫中央の作業スペースまで身を引く。周囲で見ていた労働者たちが、息を呑んでさらに壁際へ寄った。誰も叫ばない。ただ、今やってはいけないことだけは全員が本能的に理解している。間に入ることでも、逃げ散ることでもなく、見届けることだ。


ヴェインは右手を軽く開閉し、首を鳴らした。


「選択の最短化。そういう類か」


今度は問いではなく確認だった。


俺はようやく口を開いた。


「無駄を捨ててるだけだ。お前の動きの中で、俺に届かない未来だけを残してる」


「傲慢だな」


「事実だ」


返した言葉に、自分でも驚くほど迷いがなかった。挑発するつもりだったわけじゃない。ただ、そう言うのが一番正確だった。


ヴェインは小さく笑った。そして次の瞬間、その右目のデバイスがこれまでとは違う色で発光した。赤ではない。紫に近い、嫌な色だ。ノイズだらけだった表示が逆に静まり返り、周囲の空気がじわりと重くなる。


嫌な感覚だった。世界の輪郭がほんのわずかに歪む。


「なら、こういう未来はどうだ」


踏み込みの気配は見えた。だが、次の瞬間にはその“先”が濁る。


視認できていたはずの線が、途中でぶつ切りになる。未来の枝が急に曇り、いくつかの選択肢が意図的に潰される感覚。概念を概念で濁してきたのだと理解するのに、一瞬かかった。


ヴェインが真正面から来る。


読める。だが、その先が二重に分岐している。拳か、蹴りか。いや、そのどちらでもない。相手は“読ませたうえで裏を取る”ために情報を重ねている。


俺は半歩下がる代わりに前へ出た。


瞬間、正解を引いたと分かる。ヴェインの攻撃は拳でも蹴りでもなく、掴みだった。後退に合わせて喉元を制圧し、そのまま床へ叩きつけるつもりだったのだろう。だが、こちらが前へ出たことでその手は空間を掴み損ねる。


そのすれ違いざま、俺はヴェインの脇腹へ肘を差し込んだ。


重い感触。装甲越しでも芯に届いたのが分かる。だが浅い。完全に入る前に、ヴェインの反応が間に合った。返しの掌底が胸元を打つ。骨は折れていない。それでも肺の空気がまとめて持っていかれ、視界が一瞬白くなる。


数歩分、床を滑って距離が開いた。


「シオン!」


ルカの声が飛ぶ。背後で足が一歩出かけた気配がある。


「来るな!」


咳き込みそうになる喉を押さえつけて、俺は叫んだ。今入られたら、ヴェインの狙い通りになる。俺一人の未来だけを曇らせるならともかく、そこに第三者の動きが混ざれば読みの精度が落ちる。相手はそれを待っている。


ヴェインもまた、そのことを理解していたのか、ルカにちらりとだけ目を向け、すぐに俺へと視線を戻した。


「賢いな。少なくとも、そこの坊やよりは」


露骨な挑発だった。だがルカは動かなかった。拳を握りしめ、歯を食いしばりながらも、ぎりぎりで堪えている。


俺は肺に空気を入れ直し、ゆっくり息を吐いた。


紫の発光。未来の濁り。ヴェインが今使っているのは、おそらく予測の“撹乱”に寄った概念補助だ。選択を最短化するこちらに対し、そもそも読めるはずの分岐を人工的に増やしている。厄介ではあるが、万能じゃない。


濁るのは“先”だ。


逆に言えば、“今この瞬間の現実”までは消せない。


ヴェインがまた来る。


今度は小手先の揺さぶりじゃない。真っ向から押し潰す速度と質量。だが、その動きの芯だけに意識を絞ると、曇っていた未来の向こう側に一本だけ、妙に澄んだ線が見えた。


そこだけは消せない。


そこが、この男の本命だ。


俺は踏み込んだ。


回避じゃない。迎撃でもない。ヴェインの本命が成立する一点、そのほんの手前に自分の位置を先に置く。


ヴェインの目がわずかに見開かれた。


読まれたのではなく、“そこに来る”と決めていた場所を取られたことへの反応だった。彼の拳が振り抜かれるより早く、俺の手がデバイスの側面に触れる。殴るのではない。引っ掛けるようにして軸をずらす。紫の光が乱れ、世界を覆っていた濁りが一瞬だけ剥がれ落ちる。


その瞬間、俺の視界は再び澄んだ。


ヴェインの次の動き、その次の重心、その次の逃がし方まで、全部が一本の線で見える。


俺はそのまま身体を捻り、反対の拳を打ち込んだ。


今度は迷わない。狙うのは首でも肋骨でもない。右目のデバイス、その接続部。概念の補助を担っている核だ。


鈍い音とともに火花が散った。先ほどよりも深く入った手応えがある。ヴェインの頭が初めて大きく揺れ、体勢が半歩ぶん遅れる。


そこへ追撃を重ねる。踏み込み、肩でぶつかり、重心を崩したまま膝を差し込む。連撃そのものは派手ではない。だが、ヴェインの体が受け身を取る前の空白だけを正確に撃ち抜いていく。


最後に、俺は掌底を胸部中央へ叩き込んだ。


空気が押し出される鈍い音。ヴェインの身体が一メートルほど後方へ弾かれ、そのまま片膝をつく。


格納庫が完全に静まり返った。


作業員たちの誰もが、目の前の光景を理解しきれずに息を止めている。今の一連の攻防は、外から見れば圧倒に近かったはずだ。さっきまで一方的に場を支配していた管理官が、明確に押し返されたのだから無理もない。


ヴェインは片膝をついたまま、ゆっくりと顔を上げた。右目のデバイスは罅こそ入っていないものの、紫と赤の光を不規則に点滅させ、明らかに出力が乱れている。


それでも、あの男は笑っていた。


「面白い」


先ほどまでよりずっと低い声だった。その低さの奥に、ようやく本気の熱が乗っている。


「ここまでとは思わなかった。労働区画の掃き溜めで、こんなものを見るとはな」


俺は構えを崩さずに息を整えた。第一概念は強い。だが、万能じゃない。ヴェインもまた、それを理解している顔だった。ここから先は、互いに“見えている者同士”の削り合いになる。


そして、それを理解したのは俺だけではなかった。


背後の空気が変わったのを感じて、ほんの少しだけ視線を流す。ルカではない。格納庫中の労働者たちだ。さっきまで壁際で縮こまっていた彼らの目に、今は明らかに別の光が宿っている。恐怖に押し潰されていた目ではない。何かを見てしまった者の目だ。


ヴェインもそれに気づいたらしい。片膝をついたまま周囲を見渡し、わずかに目を細める。


その一瞬の“外向き”を、俺は見逃さなかった。


この戦いは、ただヴェインを倒せば終わるわけじゃない。


この場の空気そのものを奪うこと。それが本命だ。


俺はゆっくりと前へ出た。


「続けるか、管理官」


静かな声でそう告げると、ヴェインは立ち上がり、口元の血を親指で拭った。


「当然だ」


その返答と同時に、格納庫の空気がまた張り詰める。


だが、今度の緊張はさっきまでとは違っていた。片方が支配し、片方が怯える空気ではない。二つの異物がぶつかり、その余波で場そのものが割れ始めている、そんな緊張だった。

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