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カタルシス  作者: Colorgray
10/12

009

その夜、居住区は異様な静けさに包まれていた。


普段ならどこかで咳き込む音や、疲労をこぼす声が聞こえるものだが、それすらほとんどない。誰もが口を閉ざし、それぞれの思考の中に沈んでいる。昼間に見た光景が、全員の中でまだ消化されていないのだ。


俺は上段のベッドに横たわり、天井の薄暗い照明を眺めながら、目を閉じたまま周囲の気配を拾っていた。


ルカは眠っていない。


呼吸が浅く、寝返りの間隔が短い。思考が止まっていない証拠だ。やがて、小さな衣擦れとともに体を起こす気配がした。


足音を忍ばせるように、ベッドから降りる。


数秒の間。


周囲の反応を確かめるような静止。


そして、そのまま扉の方へ向かっていった。


(動くか)


俺は呼吸を一定に保ったまま、完全に眠っているように見せる。扉がわずかに開き、閉じる音が消えてから、ゆっくりと体を起こした。


間を置いてから後を追う。


夜間の通路は、昼間よりもさらに光が落とされている。最低限の照明だけが点いていて、影が濃い。監視カメラの赤いランプが、その中でやけに目立っている。


ルカは迷いなく第3区画へ向かっていた。


昼間、警報を鳴らした場所だ。


(やる気だな)


“事故”を意図的に起こし、その混乱で外部に情報を流す。昼の時点で考え始めていた案を、そのまま実行に移した形だ。


ただ、そのままやらせるには少し粗い。


俺はわざと足音を一つ鳴らした。


ルカが即座に振り返る。


「……シオン?」


警戒と驚きが混じった声だった。


俺は肩をすくめて苦笑する。


「やっぱり起きてたか」


「なんでここにいる」


「同じこと考えてた」


完全な嘘ではない。ただし、目的は違う。


ルカはしばらく俺を見つめ、それから小さく息を吐いた。


「戻れ。巻き込める話じゃない」


「もう巻き込まれてるだろ」


俺は軽く返す。


「今日のあれ、見ただろ」


ルカは否定しなかった。視線を逸らし、少しだけ迷ったあと、低く口を開く。


「……第3区画の圧力制御をいじれば、一時的に異常を起こせる。爆発とかじゃない。システム上のエラーとして処理される範囲だ」


「それで格納庫止める?」


「ああ。その間にデータを送る」


筋は通っている。だが、“安全な範囲”に収めようとしている時点で甘い。


それでも、その甘さは必要だ。


ここで完全に割り切った判断をするようなら、制御が効かなくなる。


「怪我人は出ないか?」


俺が確認すると、ルカは即答した。


「出さない。そこは調整する」


迷いのない返答だった。


(ならいい)


俺はそれ以上は踏み込まない。


制御盤の前に立ち、ルカが手早く操作を始める。慣れている。無駄がない。だが、構造の理解は“使用者側”に寄っている。


俺はその横で、全体の配管と補助ラインを確認する。


圧力制御、冷却系統、応答遅延。


(……少しだけ足りないな)


頭の中で、別の回路を組み立てる。


ルカの計画に、わずかなズレを加える。


事故として成立させるためのズレ。


「あと三十秒でテスト信号を流す」


ルカが言う。


「そのあと一分で警報が鳴るはずだ」


俺は頷きながら、コンソールの端に指を置く。


見えない位置。


誰にも気づかれない角度。


三十秒後、ルカが操作を確定する。


「……よし」


その瞬間、俺は指を滑らせた。


冷却ラインの応答遅延を、ほんのわずかに引き延ばす。


安全装置は働く。だが、“遅れて”。


次の瞬間、低い振動が床を伝った。


ルカの顔色が変わる。


「……早い」


予定よりも反応が速い。いや、正確には“ズレている”。


警告灯が一斉に点灯し、アナウンスが響く。


『第3区画、冷却遅延。圧力上昇中』


ルカが制御盤に戻り、必死に操作する。


「止める!」


だが、すでに一段階進んでいる。手動入力が一時的に弾かれるフェーズに入っている。


通路の奥から足音が近づいてくる。警報に反応した警備兵だ。


時間がない。


内部圧力が危険域の手前まで上がり、そこで自動制御が働いた。


強制排出。


一気に圧が抜け、同時に格納庫全体のシステムが停止する。


遠くで怒号が上がる。


完全な混乱だ。


「……なんでだ……」


ルカが呆然と呟く。


計算と違う。そう思っているのが顔に出ている。


俺はその横で、小さく息を吐いた。


安心したように見せながら。


(これでいい)


警備兵が通路に現れる。


三人。装甲付き。


距離は十五メートルほど。


「動くな」


短い命令。


だが、その一拍の間に、俺は状況を測り終えていた。


通路幅、障害物、照明の死角。


「走れ」


低く言って、ルカの腕を引く。


反応は速い。二人で斜めに走る。直線ではなく、射線をずらす動き。


追ってくるのは一人。残りは展開。


角を曲がる直前で俺は止まり、ルカに指示を出す。


「真っ直ぐ二つ先、右」


ルカは迷わず走り抜けた。


追ってきた兵が角を曲がる。


距離三メートル。


銃を上げる。


その前に、俺は内側に入った。


手首を掴み、軌道を逸らす。体を寄せて距離を潰す。装甲の重さで初動が遅れる。その隙に足を引っかけ、体勢を崩す。


完全には倒れないが、膝が落ちる。


そこにもう一人の射線。


電撃が走るが、倒れた兵を盾にして抜ける。


長引かせる必要はない。


俺は配管を蹴って横に跳び、通路を抜けた。


合流したルカとともに格納庫へ戻る。


中は完全に混乱していた。


怒号と指示が飛び交い、誰も全体を把握できていない。


本来なら、その中に紛れて終わるはずだった。


だが——


ヴェインの視線だけが、最初からこちらに固定されていた。

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