12
菫は思い出していた。あれは大学2回生の夏休みが終わり、後期日程が始まってすぐだった。菫が学校から戻って、自室の扉を開けていつものように声を掛けた。
「ジャスミン、ただいまっ」
いつもなら〈ワンッ〉と応えるはずだ。しかし返事がない。
「あれ?」
ゲージを見ると、扉が開いて中は空っぽだった。こんなことは初めてだった。
「ジャスミン!どこ?!」
菫は廊下に飛び出して、大声で呼んだ。ダイニングルームから山川和代が慌てたように出てきた。
「お嬢さま?どうしました?」
「ジャスミンがいないの」
「ええっ?そんなっ」
和代はすぐに菫の部屋を確認して、首を捻りながら、慌ててダイニングへ戻った。大葵に電話をかけるようだ。
菫は庭へ出て、ジャスミンの名を呼びながら探してみたが見つからなかった。しかし、緑の葉でいっぱいになった桜の木の下で、あの白い首輪を見つけることになった。
「ジャスミン、あたしをおいて、どこへ行ったの」
パーラールームで菫が泣いていた。和代が慰めるように優しく背中を擦ってくれているところへ、大葵が入ってきた。
「菫、大丈夫か?ジャスミンがいないって?どうしたんだ?」
大葵は菫と和代を交互に見た。
菫は今日帰宅してからの一部始終を大葵に告げた。
「うーん、そっか。でもゲージの扉をどうやって開けたんだろうな」
大葵は困った様子で腕を組んだ。
「ま、それだけ探して見つからないんだから、この家にはいないんだろう。とにかく今夜一晩待ってみよう。ジャスミンのことだから帰る場所は分かっているはずだ」
大葵は菫の肩を優しく抱いた。菫は涙を拭きながら頷きながら、壁の肖像画を見上げて驚いた。
「わっ!パパ、あ、あれっ、あの絵のジャスミンもいないよっ!」
菫が肖像画を指差した。
「えっ?なんだって?」
壁を背にしていた大葵と和代が同時に振り返った。大葵が描いた菫の肖像画のなかのもジャスミンの姿も消えていた。それを見た3人は声も出せず茫然としていたが、菫だけは何故か白い砂の上に足を踏み入れたような感覚を覚えていた。
その夜、菫は行方不明のジャスミンのことが気になって眠れずにいた。ベッドから身体を起こしてジャスミンのことを思い浮かべる。今夜なのかもしれない。自室を出て、裸足のままパーラールームへ向かう。絵はぼんやり光を放っていたが、やはりその絵にジャスミンはいないままだ。その前で菫は初めて声に出した。
「もう守らなくていいわ」
それはジャスミンに向けた言葉でもあり、過去の自分に向けた言葉でもあった。




