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悠人は画廊の収蔵庫にいた。祖父の代から扱ってきた作品群を、上之宮家に婿入りするとともに、少しずつこの収納庫へ移動して保管してきた。その中には上之宮大葵の初期作もある。そのうちの1点を久しぶりに検分していた。
「こんなところに…」
キャンバスの隅に署名がある。確かに大葵の筆跡だ。しかし、そこに添えられたもうひとつの印が悠人の動きを止めた。小さな花のような印。梅?桜?いや…。スミレでもジャスミンでもない。
「何だろうか?わからないなあ…」
記録にも目録にも存在しない。しかし、その印は最初からそこにあったように、作品に馴染んでいる。悠人は背筋に冷たいものが走るのを感じた。誰かが義父と共同で描いた?いや違う。これは署名ではない。義父が、上之宮大葵が、立ち会った証だ。
その日、悠人は深夜に目が覚めた。いつもの起床時間にはまだ早い。その後も何故か眠れず、仕方なく、本でも読むかと寝室を抜け出してギャラリー脇の書斎にいる。しかし書斎へ来てみると、昼間に見たあの署名が頭から離れない。存在しないはずの筆跡と立ち会った証…。扉の向こうで、かすかな音がした。
「菫か?」
ガウンを羽織った菫が扉を開けて入ってきた。「何してるの?こんな時間に」
菫はすでに起きていたようだった。
「菫、こんな時間に唐突で申し訳ないが、君に聞いておきたいことがあるんだ…」
悠人は絵が変わったこと、署名のこと、説明がつかない自身の感覚など、初めて具体的に菫に話してみた。菫は否定しなかった。
「そう…」
ただそれだけ呟いて、少し視線を落とした。
「あなた…、気づいてしまったのね」
「何に気付いたと云うんだ?」
悠人はそう訊ねながらも、妙な安堵感を覚えた。




