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 咲良は気にかかり始めていた。朝、母が怪訝そうな顔をして、これを眺めていたことを思い出す。咲良は入学祝に買ってもらった学習机に肘をついたままこの白い首輪を見つめていた。

 首輪を持ってパーラールームへ来てみた。ただ、ここへ来なければならないと感じただけだ。壁に掛けられた母とジャスミンのこの絵に呼ばれた?そんなわけはないと思いながら、じっと見つめていると、波の音が聞こえ始めた。

〈ザァー、ザザァー〉

床が冷たい。気付いたときには、すでに咲良の足元が白い砂に変わっていた。絵の中の海だ。海が確かに広がっている。

「入っちゃったの?」

恐怖感はなかった。白い影が隣に立っていた。

《ここから先は短い時間だけ》

声で聞こえているのではなく、夢で見たあの意識と同じように直接入ってくる。

《覚えておいて。逃げ場所ではないことを》

咲良は頷いた。

                   *  

 悠人は一階の画廊で一枚の絵を前にしていた。扱い慣れたはずの絵だ。それなのに、今日は妙に落ち着かない。

「湿度のせいかな?」

表面の保護ガラスに、微かな曇りがある。絵の中の海岸線が、わずかに位置を変えているように思えたのだ。そんなはずはないと自問自答しながらも悠人は独り言のように呟いた。

「作品が変化しているのか?まさか…?」

その理由は説明できない。ただ、この絵が何かと繋がっているとしか思えなかった。

 その夜、悠人はバカラのオールドファッションドグラスに、和代が用意してくれた丸く削った氷をいれて、アードベッグを注ぎながら菫に訊ねた。

「入学式も終わったけれど、咲良に変わったことはないかい?」

菫は一瞬言葉に詰まったが、すぐに微笑んで悠人をみた。

「うーん…、変わったことといわれてもねぇ。いろいろあるけど…。ま、どれも咲良が成長しているだけってことかしら。それ、あたしもいただこうかしら?」

菫は悠人のグラスを掌で示した。頷きながら悠人はそれ以上踏み込まずに、オールドファッションドグラスをもうひとつサイドボードから取り出した。

「一杯だけだよ。これ酔っちゃうからね」

悠人の胸の奥で警鐘が鳴っていた。守られている。だが同時に、境界に立っている。その二つは、同じ意味ではない。悠人は初めて、自分が鑑賞者ではいられなくなったことを悟った。


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