プロローグ
あたしと同世代の人たちは、最も脂がのり切っているというか、仕事にせよ、遊びにせよ、おそらく人生のなかで一番充実していると云っていい時期だと思う。
上之宮菫、今年10月で38歳になる。自身でも苦労というものをほとんど味合わず、優雅に育ってきたと思っている。幼少の頃からほしいものはほとんど手に入ったし、気に入らないことはする必要もなかった。学校は幼稚園から大学まで同じ学校法人に在籍して、大した受験勉強せずに入学し、何事もなく卒業している。従って、世に出て働いたことがないし、学生時代にもアルバイトすらしたことがない。そんなあたしは大学4回生に進級したとき、父親が薦めた4歳年上の川西悠人と見合いをして、翌年春の大学卒業を待って結婚した。しかも悠人は、上之宮家を継ぐ婿養子という条件をのんでくれた。そう、まさにお嬢様育ちを絵に描いたような女であり、またそれを自他共に認めていた。しかし今になって考えることもある。ただ思うがままに生きて、言われるままに結婚し、そのまま今に至っている。あたしの人生はこれでよかったのだろうかと…。
亡父、上之宮大葵は高名な洋画家だった。フランス印象派に影響されて、モネやエトワールを愛したようで、19世紀の女流画家ベルト・モリゾを彷彿とさせるような画風で、日本の田舎風景を好んで描いている。全盛期には相当数の作品を世に出して人気を博していたらしい。しかし残念ながら、一昨年誤嚥性肺炎を繰り返して73歳で惜しまれながら亡くなっている。
亡母、皐月はあたしを生んですぐに亡くなっている。俗にいう産後の肥立ちが悪かったのか、死因は静脈の塞栓症だったと聞いている。従って菫は母の顔を知らない。写真は数十枚残っているが、全身写真ばかりで、細かい表情はわからない。父との結婚式で撮影された白塗り顔などは話にもならない。唯一、母の雰囲気がよくわかると、父はもちろんのこと、母を知る人たちからもよく云われるのは、父が母をモデルにして描いた肖像画だ。結婚当初の母の様子がよくわかるらしい。その作品のなかの母は中世貴族のような洋装で、もしかすると父は、あのモナ・リザを意識して描いたのではないかと思うぐらいその絵のなかの母は、優しくうっすらと微笑んでいる。その半身像の母がいまでもパーラールームの壁で笑顔を見せている。また、その横には中学生になったばかりのあたしと在りし日の愛犬ジャスミンが描かれた別の油彩画も並べて掲示してある。
夫悠人は自身の実祖父川西幸四郎が立ち上げた画廊を引き継ぎ、高齢の幸四郎に代わって、若いながら実質的な経営者となっていた。父大葵は悠人の絵を見極める才覚というか、その鑑賞眼や洞察力に惚れ込んだらしい。結果、自身の作品管理などのすべてを任せたことが奏功し、父、夫ともに成功を収めたといえるだろう。おかげで画廊の経営は順調らしい。




