第7話 折れぬ角、砕けぬ拳
夜の森を、ひとりの少年がふらつきながら歩いていた。
その名は神鬼キト。
全身は傷だらけ、腕には焦げ跡、衣服は裂け、血が滲んでいる。
それでもその瞳には、消えることのない光があった。
負けた。
それも、圧倒的に。
神のような力を持つ青年、イオ。
キトはその存在にまるで魂を握り潰されるような敗北を味わった。
神と鬼の狭間に立つような、あの男。
だが、胸の奥で何かが囁く。
“あいつを、どこかで知っている”と。
その違和感を振り払うように、キトは唇を噛んだ。
血の味がする。痛みよりも、心が軋む。
焚き火の明かりが見えた。
そこに、拳を磨く男の影があった。
フィスト。
「おい……どうした、キト!」
火の前にいたフィストが駆け寄る。
彼の表情が険しくなる。
キトの姿は、まるで瀕死の戦士のようだった。
「……少し、やられただけだ」
「“少し”ってレベルか!? 相手は誰だよ!」
キトは無言で腰を下ろし、焚き火を見つめた。
炎がゆらりと揺れる。
やがて、低く静かな声が漏れた。
「……神の血を持つ男。名を……イオと言った」
「神の血?」
「奴の力は……まるで神そのものだった。拳を合わせた瞬間、心が震えた。
だがそれだけじゃない。……あいつの“気配”、どこか懐かしい」
「懐かしい?おい、兄貴、頭打ったか?」
フィストは冗談めかして笑おうとしたが、キトの表情があまりに真剣で、その笑みは途中で止まった。
「負けたのか……」
「完敗だ。けど次は違う。」
キトは拳を握る。
その拳は血で汚れていたが、どこか光を帯びて見えた。
「俺はあの男を超える。神でも、運命でも構わない。次は……勝つ」
「へっ。なら俺も付き合ってやるよ」
フィストは拳を突き出す。
「負け犬同士、叩き上げてやろうぜ。今度は誰にも負けねぇ拳をな」
キトは微笑み、拳を合わせた。
その衝突音が、まるで誓いの鐘のように夜に響いた。
翌朝から、二人の修行が始まった。
キトはイオとの戦いで感じた“圧倒的な力の差”を埋めるために、己の中の何かを呼び覚まそうとした。
だが、ただの筋力やスピードでは届かないことを、彼は理解していた。
あの力は、根源が違う。
それは、血の底に眠る何か。
鬼の咆哮と、神の加護が混じり合うような“異質な鼓動”。
それを掴むために、キトは瞑想し、己の魂と向き合う日々を送る。
一方でフィストは、キトの背中を見ながら拳を鍛え続けた。
「守るだけじゃ足りねぇ。あの人と並ぶには、砕く力もいる」
拳を岩に叩きつけ、血を流しても止めない。
彼の拳は、まさに意志そのものだった。
雷鳴が響く夜。
崖の上でキトはひとり座っていた。
瞼を閉じ、心の奥に潜る。
お前は何者だ。
誰かの声がする。
それは自分の声でもあり、別の何かの声でもある。
闇の中に、一瞬だけ光が差した。
そして、キトの額に“折れかけた角”が浮かび上がる。
それはすぐに消えたが、確かに存在した。
その瞬間、キトの中で何かが“目覚めかけた”。
意識が遠のく。
崖下で待っていたフィストが駆け寄る。
「おい、キト!しっかりしろ!」
抱きかかえると、キトの額には薄く血が滲んでいた。
だが、彼の表情は穏やかだった。
フィストは小さく笑い、拳を握る。
「折れねぇな……あんたの角も、俺の拳もよ。」
雨が降る中、二人はただ静かに焚き火の前で眠った。
そして翌朝、燃え残りの火を見つめながら、キトは小さく呟く。
「この力……まだ眠っている。なら、起こしてやるさ」
フィストが笑い、拳を突き出す。
「なら、起こすまでぶん殴り合おうぜ」
二人の笑い声が、嵐の後の空に響いた。
その日、二人の絆は、神に抗う最初の“力”へと変わり始めた。
第7話は、イオとの敗北を経て、キトが再び立ち上がる回です。
“角”が象徴するのは、鬼としての誇りと意志。
それが折れない限り、彼は何度でも立ち上がる。
そして、フィストとの関係がここで一気に深まりました。
守る拳と、壊す角。
互いの弱さを認め、共に強くなる――
この絆が、後の“神の六騎士”を支える土台になります。




